旅空~そらとあおいと家族の世界一周大冒険~

 

 

 

インド デリー編 第2話

(2015年3月)

 

1話はこちらからどうぞニコニコ

 

 

 

 

ボスキャラ風のインド人と最後は大喧嘩になりながら再出発。

気になる続きをどうぞ♪

↓ ↓ ↓

 

インド デリー ②

 

リキシャ―のお兄ちゃんに「なんだあいつマジでありえん!!(怒)」とブチ切れながら、

 

他のルートはないのかいっ?お兄ちゃん信じて乗ったんだから、マジで頼むよ。

小さい子供達もいるし、パハールガンジまで行ってくれー!と懇願する。

 

悪かったなぁーという顔をしてしょんぼり運転するお兄ちゃん。

 

しばらく行くと、リキシャ―が調子悪くなったので乗り換えすると別のリキシャ―が突然出没。

なんかしらんが乗り換える事にまたまた怪しい。

今度はおっちゃんだ。

 

 

もう遠くに来て今どこにいるかわからんし、このおっちゃんをうまくのせて連れて行ってもらうしかねぇ。

もし怪しいツアー会社にでも行こうものなら、本気100%のマジ切れ日本兵レベルで戦ってやる!

子供達を守る為なら、最悪殴り合いもやむない強い覚悟で乗った!!

 

 

上手く子供達をおっちゃんに絡ませて愉快に遊ばせながら、おっちゃんの良心に訴えかけていく。

話を聞いているとおっちゃんにも家族がいて、3人の娘のパパらしい。

 

「パパは悪い事したらだめだよねー!娘が悲しむよねー!」という間接的なメッセージを

会話に含めながら和むような遊びをガンガンぶち込みながら、子供達と一緒に盛り上がって知らない道を進んでいく。

 

しばらくすると、小さくパハールガンジの看板が見えた。

 

心の中で嫁と握手!グッジョブ!このおっちゃん、ちゃんと目的地に進んでくれている!

ナイスおっちゃん!信じて良かった、良い感じだよ!

20ルピーという契約だったけど、多く払ってもよいな。

そんな事を考えながら、どうにか奇跡的にパハールガンジに到着した。

 

 

やったー無事ついたぁ!!おっちゃんありがとう!!

提示された金額の倍の50ルピー(日本円で100円くらい)を払おうと財布を出したら、

なんとおっちゃんからイケメン発言が飛び出した。

 

 

「いいよ。今回はノーマネだ。俺はいい奴だからな。」

「小さい子供達もいるし、素敵な旅をしてくれ」

 

いくら渡そうとしても一向にお金を受け取らない。

 

おいおいおいおい!!

ここインドだよ。ニューデリーだよ!

一番悪質なぼったくりがいまくる街で、タダ程怖いものはない。

どうにか渡そうとするがおっちゃんは本当に受け取らない。

 

何度もやりとりをするうちに、「.........もしかして本当にこのオッチャンいい奴なのか?!」

そう思いはじめると

「オールオッケーだ!良い旅を」と言い残し去っていった。

 

 

おおおぉー!!奇跡だ。

 

インドでデリーで、ホテルまでタダで送ってくれた。

 

おっちゃん良い奴すぎるだろ。

 

こんな事日本でもないよね。

 

ここインドだよ。超絶ブラックな街ニューデリーだよ。

 

二人のリキシャ―の人に感謝感謝しつつ、

嘘ついてマジ切れしてきたボスキャラは今度会ったらギッタギッタにしてやると誓い、

無事ホテルに到着した。

※そらとあおいもあいつ今度あったらギッタギッタにしてやる!!と拳パンパンと息巻いていた(笑)

 

インドにもいい人がいる事を証明したぞ♪

 

 

パハールガンジは俺達がイメージするインドそのものだった。

音も匂いも、鳥肌立つくらい刺激的な街だ。

五感がガンガン痺れる。

野良牛もガンガン歩いているし、すげー面白い。

インド刺激的すぎて最高だー。

 

そして明日3/27はあおい(次男)の3歳の誕生日。

刺激的なインドでのバースデーパーティ。

楽しみ楽しみ♪

 

 

<スタッフ編集後記>

 

なんて濃い一日なのでしょう。(笑)

1話の最後の大喧嘩から、とても親切で紳士なインド人との出会い。

 

お金を受け取らずに「良い旅を」と言ってくれた、愛のこもった波動に後押しされるように

社長一家は本当に素敵な冒険旅が続いていきます。

 

 

そして紳士な”おっちゃん”がリキシャで送ってくれた、インドを旅する日本人の中で有名な宿〈サンタナ〉。

インド国内に数ヶ所あります。

 

この日本人宿〈サンタナ〉の当時立ち上げスッタフの中に、日本人女性がいました。

サンタナに滞在中、彼女には会うことはなかったそうですが、実は社長一家が帰国した数年後に

彼女がオートリクシャーで日本一周で北海道まで来られた時に、共通の友人のご縁を介して

会うことができ、さらに社長のお宅に泊まっていかれたそうです。

 

 

世界はとても広いけれど、繋がるご縁はちゃんとあるんですね。

79億5400万人。今年の世界の人口だそうです。

 

そんなにたくさんの人の中で、今、出会うことのできた人達。

パートナー、友人、家族、職場の人、ただ隣合わせに座って雑談した人にも、

出会ってくれてありがとうの気持ちが溢れますね。

 

「出会ってくれてありがとう」

直接伝えなくても、会う人全てに心の中で「ありがとう」

 

言ってみませんか?

 

次はあおいくん(次男)のインドで3歳バースディ編ですおねがい

 

 

 

 

 

 

旅空~そらとあおいと家族の世界一周大冒険

(2015年3月)

 

 

 

ついに来たぜインド デリー!!

 

バンコクのスワンナプーム空港からインドデリーにあるインディラガンディ空港へ。

いよいよ旅本番。今まではウォーミングアップだ。

 

子供達もいるし、危険もあるのでここからは本気で気合い入れていきます。

旅人達のネット情報では、ガンディ空港からホテルに着くまでの道のりがインドで一番ヤバいらしい。

タクシーに乗ればホテルではなく怪しいツアー会社に連れて行かれ、

何万ものツアーを組まされたり、コピーの為にと言われてパスポートを貸してしまえば返してくれず

しぶしぶ大金を払わされたりとインドでも有数の危険地帯だ。

 

エアポートメトロで行こうと決めていたので、「もしタクシーの運転手が話しかけてきても

全力でシカトする事!」という約束のもと

「いくぜー!!」と空港を家族で飛び出た。

 

 

すごい気合い入れて外へ出たが、あれっ、、??タクシー少ないぞ。。。??

 

声かけてくる奴もパラパラで、しかも一度断れば簡単に引き下がる。

なんだなんだ!?!?拍子抜けしてしまう。

映画を観る前に予告編で期待したほど大したことなかった時と同じパターンのやつか?

 

そんなこんなで問題なくニューデリー駅に到着した。

しかししかし、まだ第二の関門がある。

 

メトロ駅から旅人たちが集まる安宿があって、パハールガンジにたどり着くためには鉄橋を渡り

ニューデリー駅を越えて行かなければならないのだが、どうやらここはぼったくりが多いポイントらしい。

なんといっても荷物の量がめちゃくちゃ多い俺達には、徒歩はつらい。

しかしタクシーに乗ればかなりの確率でホテルへ行ってくれず、怪しいツアー会社に連れて行かれるという

情報も事前に知っていたので、絶対にタクシーには乗らないと決めていた。

 

大荷物を運びながらの子連れには大変だが、それがトラブルを回避する最大の防御だ。

 

ところが、色々トライしてみたけれど鉄橋をどう越えるのかがわからない。

「チケットなきゃダメ」とか、「ノーエントリーだ」とか、なんだかんだ理由をつけて跳ね返される。

 

俺疲は疲労困憊に達した。。

 

 

ここで思考の転換。そうだ!インドだもの、こうでなくっちゃね。簡単にホテルついたらつまらんつまらん。

もう疲れたから、親切にしてくれたこのインドのおにーちゃんを信じて、リクシャーに乗ろうと決めた。

 

 

 

リクシャに乗り込み鉄道横断のゲートをくぐろうとした時、

ボスキャラ的風貌のインド人が突然道をふさいだ!

 

 

ボスキャラのインド人が言うには、「パハールガンジは今フェスティバル中だから

ここを通り抜ける事は出来ない。特別に通してほしいなら、お金を払え」だそうだ。

 

 

「いや、絶対にウソでしょ!嘘つかないで通してよー」

でもボスキャラは全然引き下がらない。

「トオリタイナラカネハラエ。ジャナイトゼッタイトオサナイ!」

「嘘つくんじゃねぇー。金払わんでも通れるだろっ!」

意見がとぶつかり俺達段々ヒートアップ。

 

「ホテルに電話して確認したらフェスティバルで道が封鎖されているなんて言ってなかったぞ」と

強気で駆け引きするも(電話はウソ)

 

ボスキャラ「なんだとー!!じゃーもう一回ホテルに電話する!!」(めっちゃ怒り狂ってる!)

 

すぐさま携帯でホテルに電話をかけ、俺に電話に出れと変わった。

 

「サンタナホテルのスタッフの方ですか?」

   ※ホテルは日本人スタッフとの事前情報あり

 

ホテルスタッフ「ソウダオマエダレダ?(カタコト)」

 

「今日宿泊を予約しているのですが、あなたはホテルのスタッフですか?

今、フェスティバル中で道が封鎖されていると聞いたのですが本当ですか?」

 

ホテルスタッフ「ホントダ。オマエ、ホントノハナシダ。」「ソイツノハナシヲ シンジルンダ。」

 

あー-これ、ホテルにかけったんじゃなくて、日本語少し話せるインド人の友達にかけたパターンやね。

 

呆れ顔の俺に対し、

してやったぜ!どやぁー!!と自信満々のボスキャラのインド人。

 

ボスキャラ「なっ、ほんとだろ!!だから通りたかったら金払え!めっちゃ払え!!」と

こちらが嘘と気づいていることに気付かずに、かなり高圧的にキレた口調で言ってくる。

 

もう相手にしてられないので、

リキシャーのおにーちゃんに「この人うるさいから一旦引き返してほしい」と

頼むと、更にヒートアップしキレまくるボスキャラ!!

 

 

そのうちリキシャ―を両手でバンバンと高圧的に叩き出し、暴れだした!!

 

ぼったくって金をゲットしようと興奮MAXのインド人ボスキャラ。

一歩も引かない40歳日本人男性とその家族。

 

 

はたして、我々家族は無事何事もなく、ホテルまでたどり着けるのかぁ~~!?

今回は長いので2話へつづく。

 

 

 

 

<スタッフ編集後記>

 

ついに来ました、インド デリー!!

今回の内容は長めになるので、1話と2話に分かれます。

 

インドのデリーは危険区域との情報が多いそうで

社長の【家族を守る!】という強い想いが伝わります。

最後はインド人のボスキャラと大喧嘩にまでなってしまったという今回のエピソード。

 

 

ボスキャラの行動、嘘をついてお金を取ろう。というやり方は、私達の感覚でいうと

”正しくない”と思いますが、

その根源を辿ると、もしかするとボスキャラも同じようにお金を得ることで

【自分の家族を守りたい。】という思いからの行動なのかもしれませんよね。

(ボスキャラの行動を肯定しているわけではありません)


 

 

 

ボスキャラがもし社長と同じように守りたいものがあるからの行動であるならば、

手段は間違っているとしても、目的は同じなわけです。

(社長もよくこの話をしてくれます)

 

 

国によってそれぞれ様々な常識があり、日本では全く考えつかないようなことが基準であったり、

親切や愛の概念であったりします。

 

そしてたぶん、その常識が形成されたのは、なにかしらのその人達なりの

正義に基づいてなのだろうと思います。

 

 

じゃあどうすれば、多様な文化や常識や感覚の中で自分をブラさずに保ち

どんな価値観や人にも対応できるのか。

 

 

それは、

『あなたは私、私はあなた』

 

私とあなたは等しい。平等だということを基盤に持つことなのではないでしょうか。

 

人を自分のように丁寧に扱う。

自分を人のように丁寧に扱う。

 

人は平等のもとに接し合えば、もっと世界はよくなっていくような気がします。

 

 

続きの2話では、そんな価値観のインド人との出会いがあります。

お楽しみに(*^^*)

 

 

 

 

 

 

 

 


旅空 ~そらとあおいと家族の世界大冒険~

 

 

本日で旅に出てから記念すべき100日目となりました♪

 

今日は(2015年)3月21日、嫁がこの旅一番楽しみにしていたランパーンのゾウ国立保護センター

(映画「星になった少年」の撮影場所)でゾウに家族全員乗った日になりました。

(2014年)12月12日に東京から旅をスタートさせてからめちゃくちゃ早かったが、色々あって長く濃い日々。

 

 

<今までの100日間で行った場所>

【オーストラリア】ケアンズ、エアーズロック

【バリ】クタ、ヌサドゥア、レンボンガン島

【マレーシア】クアラルンプール、ランカウィ島、ペナン島

【タイ①】プーケット、ピピ島、クラビ、バンコク

【カンボジア】シェムリアップ、プノンペン

【ベトナム】ホーチミン

【タイ②】チェンマイ

 

この100日間で身に付いたものは、

『判断力、決断力、行動力、適応力』です。

 

【判断力】

ガイドブックも無い今、情報はネットのみ。

しかしWi-Fiある場所でしかネットが使えないので、ほぼ情報がない。

現地に行ってから、ネットが繋がる環境で調べようという、ぶっつけ本番の旅。

なのでとても「一瞬一瞬の判断力」が問われる。

 

旅も人生も、全て自分が判断した結果、その場にいるしその出来事が起こる。

0から全て創り上げるフリーの旅は、判断力がとても問われるのだ。

その感性が、日本にいる時より100倍磨かれた気がする。

 

【決断力】

旅をしているとAとBどっちだ!?という決断に迫られる事が非常に多い。

そんな時は、「ワクワクする方や直感」を一番大切に決断している。

 

現地人との交渉事で、決断しなければならない事も多いが、

そんな時は相手の目を見て判断する事にしている。

本音本心での言葉が通じないので、一番信じられるのは、相手の目の奥と顔つきだ。

 

顔立ちは美男、美女等の部分、顔つきはその人が創り上げた年輪みたいなもの。

目と顔つきはウソをつけない。

どの国に行っても顔つきが良い男性、女性は本当に魅力的だし、殆ど間違いがない。

 

【行動力】

ガイドブックが無いので、頼れるのは現地で入手するMAPのみ。

目的地に到着すると、すぐに街に繰り出し現地マップをゲットする。

そして街を足で練り歩きMAPの確認&発見をする。

そう、毎日がリアルドラクエだ。

 

日々どんどんその街に対する経験値を上げていき、

その場所に満足できた頃に、次の場所へ旅立つ。

そしてまた0からの旅が始まる。

創っては壊し創っては壊し、そんな感じだ。

同じ日は一日たりともないので毎日が最高に刺激的だ。

もう刺激がないと生きられないかもしれん。

 

【適応力】

これが旅では一番大事かもしれない。

国や人によって普通の基準が全く違うので、当たり前だが、

今までの経験や日本での常識は全く通用しない。

その地その国を受け止め受け入れ、自分はお邪魔させているという、謙虚な感覚が必要。

 

世界共通の一番重要な言葉『こんにちわ、ありがとう、美味しいです。』

その国の言葉を身に付けて街へ繰り出す。

(子供達も必ず「次の街は、なんていう挨拶?」と聞いてくるようになった)

これらは皆、「最高な笑顔」になってくれる魔法の言葉だ。

 

ダーウィンの名言にもある。

最も強い者が生き残るのではなく、

最も賢い者が生き延びるのでもない。

唯一生き残ることが出来るのは、

変化できる者である。

 

本当にそう思う。

俺もサラリーマンしていたが、ここは特に意識していた。

自分の芯の部分と変化しなければならない部分、両方のバランスが大切なんだ。

この旅でも、変えてはならない大事な部分はブレずに変えなかったが、

変えなければいけない部分は意識してどんどん変えてきた。

柔軟な発想や行動は重要だね。

これからの時代、日本に戻ってからも一番必要なのは、適応力だと感じている。

 

そして3/26からはいよいよインドです。

インドは呼ばれないと行けない国とも言われているらしいので、

俺もやっと行けるレベルになったのかな。

次男あおいの誕生日にちょうど当たるので、3歳のバースデーパーティはインドです♪

インドの中でも危険な地区と言われているデリーから。

元気すぎるあおいらしいので楽しみだ(笑)

(※後日談ですが、奥様曰くインド以外の他の場所でも、危険地区と言われる場所には

普通の家族も生活していて、気を付けていれば怖い体験というのは無かったそうです。

むしろ食べ物も美味しく、家族ぐるみで仲良くなったりしたそうです。

海外に行く際、怖い情報ばかり耳に入ることもあるかもしれませんが、必要以上に警戒せず

おおらかな気持ちでいれば、それに見合った現実がやってくるのかもしれませんね^^)

 

 

このころ日本でちょっとトラブルがあり、予定より少し早めに日本へ戻ることが決まりました。

残りの期間は7か月。

アジアでゆっくりしすぎたな。。。これからガンガン巻きで進みますぜ!!

 

でも終わりが決まった事で爆発力が付いたのと、この日々の日常が当たり前ではなく

本当に貴重な時を過ごさせて頂いているんだなという、感謝の念が強くなりました。

 

この5歳と2歳という子供達の年齢に、24時間家族で一緒にいれた事は一生の宝物です。

普通のお父さんが子供と接する生涯時間は超えたのかもしれないな♪

一瞬一瞬を宝物の時間として、残りの日を今まで以上に楽しみます( `ー´)ノ

感謝!!!!

 

 

<スタッフ編集後記>

 

社長が世界を旅する中で身に付いたと言われる

『判断力、決断力、行動力、適応力』

 

その『決断力』の中に

【目と顔つきはウソをつけない】とありますが、これにはちゃんと根拠があって

目というのは、脳と繋がっていて身体の外側に出ている唯一の器官なんだそうです。

脳と繋がっていてそれが可視化されているのですから、目が嘘を付けない。というのも納得ですね。

 

社長は、会ったことがある方ならわかるかもしれませんが、大きな目で真っすぐ人を見る方なので、

余計に邪な気持ちはすぐに見破られる感じがします(*´Д`)

 

 

そして、『適応力』

今、時代は「土の時代」と言われる物質的なものが大切にされてきた時代から

「風の時代」へ切り替わり、目に見えないものに価値が置かれるようになってきています。

 

全く違う構造の時代へ移り変わるにも、変化に柔軟に対応できる人というのは生きやすく

心地良く過ごしていけそうですよね。

 

相手が時代だろうと、風潮だろうと、人間だろうと、

石のように頑固にならず、アメーバのように自由自在に変化できる適応力を身に着けることは、

いい意味でこだわらず、執着せず、許すことができ、手放すことが上手な生き上手な人だと思います。

 

 

 

 

 

 

 

旅空 ~そらとあおいの世界大冒険~

カンボジア プノンペン編(2015.3/6~3/13)

※長文&少し重いテーマになります。写真は優しいのだけ載せます。

 

 

シェムリアップからバスで初の陸移動。

交通事情が悪く車やバイクが両車線からお互いに抜きまくるので、センターラインで何度も正面衝突しそうになった。

ガンガン飛ばすのでバスの一番前の席は怖いながらも見晴らしは良かった。

まるでゲームの世界のようだったが、そのうち慣れて家族全員で爆睡した。

7時間のバス移動はなんだかんだ刺激的で楽しかった。

旅に出てから初めてのイオンへ行った。

子供達はキッズコーナーで大興奮。地元の子供達とも仲良くなりたくさん遊び、連れてきて良かった。

公園で嫁が葉っぱで何かを作り出し、子供達のヒーローになった。

俺もエアーズロックでしげさんに貰った魔法のわりばしでマジックをして、ヒーローになったぜ。

子供達が純粋無垢で最高に可愛かった。

カンボジアは悲劇の国なので、これからその笑顔を絶やさず、元気に平和に育って欲しいと願った。

 

 

今回プノンペンに来たのは、「トゥールスレン」と「キリングフィールド」に行くのが目的だった。

行くと決めてから、映画やDVDを購入して見て学んできた場所だ。

 

世界史で習ったかもしれないが、詳しくは知らなかった情報なので簡単に説明します。

ポルポトが1974年から1978年の4年間、理想とするぶっ飛んだ原始的共産主義を作ろうとして

知識のある邪魔者を大量虐殺した話です。

その数800万人の人口に対し200万人。1/4の罪のない普通の人々が犠牲になった。

日本で例えると、1億3000万の人口なので3000万以上殺された計算の比率になる。

どの家庭も、家族・親戚で殺されていない人はいないレベルだ。

医者、教師、外国語話せる人など知識がある人は皆殺され、しまいにはメガネを掛けているから

頭が良さそうという理由だけで、沢山の知識ある大人が殺された。

 

ポルポト政権崩壊後の人口比率が本当に異常で、15歳未満の人口が85%の国になっていた。

それだけ全く罪のない大人がイカれた思想で罪人とみなされ殺された。

 

こんな事、日本人はあまり知らないんじゃないかな。。

同じ東アジアの国でこんなにも恐ろしい悲劇があった事を。

 

しかも遠い昔ではなく、俺が生まれてから起こった40年以内の出来事。

 

4年間のうち罪のない人々を20,000人以上収容したトゥールスレンという刑務所があり、

そのうち生きて帰ってこれた人はたったの7人でした。

 

実際の場所は空気が非常に重く、拷問部屋では身震いする程の悪寒が走った。

写真では沢山の子供も写ってあり、希望ある目をした少年を見て胸が張り裂けそうになった。

ここに連れてこられた人は残酷な虐待の末、キリングフィールドに行き殺された。

カンボジア人がカンボジア人に対し行った事実です。

同胞を殺すなんてありえないが、殺さないと自分も殺されるという地獄の末の恐怖の出来事らしい。

※簡単でもう少し詳しいもの。写真等閲覧注意。

http://burabura.uchiyamahiromi.com/?eid=33

 

「キリングフィールド」

カンボジアには300程のキリングフィールドがある。

罪のない人が大量に殺された場所だ。

ここでは音声ガイドが2時間近くあり、当時の事を深く知る事が出来た。

聞きながらあまり広くない敷地を歩き、実際目の前にすると、その事実に胸が押しつぶされそうだった。

 

未だ地面に埋まっている人骨や服の切れ端を見ながら、これが人間の行った事なのかと深く深く心が傷ついた。

この地球上で同じ様な悲劇は絶対に繰り返してはならないと天に願った。

※簡単でもう少し詳しいもの。

http://sekainotabi.jugem.jp/?eid=182

この場所に行ってから平和とか生きる事等を深く深く考えさせられた。

当時の人達は明日の事なんて考えられなかったと思う。

今日生きれた、今日生き延びる事が出来た。と今日の事しか考えられなかったと思う。

自分や日本人のあまりに恵まれている環境を考えると、

今日をもっともっと本気で生き切らなければならないと深く思った。

 

毎日の積み重ねが人生であり、人は過去にも未来にも行くことができない。

いつだって一番大切なのは「今」、今なのだという事を強く考えさせられた。

このタイミングで今の俺なりに色々考えさせられた事は本当に意味があった。

俺の人生のターニングポイントになった場所と言っても過言ではない。

 

言葉で伝える事は難しいが、今日生きる事の有難さを痛感させられた場所だった。

そらとあおいには悪いポリスが沢山の人を殺してしまった場所だと教えた。

子供達なりに空気で色々感じたと思う。

二人にはいじめをする事もされる事もなく、優しい人間に育って欲しい。

 

もう二度と同様な事が世界で起きりませんように。深く深く願う。

そらとあおいの冒険は続く・・・

 

 

 

<スタッフ編集後記>

 

 

読んでいて、もし自分がその立場だったら、、と想像して胸が苦しくなります。

文中の写真に、飾られた太い木があります。

赤ちゃんや幼い子ども達は、母親の目の前でこの木に何度も何度も頭を打ち付けられて殺されたそうです。

もう、気がおかしくなって言葉にならない叫び声を上げてしまいそうになります。

 

 

人を人として扱う。

こんな当たり前のことが、異常な環境によって麻痺してしまう。

とてもとても、怖いことです。

人間の身体の中で、一番騙しやすいのは、脳みそだと脳科学でも証明されていますが

通常では考えられないことが追い詰められた精神状態によって変わってしまうということが

本当に本当に怖い。

 

 

 

平和な国では、人は幸せを探します。

どうすれば幸せになれるのか、想いを馳せ幸せを掴みとるために手を伸ばす。

 

 

でもこの渦中にいた方達は、今を生き延びるのが精一杯だった。

というより、’生きる’という当たり前に与えられている権利が、苦しかったかもしれません。

 

 

幸せって、してあげるものでも、してもらうものでも、

探すものでも、掴み取るものでもなく、

 

 

結局幸せは日常の当たり前の中に存在しているのだと

気づかされます。

 

 

この方達の魂が、どうか、次に生まれてくる時には

優しい世界でありますように。

 

 

 

 

旅空~そらとあおいと家族の大冒険~

 

 

 

 

タイ チェンマイなう。

ホーチミンから乗り継いでまたタイに戻って来ました。

フォーうまい!

ナイトバザー雰囲気あってかなり良い感じです。

嫁念願のゾウ祭り楽しんできまーす( `ー´)ノ

 

おかまちゃん(笑)

 

 

 

<スタッフ編集後記>

 

先日、弊社の会長である瘧師範一(享年72歳)が天国へ旅立ちました。

 

スタッフの全員が、とても会長をお慕いして頼りにしておりましたので

急な悲しみにそれぞれが向き合っています。

 

 

一代で今のぎゃくしを立ち上げられ、今は長男である瘧師博一が

現社長を受け継いでおります。

 

 

 

 

少し、会長のエピソードをご紹介させてくださいね。

(敬略語)

 

 

  ぎゃくしがスケートレンタルを始めた理由

 

 

現社長が小学生の時、授業で使うために新品のスピードスケートを購入しましたが

翌年にはもうすでにスケートが小さくなり履けなかったそうです。

 

授業で使うにしても回数でいうと10回も使わないのに対し、

毎年新品を購入するのは勿体ないと感じた会長は、

奥様と中古スケートを扱うお店を探しましたが、やっと見つけ購入したスケートは

とても古く草臥れたものだったそうです。

 

当時は、スケートのレンタルを扱う店舗は帯広近辺には1件もなかったそうです。

 

そこで会長は、「他のご家庭も自分達と同じようにお困りなのではないか?」

と感じ、当時経営されていた自動車修理工場の傍ら、

1983年にスケートレンタルを始めました。

 

オープン当時、スケートのレンタル数は僅か15台だったそうです。

そこから40年の年月が経ち、現在(2022年度冬)のスケートレンタル総数は7,000台まで増え、

毎年足りなくなるほどのお客様にレンタルいただくまでに成長しました。

 

ここに至るまでには、会長が「真摯にお客様とスケートに向き合い」

築いてきた「信頼や信用の積み上げの賜物」だと思います。

 

 

  <ふぃっとも>の誕生

 

 

当店で扱う【ふぃっとも】をご存じでしょうか?

 

私は入社してはじめて「ふいっとも」を知った時、心の底から感動しました。

 

ふぃっともというのは、スケートが足に合わないお子さまのために会長が10年以上の年数をかけて

研究と試作を何度も何度もくり返し、開発した商品です。

 

スピードスケート靴は、通常のスニーカーとは違い、21cm以下のサイズは規格上1cm刻みで作られています。

ですが小さいお子様ほど筋力が弱く、スケート刃一枚で立つにはぐらつき不安定です。

ですから足に隙間なくぴったりと合わせることが重要になるのですが、1cm刻みのサイズですと

そのままでは足に合わないお子様が多くいらっしゃいます。

 

また、足の形も個性それぞれで、左右の大きさ違いの方、幅が細い方、靴擦れしやすい方など様々です。

 

そのどんな個性の足の形にもフィットし、支えてくれるのがふぃっともです。

このふぃっともは、画期的で実用的で、お子様と親御さまの心に寄り添う素晴らしい当社自慢の商品です。

 

ふぃっともの商品名は、12年前に亡くなったご子息(現社長の弟)の名前、智明(ともあき)さんから

つけられ、とても想いのこもった商品です。

 

 

  人が会社を創る

 

会長は真っすぐで、情熱的で、努力家で、正義感が強くて、粘り強く改善・改革をくりかえし、

丁寧に細部までこだわり、常に最善の努力を惜しまない素晴らしい方でした。

 

冬の忙しい繁忙期にはいつも店舗裏でスタッフを気遣ってくださり、

「おーい!困ってないか~?」と一人一人に声をかけてくださり、支え助けてくださいました。

 

 

ぎゃくしのはじまりは、会長が自分と同じように「お困りの方のため」にと始めたスケートレンタルです。

あたたかく想いやりがあり、誰に対しても平等な人柄でした。

 

 

そして会長が経営者として、常に一歩を踏み出し続ける日々の中で、

一番頼りにしていたのが奥様の存在でした。

創業当時から、二人三脚でこられた奥様の存在は、

会長にとっていつも隣で同じ景色を描く絶対的な味方であり、

支えであり、背中を押してくれる共同体のような存在だと、

幼い頃から会長と奥様を見てきた社長(息子)は話されます。

夫婦としても仕事でもパートナー仲良く、優しく穏やかな雰囲気は、

そのまま会社の雰囲気となっています。

 

 

 

生前、会長は社長に「今までやりたい事をやり切ってきたから、いつ死んでも悔いはない!」と言われていたそうです。

 

 

生きている中で通常は、死について考える時間は少ないものです。

それよりも、今に直結している目の前の悩みや毎日をこなすのに一生懸命です。

 

ですが死は誰にでも平等で必ず訪れるもの。

 


 

幸せに死ぬためにはどう生きるか。を考えながら

死から逆算して今を後悔なく生ききる。

 

 

 

物事は必ず対極になっていて、悲しみから幸せを、有から無を、

死から生に、気づかされます。

 

会長のように悔いはないと言えるように、

生きている私たちは、「今、ここ」で一生懸命生きていきましょう。

 

 

今までと同じように、これからも会長はあたたかく見守ってくれていることを

現社長と奥様、スタッフ全員が感じています。

 

 

会長、ありがとうございました。

一同、愛をこめて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

旅空~そらとあおいと家族の世界大冒険~

カンボジア後編 アンコールワット(2015/2/26~3/6)

 

 

 

 

<7日目>

昼久々のジョギング。35℃の激アツの中トンレサップ湖を目指す。

が日差しが強く熱中症になりかけて断念。最初に摂る水分はビール!と、

全く水を飲まず頑張ったのが良くなかった。

 

街をちょっと離れると、現地の暮らしはまだまだ貧しく汚れた川で生活していた。

走って見える景色は車の中からとは違い、現地の事が色濃く見えるのでこれからも時間見つけて走ってみよう。

日本に戻ってから北海道マラソン再チャレンジしたいしね。

目指せサブ3.5。

 

<8日目>

念願のアンコールワットサンライズ。

朝5時出発だったが、そらは人生初めての日の出に興奮して起きることができた。

真っ暗い中現地に着き、段々と辺りが明るくなる様子は最高に感動の景色だった。

曇っていて朝日は厳しいかな~と思っていたが、最後に朝日を見ることができて感動の嵐だった。

そうだ!この為にカンボジアに来たのだ。

 

一生に一度は、この景色を見る事を強くお勧めします。

 

ここに滞在中、そらの乳歯が2本抜けた。1本はラミリアの屋根の上へ。

もう一本は、アンコールワット入口のライオンの背中の割れ目に埋めてきた。

たぶん落ちる事は無いだろうから、そらが大きくなったら再度この地に訪れ自分の歯を発見したら面白いな。

皆様ももし行く機会があったら探してみて下さい。見つけた方は賞金あげます(笑)

 

夜は4トラベルで一番人気だったスープドラゴン。

帰り男3人で最後の夜を祝いオープンカフェバーへ。

男同士の乾杯最高(ビール、コーラ、スプライト♪)。

早くこいつらと全員ビールで乾杯したいね。

その時が本当に楽しみだ。

 

シェムリアップ非常に良い街でした。

アンコールワットもサンライズにも、とても感動した。

 

カンボジアはもっと貧困・地雷等、負のイメージがあったが

皆最高な笑顔で明るくて元気だ。

街も活発でとてもパワーを感じました。

毎回思うが、現地に行って実際見て感じてみないと分からないものだね。

 

写真やネットで情報はいくらでも得られるけれどリアルに肌で感じる事は出来ない。

これからもリアルに感じる事を大切にしていきます。旅以外も全てね♪

 

遠い過去を見るならシェムリアップ、近い過去を見るならプノンペン。

そう思って今プノンペンに来ております。

旅も人生も楽しい事ばかりではない。過去の負の出来事をしっかり感じてこよう思といます。

今日はついにキリングフィールドに行ってきます。

※詳細はプノンペン編で

 

 

 

奥様の手記より

 

「アンコールワットは、カンボジアの人は入場無料。

近くの村の貧しい子供が、学校も行けずに平日の昼間から売店近くや道端で

葉書やグッズを一生懸命売って歩いてる。

6~7歳の男の子が、大きな外国人に駆け寄り片言の英語で話しかけている。

 

私達のところにもやってきて、少しの日本語で

「やすいよ~、はがき、いちまい、にまい、さんまい・・・」と話しかけてくる。

 

こんなに小さなうちから生きていくために必要な言葉を覚えて、

暑い中一生懸命走り回っている。

買ってあげると、他の子供も寄ってきて大変なことになるので、

買ってはあげなかった。

 

でも、この子達もやっぱり子供。

名前や歳を聞いたり普通の会話をすると、すごく顔が明るくなって喜ぶ。

この子達がもう少し大きくなった頃には、学校で読み書きを覚えたり

色んな勉強ができるようになっていてほしい。

今の生活で培っているいろんな言語やコミュニケーション能力が、

絶対に役に立つと思う。

 

世界中からたくさんの人がアンコールワットを見にこの地へ集まってきます。

その建物に感動しながらも、そのふもとの子供達も凄く印象に残りました。」

 

 

旅はまだまだ続くよ♪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

旅空 ~そらとあおいと家族の世界大冒険~

カンボジア シェムリアップ(2015/2/26~3/6)

 

 

 

 

チョムリアップ スオ!(クメール語でこんにちわ)

現在はプノンペン6日目。

簡単にシェムリアップ編アップします。

 

 

<1日目>

エアアジアでバンコクからシェムリアップへ。

たったの1時間で別世界。土臭くてアジアやっぱり最高。

マップをゲットし新しい街を探索。

オールドマーケット、パブストリート、ナイトマーケット、新しいものを見るのは最高に刺激的だ。

 

<2日目>

夜は焼鳥大将。久々に日本の焼鳥懐かしくてうまし。

そこへ突然日本人女性5人組(バンコクからバスで着いた若者)がホテル難民で助けを求めてきた。

女性だけで旅してえらいね。若いうちの旅は最高な経験になるのでトラブルも楽しんで欲しいね。

 

<3日目>

アンコールワット小回りコースへ。

アンコールワット、タプローム、アンコールトム、バイヨン、サンセットでプノンバケンへ。

やはり遺跡最高だ。しかし昼間は40度近い。猛暑の中そらとあおい、良く頑張りました。

夜はハッピーアワーで生ビール0.5ドルと激安!飲みまくってやった。

一杯60円最高すぎる。ちなみにそらの飲んだコーラは1ドルでした。

 

<4日目>

夕方からホテルの庭で、そらの念願だったBBQ。

ホテルのオーナーと仲良くなってその従業員や友達も含めBBQする事になった。

オーナーは日本在住経験ありだそうで、奥様は日本人。

娘ミリアちゃんは活発な2歳の女の子で可愛すぎる。ホテル名はLa Milliaと娘の名前からつけたそうだ。

 

ミリアちゃんと1週間遊んでいるうちに、もし確実に女の子なら3人目も欲しいなと思った。

海外でBBQできるとは思っていなかったので、最高に楽しい時間でした。

 

<5日目>

自転車をレンタルして街を爆走しキリングフィールドへ行ってきた。

 

ポルポト、マジで酷い。これがたった40年前の出来事とは思えない。

日本の平和は当たり前じゃなく本当に恵まれていると痛感する。

色々考えさせられた場所であった。(長くなるので割愛)

夜はパブストリートで家族でディナー。

カンボジアは賑やかなイメージが無かったが、ここのストリートは別世界のようだった。

世界の色々な盛り上がっている通りと同じで最高にPOPだ。

 

<6日目>

アンコール大回りコース。アンコールトム、その他諸々。

めっちゃデカい虫を発見。そらとあおいが大興奮だった。やっぱり男の子だね。

ランチはAMOK。うまし!

夜アンコールマーケットへ。そらは初のドクターフィッシュ。

とてもかゆがっていた。

 

 

後半へ続く♪(次はアンコールワットだよ!)

 

 

 

<奥様の手記より>

 

ここでの旅の途中、日本伝統の3月3日ひな祭りがあったので、

ソラからミリアちゃんに手作りのお雛様をプレゼントしました(*^^*)

(こうゆうあたたかい愛をサラッと渡す奥様。本当に尊敬します)       

 

ホテルのオーナーも、日本人の奥さんも、従業員のドライバーさんも、 みんな凄くいい方達で

ほんとに子供の面倒よく見てくれて、いろんな事をさせてくれました。

うちの子達、調子にのって、キッチンに入っておしゃべりしたり食べ物飲み物もらったり、やりたい放題(((^^;)

 

皆さんも、子連れでアンコールワットに行くなら是非、La Milliaに宿泊してください。

楽しすぎて、子供達にとって環境が良すぎて、チェックアウトの時にはウルッときてしまいました。

 

ここがいくつめの宿かわからないけれど、離れる時に涙出たのは、ここが初めてです(@_@)

そらもアオイも、またここに戻ってきたいと言っていました(*^^*)

これからも、こんなすてきな宿にたくさん出会えるといいな(°∀°)

 

シェムリアップの街はとても小さく、ナイトバザーはお洒落な雰囲気でした。

イメージしていたカンボジアは、正直こんなにお洒落な物があるとは思ってなかったです。

 カンボジアにごめんなさいです(笑)

 

後にベトナムでも見かけたけど、椰子の実の小物入れ?内側に色んな模様が塗られていて、

とても欲しくなりました。

 

そしていつか遭遇するだろうと思っていた、虫達の食べ物を

普通に袋詰めして買っていく女の子がいたり(゜ロ゜;

 

 

ナイトマーケットの一角のbarで、ビールとコーラで乾杯する男3人。

いいね♪

 

この街は小さくて、人が良くて、活気がありながらどこかのどかな感じが漂う情景で、

私はこの街がすごく気に入りました(°∀°)♪

 

でもまだまだ、夜遅くまで空き缶やペットボトルを裸足で走り回って集める子供や、

物乞いもよく見かけます。

 

次はアンコールワットへ向かいます。

 

 

 

 

 

 

こんにちは。

 

キャンプの内容の記事は、とても久しぶりですニコニコ

 

 

 

6月に入り、店舗もやっとキャンプ仕様に。

 

今年は、椅子をめっちゃ出しました(笑)

 

制服レンタルやサッカー用品を購入にご来店されたお客様、

待ち時間はこれらの椅子に座って頂いてます。

 

 

お客様をご案内すると、

 

「お母さんこれに座ってみるわひらめき

「じゃあ俺はこっちにするニヤリ

 

という、楽しそうな親子の会話が聞こえてきます。

 

 

みなさんも一度、座りに来てくださいね♪

 

 

 

 

キャンプ用品のレンタル予約やお問い合わせも

少しずつ入ってきています。

 

今日からは帯広市もグッと気温が上がるようで、

北海道の短い夏、いよいよ始まりますね♪

 

キャンプ用品の詳細は、当ブログの「テーマ」から

料金表やカテゴリー別へ進めますので、

のぞいてみてください。

 

 

 

 

 

 

夜もだいぶあたたかくなってきたので

久々に自宅前で手羽先を焼きました。

 

キャンプに行きたくなります虹

手羽先について詳しく語りたいのですが、

それはまた、後日に。

 

 

 

 

 


 

 

 

株式会社ぎゃくし

北海道帯広市西13条南17丁目2

TEL:0155-24-5233

夏季営業時間:11時~18時

定休日:火曜日

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

家族で世界一周旅<番外編>ー家族で旅に出るまでー

 

 

 

当時5歳と2歳の子ども達を連れての家族4人の世界旅。

300日という時間をかけて成し遂げたその旅に至るまでを

あらためて社長に伺ってみました。

家族を喜ばせるという目的の裏側にあった、もう一つのストーリー。

 

 

スタッフA:

世界一周した人はそれほど珍しくないですが、小さいお子さんを連れての家族で世界一周された方は

あまりいらっしゃらないですよね。

社長はいつ頃から世界一周の旅に行こうと考えていたのですか?

また、その理由は何だったのですか?

 

社長:

一番最初はまだ独身だった28歳の時だったかな。具体的に行こうと思ったのは30歳の時。

きっかけは、高橋歩の本だったんだよね。世界を旅した内容の本でさ。

世界一周ってそんな遠いことじゃないのかもって、凄くワクワクしたんだよね。

その頃は奥さんとまだ付き合ってる時で、新婚旅行で世界一周に行こうかと話してたんだ。

 

スタッフA:

新婚旅行で世界一周!いいですねー!

 

 

社長:

そうそう!なんだけど、33歳で奥さんと結婚して、翌年の34歳の時にはそら(長男)が生まれて。

それと俺の弟が体調を崩してしていたから、まだ先でもいいかなって。

日々の忙しさもあって旅への気持ちもちょっと薄れていたのもあったかな。

 

そんな時、弟の体調がなかなか良くならなくて、旅のこともあまり考えなくなってて。

そしたら弟がさ、俺に言ったんだよね。

 

「俺、世界に旅しに行きたいよ。

俺のジーンズ履いて、世界一周行ってきてよ」

 

 

弟はジーンズにかなりこだわりを持っていてさ、

今までどんなにそのジーンズくれと言ってもずっと絶対に嫌だと言っていたのに

そのジーンズ履いて旅に行けって言ったんだよ。

 

 

その時に、俺の中で薄れつつあった世界旅へ行くことが、

「絶対に行くんだ」って必然に変わったんだ。

 

 

そう決めてからは資金を貯めるために仕事めちゃくちゃ頑張って、結果出してお給料に反映してもらったり

節約できるところは節約して。

そら(長男)が小学校に上がる前に行こうと決めて。

それで、39歳の時に出発したんだ。

 

 

スタッフA:

掲げた目標は必ず達成される社長らしいです!

旅に出るのが目前になって、どんな期待やお気持ちでしたか?

 

社長:

未来の予測のつかないような今まで感じたことのないことを味わう期待。

どんなモノや景色や人に出会えるんだろう。

この旅を通じて家族で何を作り上げていこう?

子ども達は何を感じるんだろう。

弟との約束を果たすこと。。

 

とにかく、その時その時の今を全力で楽しもうって思ってた。

 

 

 

 

 

2014年11月、社長一家は世界一周の旅へ出発されました。

いろんな想いと期待と責任と冒険のはじまりです。

 

 

 

 

 

<2014年2月16日、バンコクにて 社長の手記より>

 

 

今日は弟の5回目の命日でした。

5年前、残りの命が短い事を理解している弟に

「お前のジーンズよこせ。それ履いて世界一緒に連れてってやる!」

と約束し

5年後の命日に俺は家族でカオサンロードにいる。

 

色んな想いがあった。

弟が亡くなった後、俺に全く似ていないのに弟に最高に似ている碧(あおい・次男)が生まれた。

 

嫁が葬式の時に、俺の知らないところで

「今度私が智明君を生んであげるからね。」と言っていたらしい。

 

そして生まれたのが俺にも嫁にも似ていない、弟そっくりの碧だ。

本当に色々な繋がりとは不思議なものだ。

 

旅に行くと決断してから色々な準備をしていたけれど

5年前の俺は、家族で世界を旅することが本当に現実になるとは思ってなかった。

 

これから先の長い人生も、

5年後の自分を良い意味で裏切り続けてチャレンジし続ける自分でいよう。

 

 

ノーリスクはノーリターンだ。

そんなつまらん人生はごめんだ!!

 

 

弟と2人分の人生生きて

これからも刺激を求めていきますぜ!!

そらとあおいと俺たち家族の冒険は続く( `ー´)ノ

 

 

 

 

 

 

 

旅空 ~そらとあおいの世界大冒険~

バンコク編(2015年 2/13~2/26)

 

 

コップンカッープ!

バンコク居心地良すぎて2週間も沈没しておりました。

 

<1日目>

ホテルはトンブリー地区、ワットアルン徒歩圏内というナイス立地。

晩飯は屋台の焼鳥10バーツ(36円)激安。ライス5バーツ。

ここに来ていきなり英語が全く通じなくなる。

タウライ?(いくら?)マイペッ?(辛くない?)アロイ!(旨い!)

マイペンライ!(大丈夫!)これらを駆使して食事をしていく。

メニュー表から英語がなくなり全く何書いてあるかわからん。。

得意の「What do you recommend?」が通じないのは辛いぜ。

 

 

<2日目>

ワットアルン、ワットポーへ。

ワットアルンの階段直角ばりにかなり急だが、そら根性で登る。

偉いぞ5歳児。

そらとあおいがベルギーの子供とたわむれてワットポーではしゃぐ。

 

<3日目>

チャトチャックウィークエンドマーケットへ。

世界最大級のマーケットで1万店出店している。

最高に安く面白く活気があった。ここオモロイまた行こう!

サイアムへ。

バンコクで一番おしゃれな街。

人が多く最近テロらしい爆発があった場所。

そらとあおいはサイアムパラゴンの久々キッズコーナーに大興奮♪

 

<4日目>

念願のカオサンロードへ。

バックパッカーの聖地。

色んな国の旅人が行きかう世界最高の300メートルの道。

痺れた、鳥肌立った…

ある意味旅人の世界のど真ん中。

みんなひげとバックパックが似合うね。

夜はムエタイ観戦。

体と体が本気でぶつかり合う。

金を賭けている地元の人々の罵声が、雰囲気を更に創る。

子供達も大大大興奮。

15000円と少し高かったが連れてきて良かったね♪

 

<5日目>

久しぶりのランニング。

サンセットの美しい景色の中、チャオプラヤ川を渡りワットアルンを見ながら

ブルーハーツの青空とリンダリンダを聞きながら走る。

マジで最高なひとりの時間だった。

 

『どぶねずみみたいに美しくなりたい。写真には写らない美しさがあるから~♪』

 

これマジで汚いけど美しい、バンコクという街ににバシッとはまってしびれた!

 

 

<6日目>

ドゥシット動物園へ。

キリン・トラ・オオトカゲ、ナイスだった。

そらとあおいを世界中の動物園に連れて行き珍しい動物沢山見せてあげたいね。

 

 

<7日目>

ボートに乗り川を渡り2回目のカオサンロードへ。

王宮隣の公園、子供達との散歩居心地良かったね。

地元の人達が鳥のパフォーマンスとたこ揚げしてて長閑だった。

 

 

<8日目>

アユタヤ遺跡へ。

鉄道で2時間掛け15バーツで行けるなんて激安。

直角鋼鉄シートにケツ悶絶。。。

遺跡初めてきた。

ビルマ軍にやられて崩壊したアユタヤ。

ここだけ時間の流れが止まっていた。

何百年もこの遺跡はここで変わらず時を刻んできた。

体験しないとわからんと思うが遺跡かなりやばいよ。

はまった!

そらは、壊れた仏像を見て「かわいそう」とプンプンでした。

<9日目>

ホテル移動エカマイ地区へ。

この地域は日本人も多く住んでいるらしく日本食多数あり。

おおー!興奮する。

牛角もすき屋も、世界の山ちゃんも串カツだるまもラーメンもある。

日本食食べた過ぎたので居酒屋へ。

日本の店員と仲良くなりサッカーチケットゲット♪

やったー念願だった海外での初サッカー観戦だぜよ。

 

 

<10日目>

2回目のウィークエンドマーケット。

ハーフパンツ安すぎ800円でゲット♪

ここで買って古着屋やったら絶対儲かるでしょ。

はいビジネス帳にメモメモ。

俺ただ旅してるだけちゃうからねー。

これ日本でやったら絶対成功するでしょ。というものを発見するための旅でもあるのだ。

世界から沢山のビジネスを学びやんす♪

 

そらとあおいが先週もいた子供と公園で更にマブダチになる。

その後念願のサッカー観戦。

タイのチャンピオンチームとサガン鳥栖戦。

PK戦までもつれ込み周りのタイ人と大盛り上がりで最高に楽しかった!

<11日目>

そらとあおいの靴を探しにMBKへ。

ここもめちゃデカい激安のショッピングモール。

色んなジャンルの商品があってめっちゃ楽しかった。

 

バンコクに来て夜出ないなんてイカンという事で、夜は大人の社会見学♪

知る人ぞ知るナナプラザとソイカウボーイへ。

さすがバンコク。

ハード過ぎました。。

すすきのの100倍凄いです。

鼻血は出ませんでした。

目が血走りました。

勿論俺は家族が待っているので見学のみです♪

 

 

<12日目>

ムアンボーランへ。

タイ全土の遺跡のレプリカがある凄い場所。

東京ドーム27個分の敷地に遺跡116個もある。

ちゃりんこで5時間爆走し全部しっかり見てやったぜ。

俺、最近遺跡マニア♪

 

 

<13日目>

バンコクに日本仕様の温泉発見♪

これ行かないわけにはいかんでしょ。

入浴料5000円も掛かったが、久しぶりの温泉とサウナと水風呂最高すぎた。

マジでヘブン。天国とはこの事を言うんだねー。

何でもそうだが欲しいものが無いと有難みを100倍感じるね。

旅に出て痛感する、かゆいところに手が届くものが沢山ある日本は本当に良い国だ。

これからも外から見る日本を感じてGOOD、BADを沢山発見していきたいね。

 

 

<14日目>

バンコクからカンボジアのシェムリアップへエアアジアでGO。

たったの1時間で別世界へ。

明日以降のアンコールワット超楽しみだー!!

 

 

 

バンコクは最高の街でした。

観光観光と気張らなくてもただ生活しているだけで刺激がありすぎて

本当に楽しい街でした。

ビザなしステイ90日位になればいいのにね。

ロングステイ本当におすすめな街だ。

そして嫁が行きたがっていたチェンマイまで辿り着かなかったので

一旦他国に逃げてまたタイいつか戻ってきます。

まってろタイ♪

 

 

 

《スタッフ編集後》

 

 

「どぶねずみみたいに美しくなりたい。写真には写らない美しさがあるから~♪」

これ汚くて美しい、バンコクという街ににバシッとはまってしびれた!

 

 

社長がバンコクで感じたというこのフレーズがとても印象に残りました。

 

 

写真には写らない美しさ。

目で見えるものではなく、心で感じるもの。

その奥にある背景や、そこから派生されるもの。

 

普段、目に映る物事にどれだけ左右され支配されているか

あらためて考えさせられますね。

 

 

すばらしい遺跡も、実際に目にすることで本能的に五感が研ぎ澄まされ、

刻まれた歴史と建物の景観にただ圧倒され感動するだけではなく

そこから昔の人から人へと何かしらのメッセージを受け取るのでしょう。

 

写真には写らない美しさとメッセージを感じることが出来るよう

自分も美しく生きたいものです。

 

 

その言葉は美しいのか?

その態度(在り方)は美しいのか?

 

自分が感じる美意識により、

正しいかどうかより、美しいかどうかを常に自分に問いていけば、

心で見る目が養われるかもしれません。

 

 

 

旅はまだまだ続くよ♪