大島からの手紙・・最終章 | 大島からの手紙

大島からの手紙

大島からの手紙

これは大島からの最後の手紙になるかもしれない投稿なのだ。


今年の6月に嫁さんが倒れた。

脳内出血だった。

救急搬送され手術して命は助かった。

今はリハビリの日々を送っている。


現状は左半身麻痺で、自分で食べることも起き上がることもできない。

何とか喋ることはできるがとてもか細い声だ。

普段は我慢強い人なのだが、今は「もう死にたい」と口にするほどだ。


元々嫁さんは、話す事を生業としてる人なので、話す事のできない苦しみが俺には痛いほど分かる。

そして弱々しい声で、俺ともう一度大島の町を歩きたいと言う。


あの日から俺はずーっと泣いている。

夜一人で酒を呑んで、懐かしい歌を聴いてると涙がこぼれてくる。

そんな日常である。


思えばこんな俺と30年も一緒に暮らしてくれて感謝しかない。

俺一人だったらここまで生きて来れなかったと思う。


若い頃、いつか好きな人と結婚して一緒にいられたらそれだけで幸せだろうと思っていた。

その時は考えもしなかったけど、夫婦になって歳を重ねていけば、いつかはどちらかがどちらかを見送る時が来るのだと。

そんな事に今更気づいたバカな俺なのだ。


これを書いてたら、また泣けてきた。

今まで沢山の恋をして、失恋した。

その度に苦しくて悲しんだ日々の思いを全部足しても、この今の悲しみは大きすぎる。


昔の同期の掲示板で、チャコや熊が親の介護のことを語り合っていた事を思い出した。

その時チャコが言った「生きてるだけで感謝です」

チャコともう一度会いたいなぁ。

彼女の笑顔とその言葉に励まされてる俺なのだ。


時間があれは面会に行っている。

その度に「大丈夫だ、また一緒に大島神社にもダイエーにも行けるから、大丈夫、大丈夫」と声をかける。

それは自分に対しての大丈夫でもあるのだ。


そして帰り道、夏の雲をボーっとみながらただ泣けてくるのである。

俺はこんなに泣き虫だったかなと思う。


皆、今自分にとって大切な人が側にいるのなら、その一緒にいる時間、かけがえのない時間を大切にしてほしい。

俺も明日を信じて前を向いて歩き出そうと思う。


柿崎の家も同じ様な状況である。

嫁さんは柿崎の奥さんのことをいつも心配していた。

まさか自分が同じ状況になるとは夢にも思ってなかった。

お互い大変だけど、今度会う時は笑顔で会おう。


同期会も流れてしまって残念だったな。

同期の仲間や先生と会える時間は大切にしたいと思っている。

そんな日が来る事を信じて、今日も何とか生きている俺なのだ。


ではサラバじゃ