新たな発見 奈良-3

 

 石舞台古墳を見学した後

多武峰にある談山神社(たんざんじんじゃ)に向かうため

カーナビに入力しようとしたのですが

「多武峰(とうのみね)」の読みが

わからないため、難儀した。

 

 駐車場の係員に場所を尋ねたところ、駐車場の前の道路を

東に向かう一本道とのこと。

5~6㎞の距離だったこともあり難なく到着。

 

 


 

 645年、宮中において中大兄皇子と中臣鎌足は蘇我入鹿を暗殺した。

乙巳(いっし)の変です。

 事件の前、秘密裏に相談した場所が、現在、談山神社のある場所。

この談山神社は、鎌倉時代に成立した寺伝によると、

藤原氏の祖である中臣鎌足の死後の

 天武天皇7年(678年)、

長男で僧の定恵(じょうえ)が唐からの帰国後に、

父の墓を摂津国安威(大職冠神社=将軍山1号墳。参照:阿武山古墳)

から大和国の当地に移し、その墓の上に

十三重塔を造立したのが発祥であるとされている。

「密談した山」から談山神社とされた。

 

 つまり、密談した時にはなにもない普通の山だった。

というのが、今回の発見でした。