プールサイドの人魚姫 -82ページ目

プールサイドの人魚姫

うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。


会見
疑惑だらけの土俵に背を向け足早に去った朝青龍が11月30日帰って来た。故郷モンゴルの地で、自分の愚行について考え反省したかどうかは本人のみぞ知るところである。
朝青龍を待つ記者会見場は詰め掛けた報道陣で埋め尽くされた。高砂親方と同席し、謝罪会見が淡々と進む中、マイクの数とカメラのシャッター音が会場に冷たく鳴り響く。亀田大毅の坊主頭が遠い過去の物に思えるほど冷たく乾いた空気が降り注ぐ。
会場からは厳しい批判とも取れる質問が飛び交う。額に少し汗を滲ませ、返答に詰まると親方が弟子をかばうように質問を切り返した。親方にとってみればやはり弟子はかわいいもの。出来の悪い子どもほどかわいいものだと親心が湧くのも無理はない。
厳しい批判に同情する声もあるようだが、批判の裏返しには期待が込められている。それも世間からの愛情だと気付けば、彼は堂々たる横綱に成長するだろう。故郷に帰れば優しい家族や親族がおり、温かく迎えられ赤子のように甘えることが出来ただろう。
朝青龍の尻に蒙古班がまだ残っている内は大人として更に横綱として認める訳にはいかない。
初場所から土俵に上がるという相撲に対する積極性は評価したいが、敢えて押忍の心を学ぶよい機会かも知れない。



松田優作1
能人や著名人には死しても尚、プライバシーがないのかと思わせるようなニュースだった。故松田優作の長女と二男が夕食のおかずについて翔太さんと口論になり、都内の病院に搬送されていた記事。
このニュースを見て久しぶりに松田優作を思い出したのだが、芸能人に関わることなら何でも報道してしまうマスコミに多少疑問を持った。だが、わたし自身がこれを切っ掛けにブログで取り上げるので、モラルのないマスコミと同じ穴の狢だなと少し反省をしている。




松田優作の姿をスクリーンで最後に見たのは1989年公開の「ブラック・レイン」当時彼は癌に侵されていたが、病を封じ込めるほどの熱演で、主演のマイケル・ダグラスが霞んで見えるほどだった。
初めて彼を見たのもスクリーンで1973年に公開された「狼の紋章」だった。当時わたしは17歳。遊び盛りで土曜の夜などは友人たちと朝まで意味のない会話を楽しんでいた。オールナイトで見た映画が志垣太郎主演の「狼の紋章」だった。
それまでは松田優作の存在は知らなかったが、その映画で白い学生服に日本刀を持って現れた彼の姿が異様に眼に焼きついた。その後彼は、刑事ドラマ『太陽にほえろ!』で人気を獲得。ジーパンと言う愛称で呼ばれるようになり、マカロニこと萩原健一とも共演している。
わたしにとってこの二人はやがて忘れられない存在として影響を受けるに至った。ドラマ『探偵物語』は余りにも有名であり、アクションスターとして出発した彼の持ち味はその後様々なドラマや映画で発揮されることになる。

松田優作2
森田芳光監督の「家族ゲーム」では一風変わった家庭教師役を見せ、俳優としての幅の広さを見せ付けた。この映画は曰く付きで、霊が映りこんでいるとして話題になったほどである。角川シリーズの映画には欠かせない俳優となり代表作「蘇る金狼」は大ヒットした。
本人も極真空手2段の腕前を持つ武術家でもある。
「母さん、僕のあの帽子どうしたでしょうね ええ、夏、碓氷峠から霧積へ行くみちで 渓谷へ落としたあの麦藁帽ですよ…」西条八十の詩が劇中で語られ、ジョー山中の切ないボーカルがより一層場面を引き立てる「人間の証明」。松田優作が残した遺作が今鮮烈に脳裏に蘇って来るが、彼はもういない。





マック
わたしたち消費者に最も愛され、そして子どもから大人までが利用するマクドナルド。ミスタードーナツもその代表であるが、このように身近な存在であるファーストフード店から偽装が発覚したことは実に残念で仕方ない。
この一年多くの食品関連の偽装や改ざん問題が明るみに出て、消費者はうんざりしている。もう無いだろうと思った矢先に、売れ残ったサラダの調理日時の偽装。
これだけ世間を騒がせた騒動が何の教訓にもなっていない。見た目に問題がなければ売れ残った商品は翌日に回すと言う節操のない人間が多すぎる。
今は夏と違い確かに腐るような事はないだろう。自宅の冷蔵庫を探せば賞味期限切れのハムや牛乳も見つかることもある。それを口にするか捨てるかは個人の責任だから特に追及することもないが、お客様に売るものについては全く別次元の問題である。
ここまで偽装が日常化してしまうと、消費者の不信は拭うことが出来なくなる。どんな商品や食品を見ても疑いの眼で売り場の店員に尋ねなければ不安で仕方ない状況に陥るかも知れない。
偽装に関しては過去に散々書き尽くしてきたので、今更書く事がなくなってきた。信用を得ることは誠実さと長い間積み重ねた努力と真心が実って出来上がるもの。
それが一瞬にして消えるのは、人間の道徳心が欠如し善悪の判断すら出来なくなった末期状態とも言えるだろう。教訓は活かしてこそ実になり花が咲く。信頼という希望の花をいつになったら咲かすことが出来るのだろうか。



千秋楽 大相撲九州場所を振り返ってみよう。前半は千代大海が俄然調子よく白星を重ねて行った。このまま行けば優勝も視野に入ると思っていたのだが。後半では既に全勝力士が消え、勝負の行方は混沌とした状態が続く。
誰の手に賜杯が渡されるのか、もつれたまま後半戦が続く。そして迎えた千秋楽に珍事が起きた。そのまま行けば優勝決定戦もあり得たのだが、千代大海がまさかの休場。右ひじ関節捻挫が原因であるが、千代大海にとってはまたとない優勝のチャンス。
しかし、怪我をおしてまでの出場は今後に響くと判断した九重親方の意見を曲げるほどの優勝に対する執着心はなかったようだ。これが千代大海の弱さである。その昔、力道山が肩を脱臼し、試合が出来ないのではとプロレスファンを冷や冷やさせたことがあった。しかし力道山はその試合にアメフトのプロテクターを肩に嵌めて試合を行った。
プロレスは娯楽番組だから、観衆を喜ばせるのが商売。もしかすると肩の脱臼も見せかけだったかも知れないが、そこはやはりプロ。プロレスの頂点に立つ者は如何なる場合も試合を放棄しない。それが人気の秘密でもあった。
相撲とプロレスを一緒にすることは出来ないが、力道山も相撲界出身。千秋楽の土俵にブーイングの座布団が舞い上がる。それも当然だっただろう。緊張感の全くない白鵬の相撲ぶりに、ファンががっかりしたのも無理はない。
優勝が星取りで左右されるのではなく、今回のような事態になった時は「今場所は優勝者なし」でもよいのではないだろうか。それでなくとも、モンゴルの地から朝青龍の笑い声が聞こえて来そうな内容。「俺がいないとやはり駄目だな」とTV画面に向かって高笑いする朝青龍の姿が見えて来る、残念。



よっぱらい
12月に入ると何かと忙しなくなるが、宴会のシーズンでもある。忘年会を控え、幹事は今から店探しや予約と言った別の仕事が待っている。上司たちは付き合いのある会社から接待を受け、一日に何件も宴会のはしごに酔っている暇もないだろう。
そんな師走が近い世間をよそに、接待疑惑でいまだにゆれている国会。政治家ともなれば、あらゆる所から接待の声が飛び交うだろう。疑惑の中心人物、守屋氏をはじめ、額賀福志郎財務相、入院中の久間元防衛相。この両氏は守屋氏の口から飛び出した新たな火種なのだが、接待については「まったく記憶にございません」と完全否定を続けている。
火の無い所に煙は立たずで、何かしら関与しているのは明白と思われるのだが、人間は身分の違いはあれど、自分にやましいことがあると、都合のよい嘘を付く。世の中に嘘を付いたことがないという人はまずいないだろう。
嘘ににも限度があり、中にはやむを得ず真実を隠さなければならない場合もある。自分が不治の病だと知って残された人生を真っ当するか、何も知らないままこの世を去るか、どちらが正しいのか判断の付け難い場合もある。
政治家の付く嘘は大抵が金や権力が絡んでおり、決定的な証拠が出ない限り嘘で固めまくる。「記憶にございません」が政治家の間で合言葉のように使われ出したのは、おそらくロッキード事件の時からだとわたしは記憶している。
確かに都合のよい言葉だが、政治家が使うと余計に疑惑が深まるばかりである。福田首相は我関せずといった態度で、わたしを巻き込まないで欲しいような発言とも取れる態度を示し、責任逃れに余念がない。
野党の追及も迫力がなく、民主党が本当に政権交代を目指しているのならば、もう少し逃れようのない設問を用意すべきではないかと思う。
宴会の席に盗聴器、或いは監視カメラがあれば確実な証拠になるのだが。フライデーのような雑誌に記事を投稿する一匹狼のカメラマンなどがいて、料亭に入る人物、出て来る人物を撮影していたら大スクープなのだが、どうも芸能界に走り過ぎているような気がしてならない。
しかし出版社に圧力をかけるのも政治家だったりするわけで、そのようなスクープがあったとしても、事前に削除されてしまうか、大金でその記事を本人が買うという場合も有り得る。
額賀氏は辞任を否定しているが、これも時間の問題のような気がしてならない。おそらく与党内からも密かに打診しているのだろうが、隠蔽体質が身に付いてしまった日本の政治や企業は真実が悪に見えて仕方ないだろう。



ねずみ 「窮鼠猫を噛む」と言う有名な諺がある。意味は追い詰められた鼠が猫に噛み付くように、弱い者でも場合によっては反撃に転ずる。ということだ。この言葉をそのままいじめの世界に置き換えてみよう。
鼠のように反撃出来る者がどれだけいるだろうか?
先日起こった岡山市でのいじめによる自殺事件。このようないじめ問題が起こる度に、わたしはため息しか出て来ない。国や教師、そして大人たちがどんなにいじめを無くそうと努力しても、いじめがこの世から無くなった試しはない。
いじめの程度こそあれ、自殺などという最悪の行動にわたしは疑問しか残らない。わたしがいじめを受けていた時期は以前にも話した通り、小学生の4~5年生の頃がピークだった。汚いと罵られ、パンツを脱がされ、鉛筆の尖った先で刺されるなど数え上げたら限がないが、そのいじめ地獄からどうやって抜け出したか。
大人や親、教師は当てにならない。言えばそれ以上にいじめがエスカレートするだけ。この頃わたしは既に心臓弁膜症に侵され死にそうな身体をしており、体力も限界に近かった。
しかし、わたしはいじめグループの一人を呼び出し、クラスの全員が見ている前で相手の顔面めがけて握り拳を一発くれてやった。
それ以来いじめられることはなくなった。いじめられる人間が弱いとは限らないが、拒否する姿勢を見せるべきである。誰も助けてはくれない。相談にはのってくれても、解決の糸口は見えない。
ならば、自分が立ち上がるしかないだろう。金銭を要求されるなど、近頃のいじめは昔と多少違い、狡猾さが一段と増している。五体満足な身体を持っているのなら、それら全てを武器にして戦え。相手が複数だったとしても、「否だ」と一言発しろ。そこで殴られても屈服するな。徹底的に拒否するのだ。
そして時期が来たら、一人ずつでもよいから殴り倒してしまえ。暴力も時には必要。健康な身体を持っているなら、柔道や空手などを習うのもよいだろう。
自殺は負けでしかない。一時だけの反省で終わるか、或いは反省すらしない連中だからこそいじめに走る。強い者には絶対手を出さないもっとも卑屈な心を持った人間がいじめという恥ずべき行為で有頂天になる。いじめは当事者同士でしか解決をみないことを大人も理解すべきである。



浅田
GPファイナル一番乗りの浅田真央、彼女の成長振りがいかんなく発揮されたシリーズと言ってよいだろう。女子フィギュアスケート界にはライバルがひしめいている。それぞれ実力派ばかりだが、フィギュアスケートは上手いだけではよい成績を残せない。
イナバウアーで世界を魅了した荒川静香が完璧な演技の女王であることは誰もが認めるところ。しかし、美しすぎるのは頂点を極めた者だけが放つオーラのようなもので、それ以上を求めることは出来ない。浅田真央を一言で表すとしたら、未熟さの持つ魅力だろうか。
彼女はいまだ現在進行形であり、完成されていない部分が多くある。彼女たちスケーターは優勝が目的であるが、人々に驚きと感動を与えるのもひとつの役目。自分だけが満足してしまったらそれ以上は伸びないだろう。
限られた時間と氷のリンクで自分を表現することはひとつの物語を披露しているのと同じである。氷を溶かすほどの熱演でも失敗を恐れない挑戦者が一際輝くのも頷ける。
浅田真央自身が挑戦者であることを忘れていなければ、彼女は荒川静香を追い抜く世界の浅田真央になることは間違いない。
さて、過去にも何度か彼女について触れてきたが、浅田真央がバカ殿(志村けん)に変身する動画は非常に受けた。今回の画像、これはお約束のものである。
仏の笑顔は優しく美しい。人を和やかにしてくれる不思議な力を秘めている。女性の持つ美とは癒しの心であるとこの画像を見て思った。



オシム
急性脳梗塞で倒れたオシム監督が治療を受けている「千葉・順大浦安病院」は、わたしの娘が産まれた病院で数回訪問しており馴染みが深い。最新の医療体制は日本でも有数であり、最新の治療を受けられる。その点に於いては不安材料は今のところない。後はオシム監督自身の持つ体力と精神力に任せるしかないだろう。
脳梗塞はわたしのように心臓疾患を抱えている者にとっては、命取りの病気である。健康体でも高齢になれば罹患しやすい疾患のひとつだ。オシム監督自身も心臓に持病を抱えての、監督就任だった。
日本のサッカーに不足しているもの、それは猫の持つ俊敏性と毛玉にじゃれ付く子猫のようなサッカーボールに対する執着心だろう。
そしてもっとも大切なことは走り続けること。これは従兄弟が現役の時代によく言っていた言葉でもある。従兄弟も2年前脳内出血で倒れたが、奇跡的な回復を成し遂げた。
監督という立場はグラウンドでボールを追う選手と同じほどハードで過酷なもの。自分の思い描いた通りに試合が展開しなければ、ストレスも増幅し血圧も上がるだろう。増してや、遠い国からはるばる日本にやって来て、生活環境も大きく変化し、言葉の壁や毎日の食事など仕事以外でも大きなストレスを受ける。どれほど強靭な体力と精神力を持ってしてもこれらのストレスを跳ね返すことは不可能に近い。
オシム監督が回復しても拭えない不安はその後遺症である。元の身体に戻ることは奇跡でも起きない限り、まず無理だろう。例え引き続き監督を続けることが出来る状態であったとしても、日本はそれを受け入れるべきではない。
今後はオシム監督の生涯を見据え、出来るだけ長く生きて貰いスタンドの外からアドバイスを受ける形を取るのが懸命な判断だと思われる。
日本の全てのサッカー選手よ、今こそ君たちは野生のハンターになるのだ。狙った獲物は逃さない、敵に奪われることなく、オシム監督の待つゴールへ突き進むのだ。
オシム監督の苦笑いを見る為に。





ラベル 今年も残すところ二ヶ月を切った。この一年を振り返って見ると偽造や偽装、改ざんなどのオンパレードであった。自由競争の経済社会の中でたくましく生き抜くには、狡猾な企業でないと存続出来ないのだろうか。
消費者を裏切ってまで売り上げを伸ばさなければならないほど、営業面で追い込まれていただろうか。
企業の不祥事がこれほど多く明るみに出てきた背景は「内部告発」によるものが殆どである。正式名称は「公益通報者保護法」というが、この法律はまだ出来てから日が経っていない。2006年4月に施行されたばかりで、国内に浸透するにはまだ時間が必要だろう。
我々一般消費者が持つ価値観は、製造する側の売主が持つ価値観と大きなずれが生じているように思われる。これは企業優先の経済社会がもたらした日本国家の大罪でもある。ニートやホームレスが増え、仕事を奪われた人たちの行き場が失われて行く中で、それでも必死に仕事にあり付けた人たちは、会社の方針に逆らえない。嘘と解っていても自分たちの収入源を捨ててまで会社に盾をつく事が出来ない、弱い立場の人間が多くいるのである。
食品に於ける偽装は最も簡単で単純な作業である。売れ残った物をそのままラベル表示だけ差し替えて明日の売り場に並べるだけ。子どもでも出来ることだ。
最近騒がれている「船場吉兆」は街中に多数存在するスーパーとは違い、高級料亭や加工食品販売を営むブランド企業である。彼等の罪は不正競争防止法違反(虚偽表示)であるが、高級と謳うだけあって、食材は一流の食材を使用しているらしい。牛肉でも豚肉でも解体されてバラバラになってしまえば、素が何だったか判断し難い。実際に食してみて、ああなるほどやはり一流品だと分かる人間がどれだけいるだろう。グルメ評論家たちに食べてもらい偽物探しの番組でも作ったらヒットするかも知れない。
一ヶ月の家計を預かり、決められた収入の中で如何に赤字を出さず一ヶ月を乗り切るか、殆どの消費者にとってみれば、偽物だろうと本物だろうと安くて腐っていなければそれでいい、というのが本音ではないだろうか。
売主も正直に売ればそれで済む問題で、売れ残った商品は飛び切り安い値段で「残り物」として売ればよい。消費期限、賞味期限などまったく曖昧で殆ど意味を持たなくなった今こそ、正直者が良い思いをする社会を作りたいものである。





nasa 1969年7月20日、アポロ11号が月の「静かの海」に着陸し、人類にとって偉大なる足跡を月に残してから38年の歳月が流れた。アメリカのNASAが進めてきた「アポロ計画」は無人を含めると19回にも及ぶ。映画で話題になった「アポロ13」は余りにも有名である。
そして今回日本で打ち上げられた「かぐや(別名セレーネ)」は、アポロ計画以降、最大規模の月探査計画である。ハイビジョンカメラを搭載し、現在の科学技術を結集して作られたこの月周回衛星から送られて来る映像に、誰もが息を呑みその宇宙空間の闇に咲いた一輪の花の美しさに見惚れたことだろう。



月自体は自転しておらず、その裏の顔については謎が多く、月の起源や大きなクレータなどの観測を行うことにより、地球に限らず宇宙全体のメカニズムを探ることが可能になると思われる。moon わたしたち人類が生息する地球についてもいまだ解明出来ていな部分も多々あり、外から見た地球を知ることにより、今後の人類にとって大きな成果を得ることが期待出来そうだ。
月から見た地球の美しさは格別で、まさに生命の塊。地球もひとつの生命体であることが理解出来る。


月猫 宇宙空間は一見何もないように思えるが、生命にとっては非常に危険な空間である。地球に降り注ぐ危険物は人体に悪影響を及ぼす放射線や紫外線、隕石などがあり、これらの危険を回避する為に地球は大気によって保護されている。
つまり地球上の生物は地球自身によって保護されているわけだ。環境悪化が懸念される中、人類は地球を守ろうと地球温暖化対策などを促進してはいるが、人類の親は地球であり、わたしたちはその保護下で暮らしているのだと言う事を忘れてはいけない。