私「洋ちゃん」は、
東区東桜学区内に55年間住んでいました。
学区内にあった町名のほとんどは表示変更により消滅しています。
幼少の頃に馴染んだ町名に思い出が多々あります。
懐かしみながら、
東桜学区内の旧町名の由来をボツボツ・シリーズで調べています。
その10…旧、東区久屋町の町名の由来
「昭和25年発行・最新名古屋市全図」よりスキャン↓
↓ひがし見聞録より引用
↓東桜開校五十年記念誌より
「久屋大通」の通称名や地下鉄の駅名によって、「久屋」の名が恒久的に保存されることとなる。
↓Wikipediaより転用
久屋町(ひさやちょう)は、東区および中区の地名。久屋町8丁目6番地のみが現存する。
(付記)東区久屋町8丁目6番地には、
日本キリスト教団・名古屋中央協会が建つ。
↓✙の場所が東区久屋町8丁目6番地
👅町名の由来
当初は干物町と称していたが、初代尾張藩主徳川義直が当地を通過した際、末代まで繁栄する場所であるという意味を込めて命名したものであるという。
👅沿革
1878年(明治11年)12月- 名古屋区成立に伴い、同区久屋町となる。
1889年(明治22年)10月 - 名古屋市成立に伴い、同市久屋町となる。
1908年(明治41年)4月 - 東区成立に伴い、同区久屋町となる。
1911年(明治44年)11月 - 東区南久屋町の全域を編入する。
1944年(昭和19年)2月 - 栄区成立に伴い、同区久屋町となる。
1945年(昭和20年)1月 - 栄区廃止に伴い、中区久屋町となる。
1946年(昭和21年)4月 - 東区に編入され、同区久屋町となる。
1966年(昭和41年)3月 - 1〜4丁目が中区丸の内三丁目、
4〜8丁目が中区錦三丁目に編入される。
1976年(昭和51年)1月 - 東区武平町の一部を編入する。
また、一部が泉一丁目・東桜一丁目となる。
↓東区史よりスキャン
デジカメ
↓私「洋ちゃん」所有の『尾張名陽図絵』よりスキャン
(特記)
「東桜学区内の旧町名の由来」について
(参考)
(22,503歩)