プロの目線、家族の目線 | のんびり京都暮らしと少しの介護

のんびり京都暮らしと少しの介護

広島で4年、東京で20年と数年、京都に戻ったのが2010年。令和に変わったので心機一転でブログ開設。
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 一般に介護施設では「絶対に転倒させてはいけない」という考えでは仕事は回らない。でも、その考えを在宅の親の介護に適用するつもりはない。母は転んでどこか痛めたら日常生活に支障がでて頭の状態も急速に悪化する。わずかな転倒の可能性も排除したいと思うのが家族の気持ち。

 

(1)  部屋の中でもいつ転倒するかわからない

  最大の問題は、転倒すると自分ひとりでは立たせられない。

(2)  通院は、ひとりで連れて行くのは難しいときがある。

(3)  母が昼寝している間に買い物に行くが、ひとりの時に目が

  覚めると不安になって歩き回ってしまう

など…

 

 世間にはひとりで介護しているケースも多いので情けない話だけど、リスクのある状態を解消するにはワンオペでは不可能。

 長兄は今年の4月で70歳だから、仕事を辞めて介護を支援してくれるのかと期待していたが、職場からもういいと言われるまで続けるらしい。仕事は十分にひと区切りついているはずだが、両親を近くに呼び寄せながら介護に向き合うことを避けるなら何故呼び寄せたのかと聞きたい気持ち。やはり目線が違うのかな?

 

 「おはよう」「たくさん食べてね」「風邪ひかないようにね」

家族から言われれば愛情を感じるだろう。介護施設の優しいスタッフに同じように言われて、利用者は家族のときと同じように愛情を感じるのだろうか?

 別に『介護は介護のプロに』という言葉を否定するつもりはないけど、たくさんの愛情を感じて生きることと、単に生活することとは違うだろう。(もちろん介護のプロも人一倍の愛情があるのだけど、家族には勝てないよねということ)