親を呼び寄せることの是非【まじめな話】 | のんびり京都暮らしと少しの介護

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広島で4年、東京で20年と数年、京都に戻ったのが2010年。令和に変わったので心機一転でブログ開設。
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 今日の母は少し落ち着いた感じ。あと半年で同居&介護もまる10年。母の状態は徐々に低下するのだろうけど、自分の許容範囲もそれが普通と感じるように下へ広がる。なにもしていなければ介護状態が重くなってからは当然対処ができない。

 

さて、いずれはだれにでもやってくる親の介護。

 

 親の介護が必要になって子どもが親を呼び寄せたとしても、親には見えない苦労も葛藤もあるはずだ。そういう意味で自分は懐疑的。同居ならまだしも、呼び寄せて近距離別居だとほぼデメリットしかない。別居だと早々に行き詰まり、次の対策考えないといけなくなる(それが親も望まぬ施設だったらどうなんだろう)。それより親の家をリフォームするとか要介護認定を受ける・民間サービスを利用するほうがよほど良い。

 両親も80歳を越えて住み慣れた福知山を離れ京都市に来た訳だけど、父は福知山で楽しんでいたゲートボールを京都でもしようと、自分で同好会を見つけて加わりそれに溶け込もうと努力していた。10歳以上若い人たちの中に入るというのは、なかなかできるものではない。夕方から学校の校庭を借りての練習や大会にも出た。でもどこまで打ち解けていられただろうか?  下鴨神社の掃除のボランティアや「歩こう大会」や夏休みのラジオ体操開催などを、回覧板で見つけては参加していた。ご近所の人たちは誰も参加していないが、それでも何かしらの楽しみを見つけようと努力していた。

 

 母も地域に馴染もうと努力していた様子だけど、難しかっただろう。散歩を日課のようにしていたが、健康のためとか行動範囲を広げるためというより、誰かと親しくなれるチャンスを求めてだったのだろう。ご近所の人が外に出てなにかしていることはほとんどない。だいぶ年月が経ってから「散歩しても誰も歩いていない」と不満を言っていた。

 

 子どもは「親は自分たちでなんとかするだろう」と安易に考える。でも、年を取って新しい生活環境になじむのはなかなか難しい。身体も頭も思うようには動かないし、両親はよく頑張っていたと思う。


 今のお寺とお墓も、自分たちだけでは決められないとさんざん悩みに悩んでやっと決めた。土地勘もないし相談する人も居ないなかで、自分たちだけで見学の申し込みをして住職との面接を終えてと色々な手続きをこなした。同時に前の菩提寺との関係や仏壇をどうするかも課題で、引っ越し後の10年以上たってひと区切りできたぐらい悩んでいた

 

 新しい病院をどうするかも課題。福知山でお世話になった主治医から新しい病院へ変わるというのはガチャそのもの。長く付き合いのある主治医なら、自分の体調の変化も気安く尋ねられるだろうが、まだ日の浅い(気が合うかどうかも怪しい)医者にはなかなか本音で病状を訴えたりできないだろう。散髪や美容院もしかり。

 

 親を呼び寄せることのデメリットは数々ある。自分が考えることの何倍もあるだろう。子ども目線と親目線は全然違う風景。困難なことを親に強いるのは間違い。そういう問題を超えて介護や支援に向き合う気持ちがないのであれば不幸な結果は明らか。