プールサイドの人魚姫 -111ページ目

プールサイドの人魚姫

うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。

拉致横田めぐみさんのご両親をこれ以上苦しめないで欲しい。北朝鮮の操り人形、金英男氏も同じ拉致被害者であるはずなのだが、本人の言葉からその真相は語られなかった。これは当然の事と予想が付き、またも北が用意した台本通りの偽物だろう。北朝鮮にとってみれば拉致問題で騒ぐ日本や韓国は頭の上を飛び回る蝿くらいに感じているに違いない。そして日本の対応も毅然とした態度を見せないのはどうも歯がゆくて仕方がない。自分の妻であっためぐみさんの真実を知っているのは金英男氏以外にも複数存在するのは確実でありながら、長い年月を経ても尚この拉致問題が新たな展開を見せないのは国の体裁を気にする政府にも問題がある。隠蔽工作をないがしろにする国家体制の下では、真実の意味を詭弁と邪推によって大きく歪められている事は間違いないであろう。横田夫妻が元気でいる内に解決出来る事を心から願うばかりである。>
岡田銀幕のダンディズム、俳優の岡田真澄さんが5月末に亡くなった。スクリーンからまた一つ貴重な星が永遠に消えて行った。食道癌を患い病床の彼に全盛期の面影はすっかり消え失せてしまった。映画だけではなくあらゆるジャンルのTV番組に登場し、松任谷由実へのレコード参加などその活躍は多岐に渡る。画家の父、翻訳家の母。その血筋は日劇ミュージックの舞台は狭すぎたようで、東宝、日活、劇団欅へとその日本人離れした体格と甘いフェイスが舞台、スクリーン、TVへとファン層を広めて行った。一旦快復したかに見えた病ではあったが、悪魔の牙とも言える癌細胞は死の病床へと彼を追いやった。渋い役者としてまだやり残すことはあっただろうに、ファンも元気な姿を心待ちにしていた。永遠のダンディズムを私たちの心に刻み込んで逝った岡田真澄さんお疲れ様でした。ご冥福をお祈りします。
禁煙月1日から煙草が一斉に値上がりした。愛煙家にとっては30円ほどの金額でも結構痛手ではないだろうか。値上がり前日に秋葉原を歩いていると、ミスタードーナツの店先でワンカートンを売っており、買い求める客が列を作っている光景が見えた。私は愛煙家ほどでもないが一応吸っている。銘柄は人気のマイルドセブン8、一日5,6本しか吸わないのでそれほど財布には響かないが、何せ小遣いが少ないのでもう少し一本を大事に刻もうと思う。これを機会に禁煙に踏み切る人も多いだろうが、やはり切っ掛けがないと、酒や煙草は止められない。煙草のパッケージには健康を害する恐れがある等と書かれているが、吸い過ぎで亡くなった人はまだ知らない。煙草が原因で癌になったり、肺を患ったりと悪者扱いの煙草。百害あって一利なしと昔から言われ続けて来たが、これら煙草が及ぼす人体への影響は医学の進歩と共に解明されてきた。統計的データを重んじる人間は健康に限らず、学力を決める偏差値なども取り入れて生活の役割に定規を求めたがる。対象物がないと不安に駆られ、自分が今どのレベルでどの様な基準の位置にいるのかと考える。社会の枠について行く必要などないのに、その枠から外れると落ち零れなどと言った馬鹿らしい表現でレッテルを貼る。自分の人生は自分で決める、そして常に主人公は貴方自身。健康を害して病気の恐さを知るもよし、生活習慣の見直しをするには良い機会でもある。それにしてもこれほど害のある物を国は平然と売り続ける。病人をこれ以上増やしたくない、医療費を抑えたいのなら煙草販売中止にしてみたら如何なものか?税収入の落ち込みと健康どちらが大切かである。
ビートルズ1966年6月29日、4人の若者が羽田空港に降り立った。はっぴ姿のビートルズ、息の詰る自由を奪われた4日間が始まる。そして彼等はこう叫んだ、ヘルプ!。当時私は10歳だったのでこのニュースは近所のTVで知った。ビートルズが日本にやって来るというニュースは藤枝の田舎町でも話題だったし、電信柱や店の扉などにポスターが張り巡らしてあった。ビートルズの音楽と長髪は不良のシンボルと言われており、大人からは敬遠されていたようだ。私は小2の時既にビートルズは知っており、家の裏に住んでいた順ちゃんというお兄さんから聴かされた赤いシングル盤。「ツイスト&シャウト」私を洋楽の虜にした名曲だった。エレキギターがブームでこの頃は電気ギターと呼んでいた。ベンチャーズが大人気。日本でも寺内タケシ&ブルージーンズ、加山雄三等が盛んに歌謡番組を賑わせていたと思う。来日40周年という事もあり、各地でビートルズのイベントが行われているだろう。途方も無い年月が流れても彼等の音楽は色褪せる事はない。ミュージックライフの編集長だった「星加ルミ子」さんを先日新聞で見かけた。可愛いえくぼが印象に残っているが、歳を重ねても大きな瞳は単独インタビューの時と同じように輝いて見えた。
ガチャピン狭くて暑い拘置所暮らしがよほど堪えたのかどうか知らないが、5億円の小切手で釈放された村上世彰被告。付き合いのあったライブドア元社長のホリエモンが保釈まで三ヶ月かかっているのを、彼は3週間で出て来たわけであるが、保釈金番付長者トップ10入りと情けない勲章をぶら下げての出所である。保釈金は裁判所が一定期間預かる訳だが、被告人の経済状況を踏まえてその金額が決定する。そう言った視点から見るとかなり懐は潤っている様子が伺える。証券取引法違反の実態が明るみに出て、相当あくどい方法で利益を貪っていた事実は誰もが知るところとなった。自分の畑に人から預かった種を蒔き、芽が出たら全て自分の蔵に仕舞い込む。金の運用に長けている人物なのかどうか?類は友を呼んでいるのは確実。その餌に食らいついた一人が日銀福井総裁でありスキャンダルが週刊誌を賑わせている。誰でも人に言えない様な顔を持っているものだが、その素顔が余りにも醜いので円の質まで落ち込んでしまった。日本人はプライドをもう捨ててしまったのか?清廉潔白なリーダーは最早存在しない。ぬいぐるみに札束詰め込んで、極上トークが今日も貴方のお部屋に参上します。
メンテ

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カウボーイ先週の土曜日、人気TVドラマ「ギャルサー」が最終回を迎えた。理屈抜きに楽しめ、後味の良いドラマだったと思う。キーワードのイモコ探しであるが、私はそれが誰であっても良かったと思っている。何故なら、イモコはみんなの心の中にいるからだ。大切なものを無くす、或いは見失ったりすると人は必死になって探すだろう。そしてその大切なものが見つかった時の喜びは非常に大きい。ギャルサーに限らずドラマには作り手のメッセージが必ず込められている。このドラマにはお馴染みの台詞が何度も登場する。ありがとう大地、ありがとう太陽、命よありがとう。これは自然に対する尊敬と感謝の気持ちが込められている。食事の始めと最後に必ず口にする言葉がある。「頂きます」「ご馳走様でした」これは大抵どの家庭でも共通していると思う。「頂きます」は命を頂くと言う意味である。食べ物は全て生命を宿している。「ご馳走様でした」はそれを作ってくれた人に感謝する言葉。親であったり、コックさんであったりと必ず誰かが作っている。物を大切にする事は愛情を育てる事と同じであると思う。現代は大量生産で使い捨て商品が多数出回っている。便利な世の中は人間にとっては都合がよいであろう。しかしその代償として失って行くものも多い。自分にとって大切なものは何か、やるべき事は何なのか、それを分かり易く教えてくれたドラマであったと思う。個人的にはジェロニモが好きだった。そしてパラパラダンスの振り付けが前田健だったと言うのが意外で、お笑いだけでなく別の分野でも才能があり、さすが芸人と思った。

コインランドリー梅雨時、主婦を悩ます一つに洗濯物がある。湿気が多いので中々乾いてくれない。雨が降っていれば部屋の中に干すしかない。突然の訪問客が来たりすると慌てて洗濯物を隠したりする。バスルームに乾燥機が着いている家も多いと思うが、これ結構電気代がかかる。家計を預かる主婦にとって、節約の種は数多くあり悩むところでもある。ガス、電気、水道とこの三つは生活になくてはならない要素。家族が多いほど洗濯の量も増え水も多く使う。だから湯船の水を捨てないで洗濯水に使ったり主婦は様々な所で生活安定と維持のため頭を使い努力する。男は外で仕事をするので一日の大半は会社で過ごす。その間に家がどのような状態か、あまり関心を持たないかも知れない。最近では主夫も増えてきたし、家事の手伝いを積極的にやってくれる優しい男性も増えた。これはとても良い傾向である。働く主婦が増えたという事もかなり影響している。主婦のキャリアが存分に発揮されるのは主に食事であろうか。料理作りには企画と構成力が必要。先ずは財布と相談し献立を考え、食材の調達と忙しい。これを毎日繰り返すのである。家族に食べさせる食事の味には主婦の愛情とプライドが染み込んでいると思う。家の近くに24時間オープンのコインランドリーがあり、深夜になっても車に乗って洗濯物をどっさり運んで来る人が多い。ドライクリーニングも完備しているので主婦もよく利用しているようだ。上京したての頃は家賃2万円の木造アパートで風呂はなく、トイレは共同だった。徒歩3分ほどの所に銭湯があり、仕事が終わると(会社の近くに住んでいた)シャンプーと石鹸を持って真っ先に湯船に浸かった。早い時間帯は銭湯も空いていて気持ちが良い。銭湯と並んでコインランドリーがあり、乾燥機もあるので便利だった。回転する乾燥機を見詰めながら行き場所の失った自分が洗濯物と一緒に回転しているように見えた。不安を抱えながら詩を書いていた20代後半、その延長で今はブログを書いている。コインランドリーを見るたびに思い出す青春があった。

ライター嘘と不満が導火線となり、最悪の結果を招いてしまった奈良高1放火殺人。父親だけでも生き残っていた事が幸いとも言えるのだろうが、子育ての難しさを思い知らされる事件でもある。親が優秀であればあるほど、その姿を見て育つ子どもは尊敬とコンプレックスを履き違えてしまう事もある。親もまた子どもに対し自分以上の大人なって欲しいと願い、熱心な教育方針を計画し実行する。親の意志通りに子どもが従うのは小学生までだろう。高校生ともなれば複雑な思春期を迎える。揺れ動く心は常に不安定で親と自分の立場に大きなストレスを抱える事になる。不満の捌け口が見つからない時それは怒りと暴力によって悲惨な運命の扉をノックしてしまうのだ。教育に没頭するあまりに子どもの心を見失ってしまう親たちも多い。夢を我が子に託すのも結構であるが、押し付けは良い結果を招く事はない。愛情と思い込みは紙一重であり、愛し方を間違えるとそれは憎しみや不満となって家庭崩壊のシナリオが出来上がってしまう。家族は一つの絆で繋がっている筈なのに、子どもが親を親が子どもを殺める悲惨な事件が後を絶たない。熱心過ぎる教育は諸刃の剣、少年犯罪に限らず憎悪や妬み、歪んだ環境から発生する凶悪な犯罪は、個々を大切にする事をなおざりにした全体主義がもたらす今の社会に責任があるのではないだろうか。