新しく導入されたものには必ずと言ってよいほどバグが発生する。
最初から完璧なもの等は存在せず、使用している内に次々と不具合や欠陥が見つかり、それらを修正しながらより正確な確実性のあるものに仕上げて行く。
パソコンに搭載されるOSなどはその代表だろう。
これらのバグはソフトの世界だけでなく、ハード面でも同じことが言える。
そして科学技術や医療技術の世界では修正の繰り返しであり、それらが実用段階に至るまでには長い年月と実験が必須。
先日、足利事件で無期懲役を言い渡され、17年間の服役から解放された「菅家和利さん」。
当時のDNA鑑定と再鑑定の結果、DNAの型が一致しないことが判明。
菅家氏が犯人でない可能性が高まったことを受けての突然の釈放となった訳である。
これは当時導入されたDNA鑑定が、犯人を突き止める画期的な方法として注目を浴び、科学技術を過信し過ぎた捜査当局とそれに関わったマスコミ、そしてわたしたち国民が生んだ最も悲しむべき悲劇なのである。
人間は誰もが罪びとであり、その人間が人間を裁くと言う行為には「真実の追究」が不可欠。
しかし想像と思い込みにより視野が狭くなり、見えていない部分を見落とす「欠陥」こそが「冤罪」という、あってはならない悲劇をもたらすのである。
菅家氏の17年間を返すとするならば、当時捜査に当たった関係者、そして無期懲役を言い渡した裁判官は菅家さんが味わった17年の年月を刑務所で味わうことである。
人は神の眼を持たない限り、真実を見抜けないのかも知れない。
