大変期間が空いてしまいましたが、再開いたします。

昨年(2022.11月)、30余年ぶりに静岡県三島市から奈良へ車で行ってきた、その時のお話です。

新たな発見!といっても、歴史的な発見!ということではなく

あくまで、私的な発見です。念のため。

 

 多分、電車での奈良探訪では気が付かなかったと思います。

事前にルートを決めるに当たり、地図を検索すると

奈良盆地の中央部に

池・池・池 おびただしい数の池の存在に驚きました。

 

これは

どうしたことだろう!?とネットで検索していると

「大和湖」や「奈良湖」というワードが出てきました。

 

 つまり、弥生時代の終わりころの奈良盆地は水は引けて、湿地帯と

なっていたのです。

 

 皆さんご存じの東大寺、春日大社、平城京跡、西大寺、唐招提寺、薬師寺

法隆寺、石上神宮、大神神社など

歴史的建造物のほとんどが、山裾に存在していることの発見です。

 

 

 では、なぜ湿地帯が無数の池になっていったのか!

当時この付近には、シナ(中国)や韓半島から多くの渡来人がやってきました。

人が増えると

 食物が不足してきます。「この湿地帯!なんとか ならないかな~」と、誰かが呟きます。

解決策として考えられたのは

 ・湿地帯に水路を掘ると

 ・周辺の水が集まり

 ・作業を進めるとやがて、池となり

 ・湿地帯が水田可能な土地になる。

掘った泥を積み上げると、古墳状となる。”古墳状”と記したのは、当初は墳墓をつくることが

目的ではなく

人口増に対する新田開発だったから、単なる土木工事の結果

山状に盛り上げたものでした。

だから、初期段階は墳墓ではない!と、考えられます。

 

次回は”古墳状”の深堀です。