父の死。。。
先月の30日の深夜、長年患っていた心臓病の治療で再入院していた父の容態が急変し、病院側の懸命な救命処置も叶わず、帰らぬ人となった。母の電話で深夜の中央高速を実家に向かい、病院に到着した時は既に虫の息。。緊急の輸血や内視鏡治療の同意書をICU横の控室で書かされているほんの10分の間に、父の名前を呼びながら「わかりますかーわかりますかー」と呼びかける看護師の声が聞こえて来る。「あぁ、もうダメなんだ。。。」と変に冷静になりながら待っていると、つい先ほど同意書にサインをするように告げてきた担当医が「息子さん、お父さん既に心肺停止している状態で、今、心臓マッサージをしているので来て下さい。」とここで初めて治療台の近くに呼ばれる。すると他の医師と看護師4,5人に囲まれながら、若い看護婦が懸命の心臓マッサージを行なっている様子が目に飛び込んで来た。テレビドラマの中では織田裕二も米倉涼子も山Pも、ここまで激しくやってなかっただろうというくらいに、父の体がくの字になりベッドが上下に激しく揺れるほどの勢いである。隣に立つ医師が「おそらく肋骨が折れてしまうくらいにやっているんですが、反応がありません。」そうかそういう事か。家族の言質を取るための、ある意味パフォーマンスみたいなものなのかと冷めた感覚で理解。「もういいです。やめてください。」こんな様子を母親や弟に見せなくて良かった、自分一人で十分だと、何だか少しイラッとしながらも、本当に逝ってしまったんだなと呼吸器のパイプを咥えたままの父の姿に目をやる。「父さん、よく頑張ったよな。もういいよな。。。」今年で89になる父は、この7月にはペースメーカーを入れる手術も行っていて、ここ数年は何度か入退院を繰り返してきたので、今回も数週間すればケロッと家に戻って来るのかなとなんとなく思っていた。一方で「これで最後かもしれない。」という覚悟は、心のどこかにいつも準備してきたつもりだったので、いつこういう日が来てもいいように、世間並以上の親孝行は意識してしてきたつもり。なのでそういう意味での悔いはカケラもない。9年前に弟を亡くした時の様々な後悔は、今なお生きてゆく上での務めというか使命として背負い込んではいるが、父に対するそれは多分なさそうである。唯一、気掛かりとして残るのは、亡くなる前日の午前中に入院中初めてかかってきた携帯からの最後の電話。しっかり留守電登録されていて、「損なオヤジ(本名)の父親です。損なオヤジの父親です。電話でね、携帯で電話しているので、損なオヤジを呼び出してください。」とはっきりした口調で呼びかけてくれている。すぐに折り返したのだが、その後は何度かけても父と話をする事は叶わなかっった。その時点では容態に変化はなかったので、何かしら虫の知らせのような勘が働いたのだろうかと思う。「アンタには世話になるねえ〜。」なんて口癖みたいに言ってくれていたので、そんな一言を伝えたかったのかな。「お父さん、あなたの息子に生まれて我々兄弟は幸せだったよ。あなたが父親でいてくれた事を誇りに思う。お母さんの事は俺と弟がちゃんと守ってゆくから心配しなくていいよ。だからこれからは天国で、今まで通り家族の事を見守ってくれよな。いろいろありがとね。サンキューバイバイ」