プールサイドの人魚姫 -83ページ目

プールサイドの人魚姫

うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。


goruhu テロとの戦いに勝利しても、ゴルフの誘惑には勝てない。そんな政府に何が期待出来るのか。モラル崩壊と危機管理意識の低下は国を滅ぼすと言っても過言ではない。
山田洋行と防衛省の要といえる守屋武昌前防衛事務次官の癒着が切っ掛けに次々と不正が明るみに出てきた。モラルに反する誘惑はきっぱり断るのが本来の姿であるが、プライベートと言うことで一度くらいならいいだろうという安易な発想が、気が付けば数十年にわたり常識から逸脱した違法行為に発展してしまった。
世の中、誘惑に勝てない人は多いが自分の立場をわきまえていれば断れるはずである。しかし要職についている人間ほど欲が出ることも事実であり、その立場を利用して私腹を肥やしその座に胡坐をかいてのさばる人間が多すぎる。
山田洋行はぼったくり企業であり、相手が防衛省となれば金の出所は国民の税金ということもあり、水増し請求の相手としてはこれほど都合のよい取引相手はいない訳である。
水増し請求の一部を自分の懐に入れるという悪質極まりない行為、業務上横領そして資金流用や書類偽造といった会社を私物化した個人のワンマン経営。
これらの不正支出事件に関しては政治家の具体的な関与は今のところ公にはなっていないものの、東京地検特捜部はその影で動く尻尾をある程度把握しているのかも知れないが、政治家が絡む事件は上からの圧力がかかるのは当然で、今後の捜査の進展に妨害工作が発生する可能性は大きい。しかし我々は真実を知る権利がある。その為に税金を払っているのだから怪しい人物には登場してもらわなければ困る。
さて、クチコミ番付で「死ぬまでにしたいこと」などという項目があったが、わたしならやはり接待ゴルフかな。もちろん違法ではないゴルフを望む。まあわたしに接待しても何も出ませんが。


飛び降り

街中を安全に歩くことさえままならないような事故だった。空から落ちて来るものは雨や雪など、自然のものばかりでなく、建物の看板や、航空機の破片という、危険物もある。一番恐ろしいものは、放射能に汚染された雨だろう。
まさか自分の頭に人間が降って来るとは想像すらしていなかったが、それが現実となってしまった池袋パルコからの飛び降り自殺。そしてそれに巻き込まれた男性が命を落とした。
当日のパルコ前は午後の昼時で人通りが最も多く混雑していた。自殺した女性が何故このような場所を選んだのか、考えなくとも誰かに当たる確立は非常に高い訳で、それを計算しての飛び降り自殺だったとしたら犯罪になるが、当人が死亡している為なんともやり切れない事件となった。
国内の自殺者は統計を取り始めてから9年連続して3万人を超えている。このような事態に厚生労働省やNPOも自殺者の数を減らす為の方針などを積極的に打ち上げているようだが、日本が自殺大国になってしまった背景には孤立する人間関係や教育、経済、子育て、将来に対する不安、医療問題などが複雑に絡んでいると思われる。
これらの病巣を抱えたまま日本経済と政治が腐敗を続けて行く中で、人間を個人として捉え、尊重する意識が薄れつつある現代に、希望や夢を持てない人間が益々増えて行くのは全てが「他人事」と捉え「傍観者」になってしまう自分がいるからである。
自分の存在が否定されたり、或いは居場所が見つからない羅針盤を見失った幽霊船のように、孤独の大海原を漂うような現実から逃避しようと、自殺という道を選び、この世に自分が存在した証拠を残す為、敢えて人の波に吸い込まれて命を落とす行為。
仮に彼女が病気だったとしても、それはこの事件を知った貴方の明日の姿かも知れないと言うことをここに記して置きたいと思う。


イルカ
わたしの出身地である静岡県は海と山の幸に恵まれた温暖な土地である。その風土からか、県民の人柄もどこかのんびりとした懐の広い人が多い。家出人が集まる場所として暮らし易いと言われており、尋ね人の捜索で行き詰ったら静岡に眼を向けよという噂があるほどだ。
海は駿河湾を眺望し、背中に富士山を抱き横に長く伸びた日本地図の中心に位置しており、関東や関西にも近く静岡の立地条件を利用して大企業の中継地点にもなっている。
食べ物は特に海の幸が非常に豊富である。わたしが幼い頃過ごした藤枝市の隣が焼津市、鮪の漁獲量が日本一で、藤枝から車で数分足らず。港町は魚特有の匂いで活気を帯びている。そしてもうひとつが清水の次郎長でお馴染みの清水港。日本三大美港の一角を担っている。
静岡を一言で表せば「お茶所」である。東海道線や東名高速を走ると茶畑が印象的。古い話で恐縮だが、1968年2月に起こった金嬉老事件の行く末をTVにかじりついて見ていた記憶がある。事件の舞台となったのは最も美味しいお茶が採れる場所、温泉地としても有名な川根町にある寸又峡温泉。この事件に関して言えば背景に在日コリアン差別問題が重くのしかかっていた。
さてタイトルとなっている「イルカを食べた少年」の本題に入ろう。
この少年はわたしの事である。自分が幼い頃に経験した記事は過去にも幾つかあるが、イルカを食べたのはこの一回限であった。父はご存知の通りアル中でそれが祟って肝硬変になり42歳という若さで他界した。
わたしと過ごした期間は非常に限られていたが、父との思い出が幼少期に凝縮されている。この話もその中のひとつである。酒が切れると手が震えるのはアルコール依存症の典型的な症状。コップ半分でも飲めばたちどころに震えが止まる。しかしその分父の性格は一変する。
わたしにして見れば「きちがい水」だった酒が憎かった。父は毎日のように酒を飲んでいたが、一人で飲む事はなかった。大抵友人が二、三人やって来て外へ飲みに行くか、或いは家で飲むのが常であった。たまに近所の人たちも混ざって飲んだりする時は大いに盛り上がり、愉快な話しで家の中が笑い声で揺れるほどだった。
そして酒といえば肴が出てくる。せんべいやピーナッツ、果物、何処かの小料理屋で飲んでいるのとそう変わらない内容の食べ物がテーブルの上を所狭しと並べられる。刺身もあれば貝も海老も出てくる。普段このような豪華な食材にあり付ける訳もなく、幼いわたしにとっても非常に在り難い時間だった。
そんな中で土鍋の中でグツグツと様々な野菜と一緒に煮込んである見たこともない肉のようなものがあった。「おばさん、これ何?」「これか?これはねイルカの肉だよ」初めて見たイルカの肉、そしてもうひとつ気になる存在があった。「こっちは?」「鯨のへそ」「……」。
わたしは一瞬言葉を失ったが、大人たちが美味しそうに食べているのを見て、この二つのものを口にした。イルカの肉は臭いが強いので野菜などと一緒に煮込んで食べるのがよいらしい。歯ごたえがあり、コリコリとした感触は鶏肉のモモを少し固くした感じであった。鯨のへそと言われている不思議な三角形に近いものは豚のレバーに味が近かった。酒宴が終わりに近づく頃には父はかなり泥酔状態であった。皆が去ってしまい、父と二人だけになるのが非常に恐かったが、ここまで泥酔している時は暴力を振るう力もなく大抵はそのまま眠ってしまうが、必ずある出来事がわたしを待っていた。
テーブルに散らばった皿やコップなどはわたしがいつも片付けていた。横になっている父に布団を被せ、後片付けが漸く終わり時計の針が午後11時を回った頃父の横に滑り込むようにして寝るのだが、父が突然「とし坊、洗面器!」と叫ぶ。ああ、またか…と思いながら、離れにある台所に駆けつけアルマイト製の洗面器を用意するが、時は遅しで畳みの上は父の嘔吐物ですっかり汚れてしまっていた。イルカも鯨も酒も全て胃から吐き出してしまうまで、嘔吐を繰り返す父。そんな姿を幾度となく見てきた。
父が亡くなって30年以上の時が流れたが、イルカと鯨を見る度に忘れられない光景としてあの晩のことを想い出す。イルカの肉はよいとしても何故か鯨のへそが本当なのかいまだに気になって仕方がない。



クルマ 千葉市・幕張メッセで行われている東京モーターショーは今年で40回を迎える。車ファンが連日、未来の車を一目見ようと全国から押しかけ、会場は熱気で溢れている。
展示されている車はどれもスタイリッシュで、これが自動車なのかと思わせるほどの洗練されたデザインに圧倒される。
もちろんこれらは全て地球温暖化に配慮した環境に優しいエコカーである。ハイブリッドカーがいずれ、主流を占めるようになるにはまだ遠い先の話しではあるが、現状の車でもエコカーに少しでも近づく為のグッズなどがカーショップなどに行けば所狭しと様々なタイプの物が売られている。
11月に入り電気、ガスなどが値上がりし生活に欠かせないエネルギーの値上げは、家庭や企業にとっても大きな損失となって返ってくる。省エネ生活の推進は今後企業や家庭にとって大きな転換期となるだろう。
来年実施される「京都議定書」により、国、企業、個人レベルで二酸化炭素の排出削減に努力を義務付けられる訳だが、仕事をすればするほど、エネルギーを消費するという矛盾をどう解決して行くかが大きなポイントとなるであろう。
ガソリン値上げで自動車社会が悲鳴を上げる中、いかに効率のよい運転をするか或いは出来るだけ車を使わない移動方法を考えなくてはならない。先日TVでもやっていたが、営業車を電動自転車に変えて、環境への配慮と光熱費の削減、そしてメタボリック改善と一石三丁の方針を実行している企業もある。
快適さを求めるため、あらゆる電化製品が続々と登場しているが、快適とは何か、それだけを求めてしまうとエコとは逆行してしまう。環境に優しい製品を効率よく使う為には人間の普段からの生活態度を改めなくてはならないだろう。


リング

 


父の焼け跡から
指輪が一つ
オレンジの炎にも負けず
焼け残った指輪
父の指で銀色に輝き
いつも父と一緒だった
指輪
わたしは
おまえに嫉妬する

 

中村紀洋

11月1日、ナゴヤドームは歓喜の波に揺れた。日本シリーズに王手をかけた中日、そして背水の陣で迎え撃つ日本ハム、この一戦はプロ野球の歴史に残る見事な投手戦となった。負けられない日本ハムは第一戦で気迫のピッチングを見せたダルビッシュ。彼に対し中日打線は沈黙を余儀なくされ完敗。苦手意識が残る中でそう簡単に点は取れないだろうと落合監督も投手戦になる事を覚悟していた。
日本一を目前にした場合、不利なのは王手をかけたチームだろう。その優勝への重圧は選手一人一人のプレーに現れてくるもの。追う立場の日本ハムにしてみれば勝つしかない。ヒルマン監督は選手たちに自由に自分たちのプレーをしろと選手たちをマウンドに送り出しただろう。ここへ来ての焦りは禁物。リラックスした状態の中でプレーをさせるのが良い結果を生む。
試合は予想通りの緊迫した投手戦。中日もダルビッシュに負けじと山井を指名。スコアボードに0が並ぶ。1点を取る難しさがそれを物語っていた。しかし連勝中の中日には勢いがあった。犠打でもぎ取った1点が勝利の女神を呼び込んだのである。
中日ドラゴンズは53年ぶりとなる日本シリーズ優勝。今シーズンからプロ野球は新しい制度でである「クライマックスシリーズ」が導入された。わたしはそれを知らずにいたので巨人が日本シリーズに出場するものと思い込んでいた。
中日の優勝に貢献したのは選手全員であるが、この中で一際輝いていたのが、MVPに選ばれた中村紀洋選手である。彼については皆さんもよくご存知であるから詳しくここで述べる事もないと思う。華々しい過去の栄光を背負って大リーグに挑んだ彼を待ち受けていたものは、結果だけが全ての世界でそれを成し得なかった無念だけだった。
日本の地に戻り再スタートをするも怪我に泣かされ、思うような結果も出せず自由契約というプロの世界では素人同然の立場に追い込まれた。年棒5億円という看板が重くのしかかり、どのチームからも敬遠されてきた。
それに手を差し伸べたのが落合監督だった。提示された金額は年棒400万円。入社したての新人サラリーマンなみの金額。「俺はプロだ」と彼は思ったかも知れないし、野球を諦めようと考えたかも知れない。しかし野球に対する情熱が彼の心を揺さ振った。
金など問題ではない、俺から野球を取ったら何が残る…。彼は5億円のプライドを捨て、新人としてバットを握ったのである。

擬態 自然界には敵の眼を欺く為に周りの風景に溶け込んでしまう動物が数多くいる。それは自然がもたらした生存競争の激しい世界を生き抜く為の智恵でもある。
これを人間界に例えると「偽造」「偽装」「改ざん」等といった行為に変化する。消費期限、賞味期限なども曖昧な言葉で、消費者に分かりずらい。これは業者の為のものであって、決して我々消費者への的確なメッセージでは無くなってしまった。
古い物を新しい物として日付を改ざんし、店頭に並べる行為があからさまになって来た異常事態は昨日今日の話しではなく、長い食品関連の伝統の中に悪しき習慣として深く根付いてしまったと思われる。
最近の事例としては、「赤福」「比内地鶏」「御福餅」「船場吉兆」「ニチアス」「ミスタードーナツ」ドッグフード製造の「サンライズ」「給食牛肉偽装」「鹿児島漬物」など、芋づる式に報道されて来るがこれらは氷山の一角に過ぎず、数え上げたら際限なく続くだろう。
最早偽物ばかりがまかり通り、本物を見つける方が困難である。ペット業界にまで及ぶこれらの偽造、偽装は血統書をも改ざんしているかも知れない。貴方のペットが純血種かどうかも怪しくなって来た。
野良犬や野良猫でいる方がよっぽど気楽でよい生活が送れるかも知れない。嘆かわしい時代になってしまったものである。


ハロウィン

ハロウィンを分かり易く説明すれば、日本でいうお盆。宗教が変わっても、霊に対する慈しみは変わらない。日本の場合は玄関に砂をまいておくと、帰って来たご先祖さまたちの足跡が残ると言う。まあこれはわたしの住んでいた藤枝の風習だったが。
仏壇のある家は竹を二本用意して飾りを付け、茄子やきゅうりに割り箸を刺して、動物に例える。そしておはぎやら果物、飲み物を供え精霊たちが道に迷わないように迎え火を焚く。
日本は仏教だから見た目はハロウィンと違い地味である。わたしはこのハロウィンが来る度にあの言葉を思い出す。そう「フリーズ」である。今ではパソコン用語にもなり小学生まで知っている英語だが、それを「プリーズ」と聞き間違え、銃で撃たれて死亡した日本人留学生。
住めば都というが、その土地の風習に慣れるまではかなり時間がかかる。たった一言が取り返しのつかぬ事態を招く。これに関しては前回の記事「アルカイダ」にも関連するが、不用意な言葉は慎まなくてはならない。
他所の土地に行くならまず、その土地の習慣をよく学ぶべきである。水が変われば人の考え方も変わる。自分の常識が通用しないことを前もって知っていれば、不慮の事故は防げるのである。

アルカイダ友人の友人がアルカイダ。法務大臣の座にある鳩山邦夫氏の発言に目が点になってしまった。どうしてこうも政治家の問題発言が次々と出てくるのか。日本の政治は末期状態にあると言っても過言ではない。
先日行われた守屋武昌前防衛事務次官の証人喚問で、接待疑惑に関わっている政治家が他にもいることが明らかになり、新テロ対策特別措置法案の成立に向けての審議が益々困難を極める状況に陥っているところへ来ての爆弾発言。
テロについてはどこの国も神経を尖らせ、その中心的テロ組織「アルカイーダ」への包囲網を強化しているにも関わらず、余りにも無責任な発言。福田首相もはらわたが煮えくり返る思いでいるのではないだろうか。
本来なら口が裂けても言ってはいけない言葉を軽々しく使う風潮が、今の日本には蔓延している。確かに言論の自由はあるだろうが、時と場所をわきまえない、空気を読めない役人や政治家の発言が世論にどれだけ影響を与えるか、それすらも察知出来ない言葉の乱れ方こそ、テロリズムであると言える。
テロを起こすのは何も武器を必ず必要とはしない。死人が出なくとも人々を不安、不快に思わせ混乱させるだけでも充分威力がある。
世界中にこの発言が配信され、正確に伝わらない場合は日本人にアルカイダのメンバーがいると誤解を招く恐れも充分にある。
先の読めない政治家ばかりが集まって日本列島をズタズタに切り裂いているように思えてならないのだが、皆さんはどのようにお考えだろうか。


エクソシストわたしはホラー映画が結構好きである。日本では「リング」が話題になりそれに続けて「らせん」
「呪怨」「着信アリ」などがヒットした。わたしの中ではホラー映画の傑作は1974年に公開された「エクソシスト」だと思っている。
これは実話を元にした作品であり、人間の身体を借りた悪魔と神の力で悪魔祓いする神父との戦いを描いたものだが、神と悪魔が表裏一体であることを注意深くこの映画を見れば、理解出来るのではないだろうか。
つまり、神の裏の顔は悪魔、その反対が神であること。そしてそれは人間自身の中に存在している善と悪を映し出しているのである。
さて、先日アメリカから届いたニュース。ホワイトハウスに幽霊が出ると、ブッシュ大統領の娘が体験談を明らかにした。ホワイトハウスの幽霊騒ぎは昔から言い伝えられていたが、ハロウィンを前にしてこの幽霊話が話題を呼んでいる。
長い歴史を持つ建物ほど神秘的或いは心霊現象などの噂がある。家は人が住む為の物だが、長い間放置したままにして置くと家自体が壊れてしまう。人が住んでこそ家の価値が上がるが、その家に対する思い入れが強ければ強いほど、人間、或いは動物の魂が宿る。
不慮の事故、殺人、自殺など命を落とす方法は様々で、この世に未練を残して亡くなった人が成仏出来ずに浮遊霊、地縛霊などになってこの世に別れを告げずに苦しんでいるのだ。
臨死体験の話しを時々耳にするが、友人に看護師がいるので死が間近に迫っている人の周りにはあの世からの誘いの手が幾つも見えると言う。成仏出来た人はデスマスクに現れる。わたしの父は肝硬変末期状態で血反吐を吐きながら、もがき苦しんで逝ったにも関わらずその死に顔は実に穏やかで優しさに満ちていた。
死んだ時の自分の顔は分からない。せめて優しい顔であの世に逝きたいものである。