「咬んだり刺したりするカフカの『変身』」8回目!月刊『みすず』12月号が刊行されました | 「絶望名人カフカ」頭木ブログ

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文学紹介者です(文学を論じるのではなく、ただご紹介していきたいと思っています)。
本、映画、音楽、落語、昔話などについて書いていきます。

月刊『みすず』12月号が刊行されました!

 

「咬んだり刺したりするカフカの『変身』」

という連載をさせていただいています。

 

隔月連載で、

第1回が2020年8月号

第2回が2020年10月号

第3回が2020年12月号

第4回が2021年4月号

第5回が2021年6月号

第6回が2021年8月号

第7回が2021年10月号

そして第8回が掲載された2021年12月号が刊行されました!

 

 

 

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今回の「原文」「英訳」「邦訳」

 

連載中でスローリーリーディングした箇所の

「原文」「英訳」「邦訳」です。

英訳は最も普及している David Wyllie 訳(2002年)、

邦訳は青空文庫の原田義人訳(1960年)です。

(私の新訳は連載のほうに掲載してあります)

 

※長いので、別にして、このブログのひとつ前のブログに載せました。そちらをご覧いただけると幸いです。

 

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『変身』の翻訳で解釈が分かれる箇所について、

今回の連載の校正をしてくださっている

岡上容士(おかのうえ・ひろし)さんが、

文章を書いてくださっています。

 

また、「ドイツ語の体験話法に関しての補足」も書いてくださったので、連続して掲載します。

 

今回は第8回の分です。

 

「変身」において

翻訳の解釈が分かれている箇所

(連載の第8回で取り扱われている範囲で)

 

岡上容士(おかのうえ・ひろし)

 

「変身」において翻訳の解釈が分かれている箇所(連載の第8回で取り扱われている範囲で)

岡上容士(おかのうえ・ひろし) 

 

※詳しく見ていくと、このほかにもまだあるかもしれませんが、私が気がついたものにとどめています。

 

※多くの箇所で私なりの考えを記していますが、異論もあるかもしれませんし、それ以前に私の考えの誤りもあるかもしれません。ご意見がおありでしたら、頭木さんを通じてご連絡いただけましたら幸いです。

 

※最初にドイツ語の原文をあげ、次に邦訳(青空文庫の原田義人〔よしと〕訳)をあげ、そのあとに説明を入れています。なお邦訳に関しては、必要と思われる場合には、原田訳以外の訳もあげています。

 

※ほかにも、文の一部分や、個々の単語に対して、邦訳の訳語をあげている場合があります。この場合には、『変身』の邦訳はたくさんありますので、同じ意味の事柄が訳によって違った形で表現されていることが少なくありません(たとえば「ふとん」「布団」「蒲団」)。ですが、説明を簡潔にするため、このような場合には全部の訳語をあげず、1つ(たとえば「ふとん」)か2つくらいで代表させるようにしています。

 

※邦訳に出ている語の中で読みにくいと思われるものには、ルビを入れています。

 

※高橋義孝訳と中井正文訳は何度か改訂されていますが、一番新しい訳のみを示しています。ただし、中井訳に関しては、必要がありましたので、今回は1箇所で同学社対訳シリーズでの訳も合わせて示しています。

 

○Dann aber sagte er sich: »Ehe es ein Viertel acht schlägt, muß ich unbedingt das Bett vollständig verlassen haben. Im übrigen wird auch bis dahin jemand aus dem Geschäft kommen, um nach mir zu fragen, denn das Geschäft wird vor sieben Uhr geöffnet.«

だが、やがて自分に言い聞かせた。「七時十五分を打つ前に、おれはどうあってもベッドを完全に離れてしまっていなければならないぞ。それにまた、それまでには店からおれのことをききにだれかがやってくるだろう。店は七時前に開けられるんだから」(原田義人〔よしと〕訳)

しかし、やがてまた、彼は呟(つぶや)いた、七時十五分までには、おれはなんとしてでもベッドを完全に離れていなけりゃいかん。それまでにでも、何(いず)れにしろ、店から誰か、おれのことをたずねにやってくるだろう。店は七時前に開かれるのだからな。(山下肇〔はじめ〕訳)

 

im übrigen(übrigensも同じ意味です)にはいろいろな意味があり、訳しにくい語の1つです。ここでは、邦訳でも英訳でも、①「それに加えて」という感じの訳と、②「いずれにせよ」という感じの訳とに、ほぼまっぷたつに分かれています。

ご参考までに、それぞれで使われている訳語を示しておきます。

邦訳…①「それに」「それにまた」 ②「いずれ」「何れ(いずれ)にしろ」「いずれにせよ」「それはそうと」「とにかく」「どのみち」(また、ニュアンスは少し違いますが、「けど」「もっとも」)

英訳(文頭なので大文字で始まっています)…①Besides(英訳ではこれが一番多いです)、And ②Anyhow、Anyway、In any case(また、ニュアンスは少し違いますが、But of course)

ですがこの場合には、どちらが正しいのかは私には断定できません。それに、どちらの意味に解しても内容が大きく変わるわけではありませんから、読者のお好みでよいのではないかと思います。ただ、「それに加えて」という意味では、außerdemやdazuやüberdiesなどの語が使われることが多く、im übrigenやübrigensが使われることは比較的少ないということは、言えるかもしれません。

 

○Und er machte sich nun daran, den Körper in seiner ganzen Länge vollständig gleichmäßig aus dem Bett hinauszuschaukeln. Wenn er sich auf diese Weise aus dem Bett fallen ließ, blieb der Kopf, den er beim Fall scharf heben wollte, voraussichtlich unverletzt.

そして、今度は、身体全体を完全にむらなく横へゆすってベッドから出る動作に取りかかった。もしこんなふうにしてベッドから落ちるならば、頭は落ちるときにぐっと起こしておこうと思うから、傷つかないですむ見込みがある。

Wenn以下は、動詞が過去形になっているにもかかわらず、現在形のように訳しています。これはなぜかと言いますと、この文が「体験話法」になっているからです。体験話法に関しては、次の題名の頭木さんのブログで詳しく記してありますので、ご興味がおありでしたらご覧下さい。なお、これからあとは、体験話法が出てきても、そのことを指摘するだけにとどめます。

「咬んだり刺したりするカフカの『変身』」6回目!月刊『みすず』8月号が刊行されました

 

den Körper in seiner ganzen Länge vollständig gleichmäßig aus dem Bett hinauszuschaukelnの部分は訳しにくいですが、意味の解釈が分かれる箇所ではありませんので、ここでは取り上げません。原田先生の訳も含めて、邦訳ではおおむねみな、それなりに上手に訳してあります。

このほかに案外難しいのは、これの次の文のscharfです。急激な動作を表わすニュアンスでしょうか。邦訳でもいろいろに訳されており、原田訳の「ぐっと」(これもとてもいい訳ではないかと思います)のほかには、「急いで」「思い切り」「きつく」「しっかり」「すっくと」としています。なお、scharfの一番一般的な意味に添って、「急角度に」「鋭く」「できるだけ上に」「まっすぐ」としている訳もあります。あるいは、ここでは両方の意味を含んでいるのかもしれませんね。

なお、このほかに、「慎重に」「そっと」としている訳もあります。このscharfには、一部の辞書にしか出ていないものの、「厳密な」「緻密な」「綿密な」とかいったような意味もありますから、これらの訳も間違いとまでは言えないでしょう。ただ、「慎重に」とか「そっと」とまで解するのは、scharfという語の一般的なイメージとは違ってきますし、ちょっと無理ではないかなと、私は感じます。

ちなみに英訳では、sharplyと直訳しているものが大部分ですが、abruptly、cleanly(これはちょっと無理な感じですが)、high、quickly、smartly、at an acute angle、at a sharp angleとしている訳もあります。

 

○Zwei starke Leute – er dachte an seinen Vater und das Dienstmädchen – hätten vollständig genügt; sie hätten ihre Arme nur unter seinen gewölbten Rücken schieben, ihn so aus dem Bett schälen, sich mit der Last niederbeugen und dann bloß vorsichtig dulden müssen, daß er den Überschwung auf dem Fußboden vollzog, wo dann die Beinchen hoffentlich einen Sinn bekommen würden. Nun, ganz abgesehen davon, daß die Türen versperrt waren, hätte er wirklich um Hilfe rufen sollen? 

力の強い者が二人いれば――彼は父親と女中とのことを考えた――それだけで完全に十分なのだ。その二人がただ腕を彼の円味(まるみ)をおびた背中の下にさし入れ、そうやって彼をベッドからはぎ取るように離し、この荷物をもったまま身体をこごめ、つぎに彼が床の上で寝返りを打つのを用心深く待っていてくれさえすればよいのだ。床の上でならおそらくこれらのたくさんの脚(あし)も存在意義があることになるだろう。ところで、すべてのドアに鍵がかかっていることはまったく別問題としても、ほんとうに助けを求めるべきだろうか。(原田訳)

力のあるものが二人――父親と女中のことを考えた――で大丈夫なのだ。丸くせりあがった背中の下に二人が腕をちょっと差しこんで、皮をむくように彼をベッドからはぎとり、このお荷物をもったまま下へかがみこみさえすればよいのだ。ただそのとき、彼が床の上で完全に寝がえりを打ってしまうのをほんのちょっと辛抱して気をつけてくれなければこまる。つまり、そこで、たくさんの小さな足に意味をもたせるようにしたいところなのだ。ところで、いま、ドアの錠がみなかかっていることはぬきにして、おれは本気で助けをもとめるべきだろうか。

(山下肇訳)

この文章全体が体験話法になっています。ここに関しては、このあとの「ドイツ語の体験話法に関しての補足」で、体験話法という観点から詳しく分析します。

 

ここでは、最後の文の冒頭のNunだけを見てみます。このNunも案外難しく、邦訳でも英訳でもいろいろに訳されています。①「しかし」のような逆接的な訳か、②「ところで」という感じの訳か、③nunの一番一般的な意味である「いま」か、④「そう」かのいずれかです。

ここでもご参考までに、邦訳と英訳で使われている訳語を示しておきます。

邦訳…①「いや」「さてしかし」「しかし」「しかしまあ」「それでも」「それはそうなのだが」「だが」「とはいうものの」「とはいっても」  ②「さて」「ところで」「ところでさて」 ③「いま」(1つのみ) ④「そう」(1つのみ) このほかに、山下肇訳は「ところで、いま」としています。

英訳(文頭なので大文字で始まっています)…①But、(文中に入れられて)even though、(同前)though  ②Well  ③Now  ④So(1つのみ) このほかに、Michael Hofmann訳はBut then、Joyce Crick訳はWell nowとしています。

それで、nunには「しかし」という感じの意味が全くないわけではありません。ですが、ごく限られた辞書にしか出ていませんし、ここでは詳しいことは省略しますが、それらの文例を見ましても、こことは用法が少し違うように思われます。もっとも、このような辞書の用例は絶対的ではありませんし、こうした意味もある以上、①のような解釈も誤りとは言えないでしょう。

しかしながら、私の感じでは、「いろいろなことはさておいて、さあいまは」というニュアンスで言っているのではないかと思います。つまり、②でも③でも構わないわけですが、山下肇訳とCrick訳がこの感じに一番近いのではないでしょうか。

それから、「そう(英訳ではSo)」という訳に関しては、訳者がどのようなニュアンスで言おうとしたのかがわかりませんので、適切かどうかの判断はちょっとしにくいです。

 

○Schon war er so weit, daß er bei stärkerem Schaukeln kaum das Gleichgewicht noch erhielt, und sehr bald mußte er sich nun endgültig entscheiden, denn es war in fünf Minuten ein Viertel acht, als es an der Wohnungstür läutete.

この作業は進行して、もっと強く身体をゆすればもうほとんど身体の均衡が保てないというところにまできていた。もうすぐ最後の決断をしなければならない。というのは、あと五分で七時十五分になる。――そのとき、玄関でベルが鳴った。

 

邦訳は全部がこのように、「もっと揺らせばバランスをほとんど保てなくなる」という感じで訳しています。

ですが英訳の中には、「もっと大きく揺らすことによってかろうじてバランスを保つ」という感じで訳しているものが、わずかですがあります。たとえば、Ian Johnston訳はHe had already got to the point where, by rocking more strongly(本によっては with a stronger rocking), he maintained his equilibrium with difficulty, ...としています。場合によっては身体を大きく動かすことでバランスをとることもありますから、このような解釈も全然成り立たないことはないと思います。また、「もうほとんど...ない」という場合には普通、kaum nochというふうにつなげて書かれるのですが、原文ではkaumとnochが離れて書かれていますから、原文だけを見ますとむしろこちらに読めそうな感じさえもします。

とは言え、主人公は身体を揺すって進みながらベッドから出ようとしていたわけですから、やはり「これ以上身体を揺するとバランスを崩してベッドから落ちかねない」というふうに解した方が妥当かなと思います。

ちなみに、英訳の中には、barelyやhardlyやscarcelyだけが使われているものも少なくありません。これらの語には「かろうじて」の意味も「ほとんど...ない」の意味もありますから、このような英訳ですと、どちらの意味とも解せますね。

なお、この文の後半の、und sehr bald mußte er sich nun endgültig entscheiden, denn es war in fünf Minuten ein Viertel acht, は、体験話法ともそうでないとも解せますが、この点に関してはこのあとの「ドイツ語の体験話法に関しての補足」で取り上げます。

 

○Waren denn alle Angestellten samt und sonders Lumpen, gab es denn unter ihnen keinen treuen, ergebenen Menschen, der, wenn er auch nur ein paar Morgenstunden für das Geschäft nicht ausgenützt hatte, vor Gewissensbissen närrisch wurde und geradezu nicht imstande war, das Bett zu verlassen?

いったい使用人のすべてが一人の除外もなくやくざなのだろうか。たとい朝のたった一、二時間は仕事のために使わなかったにせよ、良心の苛責(かしゃく)のために気ちがいじみた有様になって、まさにそのためにベッドを離れられないような忠実で誠実な人間が、使用人たちのあいだにはいないというのだろうか。(原田訳)

勤め人なんて一人のこらず、ぼろ屑(くず)みたいな人間ばっかりなのだろうか。たとえ朝の間の二、三時間くらい商会のために活用できなかったとしても、じつは良心の呵責をおぼえて気ちがいみたいになりながら、しかも、どうしてもベッドから離れられなかったような、そんな正直で誠実な人間はやつらの中には一人もいないというわけなのか。(中井正文訳〔角川文庫〕)

この文全体が体験話法になっています。

 

このgeradezuは、特定の語を強めるさいに用いられますが、原田訳のように、前のund(「そのために」「それだから」という意味合いで用いられることもあります)を強めていると解している訳と、中井訳のように、あとのnicht imastande warを強めていると解している訳とがあります。

私としては、原田訳のように解した方が、印象が強まってよいのではないかと思います。

ですが、このような強めのために用いられる語は、その語の前にくることが多いですね。ここでも、... , vor Gewissensbissen närrisch wurde, geradezu und nicht imstande war, ... のように書かれていれば、この意味であることは明白なのですが。また、英訳では、actually(これが多いです)、absolutely、just、literally、really、simply、virtuallyといった語が使われていますが、多くの訳がnicht imstande warを強めているとして訳しています。どちらを強めているとも解せるように訳している訳はいくつかありますが、undを強めていることを明確にして訳している訳はありません。

これらのことは私の説には不利な感じですが、こことは意味が全く違うとは言え、und außerdemやund dazuのように、undの意味を強める語がundのあとに置かれることもありますから、このような例からの連想で考えることは無理でしょうか。

いずれにしましても、どちらが正しいかは私には断定できませんので、nicht imstande warを強めていると解しても、当然間違いではないと思います。

 

○Ein wenig wurde der Fall durch den Teppich abgeschwächt, auch war der Rücken elastischer, als Gregor gedacht hatte, daher kam der nicht gar so auffallende dumpfe Klang. 

絨毯(じゅうたん)がしいてあるため、墜落の力は少しは弱められたし、背中もグレゴールが考えていたよりは弾力があった。そこでそう際立って大きな鈍い物音はしなかった。(原田訳)

絨毯ですこしはやわらげられ、背なかも考えていたよりは柔軟だった。それほど目立たない、鈍い音になったのはそのせいだった。(高安国世訳)

 

nicht gar soを、高安訳のようにauffallendeだけにかけて訳している訳と、原田訳のようにdumpfeにもかけて訳している訳とがあります。私としては、dumpfはもともとあまり人の注意を引くようなニュアンスの語ではありませんから、auffallendeだけにかけて考えてよいのではないかと思います。それに、原田訳のような意味で言いたいのでしたら、daher kam der gar so auffallende dumpfe Klang nichtと書くのが自然ではないかなとも思います。

英訳もほとんどがこのように訳しています。ご参考までに、この部分だけ、3つあげておきます。

... , and so there was merely a dull thud, not so very startling.(Willa & Edwin Muir訳)

... , so that the muffled sound wasn’t so noticeable.(Stanley Appelbaum訳)

... , and therefore the result was a dull thump that did not draw such immediate attention to itself.(Hofmann訳)

 

○Nur den Kopf hatte er nicht vorsichtig genug gehalten und ihn angeschlagen; er drehte ihn und rieb ihn an dem Teppich vor Ärger und Schmerz.

ただ、頭は十分用心してしっかりともたげていなかったので打ちつけてしまった。彼は怒りと痛みとのあまり頭を廻(まわ)して、絨毯にこすった。(原田訳)

ただかんじんな頭だけは十分気をつけてしっかり上げていなかったので、床に打ちつけてしまった。(以下略)

(山下肇訳)

 

邦訳も英訳もほとんどが、文頭のNurを「ただし...」のように訳しています。これでよいと私も思いますが、このように副詞が単独で接続詞のように用いられた場合には、文法的には直後に動詞がきますから、Nur hatte er den Kopf ... という語順になるのが普通です。けれどもここでは、このNurは「...だけ」という意味でden Kopfにもかかっていて、「ただし...」と両方の意味を兼ねているとも考えられます。そう考えますと、山下肇訳のような「ただし頭だけは」という感じの訳がより良いかなと思います。ほかにも、片岡啓治訳、立川(たつかわ)洋三訳、山下肇・萬里(ばんり)訳が、このように訳しています。

なおここは、一部分だけ取り出してden Kopf vorsichtig haltenと考えてのことですが、「頭を用心深い状態にしておく」(つまり、vorsichtigは形容詞で、den Kopfの補足語)と解すべきか、「頭を用心深く保っておく」(つまり、vorsichtigは副詞で、haltenを規定している)と解すべきか、私はちょっと迷いました。意味は結局同じことになるのですが、文法的な捉え方が違っています。ドイツ語を専門とする知人にも意見を求めた結果、後者ではないかということになりました。vorsichtigは人の動作を表わすのが普通で、「頭をvorsichtigな状態にしておく」とはちょっと言いにくいと思われますから。

 

○Gregor suchte sich vorzustellen, ob nicht auch einmal dem Prokuristen etwas Ähnliches passieren könnte, wie heute ihm; die Möglichkeit dessen mußte man doch eigentlich zugeben.

グレゴールは、けさ自分に起ったようなことがいつか支配人にも起こらないだろうか、と想像しようとした。そんなことが起こる可能性はみとめないわけにはいかないのだ。(原田訳)

グレーゴルは、今日おれの身に起ったようなことが、ひょっとしていつかこの支配人の身の上にも起らないものだろうかと、想像してみようとした。(高橋義孝訳)

今日自分に起こった事件に類似したようなことが、あの支配人の身の上にも一ぺんくらい起こらないものかな、とグレゴールはふと空想してみた。起こりうるかもしれないという可能性だけは、だれも否定するわけにはいくまい。(中井訳〔角川文庫〕)

die Möglichkeit ... zugeben. は体験話法になっています。

 

このeinmalですが、邦訳では、中井訳以外はすべて、「いつか」「いつかは」「いつの日か」「これから」と訳しているか、特に訳していないかです。英訳では、at some point、ever、one day、someday、some day、sometimeと訳しているか、特に訳していないかです。

中井訳以外でeinmalを訳出している訳のような解釈も、勿論可能とは思いますが、そうとしますと、einmalの前のauchはどのような意味になるのでしょうか。このeinmalと結びついて「[今すぐではなくていつかあとの日に]ではあっても]」という意味か、あるいはeinmalとは独立していて、疑惑を強める意味であり、「はたして」「いったい」などと訳されるか、のいずれかと考えられます。前者のようなニュアンスを出して訳している訳はありませんが、高橋訳と山下肇訳では、「ひょっとして」という言葉を入れていますので、こうすることによって後者のニュアンスを出そうとしたのではないかと思われます。

また、このauchはdem Prokuristenにかかっているという考え方もあるかもしれません。ですが、もしそうでしたら、やはりdem Prokuristenの直前か直後に置かれるのが自然ですし、この文の場合には、たとえauchがなくても、訳すさいには「支配人にも」というニュアンスは入ってきますから、この考え方は採らないでおこうと私は思います。

いずれにしましても、ここも断定するのは難しいのですが、私としては、中井訳のような感じで、単純に「一度だけでも」と解してもよいのではないかと思っています。

 

○Aus dem Nebenzimmer rechts flüsterte die Schwester, um Gregor zu verständigen: »Gregor, der Prokurist ist da.« »Ich weiß«, sagte Gregor vor sich hin; aber so laut, daß es die Schwester hätte hören können, wagte er die Stimme nicht zu erheben.

グレゴールに知らせるため、右側の隣室からは妹のささやく声がした。

「グレゴール、支配人がきているのよ」

「わかっているよ」と、グレゴールはつぶやいた。しかし、妹が聞くことができるほどにあえて声を高めようとはしなかった。(原田訳)

右隣の部屋から、妹がグレゴールへこっそり知らせようとして囁(ささや)きかけた。

「グレゴール、支配人さんが見えてるわよ」

「知ってるさ」

と、彼はひとりごとを言ったが、べつに妹の耳へ聞こえるほどの大きな声をだすつもりではなかった。(中井訳〔角川文庫〕)

右どなりの部屋から妹がグレゴールへ知らせるために, ささやきかけた.

「グレゴール、支配人さんが見えてるわよ」

「知ってるさ」

と, 彼はひとりごとを言ったが, 妹の耳へ聞こえる程度の大きさの声で, あえて声をはりあげなかった.(中井訳〔同学社対訳シリーズ〕)

 

これまでの邦訳では、同学社対訳シリーズでの中井訳以外ではすべて、原田訳や角川文庫での中井訳のように訳されています。また、英訳でも、

From the next room Gregor’s sister whispered, “Gregor, the head-clerk’s here.” “I know,” said Gregor to himself; but loud enough for his sister to hear it, since he did not dare to raise his voice.

としているEugene Jolas訳以外ではすべて、そのように訳されています。

しかし私は、ここではあえて、同学社対訳シリーズでの中井訳とJolas訳のように解したいと思います。逐語訳的に訳してみますと、「しかし、妹がそれを聞くことができたであろうくらいの、聞きうる声にして、彼はあえて声を張り上げはしなかった」という感じになるのではないでしょうか。ちなみにlautには、「大声の」「大声で」という一般的な意味のほかに、辞書によっては載せていないものもありますが、「聞こえるくらいの声の」(副詞として使われると「聞こえるくらいの声で」)という意味もあります。

ここでは、一応は妹に返事をしてあげたのではないかと思われますし、構文的な面から見ても、これ以外の解釈ですとnichtが前のso lautを否定していることになりますが、これほど前の語句を否定するのはちょっと不自然ではないかとも思われます。

もっとも、このあとで妹がどのような反応をしたのかということは書かれていませんので、どちらが正しいのかを判断する決め手はなく、この2つの訳以外の解釈を間違いと断定することはできませんが、私はこの2つの訳のように解釈します。

 

○Der Junge hat ja nichts im Kopf als das Geschäft.

あの子は仕事のこと以外は頭にないんですもの。(原田訳)

あの子ときたら、お店のことしか、てんで頭にございませんのですよ。(高安訳)

 

das Geschäftは、「仕事」としている訳が多いですが、「お店」「会社」としている訳もあります。Geschäftにはどちらの意味もありますし、結局のところは同じことを言っていますから、どちらでもよいのではと私は思います。ただ、Geschäftはどちらかと言うと、「仕事」「商売」といった意味で使われることが多いのではないかとも思いますが。

英訳でも「仕事」と解して訳している訳が大部分で、businessか、jobか、workのいずれかが使われており、それぞれの語が単独で用いられている場合と、hisかtheをつけて用いられている場合とがあります。これら以外では、the company、the firm、the officeとしている訳が、それぞれ1つずつだけあります。

 

○Ich ärgere mich schon fast, daß er abends niemals ausgeht; jetzt war er doch acht Tage in der Stadt, aber jeden Abend war er zu Hause.

夜分にちっとも外へ出かけないことを、わたしはすでに腹を立てているくらいなんです。これで一週間も町にいるのに、あれは毎晩家にこもりきりでした。(原田訳)

夜分なぞ外に出ることもないので、もう腹立たしいくらいですもの。旅から帰ってこれでもう一週間になりますが、毎晩うちに籠(こも)りっきりです。(城山良彦訳)

晩方に街へ出かけることもまったくないので、私など、もう腹を立てているくらいなんですよ。いいですか、この一週間あの子は旅に出なくてもよかったというのに、毎晩家(うち)に居るんですから。(浅井健二郎訳)

 

ここで取り上げる部分はいずれも、解釈の違いではなく、訳し方の違いではありますが、ご参考までに。

ärgere michは文字通りには「腹を立てている」ですが、「いらいらしている」「心配になっている(これはちょっとニュアンスが違いますが)」「歯がいったらしい」「歯がゆく思っている」「やきもきしている」などとしている訳もあります(訳語は「歯がいったらしい」を除き、「...ている」という語尾に統一してあります)。

また、「これで一週間も町にいる(過去形ですから、厳密には「いた」)」は、勿論何ら間違ってはいませんが、「いったいなぜ、こんなことを言っているのかな?」と戸惑うかたもおられるかもしれませんね。これはグレーゴルが出張セールスマンであるためですが、このことが書かれていたのはだいぶ前のことですから。

このへんのことを考えてのことなのかどうかはわかりませんが、ここにあげた城山訳と浅井訳のほかに、高本研一訳、川崎芳隆訳、多和田葉子訳もこのように訳しており、「町にいた」というふうには訳していません。野村廣之訳ではさらに詳しく、「ここ8日間ほどはこの町にいて、確かに泊まりがけの出張には行っていません」としています。これらの訳の方がよりわかりやすいとは言えそうですね。

英訳では、he’s been back in the city(またはin town;「今、一週間の間」の英訳はまちまちですので、ここでは省略)として、「戻ってきていた」というニュアンスを入れている訳が3つだけあったほかはすべて、ほぼ直訳しており、城山訳や浅井訳などのように直しているものはありませんでした。

 

○Wenn ich auch andererseits sagen muß, daß wir Geschäftsleute – wie man will, leider oder glücklicherweise – ein leichtes Unwohlsein sehr oft aus geschäftlichen Rücksichten einfach überwinden müssen.« 

とはいえ、一面では、われわれ商売人というものは、幸か不幸かはどちらでもいいのですが、少しぐらいかげんが悪いなんていうのは、商売のことを考えるとあっさり切り抜けてしまわなければならぬことがしょっちゅうありましてね」(原田訳)

つまり、われわれ商売人は――残念ながらと言うか、幸いにしてと言うかは、ひとそれぞれの気持のもち方次第ですが――少しばかり体調が悪いなんてのは、これは非常によくあることなんですが、仕事の都合をよく考えて、大騒ぎなどせずに乗り越えなくちゃあならんのです」(浅井訳)

 

ここも解釈の違いとは言えないかもしれませんが、ご参考までに。

ここのwie man will, leider oder glücklicherweiseは、少し難しいですね。内容としては、daß wir Geschäftsleute ... ein leichtes Unwohlsein sehr oft aus geschäftlichen Rücksichten einfach überwinden müssen.に対するコメントのようなものであり、逐語訳しますと、「人が[それぞれ]思いたがるように、幸福にもか、あるいは不幸にも」のようになろうかと考えられます。つまりは、このことが幸福なのか不幸なのかは、その人の考え方によって違ってくるということを意味しているのではないかと、私は思います。ですから、原田訳のような訳でも勿論構いませんが、浅井訳のように訳すのも1つの方法ではないでしょうか。

英訳では、unfortunately or fortunately, as you willなどのように直訳しているものが多いのですが、unfortunately or fortunately, according to how you look at it(Appelbaum訳)やfortunately or unfortunately, depending on how you look at it(John R. Williams訳)のようにしている訳もあります。

 

○Im Nebenzimmer links trat eine peinliche Stille ein, im Nebenzimmer rechts begann die Schwester zu schluchzen.

左側の隣室では気まずい沈黙がおとずれた。右側の隣室では妹がしくしく泣き始めた。

 

peinlichという語は第6回でも出てきまして、いろいろな訳ができるということで、邦訳と英訳を一通り全部見てみました。そこではずいぶんいろいろな訳がありましたが、ここでは打って変わって、邦訳ではほとんどの訳が「気まずい」としています。そうでない訳は、「息ぐるしいような」(中井訳)、「気づまりな」(立川訳と川村二郎訳。ただし後者は、前半を「左の部屋は気づまりな様子でしんとなり」と意訳)、「(前半を意訳して)左隣の部屋は森閑(しんかん)と静まりかえり」(川崎訳)だけです。

英訳では複数の形容詞が使われていますが、awkward、embarrassed、embarrassing、horrified、painful、uncomfortableのいずれかです。

 

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ドイツ語の体験話法に関しての補足

(「変身」の連載の第8回で取り扱われている範囲で)

 

岡上容士(おかのうえ・ひろし) 

 

※ドイツ語の体験話法に関しては、次の題名の頭木さんのブログで詳しく説明しています。

「咬んだり刺したりするカフカの『変身』」6回目!月刊『みすず』8月号が刊行されました

 

※今回の(1)では、ドイツ語の接続法が使われている箇所を取り上げての説明になります。ですが、「ドイツ語の接続法とはどのようなものか」といったことから説明していますと非常に長くなりますし、ここのテーマからも外れてきます。ですから、ドイツ語の接続法に関してはご存知であることを前提とします。ご存知でない方でご興味がおありの方は、お手数ですが、ドイツ語の参考書などをご参照下さい。

 

※最初にドイツ語の原文をあげ、次に邦訳(青空文庫の原田義人〔よしと〕訳)をあげ、そのあとに必要に応じて原田訳以外の訳もあげ、さらにそのあとに説明を入れています。

 

※邦訳に出ている語の中で読みにくいと思われるものには、ルビを入れています。

 

※ご意見がおありでしたら、頭木さんを通じてご連絡いただけましたら幸いです。

 

(1)ドイツ語の体験話法における、接続法の時称の変化について

ここはかなり細かい分析になります。

 

上記のブログでは、

接続法になっている動詞は、体験話法になっても変化しないのが普通です。

と2回ほど記しましたが、終わりの方の「○体験話法に関しての補足」では、

※既にお話ししたように、登場人物が思っている内容が接続法で言われている場合には、体験話法になってもそのままにされることが多いのですが、現在形の接続法が過去形の接続法に変えられることもあります。

とも記しました。

念のために、もう少し詳しく説明しておきますと、

地の文(小説の語り手の文章)が過去形で書かれていて、登場人物が思っている内容が現在形の接続法で言われている場合には、体験話法になっても地の文と合わせる形で過去形の接続法にはされずに、そのままにされることが多いのですが、中には過去形の接続法に変えられる場合もあります。

ということになろうかと思います。

また、現在形の接続法が、体験話法になったさいにそのままにされるか、過去形に変えられるかということに関しては、特に規則があるわけではありません。作者の好みによると言ってよいのではないかと思います。

今回の連載の第8回では、現在形の接続法が、体験話法になったことにより、過去形の接続法に変えられた例が出てきていますので、見てみることにしましょう。

 

まず、ドイツ語の原文は次のとおりです。

Zwei starke Leute – er dachte an seinen Vater und das Dienstmädchen – hätten vollständig genügt; sie hätten ihre Arme nur unter seinen gewölbten Rücken schieben, ihn so aus dem Bett schälen, sich mit der Last niederbeugen und dann bloß vorsichtig dulden müssen, daß er den Überschwung auf dem Fußboden vollzog, wo dann die Beinchen hoffentlich einen Sinn bekommen würden. Nun, ganz abgesehen davon, daß die Türen versperrt waren, hätte er wirklich um Hilfe rufen sollen?

この箇所は体験話法で書かれており、話の内容から判断して、過去のことではなく現在のことと考えられますが、過去形の接続法(hätten ... genügtと hätten ... müssenとhätte ... sollen)が使われていますね。

邦訳を見てみますと、原田義人(よしと)訳はこうなっています。

力の強い者が二人いれば――彼は父親と女中とのことを考えた――それだけで完全に十分なのだ。その二人がただ腕を彼の円味(まるみ)をおびた背中の下にさし入れ、そうやって彼をベッドからはぎ取るように離し、この荷物をもったまま身体をこごめ、つぎに彼が床の上で寝返りを打つのを用心深く待っていてくれさえすればよいのだ。床の上でならおそらくこれらのたくさんの脚(あし)も存在意義があることになるだろう。ところで、すべてのドアに鍵がかかっていることはまったく別問題としても、ほんとうに助けを求めるべきだろうか。

原文では過去形の接続法が使われていますが、原田訳では現在形として訳されており、この箇所を体験話法と判断していることは間違いないと思われますが、主人公のグレーゴルのことを「ぼく」などとは訳さずに、「彼」と訳しています。これも体験話法の訳し方の1つではありますが、「おれ」と訳している例も見てみましょう。

力のあるのが二人――彼は父親と女中のことを考えた――いれば、十分すぎるくらいだ。二人が、おれの丸くふくらんだ背中のしたに腕をさしこんで、ベッドからはがして、かかえたまま膝(ひざ)をついて、それからおれが床のうえでグルッとひっくりかえるのを、慎重にまってもらう。そうなれば、足どもだって意味ができてくる、というものだろう。とはいっても、ドアにはぜんぶ鍵がかかっているということはさておくとしても、実際に彼は助けをもとめるべきだろうか?(岡上注:最後だけは「彼」と訳していますが)(片岡啓治訳)

力持ちがふたりいれば――頭に浮かんだのは父親と女中だった――、十分だろう。ふたりが腕をおれのまるい背中のしたに差しこんで、ベッドから引きはがし、かかえたまましゃがんで、じっと見守ってくれるだけでいい。おれは床で寝返りを打つ。そのとき細い脚たちがちゃんと働いてくれると助かるんだが。さて、どのドアにも鍵がかかっていることは別として、ほんとに助けを呼んでいいものだろうか。(丘沢静也〔しずや〕訳)

 

次に、この原文をグレーゴルの思いとして直接話法で書いたらどうなるかを示します。

ただ、それに先立って、ドイツ語における「würde(werdenの接続法第Ⅱ式)+不定詞(動詞の原形)」の使い方に関して、少しお話しします。なお、würdeはwürdenとも言えるわけですが、ドイツ語では、動詞の過去形や接続法の形を単独であげる場合には、1人称と3人称の単数形(同じ形になります)をあげるのが一般的ですので、ここでもwürdeとしておきます。このあとに出てくるwurde(werdenの過去形)やsollte(sollenの接続法第Ⅱ式)に関しても同様です。

 

①未来形が体験話法になった場合

上記のブログではさらに、

未来形が体験話法になると、werden →wurde とはならずに、würdeとなります。

とも記しました。これも念のために、もう少し詳しく説明しておきますと、

地の文が過去形で書かれていて、登場人物が思っている内容が未来形(「werden+不定詞」)で言われている場合には、体験話法になると「wurde+不定詞 」とはならずに、「würde+不定詞」となります。

ということになろうかと思います。

 

②接続法第Ⅱ式の現在形の代用として使われる場合

「würde+不定詞」が、接続法第Ⅱ式の現在形の代用として使われることがあります。どのような場合に代用されるのかという規則は特にありませんが、比較的多いのは次の場合です。

②―1.弱変化動詞(母音が変化したりせず、規則に従って語尾だけが変化する動詞)の場合。…普通の過去形と接続法第Ⅱ式とが同じ形になって、区別がしにくいためです。

②―2.「もしも...ならば(専門的には「前提部」などと言います)、...であろうに(同様に「結論部」などと言います)」というパターンの文には、接続法第Ⅱ式が使われますが、その「...であろうに」の部分(結論部)。…これで代用した方が、推論のような雰囲気がよく出るのではないかと私は思いますが、ほかにも何か専門的な理由があるのかもしれません。ご存知でしたらご教示下さい。

 

①の「würde+不定詞」も②のそれも、形は全く同じですし、「...であろう」といった推論的な意味を表していますが、一応は別の用法とみなしてよいと思います。

 

それでは、この原文を直接話法に書き換えてみます。

〔原文〕Zwei starke Leute – er dachte an seinen Vater und das Dienstmädchen – hätten vollständig genügt;

〔直接話法〕Zwei starke Leute – er dachte an seinen Vater und das Dienstmädchen(ここのダッシュにはさまれた文は、体験話法ではなくて地の文ですので、このまま)– genügten vollständig;

このgenügtenは、過去形ではなく、接続法第Ⅱ式です。

または、

〔直接話法〕Zwei starke Leute – er dachte an seinen Vater und das Dienstmädchen(同上)– würden vollständig genügen;

これは上記の②―1のパターンですね。

 

〔原文〕sie hätten ihre Arme nur unter seinen gewölbten Rücken schieben, ihn so aus dem Bett schälen, sich mit der Last niederbeugen und dann bloß vorsichtig dulden müssen, daß er den Überschwung auf dem Fußboden vollzog, wo dann die Beinchen hoffentlich einen Sinn bekommen würden.

〔直接話法〕sie müßten ihre Arme nur unter meinen gewölbten Rücken schieben, mich so aus dem Bett schälen, sich mit der Last niederbeugen und dann bloß vorsichtig dulden, daß ich den Überschwung auf dem Fußboden vollziehe, wo dann die Beinchen hoffentlich einen Sinn bekommen würden. 

直接話法の最後のbekommen würdenは接続法第Ⅱ式になっています。この場合にはbekämenとすることも勿論できますが、接続法第Ⅱ式は過去形と同じ形になってしまう場合以外でも「würde+不定詞」で代用されることがありますから、ここではこの形が選ばれたものと思います。これは上記の②のパターンですね。

さらに、wo以下ではdannがいわば仮定の前提部――逐語訳しますと「(この前の内容を受けて)そうであるならば」。必ずしもwennなどが用いられた副文ではなくて、このような短い語が仮定の前提部となることもよくあります――となっていて、bekommen würdenが接続法第Ⅱ式でその結論を表わしているのではないでしょうか。ですからここでは、上記の②―2のようなことも言えるのではないかと思います。

そして、このbekommen würdenは、体験話法になっても過去形(bekommen hätten)には変えられずにそのままにされ、推論的な色合いが残されたのではないでしょうか。また、これは副文の中でもありますので、主文で使われているhätten ... genügtなどには必ずしも合わせなくてもよい、ということも言えるかもしれません。

なお、「この文の直接話法の最後は、bekommen würdenではなくてbekommen werden(未来形)であり、これが体験話法となってbekommen würden(上記の①のパターンですね)となったのだ」という解釈も成り立つかもしれません。ですが私は、ここで記したような理由により、直接話法でもbekommen würdenとなるのではないかと思いました。

 

〔原文〕Nun, ganz abgesehen davon, daß die Türen versperrt waren, hätte er wirklich um Hilfe rufen sollen?

〔直接話法〕Nun, ganz abgesehen davon, daß die Türen versperrt sind, sollte ich wirklich um Hilfe rufen?

接続法第Ⅱ式のsollteに関しては、過去形と同じ形にはなりますが、「würde+不定詞」で代用して「würde ... sollen」とはあまりしないと思います――少なくとも私は、そのような例は見たことがありません――ので、ここではsollteとだけしておきます。

 

ここで最初の文に戻りますと、接続法第Ⅱ式のgenügtenを過去形に変えずにそのまま体験話法にしますと、過去形との区別がつきにくいですし、これの代用であるwürden ... genügenを過去形に変えずにそのまま体験話法にしますと、未来形のwerden ... genügenが体験話法になったとも解されてしまいます。

ですからここではやはり、hätten ... genügtとした方がよいですね。あとのmüßtenやsollteは、体験話法になってもこのまま現在形にしておいても差し支えはありませんが、このhätten ... genügtに合わせて、これらも過去形の接続法で書かれたものと思われます。なお、bekommen würdenは、体験話法ではなぜこれらと同じように過去形の接続法(bekommen hätten)にされずに、そのままにされたのかということに関しては、上に記しました。

ともあれ、現在形の接続法が、体験話法になったさいにそのままにされるか、過去形に変えられるかということに関しては、おおむねは前に記したように作者の好みによると言ってよいと思われますが、今回の場合にはこのように、ある程度理由があったとも言えるのではないかと思います。

 

(2)体験話法とも、そうでないとも解される場合について

Schon war er so weit, daß er bei stärkerem Schaukeln kaum das Gleichgewicht noch erhielt, und sehr bald mußte er sich nun endgültig entscheiden, denn es war in fünf Minuten ein Viertel acht, als es an der Wohnungstür läutete.

この作業は進行して、もっと強く身体をゆすればもうほとんど身体の均衡が保てないというところにまできていた。もうすぐ最後の決断をしなければならない。というのは、あと五分で七時十五分になる。――そのとき、玄関でベルが鳴った。(原田訳)

この原田訳も含めて、und sehr bald mußte er sich nun endgültig entscheiden, denn es war in fünf Minuten ein Viertel acht, を体験話法とみなして現在形で訳している訳も多いのですが、普通の地の文として過去形で訳している訳も、私が確認できたかぎりでは7つあります。3つだけ例をあげておきましょう。

すでにもう彼は、ほんの少しでも強く揺すれば、もうほとんどバランスがとれなくなるところまできていた。それに、いまはおおいそぎで最終的決断をくださねばならなかった。というのも、あと五分で七時十五分だったからである――と、そのとき、家に戸口でリンの鳴る音がした。(三原弟平〔おとひら〕訳)

これ以上強く身体を揺さぶるとバランスがほとんど保てない、というところまでもう来ていた。いますぐにも最後の決断をしなければならなかった。というのも、あと五分で七時十五分だったのだ。――とそのとき、玄関のドアのベルが鳴った。(浅井健二郎訳)

揺れはどんどん大きくなっていった。もう肚(はら)を決めなければならないところまできていることは分かっていた。玄関のベルを鳴らす音が耳に入った時点で、あと五分で七時十五分だった。(多和田葉子訳)

中には、前半のentscheidenまでを地の文として過去形で、denn以下を体験話法風に現在形で訳している訳もありますが、これはちょっと中途半端な感じですね。

 

それで、確かにここのund sehr bald mußte er sich nun endgültig entscheiden, denn es war in fünf Minuten ein Viertel acht, には、切迫した気持ちをグレーゴルが抱いているような雰囲気もあり、体験話法と解してもよいと思います。

ただ、ここの前後は体験話法ではありませんし、特にals以下は、訳としてはこのように前から訳していった方が自然ではありますが、本来は「玄関でベルが鳴ったとき」という意味の副文章で、und sehr bald ... ein Viertel acht, に従属した形になっています(大幅に意訳してはいますが、多和田訳はこのような形で訳していますね)。ですので、主文は体験話法で、副文はそれらしくないということになるのが、少し気にもかかります。

ですが、私も上記のブログで記しましたように、その部分が体験話法か否かということに対しては、絶対的な判断基準はありません。ですから、特にこのように明確な決め手がない箇所に関しては、読者の好みで判断してよいのではないかと思います。

 

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