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プールサイドの人魚姫

うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。


プールサイドの人魚姫-プロレス

プロレスラー三沢光晴の訃報を知った深夜、わたしはあまりのショックで眠ることが出来なかった。

力道山から始まったプロレスの歴史は長く、その意志を継いだレスラーたちによって、現在では様々な団体に枝分かれし、闘うスタイルやレスラーの層も幅広くなり、バラエティに富んだ試合を楽しむことが出来るようになった。

力道山亡き後を巨匠ジャイアント馬場と闘魂のアントニオ猪木が更にプロレスを面白く導いていった。プロレスの王道を行く馬場と、ストロングスタイルの追求を目指した猪木の両者によって、全日本と新日本の二つがともに人気を二分した形になり、プロレスの全盛時代を迎えた。

その中から、多くの人気レスラーたちが次々と登場した。

わたしを最もTVに釘付けにしたのは、初代タイガーマスクの存在であった。

わたしは、子どもの頃からプロレスが大好きで、養護学校にいた頃は友人たちとプロレスの話題に明け暮れていた。

「プロレス入門」という本を購入し、徹底的にプロレスについて学んだ。

覆面レスラーと言えば、デストロイヤーが悪役のイメージを植え付けた格好だが、ミル・マスカラスの登場は、それまでの悪役イメージを払拭した。

リングに登場する度に覆面が変わるというのも驚きだったが、反則を一切しないと言うクリーンな試合と鍛え抜かれた筋肉美、素早い動きと華麗な空中殺法に魅了されてしまった。

プロレスは他の格闘技などと違い、筋書きのあるショーであるが、演劇などの舞台と違い観客は360度からリングを見つめる。

その中で如何に観衆を楽しませることが出来るかで、試合内容は大きく違ってくる。

技をかけられたら受けてたつ。これが最低限のルール。

レスラーは試合そのものよりも、練習の方がハードであるだろう。

激しい内容の試合には怪我が付き物で、無傷のレスラーは存在しない。

受け身の練習を果てしなく繰り返し、練習によって身体が悲鳴を上げても、どうしても鍛えることの出来ない部分が頭部。

バックドロップの名手だったジャンボ鶴田は「へそで投げる」という名言を残していった。

プロレスの内容を面白くするために、危険な技が次々と取り入れられて行き、見る方としては更に興奮し楽しめるのだが、レスラーはリングに命を懸けた「役者」なのである。

リングの外で亡くなった「力道山」「ジャイアント馬場」「ジャンボ鶴田」「橋本真也」など、時代を築いた選手がいる中で、三沢光晴はリング上で逝ってしまった。

リングの上で死ねるのなら本望なのか…。

こんなに早く君のテンカウントを聞くとは思わなかったよ。

合掌。



プールサイドの人魚姫-フェーズ6

これから冬を迎える南半球の国々では、新型インフルエンザの急速な感染拡大に戸惑っている。

日本国内でも、一時は終息に向かうと思われたが、更に感染者の数が増えつつある。

WHOのフェーズ6宣言は、1968年の香港風邪以来41年振りとなった。

前回の時、パンデミックなどという言葉は聞いたことがなかったし、香港風邪そのものの記憶すら残っていない。

日本はこれから夏を迎えるので、季節性インフルエンザの心配はないだろう。

新型と季節性が同時に流行し、ウイルス同士が合体して突然変異を起こし、新たなウイルスの誕生が最も懸念されている。

マスクについては、前回の記事で散々語ってきたので今回は画像だけにしておこう。

地球的規模で拡大するインフルエンザウイルスであるが、地球上には星の数ほどの生物が存在している。

確認出来ていない新種の生物もまだ多く残っているだろうし、地球環境の異変による突然変異の生物も在り得る。

ウイルスはその中の一つに過ぎないが、バクテリアのような微生物にしても、偶然に生まれてきた訳ではない。

必ず何らかの原因があり、誕生の素となるものがあるだろう。

人間の持つ科学や医学だけでは説明の付かない事象もあったりするので、ウイルスに対する既成概念を捨てて新たな視点で考察してみるのも必要かも知れない。

例えば、SF映画に出てくるエイリアンのように、親ウイルスと子ウイルスが存在するとしよう。

親が次々と子を産むので、子ウイルスを削除しても限りがない。

親ウイルスを殺せば子ウイルスも自然消滅するといった具合に、新たな対処方法を発見出来れば新種のウイルスに脅えることはなくなる。

子ども染みた発想だと、一笑に伏されてしまいそうだが、固定観念で凝り固まった頭脳よりも、子どものような柔軟な頭脳が大発明を生むこともある。

自分がウイルスだったら、次はどんな方法で人間を苦しめるかよく考えてみよう。

その先にきっと新たな解決策があるかも知れない。


プールサイドの人魚姫-宗教

日本国内にある宗教法人の数は18万弱と言われているが、これらの宗教団体が全て活動している訳ではない。

中には休眠状態もあれば形だけのものもあり、宗教を取り巻く環境は様々だ。

信仰の自由が認められている限り、どの宗教団体に所属しようがそれは個人の自由であり、他者がそれについてとやかく言う必要はない。

だが、現状では宗教に纏わるトラブルが多いのも事実だ。

個人レベルで解決出来るトラブルであれば問題はないのだが、それが個人の範疇を超えて家族や知人を巻き込んでしまったり、警察沙汰にまで発展してしまうのはどう考えても宗教的とは言えない。

トラブルの原因で最も多いのが「霊感商法」。

その商材は多岐に亘り、壺、多宝塔、数珠、印鑑、水晶、表札などが上げられる。

先日、印鑑販売会社を装う販売員らが高額の印鑑を購入させた事件が話題になったばかり。

彼らは「統一教会」のメンバーと思われるが、こうした悪意のある宗教法人が後を絶たない。

どんなに高額だろうと、購入する個人がそれを信じて疑わなければ事件にはならないのだが、その悪質な手口は今も昔も変わらない。

人の弱みに付け込み、脅し文句を並べて個人を追い込む犯行は、人間の心理を巧みに操る詐欺と同じである。

宗教を税金対策や単なる金集めなどに利用し、更には政治にまでも関与する宗教団体の在りかたに対し、国は暗黙の了解のもと、野放しにしている状態である。

法人規制を厳しくすれば、こういった悪質な宗教団体は減少するだろうし、トラブルに巻き込まれる人も少なくなるだろう。

だが、これらの悪質な金が闇ルートに乗って国の権力者たちに流れ込んでいるのも事実だ。

中部地方に幾つかの拠点を持つ「宇宙真理学会」なる宗教法人に至っては、ラブホテルを隠れ蓑にして所得をごまかしていたという、宗教の風上にも置けない呆れた団体まで存在する。

ホテルの売り上げをお布施に利用すると言うのはよく考えたものであるが、そこまでして金に目が眩んでしまったのでは御神体も呆れ顔だろう。

宗教は本来、人を幸福に導くものでなければならない。

人生に躓き、道に迷ったあげく自殺に追い込まれるような人を救ってあげるのが真の宗教である。

それを実践出来ている宗教団体が日本にどれだけあるだろうか。

果てしない疑問がわたしの頭の中に渦巻いて、答えが中々導き出せないでいる。


プールサイドの人魚姫-ペット

今年6月で「タラコ」♀は5歳になった。

心のリハビリを続けていたわたしは、精神科医のアドバイスを受け、早朝散歩を日課に取り入れていた。

鬱を患っている人間にとって朝は最も苦手な時間帯。

一日のリズムを整えることが鬱回復の基本なので、教科書通りに早朝散歩に励んでいた。

梅雨の走りを思わせる灰色の雲が限りなく続く空を見上げながら、朝靄のかかったまだ薄暗い公園で、眠気を振り払いながら公園のベンチに腰掛けた。

その時、どこからともなく子猫と思われる鳴き声が聞こえて来たのである。

その声は必死に親を探す子どもの泣き声にも似ていた。

声は聞こえるが、その姿は全く見当たらなかったが、無造作に生い茂った林の中であることは察しが付いた。

わたしよりも先に通りかかった中年の女性がその鳴き声に気付き、林の中を捜し回っていたが、見つかる様子もなくその女性は捜すのを諦めて足早にその場を去って行った。

わたしは早速、鳴き声のする林の中に分け入り、子猫の姿を追ったが中々発見出来なかった。

そして漸く一匹の寅猫を見つけ、奥深い林の中から抱き上げた。

生後一ヶ月くらいだろうか、子猫はわたしの腕に爪を立て必死にしがみ付いてくる。

よほど不安と空腹で一杯だったのだろう。

そうして子猫は神戸家の一員になり、この日まで病気にも罹らずすくすくと育った。

家族4人で暮らしていた頃は、タラコは家内にべったりだった。

一番愛情を注いでいたのは家内であったし、猫は男性よりも女性になつくようだ。

男性の野太い声が苦手らしい。

拾い主のわたしのところへ自ら寄って来ることは殆んどなかった。

5歳という年齢は人間に例えると35,6歳になり、最も成熟した時期であり大人の猫と言えるが、この頃から体力が低下し始める。

猫の寿命は最長で25歳、人間で言えば115歳前後。

ここまで生きられる猫はギネス級である。

人間が動物と暮らし始めてから一万年以上経つが、動物がペットとしての地位を築いたのは1970年頃になる。

ペットの語源は「撫でる」であるが、愛玩動物という意味の方がより多くの人に知られているだろう。

しかし動物は人間の玩具ではない。

猫がよく「ふにふに」をする光景を見て、非常に愛らしいと思うだろう。

その行為は子猫の時の名残であり、母乳を求めて母猫の乳房を揉む習性が残っているのである。

ペットは人間の寂しさを紛らわしたり、子どもの相手をしたりするが、あくまでも人間の代用品ではなく、神が人間に使わした兄弟なのである。

ペットに深く寄り添えば、その偉大さにきっと驚くことだろう。


プールサイドの人魚姫-DNA

新しく導入されたものには必ずと言ってよいほどバグが発生する。

最初から完璧なもの等は存在せず、使用している内に次々と不具合や欠陥が見つかり、それらを修正しながらより正確な確実性のあるものに仕上げて行く。

パソコンに搭載されるOSなどはその代表だろう。

これらのバグはソフトの世界だけでなく、ハード面でも同じことが言える。

そして科学技術や医療技術の世界では修正の繰り返しであり、それらが実用段階に至るまでには長い年月と実験が必須。

先日、足利事件で無期懲役を言い渡され、17年間の服役から解放された「菅家和利さん」。

当時のDNA鑑定と再鑑定の結果、DNAの型が一致しないことが判明。

菅家氏が犯人でない可能性が高まったことを受けての突然の釈放となった訳である。

これは当時導入されたDNA鑑定が、犯人を突き止める画期的な方法として注目を浴び、科学技術を過信し過ぎた捜査当局とそれに関わったマスコミ、そしてわたしたち国民が生んだ最も悲しむべき悲劇なのである。

人間は誰もが罪びとであり、その人間が人間を裁くと言う行為には「真実の追究」が不可欠。

しかし想像と思い込みにより視野が狭くなり、見えていない部分を見落とす「欠陥」こそが「冤罪」という、あってはならない悲劇をもたらすのである。

菅家氏の17年間を返すとするならば、当時捜査に当たった関係者、そして無期懲役を言い渡した裁判官は菅家さんが味わった17年の年月を刑務所で味わうことである。

人は神の眼を持たない限り、真実を見抜けないのかも知れない。

プールサイドの人魚姫-駅

 

 

未練残して

あたしを捨てた

憎い男と思っても

手首に残った

傷跡だけが

あたしを一層悲します

叶わぬ恋に唇噛んで

今夜も一人泣きはらす

一途な恋の物語り

終着駅は何処ですか

 

 

 
 
 
 
 

 

 


プールサイドの人魚姫-コックピット

どんなに訓練された優秀なパイロットでも自然現象には勝てない。

6月1日、ブラジルからフランスへと向かっていたエールフランス機(447便エアバスA330-200型旅客機)が乗員・乗客228名を乗せたまま消息を絶ったが、その安否を気遣う人たちの希望を無残に打ち砕く悲報が届いた。

同機の残骸と思われる機体の破片が、フランス北東沖の大西洋上で発見された。

航空機は消息を絶つ寸前に、電気系統の故障を訴えていた。

墜落の原因が何であったかは、ブラックボックスの回収が答えを出してくれるだろうが、水深5千m近い深海での作業は困難を極めるだろう。

憶測でしかないが、乱気流に巻き込まれ落雷にあった可能性が指摘されている。

世の中には様々な乗り物があるが、時間と距離を大幅に縮めてくれる航空機などは多忙を極めるビジネスマンなどにとっては有難い存在である。

地球が狭く感じるようになったのも、空が鳥だけのものではなくなったからだろう。

航空機に限らず、世の中には多くの移動手段がある。

電車、車、船など、これからはもっと多くのそして新しい乗り物が登場するだろうし、人間同士の距離が更に短くなる。

便利な時代にあっても更にその利便性を求め続ける人間の欲求は果てしない。

どんな乗り物であっても100%の安全は保障出来ない。

必ず何らかのリスクがある。

そのリスクを回避する為に人間は最大限の努力をしなければならないが、相手が自然である場合は、90%の努力と10%の運に任せるしかない。

今回の航空機事故は悲運としかいいようがない。

コックピットではおそらく危険回避の為、様々な方法が試されたのではないだろうか。

大勢の人を乗せて空を飛ぶ航空機の安全を、更に確実な安全に近づける為にも多くの犠牲者の死を無駄にしてはならないだろう。



プールサイドの人魚姫-核兵器

原爆や水爆と言った核兵器が地球上に誕生してから半世紀が経つ。

そしてその犠牲国となったのが我が国「日本」。

戦争を終わらせる為と言うのは口実で、アメリカは実験材料として好都合な日本を選び、そして実行した。

そしてその後、世界中に核が散らばり先進国以外の国も挙って核を開発、実験を繰り返して来た。

それらの国が北朝鮮の地下核実験に対し、猛烈な批判を浴びせているが説得力がまるでない。

核に縛られた国は北朝鮮以外にも多く存在する。

日本の対応は「拉致問題」を抱えながらも一向に強気の姿勢を見せない。

腰抜け政治家たちが机上の空論ばかりで、実行力の伴う解決方法を探ろうとしないからだ。

それは日本だけでなく、アメリカを筆頭に何処の国も同じ。

同じ事を何度も繰り返す北朝鮮に対し、経済制裁など大した影響を与えない。

北朝鮮の武力は威嚇になるほどの物を持っていない。

兵器はどれもこれも第二次大戦中の改良版ばかりで、強いてあげればミサイル。

このミサイルも正確さを欠くという意味で、飛んで来たら何処に落ちるか分からないという点が脅威となっている始末。

アメリカがその気になればイラクを叩いた時よりも簡単に北を潰すことが出来る。

それが出来ないのは、中国とロシアの存在。

朝鮮戦争を引き起こす切っ掛けを作ったのはこの三大国。

そして38度線を引いたのもアメリカとロシア(当時はソ連)。

北朝鮮は他の国から見れば、「目の上のたんこぶ」のようなもの。

この「腫れ物」を治すのにどの国も真から努力しているとは思えない。

朝鮮戦争を解決することこそが、正当な問題解決の道でありながら戦争の傍観者になっている国が多すぎる方が問題である。

アメリカは今、核兵器を隠れ蓑にしながら新型兵器の研究製作に余念がない。

ターミネーターの世界を現実化する為に、ロボット兵士を製作中だ。

これからの戦争は人間が血を流さず、機械同士で争わせる時代が来るだろう。

その実験台が北朝鮮。

そして更に恐ろしいのは核兵器の小型化。

スーツケースに入れて誰もが簡単に持ち運び出来る核兵器の開発である。

この兵器の優れた点は、通常の小型爆弾をカモフラージュにしているところだ。

つまり見かけはダイナマイトでもよい。

そして核兵器の痕跡を残さないから、核を使った証拠が残らないのである。

日本も何れは核武装する日が来るだろう。

アメリカがそれを望んでいるし、自国の防波堤をより強固にしようという思惑もある。

人間が平和を求めて続ける以上、地球上から兵器は無くならないだろう。


プールサイドの人魚姫-内藤

絶頂期のチャンピオンと闘う挑戦者は運が悪い。

ベルトを奪える確立はかなり低くなるからだ。

しかし、どんなに優れた強いチャンプも何れは負ける時がくる。

それが勝負の世界。

年齢から来る体力の衰えなどは、どんなに練習を積んでも一時的にはカバー出来るとしても、12ラウンドをフルに闘いぬくにはかなり厳しいだろう。

人間の身体は20歳を境に衰え始める。

だから10代後半か20代前半が最も自分を鍛え、練習を積み重ねそして強くなる絶好の機会でもある。

全てのスポーツがそうだとは言い切れないが、ボクシングや相撲など、個人プレーの場合はそれが最も顕著に現れるのではないだろうか。

その点から見れば内藤大助選手はよく頑張っているが、先日行われた「WBCフライ級タイトルマッチ」内藤大助VS熊朝忠の試合内容について、わたしがジャッジならば引き分けか内藤選手の負けだったと思わざるを得ない。

試合後彼はリング上でいつもの通りファンに向けて侘びを入れていたが、最近の彼は少し喋り過ぎるところが目立つ。

彼自身はおそらく内心は勝った気持ちがしなかっただろう。

次の試合では良い試合を見せると約束していたが、「次があると思うな」とわたしは言いたい。

相手が中国人だったから舐めてかかっていた訳でもないだろうが、試合内容を見れば従来のボクシングが影を潜め、当たらないパンチに焦りさえ感じていた。

ダウンを奪われながら最終ラウンドでは相手を追い込むシーンも見られたが、ダウンを奪い返すほどの内容ではなかったように思える。

内藤選手の人気が高くなった背景にはあのビッグマウスで有名な亀田ファミリーの存在があったからだ。

TBSの操り人形だった亀田を前面に送りだし、亀田兄弟が絶頂期の時に試合をさせるとうTBSの思惑が当たり、それ以来内藤選手の控え目なコメントや私生活にも脚光を浴び、彼はボクシング以外の番組にも何度も登場するようになって行った。

ボクシングの基本は自分の為に闘い、よい結果を残すことである。

ファンサービスは二の次である。

この内藤選手の防衛が意図的に行われたとするならば、彼にはもっと稼いで貰わなければならないという裏取引があることも否定は出来ない。

内藤選手もそろそろファンの為ではなく、自分自身の為の試合に打ち込んで欲しいという願いはわたしだけではないだろう。

KOはもちろんファンのだれもが期待するところではあるが、それだけ集中すると自分のボクシングが狭くなり自分の持ち味は半減する。

リング上での言い訳めいたインタビューはもう終わりにすべきで、次があるならば初心に戻り、デビューした頃の自分で試合に臨むことである。

それともTBSの為に次の操り人形が現れるまでは現役でいる積もりなのだろうか。


プールサイドの人魚姫-マスク

もし新型インフルエンザが自然の産物であるならば、これは地球の防御本能が招いた結果だろう。

環境を破壊し続ける人類は地球にとって見れば「天敵」以外の何物でもないからだ。

全ての生物に防御本能が備わっているように、宇宙そのものが生命の塊であるから、自分を外敵から守るのは当たり前のこと。

日本は島国であり鎖国でもすればウイルスから身を守ることが出来るかも知れない等と、下らない発想を思いついてみたが、所詮は浅知恵の世迷言だった。

ウイルスは空気よりも軽く、風よりも素早い。

毎日のように何便も行き来する航空機の荷物に紛れてやってくる。

水際作戦はいつの間にか用を足さなくなり、日本各地で毎日のように感染者が現れるが、報道される数字だけが感染者数を正確には伝えていない。

ゴキブリが一匹いればその数百倍はいると言うように、感染者はその数十倍にも上るだろう。

マスクが売り切れ、店の何処に行っても手に入らないという状況は前代未聞だし、マスコミの過剰報道が、更に国民を一時的なパニック状態に陥れようとしている。

もちろん正確な情報を流すのはマスコミの義務でもあるが、過剰反応することにより、正確さが失われてしまっては何の意味もない。

新たな感染者が出ればTVではニュース速報を流し、不安材料ばかりが一人歩きするこの現状を政府は鎮めるどころか、更に煽り立てる始末。

未知なる恐怖から逃げてばかりいては、何の解決にもならない。

「攻撃は最大の防御なり」という言葉通り、ウイルスに対し防戦一方では「無知」としか言いようがないし、消毒液を全身に浴びながら、「さあかかってこい」と言ったところで、ウイルスに勝てる訳がない。

人間の身体は敵を体内に取り込みそして闘いを繰り返し、そうやって免疫力を高めてきた。

現代人は医療や薬に依存し過ぎたあまり、最も大切な「免疫力」を犠牲にしてしまった。

ウイルスは自分の身体を鍛え直す一つの道具に過ぎない。

さあ、今日からマスクを捨てて街を闊歩しようではないか。

新型インフルエンザ恐れるに足らず。

自分の身体にもっと自信を持っても良いのではないだろうか。