のんびり京都暮らしと少しの介護

のんびり京都暮らしと少しの介護

広島で4年、東京で20年と数年、京都に戻ったのが2010年。令和に変わったので心機一転でブログ開設。
裏垢 https://ameblo.jp/ptaro-reiwa

今日は半年ぶりに血液検査を実施。

Hb-A1cが6.9に改善。夏場は改善するのだけど久しぶりの6台。

いつものように特に悪いところもなく、先生に「大丈夫」と太鼓判をもらった。100歳まで行ける?行けるのか?

高価な薬を使っているわけでもなく、

要介護といえども身体介護が必要なレベルでもなく、

90代後半まで普通に生活しているというのは、理想的な老後とも言えるのでは?

 

今日は雨の予想もあって福祉タクシーを初めて使った。

ちょっと大袈裟な感じもあったけど、何も負担なく、心配することもなく受付まで車いすを押して連れて行ってもらえた。

タクシーが悪いというわけではないけど、ドライバーによって乗り降りを手伝ってくれたり、踏み台を準備してくれたり、乗降しやすい場所に止めてくれたり、バラバラだから気苦労が多い。

そこは福祉タクシーだからデイサービスの送迎車に乗せてもらう

ぐらいの安心感がある。これは大きい。この差に3倍でも4倍でもお金を払いたいというニーズはある。

 

少しずつ課題を解決して、安全に楽に介護生活を送れるように

しないと続かない。それもデイサービスをたびたび休むようになったらワンオペも限界だろうが、続けられるかどうかはすべて健康の維持にかかっている。

 昨日はあれから3~4時間ほど眠られた。夜中2時頃に母がトイレに起きたので連れて行ったら自分も少し安心して寝つけた感じ。母は何かがとても気になると5分とベッドに寝ていられない。それはテレビの周りのLEDの光だったり、誰かが帰って来たという思いだったり、物が見つからないから探そうとしたり。自分が寝ているときにこの状態になると辛い。昼間もそこそこ辛いが…

 

 先々週から頭の不調が続いている。食事のときも「次は何を食べたらいいの」みたいな意識レベル。この調子が続くようだとさにら一歩か0.5歩認知症が進んだ感じ。その状態にどう対処すれば良いか解決方法を見つけて自分が慣れてくれば、新たな日常になるのだけど、それまではストレスが大きい。

 

 自分も昨日から体調が悪くめまいがしていたが、今日はさらに低調。体調の悪い時の介護はさらに辛い。料理したくないよー

 

<夕方追記>

 昼頃は頭を動かすと少し胸が悪くなって3時ごろは最悪。自分が寝込んだら母の介護はどうするのだろうと不安になった。幸い身体を温めて少し休んだら半分ぐらい回復。やはり昨日の寝不足が影響しているのかも。

 

〇 ワンオペを続けるために必要な対策

〇 自分が病気やケガをしたときの対策

  (長兄宅でのショートスティは失敗)

 

母に負担をかけないやり方でこの2つは準備しておかないと。

 

 母は95歳、要介護度2で身の回りのことは自分でほぼできる。ケガや病気にならなければもう2、3年は要介護3には届かないだろう。要介護3以上でコミュニケーションも難しくなれば施設にお世話になることも仕方がないと思うが、それまではできるだけ安全で居心地のよい生活をして欲しいと思う

 

 今の最大の課題は2階で生活をしていること。それと頭への刺激。認知症は家族の関りがもっとも大切で、日常生活の支援にとどまらず感情的な支援や活動の促進は、認知症の進行を遅らせるのにとても役立つ。いろいろな意味でワンオペ介助は限界を迎えている。

 

 いまの時点で具体的に何が必要か考えると

1.日常生活の支援(課題)

  ・生活している2階へ上り下りするのはもう難しい

  ・目が行き届かないときの転倒リスク

  ・転倒したときに自分ひとりで起こせない

  ・ひとりで通院介助が肉体的にも精神的にもストレス

   (病院へ家族二人が付き添うのも必要なときもある)

  ・階段がネックで日課にしていた散歩もできず、脳への

   刺激が減っている

 

2.感情的な支援

  母はときどき不安になったり寂しくなったりして不穏にな

  る。同居する家族は多いほうがいい。

 

3. 活動の促進

  散歩や歌やドライブなどの頭の刺激が必要。

  在宅時は寝ているか歌番組のビデオ以外することがない。

 ただでもワンオペは困難なのに、母が1階で過ごしてキッチンが2階というのは苦労が2倍(これが最大の課題)。1階は底冷えするので冬場は辛いだろう。 やはり老後の生活はマンションがよいと思う。福知山に中古マンションでも買って移住すれば、次兄が助けてくれると期待もしたけど無理っぽい。

 

 結果として今のデイサービスを継続しつつ中古マンションへ引っ越しするには、高野あたりを中心にした地域で見つけるしかない。早ければ冬になる前、遅くても来年の春には引っ越すのがよいだろう。

 

 身体の状態と介護の局面

 

  局面A(現状)はなんとか我慢しても、局面Bになればマンションしかない。局面BとCまでは自分がひとりで介護を頑張ったとしても、局面D(要介護3)になればひとりで介護していたら肉体的にも精神的にも自分が壊れてしまうだろう。その頃までには長兄も仕事をやめているだろうから、また下鴨の戸建てに戻って介護しつつ、入居のための施設探しを開始するというのがスムーズで了解を得られやすいケアパスではないだろうか?

知らんけど…

 

 <追記>

 買えるマンションは70㎡以下(60㎡以下かも)だから、マンションへ移った場合も、自宅で看取りモードになったら多人数が入れないので今住んでいる戸建ては使えるようにしておいて欲しいな。

 

 <さらに追記>

 なんて偉そうに書いたら、母が夜に5分おきに起きてくるからイライラして眠れなくなった。怒りでアドレナリンが放出されその後に「いつまた起きてくるか」「このまま寝られないと明日がつらい」と不安が襲ってきてますます寝られない。局面Aで耐えられてない…  ほったらかしにしたらより面倒なことになるのは確実だから付き合うしかない。

 

自動車免許の更新を終えた。めんどくさい。

更新料が70歳未満なら3000円で70歳以上なら2500円。

高齢になるほど更新料を上げたら免許返納する人が増えると思う。自分も10000円だったら更新を見送ってたかも。

 

証明書代わりに使うだけなら、マイナーカードでいいんじゃないの。マイナーカードは更新のたびにお金必要ないだろうし。

 

 一般に介護施設では「絶対に転倒させてはいけない」という考えでは仕事は回らない。でも、その考えを在宅の親の介護に適用するつもりはない。母は転んでどこか痛めたら日常生活に支障がでて頭の状態も急速に悪化する。わずかな転倒の可能性も排除したいと思うのが家族の気持ち。

 

(1)  部屋の中でもいつ転倒するかわからない

  最大の問題は、転倒すると自分ひとりでは立たせられない。

(2)  通院は、ひとりで連れて行くのは難しいときがある。

(3)  母が昼寝している間に買い物に行くが、ひとりの時に目が

  覚めると不安になって歩き回ってしまう

など…

 

 世間にはひとりで介護しているケースも多いので情けない話だけど、リスクのある状態を解消するにはワンオペでは不可能。

 長兄は今年の4月で70歳だから、仕事を辞めて介護を支援してくれるのかと期待していたが、職場からもういいと言われるまで続けるらしい。仕事は十分にひと区切りついているはずだが、両親を近くに呼び寄せながら介護に向き合うことを避けるなら何故呼び寄せたのかと聞きたい気持ち。やはり目線が違うのかな?

 

 「おはよう」「たくさん食べてね」「風邪ひかないようにね」

家族から言われれば愛情を感じるだろう。介護施設の優しいスタッフに同じように言われて、利用者は家族のときと同じように愛情を感じるのだろうか?

 別に『介護は介護のプロに』という言葉を否定するつもりはないけど、たくさんの愛情を感じて生きることと、単に生活することとは違うだろう。(もちろん介護のプロも人一倍の愛情があるのだけど、家族には勝てないよねということ)

 

 人間って論理的に理由を分析し、その理由に基づいて意思決定を行うのではなく、まず感情的な決定を下し、その感情を正当化するための理由を見つけるのだと思うのだよね。でも、人に説明するときは前者じゃないと絶対に納得は得られない。だからクドクドと説明をするわけ。

 

 そういう意味では、理由に対してあれこれ反論したり、代替案を出したり、条件闘争をしても成功はしない。納得されられても、そのうちまた同じ感情が湧いて抑えられなくなる。

 まあ、生きるということは難しいことでもあるし、気持ちに素直に従えば簡単なことでもある。問題は、その直感による選択が自分勝手な邪心のないものかどうかということ。

 今日の母は少し落ち着いた感じ。あと半年で同居&介護もまる10年。母の状態は徐々に低下するのだろうけど、自分の許容範囲もそれが普通と感じるように下へ広がる。なにもしていなければ介護状態が重くなってからは当然対処ができない。

 

さて、いずれはだれにでもやってくる親の介護。

 

 親の介護が必要になって子どもが親を呼び寄せたとしても、親には見えない苦労も葛藤もあるはずだ。そういう意味で自分は懐疑的。同居ならまだしも、呼び寄せて近距離別居だとほぼデメリットしかない。別居だと早々に行き詰まり、次の対策考えないといけなくなる(それが親も望まぬ施設だったらどうなんだろう)。それより親の家をリフォームするとか要介護認定を受ける・民間サービスを利用するほうがよほど良い。

 両親も80歳を越えて住み慣れた福知山を離れ京都市に来た訳だけど、父は福知山で楽しんでいたゲートボールを京都でもしようと、自分で同好会を見つけて加わりそれに溶け込もうと努力していた。10歳以上若い人たちの中に入るというのは、なかなかできるものではない。夕方から学校の校庭を借りての練習や大会にも出た。でもどこまで打ち解けていられただろうか?  下鴨神社の掃除のボランティアや「歩こう大会」や夏休みのラジオ体操開催などを、回覧板で見つけては参加していた。ご近所の人たちは誰も参加していないが、それでも何かしらの楽しみを見つけようと努力していた。

 

 母も地域に馴染もうと努力していた様子だけど、難しかっただろう。散歩を日課のようにしていたが、健康のためとか行動範囲を広げるためというより、誰かと親しくなれるチャンスを求めてだったのだろう。ご近所の人が外に出てなにかしていることはほとんどない。だいぶ年月が経ってから「散歩しても誰も歩いていない」と不満を言っていた。

 

 子どもは「親は自分たちでなんとかするだろう」と安易に考える。でも、年を取って新しい生活環境になじむのはなかなか難しい。身体も頭も思うようには動かないし、両親はよく頑張っていたと思う。


 今のお寺とお墓も、自分たちだけでは決められないとさんざん悩みに悩んでやっと決めた。土地勘もないし相談する人も居ないなかで、自分たちだけで見学の申し込みをして住職との面接を終えてと色々な手続きをこなした。同時に前の菩提寺との関係や仏壇をどうするかも課題で、引っ越し後の10年以上たってひと区切りできたぐらい悩んでいた

 

 新しい病院をどうするかも課題。福知山でお世話になった主治医から新しい病院へ変わるというのはガチャそのもの。長く付き合いのある主治医なら、自分の体調の変化も気安く尋ねられるだろうが、まだ日の浅い(気が合うかどうかも怪しい)医者にはなかなか本音で病状を訴えたりできないだろう。散髪や美容院もしかり。

 

 親を呼び寄せることのデメリットは数々ある。自分が考えることの何倍もあるだろう。子ども目線と親目線は全然違う風景。困難なことを親に強いるのは間違い。そういう問題を超えて介護や支援に向き合う気持ちがないのであれば不幸な結果は明らか。

 

 母が12時頃にトイレに行くのを介助したが、いつもより調子が落ちた感じは継続していた。コロナに感染したときのような感じ。どこか体調が悪いのかも知れない。2週間後には内科で検査だからそれまで様子見。

 

 母の様子がいつもと違うと、これから先どうしようと一気に不安になる。あれこれ考えていると寝られないので、胃も痛くなってますます眠れない。前から言ってるように自分だけのワンオペは限界。母が転倒してどこか痛めたら日常生活に支障がでて頭の状態も急速に悪化するだろう。そうなれば今の何倍も負担が増えるから絶対に回避しないといけない。ひとりでは24時間監視できるわけじゃないのでなんとかしないといけない。また転倒で身体を傷めなくても私一人では立たせることはほぼ不可能。

自分の負担軽減とあわせてワンオペ解消は喫緊の課題。

 

 介護はいくつかのパターンの組合せで先の状況が変わる。可能性の高いケースを予測して先回りして準備するのがよい。出たとこ勝負は負け戦。しかし、ワンオペ解消に関しては自分ひとりで決められるわけじゃないので、解決しない問題をあれこれ考えて夜が明けてしまう。

 昨日の夜はよく寝られたみたいで少し調子は上向いたか。それでも食事で何を食べたらよいかとか、薬がうまく呑み込めないとか、調子の悪いところがある。トイレの使い方もちょっと迷っていた。足し算はできた。体温もいつものレベルに近づいた。

 

 良くなったり悪くなったりでだんだんと低下するのだろうが、調子の悪い時に転倒でもすれば取り返しのつかないことになる。調子が悪いときほど探し物をしたり、部屋の中を動こうとする。なるべく悪化の程度を抑えて早く良くなることに心がけるのが介護する人にとっても介護される人にとってもヨロシイ。

 

 認知症の検査は受けていない。日々のちょっとした変化を把握するためのスケールは、介護している人はみんな持っているのだろうが、MMSEなどの客観的な評価は大切。普段の状態を見ていないから、医者はすぐにMRIなどに頼っちゃうだろうか?

 

 母はそこそこ健康だし、ここまで維持出来てきたわけだから今までの生活を続ければよい。足りないのは、体調を崩したときのサポートと通院と転倒時の支援。そして、日々の寂しさを紛らわせる人間関係と刺激。

 

========

【デイサービス帰宅後の追記】

デイサービスから帰るときのトイレタイムで、尿漏れしていたらしく、デイサービスのバンッで帰ってきた。元気そうだったけど、頭は本調子ではなかったようす。いつもは回復までに1週間は必要だからちょっと早かったのかな。

施設のスタッフには本当によくしてもらって感謝してもしきれない。

 

しかし、母の調子が悪いと良くなるだろうかと心配になり、ちゃんと寝られるかな、食べられるかなとどんどん不安になる。文字通り胃も痛くなる。逃げられないしすべて背負わないといけないから辛いよねぇ

先週木曜日あたりから不調。

見当識障害が一日中続き、子どもの時代に戻ってしまい「ねえちゃん」とか「おとうさん」とか「ちっちゃい子ども」とかばかりが気になる。一時的なら話を合わせて納得させればいいけど、一日中だと対応が苦しい。

 

デイサービスに行ってる間は比較的しっかりと過ごせるので、昨日のデイサービスも気にせずに送り出したのだけど、スタッフの人に「ちょっと様子がおかしかった。自宅で変わったことはありませんでしたか?」と尋ねられたので、いつもよりの不調なんだろう。

お風呂を拒むとか計算問題が全くできないとかだったらしい。送迎車の乗り降りのときも足がしっかりとしていないので、足が前に出ないとか、つま先がステップに引っかかるとか、力が抜けてお尻から落ちそうになるとか、2人以上で支えないと難しい。

 

自宅で少し計算問題をしてもらったら、一桁の足し算はぎりぎりで桁の繰り上がりは難しく、むしろ掛け算のほうがよい感じ。

食事もまあまあ普通で(最近は期待値が下がっているが)、どこがと言うこともなく、全体的に調子が悪そうな感じで床に入ったけど、夜中トイレへ行ってトイレトラブル。

 

1~2カ月ぐらいの周期でやってくる不調の波。そろそろ終わりになってくれるかな?

明日は免許更新に行ってこよう。もう車に乗ることもないだろうし面倒臭いから更新せずに失効にしてしまうつもりだったけど、のちのち田舎住まいになるかも知れない。