大島からの手紙

大島からの手紙

大島からの手紙

そんな訳ですっかり春なのだ。

今年も無事にチャコのお墓参りに行ってこれてひと安心しているところだ。

チャコの墓参りって、不思議と毎年快晴で青空が眩しい日になるのだ。

きっと彼女がそうしてくれているのかなって思ってしまう。


過去(10年ほど前)の掲示板を読み返してみると、チャコは母親の見舞いで蒲田の病院に毎週通っていた。

途中品川の乗り換えの際に、駅ナカでパフェや団子やうどんを食べてたようだ。

自分へのご褒美だったのだろう。


俺はいつも墓参りで川口に向かう時、京浜東北線の車窓からチャコも見ていたであろう景色をながめながら、青空の向こうにチャコを思い出し振り返るそんな一日になるのだ。


それぞれの心の中に、良い仲間と出会って、笑ったり泣いたりの優しい風の様な日々が残っているのだと思う。

その思い出の一つ一つが、きっと今まで生きてきた自分の中にあって、辛い事も何とか乗り越えて来れたのだと思うよ。

決して一人では生きて来れなかったんだよなぁ。


チャコの墓参りの後、川口駅周辺で皆で昼飲みしたのだが、相変わらず楽しかったなぁ。

普段は嫁さんと二人きりだから、たまに昔の仲間で色んな話をするととても活力になる。


俺は嫁さんとの介護生活もだいぶ慣れてきて、心の落ち着きもでてきた。

最初の頃は日々走り回り、自分の呼吸も苦しくなり、一旦冷静になり深呼吸をして自分を取り戻すことが多かった。

毎日生きていることに感謝する日々だ。

もし嫁さんが倒れなければ、そんなこと気がつかずに暮らしていたのだろうな。


嫁さんは元気だった頃、話すことを生業としていて、さだまさしの妹でシンガーソングライターの佐田玲子さんとのコラボを検討していたのだ。

俺はその計画を何度も聞いていて、陰ながら応援していたのだ。

いまでは幻のコンサートになってしまったが、嫁さんの心にはまだ諦めきれない夢として残っているようだ。


そんな訳で、今日の一曲目は佐田玲子さんの「くらやみ乙女」でスタートだ。

この歌は佐田玲子さんのデビュー曲で、中島みゆきさんに頼んで書いてもらった曲なのだ。


玲子さんの歌は兄貴の声を思わせる感じもあるが、そこに明るさと爽やかさが混ざっていると思う。

今は長崎でカフェをやりながら、ラジオやライブ活動をしている。

皆もぜひ聴いてみてくれ「予約席」「ひまわり」「友達として」など心に響くのだ。


話は変わるが先日神田の古本屋に行った時、昔の「平凡」や「明星」が売ってて、何気に見ていたら清水由貴子と高田みずえ、榊原郁恵の3人が表紙になっていたのだ。

思わぬところで清水の笑顔を見れて嬉しかったのだ。


後で知ったのだが、その頃の清水ってデビューしてから5年間でたった2日しか休みがなかったそうだ。

意外だったのが、仕事に行くのに電車を使っていて、時には肩にギター両手にバッグを持って現場に向かっていたのだ。


深夜に帰ると、テーブルの上に妹の良子さんが作ってくれた晩御飯に手紙が添えられていたそうだ。

それを読んで数時間寝て、また仕事場に向かっていたのだなぁ。

でも家の中では、いつも笑いが絶えずやはり太陽のような人だったらしい。

以前、神保町で彼女のファーストアルバム(LP)を見つけたのだけど、今思えばあの時買っておけばなぁと悔やまれるのだ。


俺の枕元には清水の本が置いてあり、朝起きるとその表紙の顔を見て「今日も一日よろしく」と挨拶して始まる。

これが最近のルーティンなのである。

嫁さんの介護生活に入ってからは、絵手紙をはじめ随分とこの本に元気をもらったのだ。


今思えば17歳位の青春時代って、愛とか恋とか憧れとか、そんなときめきに心揺れてた日々が幸せな時間だったんだな。

その時は、この恋が破れたら俺は死ぬしかないなんて、自分だけが悲劇の主人公になった気分でいたのだ。

あの時にしか味わえない心の痛みが、今となっては懐かしい良い思い出に変わる日が必ずくるのだ。


歳を重ねてくると、悲しいことや切ないこと色々経験値も増えてくる。

だから尚更あの頃の思い出が愛おしくなるのだなぁ。

最近はちょこちょこ昔の仲間との飲み会もあるが、そこでの笑いが日々の暮らしの癒しになるのだ。

皆には感謝しかないのだ。


まぁ他愛のないことを毎度書いているのだが、自分の思いを文字にすることで俺の心も救われたりするから不思議だ。

さぁ今はベーやんの「影ぼうし」が流れている。

「心の傷なら酒でもくらって、会いたい人がいるならその瞳を閉じて」

そう、そんな思いだ。


朝目覚めた時

「あー俺は今日も生きられるのか、なら一日気分よく生きて行こう」

そう思う。

そして一日の終わりに

「今日も俺は精一杯生きてきたんだ」

そんな事を思って明日へ向かう日々だ。


自分のことを責めず、もちろん周りの人も責めずに、一日無事に過ごせたら良し!

今はそれくらいの生き方で良いのではと思っている。


まぁそんな訳で「66歳、俺達の青春の旅」はまだまだ続くのである。

次回「僕にまかせてください クラフトの思い出の巻」に乞うご期待、じゃんじゃん!

春が近づいてきたのだ。

俺は相変わらず、仕事と介護に励んでいる。

介護は大変だけど、やり甲斐がある。

家の中に、会話があり、笑いがあるって事は素晴らしいことなのだ。


そんな訳で、先日の「50年目の俺たちの旅」映画会お疲れ様でした。

高校生のとき見ていたドラマだから、随分時が経ったものだなぁ。

出演者たちも50年歳をとったけれど、見ている我々も同じだけ歳をとった。

でもあの頃の仲間でこの映画を観ることに感慨深いものがあるのだなぁ。


そして映画だが、内容はどうであれ昔のシーンが沢山流れて懐かしかった。

劇中歌も「ただお前がいい」「しおさいの詩」「少しは私に愛をください」「白い一日」「めまい」など、バカみたいに一途に生きていた日々を思い出すのだ。


まぁ50年も経って再会して、それぞれが色々悩んだり切なかったりするのだから、きっと変わらない心ってあるのだろうな。

亡くなった役者さんも結構いて、食堂おかめのご主人名古屋章はともかく、ワカメ役の森川正太はこの映画に出て欲しかったなぁ。


ドラマの洋子は30年目のシリーズの時に亡くなったけど、洋子役の金沢碧さんはまだご健在のようだ。

やっぱり洋子の涙のシーンとかみると今でも心切なくなるよなぁ。


人はただ生きてるだけなのに、なんでこんなに様々なことにぶつかって悩んだり悲しんだりするのだろう。

最近は俺も朝目が覚めて「おっ、今日も生きているな、よしじゃあ今日一日は気分よく楽しく生きよう」そう思うようにしている。


自分たちも高校時代から50年の月日が経って、コロナも落ち着いて皆で会う機会も多くなった。

昔話を懐かしく語り、思い出が甦り、驚いたり切なくなったりしている。


そして新たにこの歳になってからの悩みや苦しみがあり、今はお互いにそんな話もできるようになったんだな。

俺も自分の心の叫びや思いを吐き出して、少し心が軽くなっている。

俺は弱い男だけど、いつも皆に助けてられている。

本当に感謝しかないのだ。


先日の森ちゃんと柿崎の涙を、俺は一生忘れられないだろう。

あんなに素敵な涙のシーンは良い映画を見ているようだった。

俺も自然に感動してしまい、止めようとしたが気がつくと次から次から流れてくる。

心に突き刺さるとそうなってしまうんだな。

とても良い時間をすごせたよ。


不思議と涙が出た後って、なぜか少しだけ元気がでてきたりする。

よし、また明日から頑張ってみようかって!

なんか人の悲しみに触れたりすると、今の自分の悲しみも何とか受け止められるような気がするのは俺だけだろうか。


今、小椋佳の「泣かせて」が流れてきた。

俺もちょっとペンを置いて泣くから許せ!

そんな日々だがなんとか生きている。


清水由貴子は絵手紙を書いていた。

一日に一枚書いていた。

彼女は花をテーマに書くことが多かった。


「植物は太陽の方へ向く、人間だってそうだ、元気がなくなった時こそお日様の方に向こう」

これは彼女の作品だが、俺から見れば、彼女自身が明るくて太陽の様に見えたよ。


この人生に「もしもあのとき」って思う事は沢山あるけど、もし今清水やチャコや橋本が生きていたら、一緒に酒飲んで笑ったり泣いたりしていたんだろうと思う事がある。

ついそんな夢のような事を考えてしまう。


いま俺たちの旅のテーマが流れてきた。

まだこの先もこの人生の旅を続けられるのなら、こんな俺でも人の心の支えに少しはなれるのなら、それだけで生きていく価値や意味はあるのかなと自問自答する俺なのである。


そんな訳で次回俺たちの旅

「春風の中 矢島の目にも涙」の巻に続くのだ


それじゃ今日のところはこの辺で勘弁してあげよう、じゃんじゃん!

こんな俺も66歳になってしまったのだ。

皆の衆、明けましておめでとう。

今年も仕事と介護に励み、たまに同級生の皆からパワーをもらえれば有難い。

よろしくお願いします。


今日なんぞは早朝に目が覚めてしまい「暴れん坊将軍」を見てしまった。

最近はBSで懐かしいドラマを放送していて「俺たちの旅」「キイハンター」「はぐれ刑事」をよく見ている。


先日、柿崎と毎年恒例になってる橋本の墓参りに高尾まで行ってきたのだ。

その帰りに大島の居酒屋で飲んだのだが、そこでも昔のテレビの話で盛り上がってしまったのだ。


その時、西郷輝彦が主演していた「どてらい奴」の話になり、主人公もうやんの奥さん役の女優が「梓英子」だと分かり、俺の長年の謎が解けたのだ。

そして今でも健在であることも分かりさらに感動してしまった。

もう亡くなっているものと勝手に思い込んでいたので安心した。

スマホのAIがしっかりと教えてくれたのだ。

凄い時代になったものだ(俺は使えないが)


ちなみにその梓英子さんは、俺のイメージの中では八木さんと百瀬さんを足し合わせたような人である。

この2人は俺にとっての永遠のアイドルであり、愛しい人達なのである。


もう一度見たいドラマは「飛び出せ青春」と「俺たちの朝」だ。

「飛び出せ青春」は太陽学園を舞台に、河野先生役の村野武範、そしてマドンナ先生が酒井和歌子、生徒は石橋正次、剛達人、保積ぺぺだ。

保積ぺぺは昔「まるでダメ夫」で主役を演じてた俳優だ。

とにかく面白いドラマだった。


そして「俺たちの朝」は鎌倉極楽寺で暮らす男2人女1人のドラマで、主演は勝野洋、小倉一郎、長谷直美だった。

オッスとチューちゃんとカーコの3人を中心に、離れに住む秋野大作のヌケと森川正太のツナギの5人が織りなす青春ドラマだ。

松崎しげるの主題歌も良かった。


このドラマに影響されて、俺たちは何度も極楽寺辺りをフラフラして安いアパートを探したりしていたのだ。

今考えれば、アルバイト代だけで暮らせるような街ではなかったのだな。


あの頃の鎌倉は人もまばらで、小町通りも源氏山も七里ヶ浜の海も静かで、いつも心地よい風が吹いていたような気がする。

今はあまりに人が多過ぎて、とても昔の風情を感じることが難しい。


この時代のドラマによく出ていたのが森川正太だ。

この人は「飛び出せ青春」では木次と言う生徒役。

俺たちシリーズではワカメ、ツナギと言う脇役なのだが、実に味のある俳優で面白い人だった。

残念ながら最近亡くなってしまったが、生きていれば今やってる「五十年目の俺たちの旅」にも間違いなく出ていたと思う。


あともう一度見たいドラマは石立鉄男シリーズだよなぁ。

「水もれ甲介」と「気まぐれ天使」だなぁ。


それと「好き好き魔女先生」

これは石ノ森章太郎先生が書いた漫画のテレビドラマ版だった。

主人公の月ひかる役の菊蓉子が可愛かったのだ。

残念ながら彼女は若くして亡くなってしまうのだが、生きていれば素敵な女優さんになっていたと思う。


先日「はぐれ刑事」シリーズに清水由貴子が出ていたよ。

あの頃の清水は歌の仕事から女優やバラエティに徐々にシフトした頃だと思う。


ラジオでも「かぼちゃワイド」って番組があって、相手役のトキちゃんと掛け合い漫才のような楽しい番組もやっていたのだ。

この頃の彼女は仕事と母親の介護でかなり大変だったと思う。


妹さんの書いた「介護うつ」を読むと、その時の気持ちがよく分かる。

彼女は絵手紙をやっていて、絵手紙の師匠に毎日1通作品を送っていたそうだ。

師匠の話だと、清水の作品は楽しくユーモアがあって優しいものが多かったそうだ。

絵手紙を書く事で、自分の悩みや寂しさを発散させていたのかもしれないと言っている。


作品はこんな感じだ

「植物は太陽の方へ向く、人間だってそうだ、元気がなくなった時こそお日様の方に向こう」

「梅雨の季節つつましやかに咲いた紫陽花、私の心を穏やかに癒してくれる」

「さりげなく風に揺れてるミヤコワスレ、小さくとも凛と咲く、あなたのように生きてみたい」


「父さん、一人で来てごめんね、母さんと良ちゃんと一緒じゃなくてごめんね、今日は二人きりでお酒が飲みたかったんだ」

もし父が生きていたら一緒にお酒を飲みに行ったり、私を叱ってくれるとよかったのにと思ったりすることはあります。

小学校時代はやはり寂しかった。

父の日は大嫌いでした。


これはこの作品を書いた時の彼女のコメントだ。

やはり早くに父親を亡くしたことが寂しかったんだろうな。


高校時代の清水には色々思い出がある。

参観日のときに俺の母親が下駄箱付近でウロウロしていたら、なぜか清水が「あれ?星野君のお母さんでしょう」とクラスまで連れてきてくれたのだ。

後で清水になんで俺の母だと分かったのか聞いたら「だって顔がソックリだったんだもん」と笑いながら言った。


またある冬の日、休み時間に皆でストーブを囲んで話していた時のこと。

誰ががイタズラで俺の背中を押したら、バランスを崩して無意識に俺の両手が清水の胸に当たってしまったのだ。

次の瞬間、彼女のビンタが俺の頬に飛んできたのだった。


彼女とは色々思い出があり、良いクラスメイトだった。

スタ誕に合格してデビューが決まり、だんだん会うたびにアイドルっぽく綺麗になって行くのを感じていた。


清水もスターになっていくのかなぁと、ちょっと寂しい思いで見ていたよ。

あいつの明るく元気な声はいつも俺を励ましてくれた。

今でもあいつの本を読んであいつの顔を見ると元気がでてくる。

感謝しかないのだ。


今日は朝3時に目が覚めて「暴れん坊将軍」を見て、朝ラーメンを食べて、5時からこの手紙を書き出して、気がつくともう8時だ。


ちょっとひと休みして、風の「君と歩いた青春」聴きながらコーヒータイムだ。

そしてアリスの「ジョニーの子守唄」を聴いて元気を取り戻したのだ。


まぁそんなわけで、今日も色々脱線してあれやこれや書いてしまった。

66年も生きていると色々な風景を思い出してしまい、心はとりとめもなくアチコチに飛んで行くのだ。

勘弁してくれぃ。


昔はそれこそ10代の頃って、いつか好きな人と毎日一緒にいられたら、もうそれだけで幸せになれると信じていた。

でももし長い年月が過ぎ、どちらかが先に逝ってしまい、どちらかが見送る立場になるっていうことに、そんな当たり前の事に今更ながら気がついた俺だよ。


そしてもしその時がきたら、2人で何十年も暮らしてきたのだから、2人分の思いを背負わなきゃならないんだよな。

そりぁキツイわけだよな。

と色んなことを考えてしまう俺なのである。


嫁さんの介護を一年以上続けて、自分自身も成長した。

自分を責めず、相手も責めず、人の意見に惑わされる事もなく、自分なりにフワフワと風のようにやっていきたいと思う今日この頃である。


清水の事を考えたり、橋本のお墓参りに行ったり、色々考えていくと、やっぱり人は皆一人では生きていけないものだなぁと思うのである(ふれあいより)

そんな事を悟った66歳の俺だ。


今シグナルの「20歳のめぐり逢い」が流れている。

改めて聴くと良い詩だ。

今思うと20歳なんて若かったんだなぁ。

あの頃の俺と今の俺は、きっと心の真ん中はあまり変わってないと思う。

ただ色んな人に出会い、様々な経験をつんで少しだけ心が成長したのかなと思う。


まぁ今日も徒然に心のままに書いてしまったが、いつもの事だと思って許してくれぃ。

とにかく天から与えられたこの命、可能な限り生きてみようと思う俺なのだ。


それでは長くなったので、ここら辺で勘弁してあげよう。

ではさらばじゃ。


次回「俺たちの旅 ささやかなこの人生の巻」に続くのだ。

新年会の連絡待ってるぞ。じゃんじゃん!





皆、元気か

永吉の快気祝いと、矢島の手術壮行会で、月島のもんじゃ屋に集合したのがつい先日のことだ。

皆それぞれに色々かかえているが、元気な顔を見れて安心したのだ。


俺はいま月島で働いているが、もんじゃは久しぶりで特に明太子美味かったなぁ。

もんじゃの後の2次会の前に、皆で懐かしい朝潮橋を渡ったのだ。


矢島なんかは45年振りの訪問だとかで、冥土の土産だと言って涙を流していたなぁ。

京商のあった場所で全員で写真撮って、長く生きてるとこんな幸せな瞬間がやってくるのだなぁ。

とても良い一日だったよ。


そんな訳で今日は「大島からの手紙 嫁さんへのラブレター」なのだ。

とりあえず1曲目は嫁さんの好きな昭和の歌姫、藤圭子の「命あずけます」で行ってみよう


うちの嫁さんが倒れてからもう1年半になる。早いものだ。

去年の6月5日(水)外出先の新宿京王デパートで倒れて近くの病院に救急搬送されたのだ。

この日のことは今でも鮮明に記憶している。


手術したが危険な状態になり、俺も何度も覚悟したのだ。

祈りが通じたのか危機を乗り越え、リハビリ病院に移ることができ、現在は家で俺が面倒を見る日々を送っている。


正直、介護の大変さを身をもって実感した。

色々な問題が一気に俺を襲ってきて、一度だけだが気がついたら包丁を握っていたことがあった。

介護に慣れるまでの2〜3か月はきつかったなぁ。


身体も辛いが心はもっと辛い。

そして先の見えない日々。

だんだん俺もイライラしてきて、怒りっぽくなってしまい血圧も200を超える日々だった。

このままだと俺の方がヤバいぞと感じた。


そんな時、清水由貴子の妹さんが書いた「介護うつ」の本を読んで、どれだけ励まされたか分からない。

清水は一生懸命に母親のために毎日を生きていたのだ。


彼女はほとんど1人でお母さんの面倒を見ていたのだ。

オムツ替えは一日5回以上やってたそうだ。

そして3度のご飯と、おやつ、薬を飲ませて、母親の横にソファを置き一日中つきっきりだったのだ。

恐らく寝る時間もたいしてなかったんだろう。


その中のわずかな時間で好きだった「五木寛之」や愛読書「小さな恋のものがたり」を読んで、心をリセットしていたんだと思う。

そんな清水の姿を想像しただけで俺は泣けてくるのだ。


あと彼女は「絵手紙」を趣味で書いていたんだ。

清水らしく、明るくて太陽のような光をくれる作品ばかり書いていた。

あとビックリしたのは、デビューしてから5年間で2日しか休みがなかったってこと。

早朝から深夜まであの頃のアイドルは、売れるために骨身を削っていたのだな。


その本の中で「明星1997年6月号」の記事があって

デビュー同期の榊原郁恵、高田みずえとともに初恋の思い出を語っている。

この3人はフレッシュ3人娘と呼ばれ、数々の新人レースで競い合ったと書かれてる。


そして清水の初恋の相手は、剣道部で生徒会副会長をやってた人だと告白している。

とてもあたたかい感じでステキだったと。

彼女は「私って、みつはしちかこさんのマンガみたいな明るくてほのぼのとした小さな恋が好きなの」と学生時代の思い出を語っていた。


そんな清水の言葉に元気をもらい、俺は朝目覚めると枕元のその本に向かい「今日も一日頼むぞ、皆を見守ってくれよ」と1日をスタートさせるのだ。


あと昔の京商の掲示板をよく読み返しているのだ。

今から10年ほど前は熊と柿崎とチャコの3人のつぶやきが多かったのだ。


熊は母の介護の真っ只中で、そんな中での仕事や日々の愚痴を書いていたよ。

チャコは毎週お母さんの見舞いに埼玉から京浜東北線に乗って、品川の病院までせっせと通っていたなぁ。

品川駅でうどんやパフェなどを食べて、息抜きをしてたのが伝わってくる。

柿崎もサラリーマンの日々を面白おかしく綴っていたのだ。


まぁあの頃は50代で皆元気だったんだなと、懐かしく読み返している。

そしてこの「大島からの手紙」は何と50才の時から描き始めたのだ。

いくつもの恋のバカ話を綴ってきたのだが、今それを読み返して自分の文で元気を取り戻し、勇気をもらってることに気がついたのだ。


高校時代は、いつか好きな人ができて、そして一緒になって家族を作って、それだけで幸せになれると思っていた。

そんな幸せな家族でも、いつかは別れのときが必ずくる事など全く気づかないでいた。


今、自分たちの現実にぶつかって、この先別れの時が来て、見送る時と見送られる時が来る。

俺たちもいつかは「その日」を迎えなければいけない。


先日朝ドラ「あんぱん」の最終回を観て気づかされた。

この命はたまたま天からもらったもので、いつか返す時がくるんだと。

だからこの時、この一日を大切に生きていけば、人生は淋しいものではないって。


今はこの世にいない清水や橋本、チャコや野中バー、でも俺が思い出せばそれで心の中では生きているのだ。

俺もこの歳になって、やっと生きてきた意味みたいなものが少しだけど分かってきたようだ。


俺の介護生活もやっと落ち着いてきた。

毎日穏やかに過ごせるようになってきたよ。

そしてそんな日々の中、一日に10回以上も嫁さんを抱きしめたり、手を握りしめたりしている。

2人で笑える時間を大切にして生きている。


朝「行ってらっしゃい」夜灯りのついた我が家で「お帰りなさい」の優しい声。

そんな人がいてくれる、こんな当たり前の日常が一番の幸せだったことに今更ながら気づいたバカな俺である。


自分が倒れるまでずーっと頑張って俺を支えてくれた嫁さん。

そんな嫁さんを俺は命ある限り守ると心に決めたよ。

「この人と一緒になれて良かった」と心から思っている。


皆もこれから生きてる限りは、お互いを大切に思えるようにして行こう!

じゃあ今日のところはこの辺で勘弁してあげよう。


次回「大島からの手紙 青春の坂道は切なくて」の巻に続くのだ。ジャンジャン!

そんな訳で、久しぶりの「大島からの手紙」なのだ。


嫁さんが倒れたあの日から早一年が経った。

何とも慌ただしい一年だった。

その節は同級生の皆や岡先生には大変お世話になってしまった。

皆のお陰でここまで何とかやってこれた。


今日は近況報告も兼ねてこれを書いている。

最初の頃は、毎日目覚めると今が現実なのか夢の中なのか分からなくなっていた。

冷静になって考えて、嫁さんは病院で戦っているのだとやっと気付く。

そんな毎日だった。

何だか自分の心がどこにあるのか分からない、そんな日々だったのだ。


今だから言えるけど、毎日夜も眠れず昼も眠くなくて、自分が生きているのか死んでいるのか分からないくらい朦朧としていた。

毎日、心が苦しくて切なくてただただ祈るような生活だったのだ。

嫁さんが無事なら、自分なんかどうなっても良いと思っていた。


そして半年間リハビリ病院でお世話になり、面会に行く度に打ちのめされたり、希望が持てたりと感情はいつも揺れ動いていたよ。

そして今は自宅での介護生活となり、まぁ色々葛藤しながら何とか過ごしている。

大変なことばかりだけど、嫁さんが家にいることが有難いのだ。


嫁さんがいなかった時の家は、帰っても真っ暗で空気も冷たかった。

仕事して帰宅して家に明かりが灯っていると、それだけで幸せだと思う。

「ただいま」と言って「おかえり」と言ってくれる、こんな当たり前の日常が尊いものだと気付かされたよ。


現在、嫁さんの頭と身体は色んなダメージが残っていて、不自由な生活をしている。

一人でできない事が沢山ある。

それでも生きててくれてありがたいと感謝する日々なのだ。


清水由貴子の妹さんの良子さんが書いた本を読んでいると、自分は何て心の小さい人間なんだと感じてしまうのである。

清水は母親の介護にどれほど追い詰められていたのか、今の俺には痛いほどわかる。

状況は違えど、心の葛藤や日々のストレス、出口の見えない戦いは相当な重圧だったのだろうな。


本の中で良子さんが「もしあの日晴れていたら、夕焼けに染まる富士山が見えていたら、姉は絶対に死ななかったはず。富士山がこんなに綺麗なのに申し訳ないなぁって思って、お姉ちゃんは自殺などしなかったはず」と書いている。

あの日の富士霊園は雨だったらしい。

自然の力って良いことも悪いことも人に影響を与えてるんだな。


この本に励まされて、何度となく元気をもらいこの一年乗り越えてきたのだ。

とにかく感謝の心で俺も嫁さんも生きている。


嫁さんはテレビで昔の番組をよく観ている。

「水戸黄門」「必殺仕事人」「はぐれ刑事」そして朝ドラ「あんぱん」を毎日見ながら笑ったり泣いたりして過ごしている。

そして俺はその笑顔を見て幸せを感じている。


とにかく俺は今出来ることはやる。

自分でベストをつくして、仕事も介護も精一杯やる。

今はそんな日常なのだ。


ドラマの話だけど「続続最後から2番目の恋」を見ているが面白いよなぁ。

鎌倉の景色がでてきて、極楽寺や江ノ島の風が感じられて良いのだ。

いつかは又行きたいと思っている。

あといつも考えるのだが「最後から2番目の恋」ってことはまだ最後の恋があるのかなぁって・・

まぁ俺の方は、今の嫁さんへの想いが「最後の恋」だと思う。


とにかくこの1年乗り切った自分を褒めてやりたい。

そして繰り返しになるけど、皆にも色々助けられて感謝の気持ちしかない。

本当にありがとう。


毎日暑い日が続いているが、そらそろ皆で会いたいと思う。

生ビールの季節なのだ。

俺たちもいつまで元気でいられるか、明日の事さえも分からないのだから。

話が纏まったら連絡してくれぃ。


よしじゃあ今日はこの辺で勘弁してあげよう。

次回「矢島豊、黄昏の恋に燃える」の巻なのだ。

さらばだ。じゃんじゃん!

そんな訳で「大島からの手紙〜ありがとう友よ!」の巻の始まりなのだ。


2024年12月7日(土)本来ならお昼過ぎの平和な午後のひと時であった。

その静寂の中、沢田の突然の出現により大島の平和は吹っ飛んだのである。


それが合図かのように、芳賀、柿崎、永吉、メメと次々に同級生達が我が家に集結したのだ。

そして何と担任の岡先生まで参上して、気が付けば総勢13人に膨れ上がり、我が家はさながらロックスターのLIVE会場のように賑やかで熱い風が吹き荒れるのであった。


そんな訳で、今日の一曲目は高橋真梨子の「フレンズ」で決まりなのだ。


それにしても沢田の料理は圧巻だった。

おいなりさん30個、サンドイッチ40個、ナポリタン、ニンニク焼きそば、ほうれん草胡麻和え、栗きんとん、小魚の炒め物、あっという間にそれらの料理がテーブルに並んで、クリスマスと正月が一気に来たようだったよ。


そして永吉特製の「砂町銀座直伝幻のモツ煮込」でとどめを刺すのであった。

しかし昔話ってのは次から次へと出てくるものなんだなぁ。

皆と懐かしい話をしているうちに忘れてた事を色々と思い出していたのだ。


芳賀は写真部部長という立場を悪用して、頼まれた女子の写真を撮って1枚千円で売っていたのだ。

矢島は意外にも卓球部で後輩にモテていたのだ。

デートも何度かしたり人生のピークだったのだなぁ。


永吉が「私は高校時代の思い出があまりない」と言っていた。

そんな永吉に岡先生は「昔のことをそんなに思い出せないって事は、今がそれだけ充実してるってことなんだ。それが一番幸せな事なんだ」ってさすがに長老は良いことを言うなぁ。


あと衝撃だったのは、エビちゃんが俺の憧れの八木さんと一緒にバイトしていたって話。

たしか亀戸の「花王石鹸」だったなぁ。

でもそれで俺の長年の謎が解けたのだ。

八木さんの側にいくと必ず「エメロンシャンプー」の良い香りがしてたのだ。

その真実に感動してしまった俺なのである。


そして本間の「おだまり!」は今なお健在だった。

久しぶりに聞いたが、高校時代のお黙りネェちゃんからパワーが全く落ちていなかった。

「本溜、腹出過ぎ、太り過ぎ、ちょっとは体重落としなさい!」ってバッサリ切ってしまうんだから。さすがでした。


そんな訳で今日の二曲目は小田さんの「やさしい風が吹いたら」で決まりなのだ。

心に響く一曲である。


そして種本の「宝島さん事件」もビックリだった。

テレビのニュースでは分からない事が聞けてとても興味深かった。

あんな殺人事件が身近で起こるなんて、恐ろしい時代なのだなぁ。


高校時代の話になると必ず富浦合宿の話題になってしまう。

クマが夜中に霊を見て叫び声を上げた話とか、隣の佐久間商店でジュースやアイスを買い食いした話だとか。

そして遠泳のときの氷砂糖一粒の美味さに感動していたとか。

まぁ思い出話につきないのだなぁ。


「男はつらいよ」の寅さんのワンシーンでこんなのがあった。

甥の満男が恋に悩んでいたときだ


「叔父さん、何のために人間って生きているのかな?」

「うーん、何て言うかな。ほら、ああ、生まれてきてよかったなって思うことが何べんかあるじゃない、ね。そのために人間生きてんじゃねえのか」


そしてさらに寅さんはこう言うのだ

「おい満男、どうしても辛くなったら空を見て俺の名を呼べ。そしたら叔父さんはどこからでも直ぐにお前の所に風のように飛んでくるから。だから大丈夫だからな」

と励ますのだ。


今回の一日は俺にとってはそんな一日になったよ。

俺の人生の中でも特別の一日になったよ。

これを書きながらも涙が溢れそうになる俺だけど、まだまだ頑張って生きていける気持ちになってきた。


今回の奇跡の一日はきっとチャコや清水由貴子など、今は亡き友達が会わせてくれたんだと思う。

集まってくれた皆に感謝しかないのだ。


岡先生、いつか皆で鎌倉、極楽寺に行きましょう。

矢島、俺たちには引き篭もってる時間なんてないんだから、もっと外に出て太陽の光を浴びよう。


芳賀、もう少しお腹を引っ込めないとダメだぞ。

本溜も少し減量しないと本間の「おだまり!」が飛んでくるぞ。


本間、話をしてくれてありがとう。

来てくれてありがとう。

沢田、料理すごかったよ。

種本、テニス頑張れよ。色んな話ありがとう。

エビちゃん、八木さんの話は感動したよ。来てくれてありがとう。


森ちゃん、熱いファンレターありがとう。

読んで元気をもらってます。

もらったお菓子とエイヒレは夜の酒のツマミに頂いています。

そしてこの「大島からの手紙」に切手を貼って送ります。


それからメメ。

戴いた野菜とシャインマスカット美味しかったです。

スポンジは週一回位で取り替えて使います。


やっぱり女性の目は凄いよなぁ。

そして永吉。

煮込やワインをありがとう。

トイレはトイレットペーパーに戻したからよろしく。

旦那さんにもよろしくね。


そして最後に柿崎。

何て言ったらいいか分からないけど・

心から笑ったり、喜んだり出来ない辛い日々が続く中で、皆を笑わせてくれて、俺を元気にしてくれて感謝しかないよ。


今日は皆に「ありがとう」を言っておきたくてこれを書きました。

ただただそれだけです。


と言うことで、今日はこの辺で勘弁してあげよう。

次回、大島からの手紙は「矢島の冬恋物語〜木枯らしの二人」に続く訳だ、じゃんじゃん!

これは大島からの最後の手紙になるかもしれない投稿なのだ。


今年の6月に嫁さんが倒れた。

脳内出血だった。

救急搬送され手術して命は助かった。

今はリハビリの日々を送っている。


現状は左半身麻痺で、自分で食べることも起き上がることもできない。

何とか喋ることはできるがとてもか細い声だ。

普段は我慢強い人なのだが、今は「もう死にたい」と口にするほどだ。


元々嫁さんは、話す事を生業としてる人なので、話す事のできない苦しみが俺には痛いほど分かる。

そして弱々しい声で、俺ともう一度大島の町を歩きたいと言う。


あの日から俺はずーっと泣いている。

夜一人で酒を呑んで、懐かしい歌を聴いてると涙がこぼれてくる。

そんな日常である。


思えばこんな俺と30年も一緒に暮らしてくれて感謝しかない。

俺一人だったらここまで生きて来れなかったと思う。


若い頃、いつか好きな人と結婚して一緒にいられたらそれだけで幸せだろうと思っていた。

その時は考えもしなかったけど、夫婦になって歳を重ねていけば、いつかはどちらかがどちらかを見送る時が来るのだと。

そんな事に今更気づいたバカな俺なのだ。


これを書いてたら、また泣けてきた。

今まで沢山の恋をして、失恋した。

その度に苦しくて悲しんだ日々の思いを全部足しても、この今の悲しみは大きすぎる。


昔の同期の掲示板で、チャコや熊が親の介護のことを語り合っていた事を思い出した。

その時チャコが言った「生きてるだけで感謝です」

チャコともう一度会いたいなぁ。

彼女の笑顔とその言葉に励まされてる俺なのだ。


時間があれは面会に行っている。

その度に「大丈夫だ、また一緒に大島神社にもダイエーにも行けるから、大丈夫、大丈夫」と声をかける。

それは自分に対しての大丈夫でもあるのだ。


そして帰り道、夏の雲をボーっとみながらただ泣けてくるのである。

俺はこんなに泣き虫だったかなと思う。


皆、今自分にとって大切な人が側にいるのなら、その一緒にいる時間、かけがえのない時間を大切にしてほしい。

俺も明日を信じて前を向いて歩き出そうと思う。


柿崎の家も同じ様な状況である。

嫁さんは柿崎の奥さんのことをいつも心配していた。

まさか自分が同じ状況になるとは夢にも思ってなかった。

お互い大変だけど、今度会う時は笑顔で会おう。


同期会も流れてしまって残念だったな。

同期の仲間や先生と会える時間は大切にしたいと思っている。

そんな日が来る事を信じて、今日も何とか生きている俺なのだ。


ではサラバじゃ


チャコの訃報は本当にショックだった。
しかしその気持ちは俺ら同級生だけではなく、担任の先生も同じ思いだったのである。

そんな訳で、岡先生と熊を中心に行われた「チャコを偲ぶ会横浜編」に参加してきたのだ。
熊の職場の都合で少人数での開催となったのだが、高齢者相手の仕事なので仕方のない事である。

俺にとっても、久しぶりの岡先生や熊との再会は嬉しかったのだ。
先日の墓参りの後の飲み会(上野編)に続き、これまたチャコのお蔭と感謝しているのだ。
横浜で中華を食べながら、懐かしい話で盛り上がりそりゃ大変だったのだ。
話してるうちに当時は知らなかった真実が明らかになっていった。

まず俺が一番驚いたのは、あの時の岡先生は36歳で俺たちと一緒の時に赴任してきたという事だ。
思っていた年齢よりもかなり若かった(髪の毛のせいだろうか)
そして岡先生はなぜかテニス部の顧問を引き受けることになった。

岡先生によると、春のうららかなある日、職員室の窓からボーっとテニスコートを眺めていたらしい。
誰を見ていたかは分からないが、その視線に気が付いたテニス部のキャプテン、そうあの八木先輩がそれに気づき、顧問をお願いしに直談判したらしい。
この人ならテニス部を上手くまとめてくれると思ったのか、はたまた明るく楽しい風を送ってくれると思ったのだろうか。
いずれにせよ八木さんの行動力は凄かったのだな。

岡先生はそんな八木先輩の熱い思いを察して「よし分かった、俺が命を懸けてテニス部を守ってやるぞ」と話が付いたそうだ。
きっと岡先生も八木さんの美しさと強さに参ったのだろうな。
八木さん信者の俺だから分かるのだ。

まぁそんな訳で、俺たちテニス部一年の春は始まったのだった。
森ちゃんが言うには、八木さんは「愛と誠」映画版でデビューした早乙女愛に似てると言っていたが、なるほど良い線をついていると感心した。
しかし付け加えるなら、そこに「オリビアニュートンジョン」とヤクザ映画の女渡世人「富司純子」を足してもらいたいわけだ。
まぁそれくらいあの頃の八木さんはかっこよかったのだ。

そういえば「愛と誠」は漫画も良かったが、映画とテレビ版もあったんだな。
映画は西城秀樹と早乙女愛で、テレビは確か夏友介と池上季実子だった。
少し物語を話すと、小さい頃スキー場で愛が滑りすぎて危険なときに、誠が身を挺して愛を助けた。
その時にできた誠の額の傷を、愛はずーっと引きずって生きていくのだ。

そして二人の運命は「悪の花園」と呼ばれた不良高校での再会によって動き出したのだった。
番長がいたと思ったら、さらに影の大番長もいて、最終的にはラスボスも現れて。
なかなか感動的なラストに向かって走って行くわけだ。

あと生徒会長の岩清水もまた良いのだ。
決め台詞は「早乙女君、君の為なら死ねる!」
と、どんな時でも愛のために命を懸けるのだな。

ちなみに岩清水は我々の生徒会長の芳賀君に似ているのだ。
しかし芳賀君と言えば、好きな子にやっと告白するかと思いきや、好きだとは言えず「ちょと友達に頼まれたから写真撮らせて」なんて言ってしまうのだ。

話はそれてしまったが、もし読んでない人がいたら絶対に読んでおきなさい、心から泣けるから、じゃんじゃん!
そんな春の始まりだったが、またまた森ちゃんが語ってくれた「卓球部恋愛塾」の話によると、そのころ矢島も恋をしていたそうだ。

卓球部の後輩に惚れて、とうとう初デートにこぎつけたそうだ。
初デートは遊園地に行き、一つ乗り物に乗る度に「楽しかった?」って何度も聞いてしまい、最後には後輩の子も気持ちが引いてしまったそうだ。
そしてとどめは別れの握手を求めたら、彼女の目には涙が溜まっていて、そのまま二人は心切なく家路についたのだそうだ。

そして矢島はその失敗デートの顛末を森ちゃんに正確に報告してくるのだ。
「何かまずい事したのかな俺?」という矢島に「いちいち私に聞くな!自分で考えて反省しなさい!」と心で思ったが、口では「次はきっと大丈夫だから」と慰めていたらしい。

あの頃の矢島は確かに細かかった。
俺も矢島に相談された記憶がある。
矢島はとにかくきちんとデートをしなければいけないと思い込んでいたのだ。
何時に電車に乗って、何時に遊園地に着いて、乗るものの順番も決めて、お昼はどこで何を食べるかまで決めていたのだ。

そんな彼が考えた決めゼリフは「楽しかったかい?」だったのである。
別れ際には、握手でニコッと笑って「今日は楽しかったね、ありがとう」と言う。
こうして初デートは大成功、スキップランランで家路に着く予定だったのだが、思い通りに行かないのが現実の厳しい所なのだ。
まぁそんなこともあり、矢島の恋ははかなくも散っていくのであった。

実はその頃、俺も卓球部の後輩に惚れてしまっていたのだ。
俺の場合はその子が「もし先輩が卓球部にいてくれたら嬉しいな」の一言でテニス部を辞めて卓球部に移ったのだ。
これがあの卓球部3日移籍事件だ。

それにしても卓球部の練習は厳しかった。
晴海ふ頭で腕立て100回、腹筋100回、スクワット100回とか、それを夏の炎天下であの変わった掛け声でやるのだ。
卓球部に移籍して3日後には腹筋のやりすぎでお尻の皮が剥けて出血して、俺の身体はボロボロになってきた。

その時、俺はふと考えたのだ。
あの子が好きだからと言って、何もテニス部を辞めなくても良いんじゃないかと。
気持ちはどこにいようと同じなのだからと。
そこに気が付いた俺は、3日後にめでたくテニス部に復帰したのだった。

その後、彼女とは何度か話をした。
すると彼女は中学の時から付き合ったり別れたりを繰り返してる彼氏がいると言った。
その彼のことが心にあるから、スッキリ俺と付き合う訳にはいかないと言った。
さらに詳しく聞くと、その相手は何と俺の中学時代の同級生で空手の有段者でちょっとヤバい奴だった。

さすがの俺もちょっと躊躇してしまったが、彼女ことが諦めきれずバカな俺は「通信空手」に申し込んだのだった。
空手で勝負しようと考えたのだろうか。
教本の通りに毎朝5時に起きて、毎日1時間突きと蹴りを部屋の壁に向かって始めた。
さらに拳を鍛えるために、コーラの瓶をタオルで巻いて殴り続けた。
今冷静に考えると全く無茶でバカなお話なのだ。

そんな日々を重ねて、さぁそろそろ告白しようかと思った矢先「私は星野先輩とは付き合えない」と彼女に言われてしまった。
さらに自分の友達で俺の事を想ってくれてる人がいるから、その人たちを誘って話をしてあげてくださいって。
そして彼女は最後に「今まで色々話を聞いてくれてありがとうございました」そう言い残して去っていったのだった。
こうしてタケシの「ひと夏の経験」は波の音と共に消えていくのだった、じゃんじゃん!

そして話題は冨浦合宿に移るのである。
あの恐怖の一夜の真相を熊が語ってくれた。
恐怖の一夜とは、熊が夜中急に叫んでパニック状態になった事件である。
その時は大石先生が一晩付き添ってくれたらしい。

熊によると、夜中にふと誰かに見られてるような気がしたという。
目を開けると、カヤの上から老婆が熊を睨んでいた。
それで怖くて怖くて叫んでしまったのだそうだ。
ちなみに熊の寝ていた場所は、前年度の先輩も同じことがあったらしい。

遠泳の話も懐かしかったなぁ。
せっかくもらった氷砂糖を口に含んだと思ったら海中に落としてしまったり。
しょっぱい海水を何度も飲んで、やっとの思いでゴールしたのを思い出した。
先生の話を聞くと、引率した先生たちも大変だったんだな。

あとは熊が文化祭でピンクレディに変身した話。
たしかに熊のピチピチの網タイツ姿を思い出した。
顔も化粧して結構真剣にやってたよなぁ。

体育祭は男全員で挑んだ「えっさっさ」
応援団みたいな声上げてやっていたな。
あれは大石先生の肝煎りってやつだったのだ。
そんな懐かしい話がどんどん出てきて、記憶が蘇る楽しい時間だった。

でもあの時に出会い別れたやつらも沢山いる。
中にはそのまま卒業後結婚していまだに続いてるカップルもいるのだから、やはり何か縁みたいな物を感じるのだ。
振り返っても50年だぞ。
そこに朝潮橋があって、3年間その橋を渡って毎日皆同じ風に吹かれて、笑ったり泣いたりして過ごしてきたんだ。
もちろんそこにはチャコの笑顔が間違いなくあった。
それだけは忘れてはならない事だと思う。
懐かしい話は尽きないのだが、続きはまた次回という事で。

その後、中華料理屋を後にした一行は、自然とカラオケ屋さんに入るのだ。
岡先生の「高原列車は行くよ」を皮切りに、昭和歌謡のオンパレードに突入するのである。

「俺たちの旅」ではドラマの映像が流れてた。
カースケ、オメダ、ぐずろく、ワカメが画像に出てくるのだ。
歌と共に青春が蘇ってきた瞬間だった。

メメの「青春の坂道」も懐かしくて良かった。
岡田奈々の当時の映像が流れて、思わずグリコポッキーのCMを思い出す俺であった。
俺も「君と歩いた青春」を歌いながら、17歳の俺に戻っていたのである。

岡先生の「黄昏のビギン」や「また逢う日まで」も良かった。
岡先生の明るい人柄とゆるい空気感がまた良いんだよな。
改めて岡教室は最高だったんだなと実感する。

そしてカラオケは佳境に入っていく。
熊の「糸」も絡みつくようで良かったが、圧巻はメメの「タッチ」だ
昔、砂町銀座の入り口にあった喫茶店「南風」を思い出した。
今はもう無いんだろうな。
あだち充の漫画ではタッチも好きだが、一番好きなのは「陽当たり良好」だな。
ドラマも見たけど良かったよなぁ、あの時代のテレビ。

「俺たちの朝」を見て、極楽寺周辺に住もうって柿崎と不動産屋さん巡りをしたっけな。
毎日、鎌倉の海の夕陽を見て暮らせたら最高だなって。
まったく何を考えていたんだろうかね。

まぁ今日もダラダラと書いてしまったが、こんな昔話を書けるのはここしかないので勘弁してくれ。
では最後チャコに中島美嘉「雪の華」を送ろう。
俺もあの日から同じ悲しみを背負って生きていると伝えたい。

今日はこの辺で勘弁してあげよう。
次回は「22歳の別れ再び編」につづくのである、じゃんじゃん!








そんな訳で「大島からの手紙」今年一回目の出番なのだ。


まずはチャコの事だなぁ。

ちょうど去年の今頃チャコはこの世を去ってしまったんだよな。

12月に皆で墓参りに行ってきた。

季節外れの暖かい春のような陽気で、チャコの笑顔のように明るくて穏やかな時間だったよなぁ。


高校時代のチャコは、いつも周りの空気をパーッと明るく楽しくさせてしまう人だった。

そして太陽のような笑顔で皆の心を掴んで和ませてくれたよ。

お弁当の時間になると永吉とか種本と机を引っ付けて、いつものお弁当グループでワイワイガヤガヤやっていた。

何がそんなに楽しいのかと、俺とか熊はその光景を横で眺めていたっけな。


あの頃から50年弱の時が過ぎていった。

いつかは皆ともこんな別れの時が来るとは分かっていても、いざその日が来るとこれほど悲しい気持ちになってしまうとは・・

生きていくって事は「出会う事」と「別れていく事」と誰かが言っていたが、それを分かっていても心は淋しさ色で一杯一杯だ。


こんな風に思い出として心に響いてしまうという事は、きっと高校時代に良い出会いをしてきたからだろうと思う。

あの頃はそんな事さえ分からず、ただただ毎日教室の中で笑い合ったり、喧嘩したり悩んだりしてたけど今ハッキリ分かったよ。

あの日皆と出会ったって事は、運命とかそういう巡り合わせだったんだなと。


今俺は心のままにこの文章を書いているが、確かに素晴らしい時間だったんだなと改めて実感した。

チャコの死を受けて皆もきっと同じ気持ちでいるし、いつまでも彼女の眩しい明るい笑顔を忘れられないのだ。

お墓参りの後、皆で献杯して語り合ったが、全員が同じ気持ちであったことは言うまでもない。


そのお墓参りの時に京浜東北線に乗った。

チャコはお母さんの介護施設へ川口から川崎までの長い距離を頻繁に通っていたのだ。

俺はそのチャコが見ていたであろう車窓の景色をボーっと眺めていたのだ。

そして心の中で「チャコ、色んな思い出を作ってくれてありがとう。俺も生きてる時間はベストをつくすよ」と思ったのだった。


そのチャコのお母さんは、チャコが亡くなるわずか一ケ月ほど前に亡くなったらしい。

何とも切ない話である。


最近特に有名人の訃報を聞くが、あの人はこんなにも俺の心を勇気づけてくれていたのかぁと思い知らされる事が多いよ。

俺が高校時代に憧れて毎日レコードを聴いていたオリビアニュートンジョンが亡くなった時はショックだった。

この人の歌に何度も元気や勇気をもらっていたから。


そして谷村新司さんの死もやはり同じ思いにくれたのだった。

もちろん二人とも会ったことも話したことも無いけど、同じ時代を生きてきた感覚があるのだなぁ。

きっとこれからもこんな別れの時はやってくるのだろうが、その時は心のすべてを受け止めて行こうと思う今日この頃の俺なのだ!


こんな時は松山千春の「大空と大地の中で」を聴きたくなる。

「しばれた身体を温めてー」とか「野に育つ花ならば力の限り生きてやれー」とか心に染みるんだよなぁ。


この松山千春を始め、さだまさし、アリス、チューリップ等々は若いころから数えきれないほど聴いてきた歌だ。

でも今も立ち止まったり、悩んだりしたときに再び懐かしい歌を聴いて、明日に向かっていく俺なのである。


今の時代、自然災害が多発してるがそんな時だからこそ今日という一日を精一杯生きることが大事なんだと思う。

森ちゃんに聞いた「東日本大震災」の出来事も、一人の人生に大きく関わってくるのだろうと思うと尚更である。


そして人ってやっぱり実際に会って会話したり笑ったりできる事がとても幸せな事だと今さらながら分かるのだ。

人は皆一人では生きていけないものだからby中村雅俊


そんな訳で、今日はこの辺で勘弁してあげよう。

また皆で会える日を楽しみにしているよ。

さらばじゃ。

そんな訳で、星野武志、63歳!
今日も何とか生きています。
「大島からの手紙 あじさい色の恋」の巻の始まりだ

俺がこの手紙を書くときはいつも音楽をかけているのだが、今日は昔買った懐かしいレコードを聴いている。
1枚目はグレープの「せせらぎ」というアルバムだ。
「ほおづき」「朝刊」「追伸」「シンフォニー」等グレープ時代の名曲がたくさん入ってるアルバムだ。

コロナ時代になって、もうあっという間に3年の月日が経ってしまった。
こんなに皆に会うことが出来ない日々が来るとは思ってもいなかったよ。
俺も日々懐かしの月島に元気に通っているぜ。

考えれば不思議な感じだ。
京商時代はバス通学だったのだが、今は地下鉄電車に変わった。
何が違うかと言うと、やはり外の景色が見れないところだ。
やっぱりバスは街の風景が流れていくのが良いんだよなぁ。

そうなんだ、あの頃は門仲に近づくといつも胸がドキドキしたんだ。
門仲のバス停から毎日あの人は乗ってきたんだ。
あの人とは俺の京商時代を語るうえで忘れられない人「八木先輩」のことなのだ。

高校に入学して、4月のクラブ説明会でいきなり心を持って行かれた。
そして5月の今頃はバス通学であの人と同じバスになることが幸せだったのだ。
たぶん3回に1回くらいの確率で同じバスになった気がする。

不思議なのだが、門仲のバス停に大勢の人が並んでいても、八木さんがいると瞬時で見つけることができた。
さらに運よくバスの中で話すことが出来、さらに幸運だと学校まで話しながら二人だけで通学することもあったのだ。

その時何を話したかは今では思い出せないが、とにかくその間は俺にとっては感動の時間だったのだ。
でもいつもそう上手く行くわけもなく、大抵門仲から乗ってくるのは葛西方面からくるクラスメイトで、それはそれでバカ話をして楽しかったのだ。

そんな俺の1年の頃の高校生活だ。
その頃の放課後は真面目にテニス部の練習に出ていた。
毎日ダッシュ、腕立て、腹筋、背筋、スクワット、さらに素振り100回と本当によくやってたよ。
そして先輩が出してくれるボールを走って打つ打ち込み、テニスでは基本のサーブ、レシーブ、ボレー、スマッシュと続いていくわけである。
日も暮れていき最後に「今日も一日ありがとうございましたー」と挨拶して終わるのだ。

あの時のテニス部の1年男子は、俺、橋本、一志、石黒、村、丸山の6人。
今思えば皆揃って汗流してた良い時間だった。
橋本もまだ真面目にテニスをしていたころだった。
まぁそれでも色々いたずらはして騒いでいたが、まだまだ可愛い高校1年生だったよなぁ。

夏の暑い日は練習後「大黒屋」で食べるヤキソバ、ラーメン、かき氷、あんみつ、それが楽しみで頑張っていたのだ。
そんな時はOBの先輩らがよくご馳走してくれた。
それで普段は話せないようなことを、あの大黒屋のベタベタした畳の部屋で取りとめもなく話していたのだ。

楽しい事だらけの日々だったが、橋本の死も確かにあって、それだけは今も忘れられない悲しい出来事だった。
でも本当に良い青春時代だったと思える。
それはあの時に京商にいたという奇跡だったんだと思うよ。

まぁそんな日々の中で、俺はますます八木さんが好きになっていくのだなぁ。
ただひたすらに八木さんを見ていたんだなぁ。
そんな八木さんとの記憶で今でも鮮明に覚えていることがある。

ある夏の日、なぜか俺と八木さん二人だけで帰ることになった。
二人で門仲までバスに乗った。
なぜかその時のバスはガラーンとしていた。
窓際に八木さんが座って、その隣に俺が座った。
窓が半分開いていて、たしか相生橋を渡ったときのことだ。
風が強く吹いてきて、八木さんの髪が俺の顔にフワッとかかったのだ。

何とも言えない爽やかな香りがして、俺の心の中はドキドキしっぱなしだったのだ。
まぁよくある「風のいたずら」ってやつだなぁ。
そして門仲で降りると八木さんが「星野君、あんみつでも食べていこうか」と言った。
もちろん俺は二つ返事で「はい喜んで」と返事して、富岡不動尊の入り口にある「伊勢屋」に入って「クリームあんみつ」を食べたのだ。
八木さんと色々他愛もない話をしたのだが、それがとにかく楽しくて舞いあがった高校生の俺なのであった。

あとはっきり覚えているのは、その時その店のテレビで「パパと呼ばないで」が放送されていた。
あの石立鉄男が「ちー坊」と言うセリフが有名なドラマだ。
そんなことも含めて、あの日の夕暮れ時の帰りの光景は、今でも俺の心の中に輝いているのである。

今はそんな昔の思い出があった場所、門仲、月島、朝潮橋のある青春の地に仕事で毎日通ってることが不思議でしょうがないんだなぁ。
まぁ今日も長々と昔話をしてしまったが許せ。
今年こそ皆で会えるといいなぁ。
そんじゃらば今日はこの辺で勘弁してあげよう、じゃんじゃん!

次回は「大島からの手紙 夏の日の恋2023」に続くのだ