そんな訳で「大島からの手紙」今年一回目の出番なのだ。
まずはチャコの事だなぁ。
ちょうど去年の今頃チャコはこの世を去ってしまったんだよな。
12月に皆で墓参りに行ってきた。
季節外れの暖かい春のような陽気で、チャコの笑顔のように明るくて穏やかな時間だったよなぁ。
高校時代のチャコは、いつも周りの空気をパーッと明るく楽しくさせてしまう人だった。
そして太陽のような笑顔で皆の心を掴んで和ませてくれたよ。
お弁当の時間になると永吉とか種本と机を引っ付けて、いつものお弁当グループでワイワイガヤガヤやっていた。
何がそんなに楽しいのかと、俺とか熊はその光景を横で眺めていたっけな。
あの頃から50年弱の時が過ぎていった。
いつかは皆ともこんな別れの時が来るとは分かっていても、いざその日が来るとこれほど悲しい気持ちになってしまうとは・・
生きていくって事は「出会う事」と「別れていく事」と誰かが言っていたが、それを分かっていても心は淋しさ色で一杯一杯だ。
こんな風に思い出として心に響いてしまうという事は、きっと高校時代に良い出会いをしてきたからだろうと思う。
あの頃はそんな事さえ分からず、ただただ毎日教室の中で笑い合ったり、喧嘩したり悩んだりしてたけど今ハッキリ分かったよ。
あの日皆と出会ったって事は、運命とかそういう巡り合わせだったんだなと。
今俺は心のままにこの文章を書いているが、確かに素晴らしい時間だったんだなと改めて実感した。
チャコの死を受けて皆もきっと同じ気持ちでいるし、いつまでも彼女の眩しい明るい笑顔を忘れられないのだ。
お墓参りの後、皆で献杯して語り合ったが、全員が同じ気持ちであったことは言うまでもない。
そのお墓参りの時に京浜東北線に乗った。
チャコはお母さんの介護施設へ川口から川崎までの長い距離を頻繁に通っていたのだ。
俺はそのチャコが見ていたであろう車窓の景色をボーっと眺めていたのだ。
そして心の中で「チャコ、色んな思い出を作ってくれてありがとう。俺も生きてる時間はベストをつくすよ」と思ったのだった。
そのチャコのお母さんは、チャコが亡くなるわずか一ケ月ほど前に亡くなったらしい。
何とも切ない話である。
最近特に有名人の訃報を聞くが、あの人はこんなにも俺の心を勇気づけてくれていたのかぁと思い知らされる事が多いよ。
俺が高校時代に憧れて毎日レコードを聴いていたオリビアニュートンジョンが亡くなった時はショックだった。
この人の歌に何度も元気や勇気をもらっていたから。
そして谷村新司さんの死もやはり同じ思いにくれたのだった。
もちろん二人とも会ったことも話したことも無いけど、同じ時代を生きてきた感覚があるのだなぁ。
きっとこれからもこんな別れの時はやってくるのだろうが、その時は心のすべてを受け止めて行こうと思う今日この頃の俺なのだ!
こんな時は松山千春の「大空と大地の中で」を聴きたくなる。
「しばれた身体を温めてー」とか「野に育つ花ならば力の限り生きてやれー」とか心に染みるんだよなぁ。
この松山千春を始め、さだまさし、アリス、チューリップ等々は若いころから数えきれないほど聴いてきた歌だ。
でも今も立ち止まったり、悩んだりしたときに再び懐かしい歌を聴いて、明日に向かっていく俺なのである。
今の時代、自然災害が多発してるがそんな時だからこそ今日という一日を精一杯生きることが大事なんだと思う。
森ちゃんに聞いた「東日本大震災」の出来事も、一人の人生に大きく関わってくるのだろうと思うと尚更である。
そして人ってやっぱり実際に会って会話したり笑ったりできる事がとても幸せな事だと今さらながら分かるのだ。
人は皆一人では生きていけないものだからby中村雅俊
そんな訳で、今日はこの辺で勘弁してあげよう。
また皆で会える日を楽しみにしているよ。
さらばじゃ。