大島からの手紙〜還暦を祝う会編〜 | 大島からの手紙

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そんな訳で大島からの手紙「還暦なんか乗り越えろ」の巻だ、じゃんじゃん!

この前の呑み会では幹事の皆様ご苦労様でした。
まぁ色々あったけど楽しい呑み会だったよ。

考えてみるとこの「大島からの手紙」も書き始めてから約10年も経ったのだ。
振り返ってみると、色んな場面で悲しい時、切ない時、楽しい時、そんな思いを燃える心で書き続けられて、俺は本当に幸せだったと思う今日この頃なのである。
これからもこの燃える思いを綴っていきたいと思うのだ。

唐突だけど、俺は橋が好きなのだ。
隅田川に架かる「新大橋」「永代橋」「勝鬨橋」、門前仲町から月島に向かう「相生橋」なんかいつも良い風が吹いているぜ。
そして京商に行く途中にある「朝潮橋」この橋を渡ると何故か心がスーッと落ち着き気分が良いのだ。

そんな東京の街に架かる橋には、いくつかの切ない思い出もある。
将来の夢を語った友のこと、愛を告白した時や別れを決めて歩いた時、明日からどうして生きていこうと悩んで歩いた日々や、心の切なさと辛さをいくつかの場面で橋を渡って乗り越えた日々があった。

そんな自分に贈りたい今日の一曲目は、もちろんハウンドドックの「ブリッジ~あの橋を渡るとき~」で決まりなのだ。
♩時は戻らないから 傷ついても あの橋を渡るとき 全てが変わる♩
この詩に何度勇気をもらったことか。
まぁそんな風に何とか生きてきた俺なのだ。

話は変わるが、この前本棚を整理していたら、昔の年賀状や手紙が大量に出てきて懐かしく読んだのだ。
それは50年くらい前からのもので、よく残っていたなぁとビックリしたのだ。
あの頃の年賀状は、皆手書きでイラストやマンガ等結構手の込んだ物が多かった。
いい機会だから幾つか紹介してみよう。

熊澤のハガキは必ず自分のイラスト入りで、それがまた上手いんだよ。
クマがスケボーに乗って虎に引っ張られてるシーンで、それが必ずGパンツナギファッションなんだ。
これが実にクマのイメージに合ってて凄いのだ。
そしてセリフは必ず「たけし、頑張らんとだちかんぞ!」と一言入っているのだ。

その頃のクマは貧乏大学生で、1日3食共につけ麺生活で体重も50キロ位しかなかったんじゃないかなぁ。
しかし顔の大きさだけは変わってなかったから、バランスが悪くて何だかヤジロベエみたいだったのだ。

チャコのハガキもなかなかだったよ。
チャコらしき女の子が赤い着物姿で正座して挨拶をしているシーンだけど、顔の表情が何ともおすまししてて良いんだなこれが。

矢島は必ず今年の目標が書いてあるんだ。
1.いつも5分早い矢島になるよう努力する
2.鼻血、貧血防止に努力する
3.借金返済に全力をつくす
4.松田聖子のファンクラブに加入する
まぁこんな事が書かれているのだ。

そして柿崎は必ず家族のエピソードを面白く書くパターンだ。
ある年のハガキは、競馬の出走表に見立てて書いてあった。
1枠 アルコールヨシノブ 牡30歳 (得意技)朝帰り
2枠 ボケマリ 牝25歳 (得意技)里帰り
3枠 パンパースチサト 牝0歳 (得意技)寝返り
毎年家族の様子を書いて笑わせてくれるよなぁ。

岡先生は一言「新しい出発、頑張れー!」で決まりだ。

沢田は家族写真で店の前のシーンが多いなぁ。
「境屋」の暖簾の下で皆ニッコリって感じだなぁ。
こうやって見ると沢田も若い頃があったんだなぁっと・・いやいや

そして日野はこれも凄い「Drスランプアラレちゃん」のイラスト入りでちゃんと色鉛筆でカラーにしてある。
一言「今年は光ゲンジならぬ、光る!ジューちゃんで行きたいと思います。ハイ!」と本当に上手いイラストなのだ。

三ツ木の自身の似顔絵イラスト入り年賀状は圧巻だった!
メガネと三つ編みカットで、一目でこの子は三ツ木だと分かる!

この頃の年賀状は皆絵が入っていて、それぞれがかなり上手かったのだ。
あとは「スヌーピー」やら「チッチとサリー」のイラストが入っているのが結構あった時代なのだ。

そうそう、この頃はクラス会も頻繁にやっていて、場所は門前仲町の「あさ月」、銀座「いけ増」とかで開催した。
そのとき往復ハガキで出欠を取っていて、その返信ハガキも沢山でてきた。

その中の一枚に、今は亡き小林弘昌君のハガキがあった。
そのコメント欄に「僕は今、家事手伝いに励んでいます。お金はありませんが出席しますのでヨロシク!」とコヤシらしい言葉で書いてあったよ。
いやぁ懐かしいなぁ。

そしてアニキこと金沢功も最初の頃は出席で返信ハガキが届いていたのだ。
ウエケンもスヌーピーのハガキで出席の返信がきていた。
この頃は大勢出席していたんだよなぁ。

クマのコメントは「キレイどころを揃えてくだされば出席です」と書かれていた。
メメの返信は「あれから1年、皆さんも少しは大人っぽくなったかなぁ。モチ見目さんは色っぽくなりましたよ。なんちゃって」と書かれていた。

芳賀の返信ハガキには、やりたい事として「柿崎と伊東玲子の婚約発表会」と書かれていた。
皆、なかなか良いハガキ書いてたよ!
森ちゃんのも出てきたなぁ。
「11/17は教育実習の真っ最中です、でも頑張って行っちゃうからね!」と。

さらに懐かしい手紙やらラブレターみたいなものもずい分と出てきたのだ。
それらの手紙を読んでいると、いつしか心は17歳の頃に戻っていたのだ。

一字一字丁寧に気持ちを込めて、俺みたいな男に「好きです」と書いてある。
少しの迷いもない真っ直ぐな気持ちを、想いを届けとばかりに書いてある手紙を。
今60歳になってその手紙を読むときは、心が甘酸っぱく切なく、まるで「初恋の味カルピス」を初めて飲んだ時の爽やかな心になってしまう。
そして次の瞬間、17歳の青春時代の俺がたしかに60歳の俺の中に生きているんだ!と感じるのである。
その日の俺は一日17歳の星野武志に戻っていたのだなぁ。

まぁそんなバカな事をしてるいつもの俺なのだなぁ。
でもそんな想い出が明日を生きていく力になってるのだと思う。

その他にも橋本や野中先生の年賀状が出てきたりして、俺は思わず涙ぐむのであった。
白井ぼんの家族写真の年賀状が出てきたときは笑ってしまった。
これがあの「きよしさん」だったのかと。
先日の還暦を祝う会のとき、白井ぼんから旦那さんとの出会いやらプロポーズの話やらを聞いた直後だったのだ。
そんな幸せな白井ぼんに贈る曲はもちろん、サザンオールスターズの「そんなキヨシに騙されて」で決まりだな。

そんな訳で先日の飲み会で俺は二人の女性を泣かせてしまったのだ。
その一人はメメなのだなぁ。
お父さんの話をしてるうちに、感極まって涙ぐむメメなのだ。
そんな心優しいメメに贈る曲は、もちろん甲斐バンドの「安奈」で決まりだ!
♪安奈 クリスマスキャンドルの灯は燃えているか 安奈 お前の愛の灯は燃えているか♪ 
泣かせる詩なんだなぁ、うーむ

そしてもう一人の女性は佐竹なのだ。
彼女とは高校時代はたぶん話しをしたことはなかった。
でも何となく知ってるもんだなぁ。
廊下ですれ違ったりして、あの頃彼女はたしかツッパリ少女だったよなぁ。
長いスカート、つぶした鞄、眉毛はそって、パーマかけて、そんな感じだったと記憶している。

まぁそんな彼女だったが、話して見るとなかなか良い奴だったよ。
大島をこよなく愛していた。
たぶん高校時代はカッコつけて、真っ直ぐにツッパッていたのだろうな。
そんな佐竹と仕事の話をしていたら、彼女の目から思わずキラキラ涙がこぼれてきたんだ。
心に溜まっていた切ない想いが溢れてきちまったんだ。
それはきっと彼女の優しい心が流させた涙だと思う。

俺はそんな彼女を見てて、話を聞いてあげることしか出来なかったよ。
もしこれが17歳の頃の俺だったら、その涙でコロッと恋に落ちてしまったんだろうと60歳の俺は思ったのだ。
まぁ俺もだいぶ大人になったものだから、もうそう簡単には恋に落ちたりしないのだ。
タケシもだいぶ成長したものだ。
そんな彼女にこの一曲を贈りたい、研ナオコ「泣かせて」でどうだ!

その泣いてボロボロの佐竹を、武居が優しくお母さんみたいに慰めてあげていた姿が良かったのだ。
まぁ人と人は年月が過ぎても変わらない友情とか愛情みたいな心で繋がって立ち直って行けるんだなぁ。
でもこんな風にメメも佐竹も素直に涙を流せる場所はそれほどないと思う。
高校時代の友というだけで、こんなにも優しい場所になるんだなって。

若いときはもっと激しくて簡単に涙していたけれど、今はそう簡単には泣けないよ。
顔で笑って心で泣いてこらえるみたいな。
だから余計に何も考えず、素直に涙を流せる時って凄いんじゃないかなぁ。
俺も皆の顔を見て話して、そして心燃やしてまた明日から頑張ろうやという気持ちになる訳だ。

これからの10年、70歳位までが「黄金の10年」って言われる時間だ。
その一瞬一瞬、一日一日をなるべく皆で気持ちよく生きていく。
それが今の俺達には一番良いんじゃないかと思う今日この頃だ。
まぁ今日の所はこの辺で勘弁してあげよう。

次回は「矢島からの手紙~夏の少女の巻き~」に続くにのだ。
ではさらばだ、じゃんじゃん!  

 

 


と思ったが今日の俺はこれくらいで勘弁しないのだ。
まだ言いたいことがある。
それはさっきの橋のエピソードだ。

昔の恋人に再会して「大きな熱い恋」を失ったことを悔やみ、再び恋してしまうバカな俺だった。
そんな時「新大橋」のベンチに座り、その心を断ち切るために一人で缶ビールを片手に何時間も過ごしたこともあった。

「相生橋」は橋の下に降りると、風が気持ちよく吹いてくる入江がある。
その石段に座り、長い時間2人で缶コーヒーを飲みながら将来の夢を語ったこともある。

「朝潮橋」では、冬の冷たい風が吹く中、月の光を眺めながらかじかむ手を温めて、涙を流す彼女の姿をただ見つめるしかできなかったバカな俺がいたりした。

「勝鬨橋」で別れ話になり、2人は別々の方向に向かって歩き出したこともあった。
そんな昔の思い出たちが俺の心の中に蘇ってきたよ。

兎にも角にも、橋は俺の人生の節目に欠かせない大事な場所なのである。
あと橋ではないけれど「晴海埠頭」も好きな思い出深い場所である。
夏の暑い日の夕暮れ時、ここの風に吹かれるのは実に気分が良いのだなぁ。
さらに秋、冬もこの場所で良い風に吹かれたりしてたよなぁ。

やっぱりこんな時はユーミンの「埠頭を渡る風」と「ノーサイド」が聴きたくなってくるのだ。
よしついでに「青春のリグレッド」も聴いてしまえー。
まぁこの辺で少し気持ちを落ち着けてコーヒータイムだ。

まぁ10周年と言うことで随分書いてきたが、今の俺の夢を少しだけ話そう。
それは熊沢が以前のように元気を取り戻してほしいということ。
またあの似顔絵入り年賀状がもらいたい。

あと矢島にも昔のように熱い気持ちの年賀状を書いて欲しい。
それとチャコのおすまし顔イラスト入りの年賀状も欲しいなぁ。
あとは日野のカラーのアラレちゃんイラスト年賀状で決まりだな。
なんだか些細な夢になってしまった。
だから名前のあがった友人たちよ、もしできるなら俺の夢を叶えてくれぃ。

まぁ今日も色々バカなお話に付き合ってくれてありがとう。
俺の恋話もそろそろ佳境にきたなぁ。
最終回は「北海道運命の恋物語」を書く日がくると思うのだ。
でももう少しタケシの「東京恋物語」は続くのだった。
そこらへんはヨロシク!

それでは今度こそ本当のさらばじゃあ。
じゃんじゃん!