しかしその気持ちは俺ら同級生だけではなく、担任の先生も同じ思いだったのである。
そんな訳で、岡先生と熊を中心に行われた「チャコを偲ぶ会横浜編」に参加してきたのだ。
熊の職場の都合で少人数での開催となったのだが、高齢者相手の仕事なので仕方のない事である。
俺にとっても、久しぶりの岡先生や熊との再会は嬉しかったのだ。
先日の墓参りの後の飲み会(上野編)に続き、これまたチャコのお蔭と感謝しているのだ。
横浜で中華を食べながら、懐かしい話で盛り上がりそりゃ大変だったのだ。
話してるうちに当時は知らなかった真実が明らかになっていった。
まず俺が一番驚いたのは、あの時の岡先生は36歳で俺たちと一緒の時に赴任してきたという事だ。
思っていた年齢よりもかなり若かった(髪の毛のせいだろうか)
そして岡先生はなぜかテニス部の顧問を引き受けることになった。
岡先生によると、春のうららかなある日、職員室の窓からボーっとテニスコートを眺めていたらしい。
誰を見ていたかは分からないが、その視線に気が付いたテニス部のキャプテン、そうあの八木先輩がそれに気づき、顧問をお願いしに直談判したらしい。
この人ならテニス部を上手くまとめてくれると思ったのか、はたまた明るく楽しい風を送ってくれると思ったのだろうか。
いずれにせよ八木さんの行動力は凄かったのだな。
岡先生はそんな八木先輩の熱い思いを察して「よし分かった、俺が命を懸けてテニス部を守ってやるぞ」と話が付いたそうだ。
きっと岡先生も八木さんの美しさと強さに参ったのだろうな。
八木さん信者の俺だから分かるのだ。
まぁそんな訳で、俺たちテニス部一年の春は始まったのだった。
森ちゃんが言うには、八木さんは「愛と誠」映画版でデビューした早乙女愛に似てると言っていたが、なるほど良い線をついていると感心した。
しかし付け加えるなら、そこに「オリビアニュートンジョン」とヤクザ映画の女渡世人「富司純子」を足してもらいたいわけだ。
まぁそれくらいあの頃の八木さんはかっこよかったのだ。
そういえば「愛と誠」は漫画も良かったが、映画とテレビ版もあったんだな。
映画は西城秀樹と早乙女愛で、テレビは確か夏友介と池上季実子だった。
少し物語を話すと、小さい頃スキー場で愛が滑りすぎて危険なときに、誠が身を挺して愛を助けた。
その時にできた誠の額の傷を、愛はずーっと引きずって生きていくのだ。
そして二人の運命は「悪の花園」と呼ばれた不良高校での再会によって動き出したのだった。
番長がいたと思ったら、さらに影の大番長もいて、最終的にはラスボスも現れて。
なかなか感動的なラストに向かって走って行くわけだ。
あと生徒会長の岩清水もまた良いのだ。
決め台詞は「早乙女君、君の為なら死ねる!」
と、どんな時でも愛のために命を懸けるのだな。
ちなみに岩清水は我々の生徒会長の芳賀君に似ているのだ。
しかし芳賀君と言えば、好きな子にやっと告白するかと思いきや、好きだとは言えず「ちょと友達に頼まれたから写真撮らせて」なんて言ってしまうのだ。
話はそれてしまったが、もし読んでない人がいたら絶対に読んでおきなさい、心から泣けるから、じゃんじゃん!
そんな春の始まりだったが、またまた森ちゃんが語ってくれた「卓球部恋愛塾」の話によると、そのころ矢島も恋をしていたそうだ。
卓球部の後輩に惚れて、とうとう初デートにこぎつけたそうだ。
初デートは遊園地に行き、一つ乗り物に乗る度に「楽しかった?」って何度も聞いてしまい、最後には後輩の子も気持ちが引いてしまったそうだ。
そしてとどめは別れの握手を求めたら、彼女の目には涙が溜まっていて、そのまま二人は心切なく家路についたのだそうだ。
そして矢島はその失敗デートの顛末を森ちゃんに正確に報告してくるのだ。
「何かまずい事したのかな俺?」という矢島に「いちいち私に聞くな!自分で考えて反省しなさい!」と心で思ったが、口では「次はきっと大丈夫だから」と慰めていたらしい。
あの頃の矢島は確かに細かかった。
俺も矢島に相談された記憶がある。
矢島はとにかくきちんとデートをしなければいけないと思い込んでいたのだ。
何時に電車に乗って、何時に遊園地に着いて、乗るものの順番も決めて、お昼はどこで何を食べるかまで決めていたのだ。
そんな彼が考えた決めゼリフは「楽しかったかい?」だったのである。
別れ際には、握手でニコッと笑って「今日は楽しかったね、ありがとう」と言う。
こうして初デートは大成功、スキップランランで家路に着く予定だったのだが、思い通りに行かないのが現実の厳しい所なのだ。
まぁそんなこともあり、矢島の恋ははかなくも散っていくのであった。
実はその頃、俺も卓球部の後輩に惚れてしまっていたのだ。
俺の場合はその子が「もし先輩が卓球部にいてくれたら嬉しいな」の一言でテニス部を辞めて卓球部に移ったのだ。
これがあの卓球部3日移籍事件だ。
それにしても卓球部の練習は厳しかった。
晴海ふ頭で腕立て100回、腹筋100回、スクワット100回とか、それを夏の炎天下であの変わった掛け声でやるのだ。
卓球部に移籍して3日後には腹筋のやりすぎでお尻の皮が剥けて出血して、俺の身体はボロボロになってきた。
その時、俺はふと考えたのだ。
あの子が好きだからと言って、何もテニス部を辞めなくても良いんじゃないかと。
気持ちはどこにいようと同じなのだからと。
そこに気が付いた俺は、3日後にめでたくテニス部に復帰したのだった。
その後、彼女とは何度か話をした。
すると彼女は中学の時から付き合ったり別れたりを繰り返してる彼氏がいると言った。
その彼のことが心にあるから、スッキリ俺と付き合う訳にはいかないと言った。
さらに詳しく聞くと、その相手は何と俺の中学時代の同級生で空手の有段者でちょっとヤバい奴だった。
さすがの俺もちょっと躊躇してしまったが、彼女ことが諦めきれずバカな俺は「通信空手」に申し込んだのだった。
空手で勝負しようと考えたのだろうか。
教本の通りに毎朝5時に起きて、毎日1時間突きと蹴りを部屋の壁に向かって始めた。
さらに拳を鍛えるために、コーラの瓶をタオルで巻いて殴り続けた。
今冷静に考えると全く無茶でバカなお話なのだ。
そんな日々を重ねて、さぁそろそろ告白しようかと思った矢先「私は星野先輩とは付き合えない」と彼女に言われてしまった。
さらに自分の友達で俺の事を想ってくれてる人がいるから、その人たちを誘って話をしてあげてくださいって。
そして彼女は最後に「今まで色々話を聞いてくれてありがとうございました」そう言い残して去っていったのだった。
こうしてタケシの「ひと夏の経験」は波の音と共に消えていくのだった、じゃんじゃん!
そして話題は冨浦合宿に移るのである。
あの恐怖の一夜の真相を熊が語ってくれた。
恐怖の一夜とは、熊が夜中急に叫んでパニック状態になった事件である。
その時は大石先生が一晩付き添ってくれたらしい。
熊によると、夜中にふと誰かに見られてるような気がしたという。
目を開けると、カヤの上から老婆が熊を睨んでいた。
それで怖くて怖くて叫んでしまったのだそうだ。
ちなみに熊の寝ていた場所は、前年度の先輩も同じことがあったらしい。
遠泳の話も懐かしかったなぁ。
せっかくもらった氷砂糖を口に含んだと思ったら海中に落としてしまったり。
しょっぱい海水を何度も飲んで、やっとの思いでゴールしたのを思い出した。
先生の話を聞くと、引率した先生たちも大変だったんだな。
あとは熊が文化祭でピンクレディに変身した話。
たしかに熊のピチピチの網タイツ姿を思い出した。
顔も化粧して結構真剣にやってたよなぁ。
体育祭は男全員で挑んだ「えっさっさ」
応援団みたいな声上げてやっていたな。
あれは大石先生の肝煎りってやつだったのだ。
そんな懐かしい話がどんどん出てきて、記憶が蘇る楽しい時間だった。
でもあの時に出会い別れたやつらも沢山いる。
中にはそのまま卒業後結婚していまだに続いてるカップルもいるのだから、やはり何か縁みたいな物を感じるのだ。
振り返っても50年だぞ。
そこに朝潮橋があって、3年間その橋を渡って毎日皆同じ風に吹かれて、笑ったり泣いたりして過ごしてきたんだ。
もちろんそこにはチャコの笑顔が間違いなくあった。
それだけは忘れてはならない事だと思う。
懐かしい話は尽きないのだが、続きはまた次回という事で。
その後、中華料理屋を後にした一行は、自然とカラオケ屋さんに入るのだ。
岡先生の「高原列車は行くよ」を皮切りに、昭和歌謡のオンパレードに突入するのである。
「俺たちの旅」ではドラマの映像が流れてた。
カースケ、オメダ、ぐずろく、ワカメが画像に出てくるのだ。
歌と共に青春が蘇ってきた瞬間だった。
メメの「青春の坂道」も懐かしくて良かった。
岡田奈々の当時の映像が流れて、思わずグリコポッキーのCMを思い出す俺であった。
俺も「君と歩いた青春」を歌いながら、17歳の俺に戻っていたのである。
岡先生の「黄昏のビギン」や「また逢う日まで」も良かった。
岡先生の明るい人柄とゆるい空気感がまた良いんだよな。
改めて岡教室は最高だったんだなと実感する。
そしてカラオケは佳境に入っていく。
熊の「糸」も絡みつくようで良かったが、圧巻はメメの「タッチ」だ
昔、砂町銀座の入り口にあった喫茶店「南風」を思い出した。
今はもう無いんだろうな。
あだち充の漫画ではタッチも好きだが、一番好きなのは「陽当たり良好」だな。
ドラマも見たけど良かったよなぁ、あの時代のテレビ。
「俺たちの朝」を見て、極楽寺周辺に住もうって柿崎と不動産屋さん巡りをしたっけな。
毎日、鎌倉の海の夕陽を見て暮らせたら最高だなって。
まったく何を考えていたんだろうかね。
まぁ今日もダラダラと書いてしまったが、こんな昔話を書けるのはここしかないので勘弁してくれ。
では最後チャコに中島美嘉「雪の華」を送ろう。
俺もあの日から同じ悲しみを背負って生きていると伝えたい。
今日はこの辺で勘弁してあげよう。
次回は「22歳の別れ再び編」につづくのである、じゃんじゃん!