怒涛の集中力であっという間に9話まで試聴。って、あと1話で完結じゃんっていう…。はーこれは最終話配信まであと3日か?やはり見届けないとね。

 

とにかくこのドラマ、今年の2月終わりに配信が始まったが、つい2日前にようやくディズニーチャンネルに加入し、ようやく1話から見始めて、まさか1日、2日が9話まで見ようとも思っていなかったのに面白すぎてあっという間に9話まで見てしまった。なんせ7話まで一気見。

気づいたらあっという間。1話当たり約1時間だから、合計9時間があっという間。寝食忘れて、半日があっという間に過ぎ去った。

 

久々にこんなおもしろいテレビ映画っていうのか?シリーズもののドラマ見たなーって。感慨深い。そもそも自分の趣味は映画に特化しているので、ドラマは滅多なことがないと見ない。やっぱり重厚さとか、格調高さを求める自分にとってはテレビドラマはどれだけ面白くてもなんだか見終わった後にただなんとなく見てしまった、先が気になってダラダラ見てしまったという感覚で終わるものが多いから。まして、このシーンのあのセリフがよかったとか、改めて思い返して胸が熱くなったり、何度もみるなんてことは滅多にないんだよな。

 

どれだけ視聴率が良くてもどれだけ名作と言われてもあんまり見ようと思わない。それなら映画を片っ端から見ている方が自分は幸せだから。私にとって趣味=仕事じゃないから。だから趣味では、とりあえず幸せだけを追求するのだ。

 

自分の中学時代から20数年というもの、見た映画の本数や気に入った映画を何回見たかというのはタイトルだけはノートにつけているが、観たテレビドラマはつけたこともない。ま、「将軍」はもはや長編映画なんだろう。

 

この面白さ、やっぱり真田広之さんが主演のみならず、製作にも関わっているというだけあって、真田ファンとして超絶に期待してよかったわー。

真田さん賛美をせずにはいられないのは当然。これが、この演技が、現役で何十年ひとつの道をただひたすら走り続けてきた人の証だと思った。何よりもその若々しさだな。改めて目の力がすごい。第一線でブレもせず生きてこられた人ってのは目の輝きがあまりにも違うんだと改めて思った。イキイキしているとかそんな生やさしい表現では言えない。ずっと大きな夢を追ってこられた人の説得力のある輝いた瞳なんだな。

 

今まで真田さんの作品は映画・ドラマ含めて数十本は見ているから、そんなことわかっているんだけどやっぱりすごい。そしてやっぱりルックスもいいんだわ(今更だけど)。俳優になるためにというより、大スターになるために生まれてきた精悍すぎる整った顔立ちなんだよな・・・。彫りが深い顔立ちで、鼻筋が綺麗で、横顔が特に美しい。いうまでもなく眉目秀麗でね…。この顔立ちの立派さ。今も昔も、日本中どこ探してもそう簡単に見つけられないよな・・・。真田さんは名優だけど、大スターの称号の方がふさわしいなって思う。大スターというのは本当に限られた俳優さんにしか与えられない地位だと思う。まず、大作の主役を張れるかっていうのが第一段階ですからね。はーそれにしても虎永という男の複雑さよ。悩めるなー。

 

それにしてもこの作品、かなり重厚。もはや劇場映画だよね。自宅で、家事を片手間にのんびり楽しむ娯楽なんていう、ライトな感じは全くない。何にもできないねこの面白さだと。格調高さがあり、ほんの脇役の方も含めて役者陣の方の演技が皆素晴らしい。この3つはまず挙げておきたい。

どれひとつとっても、うーん…っていうレベルのものがなかった。そしてもちろん、原作・脚本がまたいいんだよな。ひとつひとつのセリフがいい。この時代の日本人のありようというか、そういうのを考えさせてくれる。武家社会を基本にしているから国、家族といっても、今とはそりゃ違うけど、政治、生と死、宗教、商売、性風俗も含めて、それこそいろんな視点で楽しめる。遊郭もこの作品の重要なテーマである。それは、1980年のテレビシリーズでも言及されていたけど。

 

覚えておきたいセリフがいっぱいあるな。筋書きも、作品としての娯楽ばかりを追求していないのもみそ。フィクションだからといって、ありえないことばかり起きて次を急がせるような軽々しい展開がまずない。

 

かなりお金かかってますよーなんていうスペクタクルな感じをやたらめったら、そうそう、露骨に打ち出していないところもいい。いやらしさがないよね。

 

確かにお金はかかっているのは一目見たらわかる。セットから、船から、嵐のシーンや、軍勢のシーンとか。CG使うにもそりゃ予算がかなりないとね。大阪城自体もそうだけど、城下町とか含め、空撮シーンもリアルだったなー。

画面がほぼずーっとと言っていいほどかなり暗いのも幽玄というか、なんかリアルだよなあ。重厚さに拍車をかけている。良くも悪くも暗いから何してもオーケーみたいな感じはあるにはある。ほんと人の表情すらよくわかんないところが多々ある。みんないい芝居されているのに(笑)。時代劇特有のグロテスクなシーンや、この手の作品にしてはあまりにもリアルなまぐわい(笑)シーンも全然OKというか。

 

吉さんの駄洒落といい、合間のトークはやはり素晴らしい。

相変わらずだが、川中美幸さんとの掛け合いは、いつも最高だ。なんというか、独特の笑いの世界がある。

盟友山本譲二さんとの掛け合いもやっぱりいい。ファンにとってこれはもう、たまらんね。古風なネタが逆にツボ。

 

吉さんが披露された曲は、「涙、止めて」。名曲中の名曲。これはここ数年いつもコンサートのフィナーレで披露される名曲。やっぱりいい。それは言っておこう。ちなみに、当然ですがこの歌はフルで聴くのが正解です。今やコンサートでもフルではないから。

 

さて、今回の私のイチオシ歌手は、何と言っても朝花美穂さん。ちょっと言い方がま変かもしれないが、なんなのこれ!!っていうぐらいの、あまりにも衝撃的なギャップがたまらない。

代表曲(シングル5曲目)の「しゃくなげ峠」はやっぱりいい。素晴らしい。もう無条件に。なんというんだろう、この貫禄。この方のお声がいい。まずそれが一つ。私は個人的にどれだけ美声でも女性の甲高い声ってどうも苦手なんだけど、この方の声は絶対に低いといった方がいいけど、あまりにも美声。なんでこんなにいい声なんだろうとつくづく思う。吉さんですら、「いい声」とおっしゃるのもわかる。いや吉さんのこの感想は当然、嘘偽りがないから。とにかくその安定感抜群の低めの声が何よりも素晴らしいと思う。それに加えてすごい表現力なのだ。

 

そしてやってきた、2曲目の「瞼の母」のご披露。この歌番組で、2曲も歌える方は限られている。選ばれた人だけ。それだけは言っておこう。

 

当たり前だが、ひとたび歌の世界に入られたらこの方は別人。これがプロ歌手だと改めて思った。歌の合間のトークの時はあまりにも可愛くて、清純で、完全なる癒し系。何度もいうが、歌って居られない時の朝花さんは、本当の清純派であまりにも可愛い。思わず吉さんが「可愛いー!」とおっしゃるのもわかるのだ(笑)。素でもあまりにもかわいい方なのだ。それが歌の世界に入った瞬間、まさかの貫禄ですからね。このどしっとした貫禄、一体どっから来るんだって思わず絶句する。私(34才)よりもはるかに若い20代前半の方が、この貫禄。もはや、この貫禄が怖いなー。このギャップに狂っていく人は多いと思う(笑)。とにかく、今、一番一押しの演歌歌手の方は、朝花美穂さんで決まりです。

 

 

 

 

 

今年の4月から、なんと、演歌界では稀有なシンガーソングライターであり、大御所歌手の吉幾三さん(…いや、改めて前置きなんていらない方なんですけど)が「人生、歌がある」の司会に。

ダブル司会のもうお一方は岡田美里さん。演歌・歌謡曲が好きな私は、当然ながら五木ひろしさんも大好きだから、唐突とも思える、五木ひろしさんのこの番組からの卒業は残念だったけど、今まで何年もにもわたって十分楽しませてくれたからまずはそのことに感謝しかない。一度、番組司会を離られたけどまた戻って来られた時は本当に嬉しかったもの。

 

さて、今回、このお二人のとり合わせ、正直、びっくりした。意表をつくというか、そうきたかーっていう、そういう意味でまさにフレッシュそのもの。芸歴はお二方ともとてつもなく長いものですけどね。

もちろんこのお二方のとり合わせなんてものは、素人の私には予想がつかないものだった。それにもまして、吉幾三さんが司会!、しかもこの歌番組でというのは驚きだった。吉さんって司会される方なんだって初めて知ったというか。だから、事前に、コンサート会場でこのことが明かされた時にまたまたご冗談をって正直思ったしってやっぱり信じられなかった。私は、10年ぐらい吉さんのファンをやっているけど、やはり司会をされるイメージがなかった。

でも、よくよく考えたら、逆にこれだけ喋りの達者な方に、笑いのセンスがすごい方に、レギュラーで司会をされる番組がなかったというのも意外といえば意外で。ま、当然といえば当然か?なんて今なら思える。あくまで今ならだけど。

 

記念すべき第一回、視聴しました。やはりいい・・・。もちろん、吉さんは番組進行の役目だから、吉さんが主役というのではない。だから司会の吉さんもたった一曲しか歌われない。でもそれはわかっていたけど、やっぱりちょっと意外だったといえば意外。だからこそ、最後の一曲が余計沁みた。「やがて世界が歌いだす」。吉さんの芸能生活35周年記念曲にして、名曲中の名曲。歌手生活50周年を記念してカバーされたのはファンなら知っているだろう。

学校の音楽の教科書にいつ載るのかなって思っている曲が吉さんの曲にはたくさんあるけど、この曲もまさにその候補の一曲だと思う。ま、万人に歌われるべき名曲だからって、教科書に載らなきゃいけないわけじゃないけど、もっともっと多くの方に知って欲しい曲がいかに多いか。吉さんの楽曲ファンなら誰しもが、そう思うのは致し方ない。

 

合間のトークも爆笑。番組の尺もあるので、そりゃそんなに頻繁に披露されるわけもなく、多くはないけれど、吉さんの人となりが十分にわかる。これで十分だよね。もちろん吉さんはもっともっと暴走したいかもしれないけど。でも、そうなるとすぐにこの番組の司会できなくなっちゃうからね、めちゃくちゃ気をつけて居られるんだと思うわ(笑)。

 

川中美幸さんとのやりとりもいつも漫才さながら。たまらんなー。このやりとり。

 

菅原洋一さんのコーナーの時に、菅原さんのお言葉に思わず涙ぐまれたのもなんとなくわかる。先輩からのお言葉ですからね・・・。それにしてもいつも率直な感情表現ができる方だとしみじみ思う。どこまでが計算された尽くしたプロのボケで、どこまでが天然ボケなのか、一瞬視聴者にはわからないようなこの匙加減がいい。絶妙なのだ。

ご自身が以前菅原さんに書かれた曲「歌よ…あなたが居たから」のタイトルをちょっと間違って紹介してしまって、すかさず、菅原さんが訂正を入れられるところのやりとりもなんだかクスッと笑えてほんわかするのだ。それまでは穏やかーに、和やかーにゆったりと菅原さんとのトークが進んでいたけど、この時ばかりは菅原先生、めちゃめちゃ反応早かったなーなんて思った(笑)。それにしてもこればっかりは吉さん、たぶん本気で間違われたのだと思う(笑)。なんせ常に何かを生み出すために命をかけておられる音楽家ですから、作った歌の歌詞、タイトルがすぐに出てこないことはしばしばある方ですからね(笑)。

 

ラブストーリーの傑作など、古今東西あまたあるが、個人的に大好きなラブストーリーといえば真っ先にこの映画をあげよう。やはり好きな映画に理屈はない。

 

でも、やはりなぜだろうと考える。確かに理由はいくつかある。

映画音楽がいい、脚本がいい、スターの演技がいい、そしてなんと言っても監督の演出が素晴らしい。…などなど。

そりゃ、それは当然。ただ、最終的に好きな映画に理屈はないという結論に陥ってしまう。監督の演出が素晴らしくいいからと言って、直ちに自分の好きな映画ベスト10に入るかっていうとそうじゃない。

 

この映画、この十数年で5回ぐらい観ている。と言っても今回見たのはおよそ10年ぶりか。いやもっと月日はたっているかもしれない。14年ぶりかもしれない。ま、この際どうでもいい(笑)。

 

とにかく、挿入歌の「セプテンバー・ソング」、これがまず素晴らしいのが1点。そして、ラストのラフマニノフのピアノコンチェルトの1曲。これだけでこの映画の魅力の大半は完成されているのかもしれない。なんてロマンチックな映画だろう。そしてなんて美しい旋律だろう。とにかくこの2曲に酔った。そしてその曲の使い方にまた酔いしれた。まさに、「セプテンバー・ソング」の歌詞のまんま、あまりにも切なく美しい結末を迎える二人の恋物語。

 

歌詞の一部の大意を取り上げると、「若き頃、恋をした。やがて君は僕のものになった。その恋が始まったばかりの時は待つのも楽しみだった。(二人が共に過ごした)5月から12月の間は長いけれど、(別れが近づいてくる)9月に入ると急に日々の流れは早くなる…。9月になるともう待つことを楽しむ余裕はない。だから残された日々を大切にしよう…」・・・・。

 

なんとまあ、切ない歌詞だ。ウォルター・ヒューストンのハスキーすぎる歌声がまた泣かせる。たまらない、あー美しい。何もかも。

 

そう、好きで何度も見る映画に理屈がないように、恋をすることにもやはり理屈はない。その場のロマンチックな雰囲気、まさかの飛行機事故というありえない奇跡起きる、それも2回も続けて飛行機事故がらみの事件が起きるというとんでもない偶然、そして互いのルックス、見た目もあるだろう。この映画では女の方、ジョーン・フォンティンは眩いばかりの美女だ。男の方はなんといってもずば抜けた包容力だな…。ジョセフ・コットンのあのどしっと構えた落ち着きというか、余裕。それなりの人生のキャリアを積んでいないとなかなか出るもんじゃない。仕事においても家庭においても。それなりの大人の女性は、そういう包容力にとことん弱い(と、あくまで30代半ばの私は思う)。

 

ま、とにかく偶発的なものが重なり合って、別に旅先でアバンチュールに期待するわけでも、ことさら主人公二人が恋愛体質だったというわけでもない。暇つぶしに恋するつもりなんてのも全くなかったのだが、ビターッと条件が合致してまたたくまに恋に落ちる。これが恋に落ちるっていう事実。恋というものは、しようと思ってできるもんではない。ただ落ちるのだ…。いうまでもないが、そこに理屈はない。歳の差も、既婚か未婚か、そんなもん一切が関係ない。

 

そういうわけで、過去をきっぱり捨てて今この時を愛しあっていればいいじゃないかという刹那的な感情で、飛行機事故で死んだ犠牲者ってことにして幽霊のように異国の地で幸せに暮らし始める二人。ま、ある程度の年齢を重ねた人にはわかると思うがそんなもの、長続きする訳はない。だって、若い女の方はともかく、男の方はどう見てもまだ引退する年齢ではない。どう見ても40代だ。この先仕事もせずにどうすんのって話で。それは確かに当事者もわかってるだろうけど、恋に落ちたらそりゃ盲目ですから。

幸せな時間は短いのだ。あまりにも。なんて儚いのだろう。だって、1年も持たない愛の暮らしなんてあまりに短すぎる。でもまあ、後先考えないのが恋というものであって。あと先をきっちり考えてりゃ、ゆきずりの恋なんていくら美男美女で気量が良くてもそうそう簡単にできない。

 

わずか半年ちょっとの燃えた二人の愛。そして、それは燃えつきないままに別れるというのがまた理想でもある。ひとっかけらの愛も残らないまま決裂するよりかは、まだ幾分か、互いへの愛がたとえいくばくかでもあるうちにきっぱり別れるというのは素晴らしく美しいものだ。これは理想だ。なかなかできない。特に我々凡人には・・・。

まだ相手を好きなうちに永遠の別れを告げることができれば、これほど素晴らしい幕切れもないだろうと思う。かなりの勇気がいるのはいうまでもない。

 

そういえば、カラー映画で、この5年後の映画であるけど、「旅情」もそういう映画だった。たった一度の契りを結び、まだまだ未練があり、まだ互いへの強い恋心があるうちに女の方から静かに幕を引くメロドラマだ。やはり既婚者と独身者のアバンチュールでは独身者からズバッと身を引くのは究極の理想と言っていい。

 

その点、この映画は共通している。あまりにも切ない展開だ。女はこういう時にこそしっかりしていなければいけないなどど、私は勝手に思う。いざという時に絶対に別れを告げるべきなのは女の方というより、独身の立場なのかもしれない。それが不倫の恋に陥った者の定めというか…。ま、何が正しいかなんて正解はないけれど、そう思わすだけの説得力がある演技と演出だった。本来、不倫を含め、恋愛に、第三者の立場がどーのこうの介入するもんじゃないからな…。

 

5回目とはいうものの、本作を見てしみじみ思った。不倫の関係、どっちに責任があるわけでもどっちが悪いわけでも、どっちがだらしないわけでもないなって。私が20歳そこそこの若さでこの映画に初めて出会ったときは、妻子持ちの男性の方がグラグラしすぎやなーって思ったものだった。おいおい、ちょいと君はだらしないのではないかなんて。戻るか戻らないかはっきりセーよって思ったもんだった。

それに比較してなんとまあ、独身の女の方は潔いんだろうとスカッとするというか、一種の理想だなーなんて、素晴らしいななんて思ったもんだった。まだ愛情があるうちに、こんなにもズバッと別れを告げることはなかなかの勇気の持ち主だって感動したもんだった。でも今じゃ、どっちがどーのこうのいう意味の虚しさに気づいた。どっちが悪いだのどっちが賢明だのそんなことはあんまり思わない。

 

やはり、道ならぬ恋に落ちて、男と女の恋愛関係にズバッと陥るっていう時点で、どちらにも責任はあって、そして何がしかの背負っているものはあるわけで。どっちもに因果はあるもんであってね。どっちが悪い、どっちがいいなんてそんなもん、決めつけるだけ無意味だということがつくづくわかる。女の方が可哀想とかそんなふうに思うのはナンセンスだなって気づいた。

 

この映画でのジョセフ・コットンは、確かに最後はグラグラでだらしないなーなんて一般人が思うのも致し方ない。おいおい、早く、はっきりせえよって、何度見ても思った(笑)。

だが、長年連れ添った女房が別れたくないと初っ端で言ってきたことからも分かるように、やっぱり彼が真面目にちゃんと仕事してそれなりに女房を大事にして生きてきたから、女房もそういう態度をとるわけであってね。まだ愛しているのだ。息子は息子でちゃんと父親が仕事に一途でがんばって働いてきた、だから家庭にまで手が回らないこともあって当然だってことをわかっているかなり頭のいい息子なんだな。父親が息子にはたいして何にもすることができなかったと心配しなくとも、父から子への愛はある程度伝わっているわけ。ちゃんと真面目に働いてきたからこそ、いざという時に美女と不倫もできるわけ。だって、いくらなんでも、あまりにひどい生き方をしていたら、いくらなんでもジョーン・フォンティンほどの美女は見向きもしないと思うわ(笑)。

 

このひたすら、家庭を顧みずただ一生懸命己の仕事に邁進して、息子にもその一生懸命さを背中で知らせてきたっていう、ちゃんとした過去がなければやっぱり美女もここまでぞっこんにならなかったと思うなー。それを改めて気づかせてくれた。

 

やはり、いい映画は何回見ても新たな視点で、ある一つの真実を教えてくれるもんですな…。しみじみ思ったのでした。

 

 

失って初めて、その重大さ、その大きさに気づくというのは自分の人生で珍しいことではない。

 

そうならないように、大事な何かを失う前に、時には命をかけてまで大切にしないといけないと思うのに、現実にはなかなかできないのが私の愚かさである。人に対しても、ものに対しても。そして雲の上の人である超大物有名人に対しても。

 

この事実を改めて突きつけられのが、昨年10月8日に逝去された谷村新司さんのことでだった。

 

報道を知ったのは、1週間以上がたった10月16日の日中。

たまたまツイッターを開いて、真っ先に飛び込んできたニュースだった。まさかと思ったが、この知らせを心の奥底で覚悟していたところも全くなかったとは言えない。人間ってもんは、自己防衛本能が働くというか、かなりの臆病であまりにショッキングなことが起きた時に深く傷つきたくないから。

昨年3月に入院されたときはショックだったけど、しばらくして復帰されるとだけ思って気にしていなかった。だがその後まもなく飛び込んできたのが、年内のディナーショーも早々とキャンセルになったという報道。この報道は3月よりもショックの度合いは大きかった。こんな形でのキャンセルの報告は、ずーっと表舞台で何十年も第一線で走り続けてこられた谷村さんの人生でなかったことだろうと思った。情報量が少ないから何もわからなかったけど、よほどご体調がお悪いのだろうということだけは簡単に読めてしまう知らせだった。

ご逝去を知らせる記事を読んだ瞬間、私の脳裏、心の奥底で何かが決定的に崩れ去っていった。こんなことがあっていいのかと思った。絶対に信じられない、信じたくないというのは何も私だけであるまい。少なくとも一般人は誰もが嘘だろうと思ったことだろう。

 

実を言うと私はそれまで、谷村さんの「熱烈な」ファンではなかった。いや、興味ないとかそういうのではなく、一度もコンサートにもライブにも行ったこともないという意味で。この偉大なスターに、何かのきっかけでお目にかかったことだってないのだから。無論、今振り返れば当然悔やまれる。

確か、3、4年ほど前、谷村さんの作詞に魅了されて以降、一度、アリスのコンサートに行かねばと思ったものの、それも今や叶わず…。

 

現在34歳の自分が物心ついた時には谷村さんはすでに有名人。というか、「音楽家:谷村新司」というビッグネームをいつ自分が知ったのかすら記憶にない。私の中では物心ついた時から、谷村さんは「昴」を作った偉大なる音楽家というイメージが刷り込まれていた。ま、そのほかにも10代の頃は人並みにテレビ番組を見ていたし、アリスでのご活躍、「いい日旅立ち」、「サライ」、「チャンピオン」…などなど、名曲を数多く生み出した方ということは知っていた。

そんな自分が、初めて谷村さんのソロアルバムを手に入れたのは20歳をすぎてからで、今から10年以上前のことだった。何かきっかけがあったというわけではなかったが、やっぱり谷村さんの名曲をちゃんと聴いておきたいと思ったからだった。だから、「22歳」、「忘れていいの」、「ダンディズム」、「三都物語」はその頃に知って何度も聴いていたのだった。

そのあと、アリスのアルバムも二枚ほど手に入れた。

きっかけは「秋止符」、「涙の誓い」を聴いて、即刻好きになったからだった。その前に、「遠くで汽笛を聞きながら」にも衝撃を受けていた。今や、CD購入をしなくても気軽に名曲にアクセスできる時代。それなのにCDを購入したのだからやはり特別なのだった。このころには、谷村さん=天才というイメージが確実にインプットされた。その詩の世界にノックアウトされていた。成人して初めて、その数々の詩を繰り返し読みこんで涙したくなった音楽家の方だったかもしれない。

 

繰り返すが、今思えば惜しいことをしたと悔やまれてならないが、逝去されるまで私は谷村さんの熱烈なファンではなく、ただ歌を幾つか聴いてすごくいいなーって思って、この方は天才!!っていう強烈な印象がインプットされていただけだった。

 

だがそのご逝去を知って、私は強烈に谷村さんの存在を意識するようになっていた。ああ、あの不世出の音楽家であり大スター、天才が世を去られたのか…という衝撃だけが私の心を占拠していた。でもある意味でそこまで動揺はしていなかった。この方はたとえこの世を去られても、永遠にその功績は刻まれ、その名は残り続けるという確信があったから。

ご逝去を知っても実感が湧くわけはなかった。昨年12月のお別れ会にも足を運んだがその時もやはり実感はなかった。今も実感などないし、今後何年も経っても実感など得られるわけもないだろう。何しろ、実際に谷村さんが歌われる姿を目にしたことすらないのだから。

 

そんな私ではあるが、ただ無意識のままに昨年からずーっと、暇さえあれば、いや、暇を無理やり作って、谷村さんの過去の映像をネットで検索しては視聴していた。

有名曲「忘れていいの〜愛の幕切れ」の小川知子さんとのテレビご出演時のデュエット映像はそれこそ10年ぐらいから何度も視聴したものであったけど、やっぱり最強のデュエットだった、やっぱりいいってつくづく思う。

発売当時の1984年ではなく、1990年代の映像だと思うけど、後年の歌唱ほうがお二人とも明らかに深みが増しているっていうのかな…。

もちろん、小川さんの胸元に手を入れる演出もやや過激なのは言うまでもない。それよりもこのお二人のスターとしての存在感、ハモりの素晴らしさは、昭和のデュエット曲の中でも指折りで素晴らしかったと感慨を新たにした。自分は今までは演出の過激さに目を奪われて歌が二の次になってたりしてたから。

谷村さんのとてつもない色気…。これが色気ってもんだなと思い知らされた。ここまでの色気がないとこの歌の男性パートは説得力が無くなる。絶対谷村さんでないとダメな曲とつくづく思った。今更ながら、かなりの衝撃を受けた。

 

その後すぐ出会った曲でまたしても衝撃を受けた曲が、「グランドステーション」だった。

2015年4月の国立劇場での映像がありがたくもUPされていたのだった。そこから私はものの見事に谷村新司さんの楽曲へ傾倒していった。

恐ろしいほど瞬く間に。

 

何と言ってもこの曲の歌詞には衝撃を受けたし、一瞬で虜になった。それと同時に、60代半ばの頃のその歌唱力の凄さを突きつけられて、相乗効果も甚だしいものだったのだ。個人的には年齢を重ねられてからの歌声の方が断然好きだった。

 

「グランドステーション」にはなんというか、谷村さんという大スターとの突然のお別れにも、自分を無理やり落ちつかせてくれる世界観があった。歌詞にありえないほどの説得力があった。人はこの世に生まれてきた限り、いつか死ぬというある種の過酷な真実を、こんなにもあったかく、優しく、爽やかに、それでいて哀愁と切なさを歌って伝えることができるものなんだなとしみじみ思ったのだった。このどれかがひとつが欠けてもきっと私にここまでの衝撃を与えてくれなかっただろうななんて思う。ま、この歌、何度も聴いて思うには、別に生き別れだけの意味ではない。一期一会っていうのは本当にその言葉の通りで、自分の人生で強烈なインパクトを自分に与えてくれた恩人なのに、その後、二度と会えないままで終わる出会いっていうのが一人の人間の人生では多すぎる。

 

人間、いつか死ぬってわかっているなら、死を目前にしたら泰然自若として死んでいけたらいいもんだけど、頭でそう思っているだけで実際はそんなふうにはいかない。それが人間だ。

でもせめて頭だけではそうありたいと思っているだけでも、ほんの少しでも安らかに死んでいけるんじゃないかっていう理想が私の中にはある。あくまで究極の理想だから好き勝手に言わせてもらう。安らかに死んでいけるっていうのは人間の永遠の夢の一つじゃないかなと思う。

 

その次が2020年のアルバムにセルフカバーとして収録された「熱い吐息」。これがまた、同年のリサイタル映像がサイトにUPされていて、まーその時の谷村さんがまた素晴らしくて。20代に作られた曲を70才過ぎてカバーされて、この新たな魅力の凄みというか。なんなんだろうかこの圧倒的な説得力。甘く、包み込むような優しい歌声。

こんな言い方はどうかとは思うが、谷村さんの20代の頃のオリジナル版を聴くのが怖かった。あまりにもカバーバージョンの歌唱に魅了されていたから。しばらくしてじっくり聴き比べて、結論!どっちも最強で素晴らしいとわかった(笑)。20代の頃はあの若さでないと出ない歌声、表現の仕方が当然あるわけで、それは最強なのだ。

それにしても、20代の頃になかった色気には絶句した。圧倒的な色気。やっぱり谷村さんの色気がものをいうというか。そういう意味では2020年バージョンに軍配だ。もう、説明しようのない色気。中年期もすごい色気だったけど、60歳を過ぎてからのまた別の色気が確実にあって、本当に素晴らしい年齢の重ね方をされていた。70代突入以降は、60代とはまた全然違う色気が生まれていた気がするのだ。

 

そのほかにも挙げきれない。もう本当に好きな曲だらけ。やっぱり何と言っても、歌詞がすごいんだな…。歌詞というより、詩だな。

 

超有名曲の「陽はまた昇る」、「チャンピオン」なんて、改めて聴いているけど、もうそれこそじっくり聴いてすごい歌詞だなと…。あー、自分が20代の頃はほんとうに適当に、雑に聴いてたなーなんて。

 

「あー生きているとは 燃えながら暮らすこと」の歌詞の意味、全くわかってなかったなって。表面的にしか理解してなかった。ま、生きるってことは燃えるように一生懸命生きるってことでそりゃ間違いではないけど、それだけじゃない。「燃えながら」ってことは、いつかは燃え尽きる時が来る(死ぬ)ってこと。この現実まで想像せず、全く思いを馳せることもしないでただガンガン聴いていただけだったのだ。

「チャンピオン」だって、ここまでストーリー性のある歌ってことを認識せずに聴いてたもん。ボクシングの王者が戦う歌っていう、表面的な解釈だけでただリズムに乗ってガンガン聴いてたなあ。と燃え尽きるまで戦ったら、やがてはどんな最強の人も倒れる時が来るんだ(=現役引退)ってこと、考えようともしなかったな。

 

アリス時代を含め、谷村さんが生み出した膨大な詩は、言うまでもなくかなり幅広いけど、人生の下り坂、生き死に関してきっちり言及した名曲がいかに多いことか。谷村さんご自身の死生観が滲み出た歌が特に素晴らしくて…。そんな歌に心奪われるのは、自分もそれなりに年を重ねたということだと思う。

そりゃ、自分は34歳。まだ体は元気だけど、そうこうしていると10、20年はあっという間。やがて病気もしやすい年頃になるし、それに平均寿命まで生きる保証などもちろんない。自分にとって「死」は常に横たわっている。現に自分が長生きすればするほど、身内、親しい人たち、そうでなくとも有名人の方を含め知っている人たちの「死」を目の当たりにしなくてはいけなくなるのは世の常。

 

そのほかにも、谷村ファンなら誰もが知っている、「小さな肩に雨が降る」は定番中の定番です…。もう何度聴いたかわからない。若い頃の自分を思って本当に泣かされた。「花」、「玄冬記〜花散る日」、「kiss」(筒美京平さん作曲)、「Four  Seasons」などなど。最近は「パンセ」、「愛に帰りたい」が素晴らしくて…。1日に何度も聴いている。恋愛を謳った歌もやっぱりめちゃくちゃ強い。

 

そういうわけで、DVDBOX、CDBOX2セット、ソロアルバムだけで20枚以上手に入れて、ファンクラブ会報誌も数冊手に入れ、DVDも10数枚、書籍も数冊手に入れた。ま、それでも往年のファンの方ならお分かりだろうが、まだ氷山の一角。ま、急がずじっくり聴いていく。谷村さんの楽曲を一気に聴くのはあまりにも勿体無いと思うし、ただ曲を聴くだけが目的になっては意味がない。1曲1曲を大切に大切に聴いて、味わい尽くして自分の心の奥底にまで一度は染み渡らせたい。

当然、コレクションするのが目的ではない。アリスのアルバムも手に入れなければいけないのだが、急がない。いずれ手に入れるだろうけど、まあ、この先1、2年はかかるだろう…。

 

 

アンソニー・ホプキンスが好きだからというだけで手に取った作品。そうじゃなかったら、おそらく一生見なかった可能性が高い。

 

あの名優アンソニー・ホプキンスが監督・脚本のサスペンス?映画。それだけですごいなーって思って見た。しかも奥様のステラさんもご出演。

監督作はこれ一作というわけではなく、「8月の誘惑」でも監督しておられる。「8月の誘惑」は本作に比べるとジャンルがそもそも違うというのもあるが、ほぼラブストーリーだし、人間ドラマに主軸をおいた作品なので断然わかりやすかったし、アンソニー・ホプキンスの役も、アンソニーでしか演じることができないと思わせる素晴らしい役どころだったし、映画としても隠れた名作だと思っている。

 

この「スリップストーム」でも、主演かと思いきや(少なくともDVDジャケットは主演としか思えないものだった)、いや、一応主演ではあるものの出番はかなり少ない。最初と最後に顔見せ程度に出るぐらいの印象しか残らない。アンソニー・ホプキンスの作品は数十作と見てきて、その演技力のすごさはそれなりに知っているつもりだから、主演でなくとも、もっと見せ場となるシーンやセリフも増やしてもいいのではと、ファンとしては勿体無いなーという感想しか出てこない。

どうせ出演されるなら、もっとご自分のその最強の演技力を発揮できる役どころにすればいいのになーって。出るなら出る、出ないならでないで、かっちり決めた方が良かったんじゃないかなと。不完全燃焼というか、どう見ても、どう振り返って見ても中途半端な役どころではあった。この役、あのアンソニーがやる必要性があったのかとまで思ってしまうのだった。

 

まあ、サー・アンソニー・ホプキンスのそもその狙いは、私のようなボンクラにはわかりえないのだろう。飽きらめるより他ないってことだろう(笑)。

 

映画自体、分かりやすくはない。というより十分難解だ。一人の映画の脚本家の頭の中をのぞいているという体で、話は進んでいくのだから。それに気がつくのがある程度、物語が進んでからなのだから、余計わかりづらい。

 

所詮、ひとの頭の中なんだから、いろんな場面が脈絡なしに出てくる。しかもこの脚本家は、結構な神経質で、双極性障害もちということで、とにかく感情の起伏が激しく、極端な感じに陥りやすいというのか、とにかく物事が入り組んでいる。とりあえず混乱状態に陥って、やがて破滅するのが運命だったのか、なんなのかちょっとわからないが…。

ともかく、夢か現実か、もはや区別がつかないぐらいまでどちらにも激しく感情移入する人物のようで、かなり追い込まれているのだ。まあ、脚本家に限らず、一つの物語・一つの作品を生み出すとはものすごいことで、才能があるということは別にして、無から有を作るっていうのは、それだけで恐ろしいほどの労力がかかるのだと思われる。そもそもそれぐらいの追い込まれ方をしないと他人の心を動かすようなドラマやセリフは生まれないのだろうとは容易に想像がつく。

 

細切れのカット、錯綜するシーン、どれが現実でどれが主人公の想像・創作(いや、単なる妄想も入っているだろう)で、どれが今撮っている映画のシーンかというのを把握できていないと、ただ時間が無駄に過ぎてしまう。とてもじゃないがただぼーっと見てたらゴチャゴチャになって、何がなんやらわからないままジ・エンドになりかねない。

 

それでも、この映画、全くわけがわからないとまでは言わない。訳がわかるシーンも挿入されている。映画を撮っているシーンは何分か続くが会話のやり取りは面白かったし、セリフも面白いものがある。

映画撮影における「あるある」や、皮肉、暴露的なことも独自の視点で盛り込まれていて、業界人ならではの視点がある。正直、実体験も盛り込まれているんじゃないかと思う。キャスティングにおける独特のコネとか、くせの強い俳優の姿とか、誰が現場を仕切っているのかってなると必ずしも監督ではないとか。何かあったらいくらでも脚本は書き直せるっていうことも。アンソニー・ホプキンスの価値観みたいなものも当然、入っているのだろう。ゴルフはつまらないものだっていう考えとか、ウェールズ人には変わり者が多いよなっていう自虐ネタも含め。

 

そういう意味で、アンソニー・ホプキンスファンなら、アンソニー・ホプキンスの考えていることはどんなことであれ知りたいもの。そういう人なら見る価値はあると言っておこう…。ちと、歯切れの悪い感想になったが致し方ない(笑)。

 

 

さて、めでたく全話DVD化されたドラマ「大空港」。発売されて何年も経っていたが、ようやく全話6セット発注完了。と言っても、肝心の1セット目が欠品中らしく、待てど暮らせどこない。もう2ヶ月経つので、このまま欠品で仕入れはできなかったというメール一通で、虚しく終わるのだろう。それだけこのドラマを求める人がいると思えば、逆に嬉しいのだがが。

 

と言うわけで、仕方なく2セット目の14話目から視聴。私の人生に、ぼんやり待っている時間などもうないのだ(笑)。

 

私のお目当ての鶴田浩二さんは、まんま「男たちの旅路」シリーズでのスーツルックスだ。ヘアスタイルもおんなじ。それで良いのだ。着流し姿も、軍服姿もさまになるし、何をお召しになっててももちん好きだが、私にとってはスーツ姿はその中でも最も好きなのでなんの文句があろう。渋い。とにかく渋い。

 

いつものあのいいお声での台詞回しの素晴らしさ、滑舌の良さ、歩き方、オープニングのちょっと走る姿、かっこいいのだ…。瞳にうっすら涙を浮かべるアップのシーンなどもさすがの貫禄だ。

 

緒形拳さんの壮絶な最期を主軸に描く第14話。仕事仕事、仕事に命をかけ続けて生きてきた男は、やはり最後の最後まで仕事に絡め取られて死んでいくのだ。殉職。最も「らしい」死に方で、ロマンがあると言えよう。でもせめて最後の家族水いらずの温泉旅行、実現して欲しかった。

 

片平なぎささんは相変わらずお美しい。ここまでお若いときの作品は初めて見た。中村雅俊さんは、私がよく知っている昔のイメージそのまんま。「寅さん」にゲスト出演された時も、なんかこういう同じような役だった気がする。血の気の多い若者、いかにも若者といった反骨精神がある役。この時代の独特の長髪がなんとも懐かしい。

 

 

10年以上前から見たかったけど、DVD化されておらず、名画座ですらかかることはなくいたずらに月日が流れ、ちょうど2年前の2021年に、ようやく東映さんがDVDを出してくださり、ようやく購入、鑑賞。まだ配信はされていないようだからレアといえばレア。待ったなー。ここまで待つ娯楽作品ってあんまりないんだけど。

 

なんでそこまでこだわるかっていうと、この映画の宣材写真や映画写真集だけはよく見ており、着流し姿で、文字通り刺青をど派手に入れた主役の鶴田浩二さんの姿に痺れてただけ(笑)。これが主人公のカシワギリュウジ。相変わらず名前も貫禄あり。「博奕打ち 一匹竜」の刺青師のアイオイウノキチと並ぶかっこよさの名前だ。

 

しかも、タイトルにもあるように「札つき」の博徒役なんだから、相当悪いヤツの役ってわけでしょ?どんだけラストですごい立ち回りしてくださるんだろなーなんて勝手に想像してた。実際のところ、札つきというほどのワルではない役だし、博徒というかさを被っただけの、むしろめちゃくちゃ善人の役なのがそこはいつものご愛嬌(笑)。あーそれにしても悲しい役どころ。

任侠映画も何年も続けばタイトルも枯渇してくるだろうから。

 

そういうわけで、もろ肌出して、かなり勇ましい感じのイメージの写真には惚れ惚れしたのだった。一口に同じ任侠スターとはいえ、流れ者のヤクザもの、土方よりのばっちり組織に属したヤクザ、博打打ち、組長と、演じる役は全く異なるので、髪型もその都度細かに変えるのが鶴田さんという主役俳優。

その点、高倉健さんや菅原文太さんは、ヤクザ映画のスター時代、ヘアスタイルをいちいち変えておられたイメージはほぼないけどね。

 

この作品では鶴田さんはオールバック。軍人役なら当然丸刈りで、短く切り揃えた男くさいヘアスタイルとか、はたまた角刈りとかも似合ってらしたけど、やっぱりこの長髪ヘアスタイルが個人的に一番好きだったな…。

 

今更というか、数年前にようやく知ったのだが、これは、鶴田さんの「博徒」シリーズの1本ではなく、「博奕打ち」シリーズの1本ということ。

「博徒」ってタイトルにつくけど、「博奕打ち」シリーズの9作目というのもちょっと意外。いろいろ事情はあるのだろうがそこのところはいまだに知らない。ま、そもそもシリーズとはいえ話は全て独立していて、主役も全部違う名前なので関係ないといえば関係ない。ともかく、これで「博徒」シリーズに続き、ようやく「博奕打ち」シリーズも全11作制覇。一安心(笑)。

 

映画自体は、北九州を代表する祭り、戸畑の祇園祭の開催の利権をめぐる、オーソドックスな任侠映画。と、言いたいところだが、任侠映画も終盤戦になると女性ヒロインが大活躍する。本作でもヒロイン工藤明子さんの登場シーンは多く、まさかの流れ者博徒として気風は男並み、アクションもやるわ、大活躍。やっぱりピストル持ちの女性は強いわ。東映任侠映画初期の頃なんかは、女優さんの役どころといえば、ヒロインとはいえ添え物で、情婦とか、芸者さんとか、女郎さんとかの役が多かったけどね。

 

藤純子さんが「緋牡丹博徒」シリーズのお竜さん役で、1968年からすでに爆発的にその人気を博していただけに、もはや女性ヒロインもアクションをガンガンこなすことが定番となったともいえよう。それはそれで時代の趨勢というか、一つの出し物、見せ場として面白い。

 

それにしても工藤明子さんの儚い感じの美貌は素晴らしかったな…。この時代の女優方

さんにしては珍しく細眉のメイクで独特のオーラがある。痩せ型でスタイルもいいし。鶴田さん相手にどっちも大人の男女の色気が迸る。もう出会った瞬間、なるようにしかならない関係っていうか…。ま、愛するとか、恋に落ちるとかそんな甘く生やさしいもんじゃなくて、もっと動物的なむせかえるような何かがあるんだよな。でも結局カタギになって将来共にしようと約束を交わしただけ。儚い。

 

準主役が、小池朝雄さん、山本麟一さん、天津敏さん。待田京介さんはカタギの役だから、そこまでおいしい役じゃないけど、珍しくこの時代に長髪で白っぽいスーツはカッコよかった。大木実さんは、人間臭ーい役だったな。恩人の鶴田さんを故あって邪魔者扱いしたりするけど、それでも心に傷を負っていて、最後には真実を打ち明けて死んでいくっていうなんともやりきれない役ではある。

 

ラストの殴り込みシーンはやっぱり想像以上にすごかったなー。その前の天津敏さんとの一騎討ちシーンはスローモーションとかも使って意外に凝ってた。手錠?みたいな感じの飛び道具を使われたりして大変だわ、ほんと。天津さんの役は七人殺しの悪役なんだけど、ちょっと無軌道すぎる悪ぶりでステレオタイプな感じだったのはちと残念。大勢の面前で恥をかかされたのが許せなかったのかもしれないが、そもそも鶴田さん個人にそこまで怨念を抱く役どころではなかったのだが…。

 

さて、ラストシーンにもどると、もろ肌出して匕首であそこまで激しく切り付けていくのはやはりすごい。長ドスより断然匕首の方が致命傷を与えるのは難しいと思うんだよなー。実際に扱ったことないからただの妄想だけど(笑)。長ドスより扱いやすいという長所はあれ。長ドスって間違った使い方すると折れそうだよね。

想像するだけで痛いけど、刃が短いからどれだけ強く刺しても体の奥まで突き刺さらない、急所を狙えばそりゃ早いけど、そうじゃない場合、何回も刺さないとダメだよな。

そんな匕首でバッタバッタやりまくるのがいかに難しいか。

 

鶴田さんの絶命シーン、あまりにも哀愁が滲み出ていた。美しい瞳とそのやさしげな目元がなんとも言えない。

私利私欲なしで、ただ生まれ育った故郷に息づく200年もの歴史をもつ祭りの伝統を守らんがために、たった一つの命をかけて凄惨に滅びていく。あーこれがまさに任侠ロマン、任侠映画のヒーローってやつ。なんてたって、たった一つの命を、男同士の約束、死んでいった仲間に対する恩義、自分の生まれ育った故郷の伝統を守るという、そういう数々の美徳のためにいとも容易く投げ出してしまう。これを正義のヒーローっていうとどうも軽々しくなってしまうが、娯楽映画の世界ならではのロマンだよな。凡人にはできるわけもない。

 

このシンプルさ、たまんないね。このなんてことないストーリーをここまで説得力持って、哀愁と悲しみを持ってして演じてくださるのは、やっぱり鶴田さんしか考えられないなー。人間が生きていく上での虚しさ、命の儚さまで感じさせてくれた。

最近、鶴田浩二さんの映画、ドラマ、音楽作品ばかり、見ては聴いている。12、3年ぶりにその威力にまたはまっている。きっかけは代表作「男たちの旅路」をまた見て感動したか

ら。やっぱりどこまでもこの二枚目スターはかっこいいのだった。

 

鶴田さんの任侠映画DVDも、一度鑑賞したものを保存版として何作かを新たに取り寄せ、軍歌のアルバム、100何曲入った大全集もとりあえず3セット手に入れて聴いていく。

以前から聴いている曲ばかりだが以前よりもかなり丁寧に聴かずにはいれない感覚。やっぱり歌手としてもすごい方であったとしみじみ。歌詞の意味も、歳を取ったらとったでわかるところが確実に増えてくるものだと思いたいものだ。

 

鶴田さんの軍歌にはまたまたハマってしまった…。軍歌と言っても右翼思想を持っているからハマるわけではない。鶴田さんの軍歌は鎮魂歌だったから魅了されるのだ。若くして死んでいった仲間・戦友を切実に想い、その生と死に敬意を払い安らかに眠ってほしいの一心で歌われているのだった。死んだ人は帰ってきやしないのだから、生きている側としてはそうするしかない。それもまたやり切れないことであるが他に何ができよう…。

 

テレビドラマ「大空港」の全話DVDも6セット発注済み。我ながらまあまあな熱の入れよう。若い頃の松竹作品はソフト化されてないものも多くなかなか観れないので、あと簡単に手に入れるとすれば大河ドラマ出演分ぐらいか。

 

その合間に、三女のさやかさんが鶴田さんの没後に綴られた本「父・鶴田浩二の影法師」と、鶴田さんの母校関西大学の後輩でご友人の杉井輝応さんの「鶴田浩二」を読む。と言っても初めてではなく、10年ぶりに2回目の読了。

 

さて、10年以上前にソフトだけ購入していて実は見ていなかった作品であり鶴田さんの遺作「シャツの店」。撮影時、すでに病に冒されてらしたのかと想像すると胸が痛く、ファンになった当初は見るのが辛く後回しになっていたのだった。

でもいざ見始めるそれは忘れた。別に忘れようと思ったわけではなく、画面の鶴田さんの演技に没入して、その時の鶴田さんのプライベートのことはふっ飛んでいってしまったのだった。これがスターの威力、これが名俳優の威力。当たり前といえば当たり前。役になりきる、その演技に没入させるのが鶴田さんなのだから。病など微塵も感じさせない、いつものあの痺れるほどかっこいい声で、滑舌、台詞回しも完璧。

余談だが、どんな映画・ドラマにしろ、鶴田さんの台詞が聞き取りにくかったなんてことは未だかつてない。早口で喋ってもどんなに動きが激しいシーンでも全部聞き取れる。それぐらい滑舌の良さはお墨付き。健さんやショーケンは台詞をボソボソいうのがとてつもない魅力だったりするのだが、ま、ゆえに結構な頻度で聞き取りにくいのだ(笑)。もちろん、それが俳優さんの持ち味だから、どっちがいい悪いじゃない。が、私は鶴田さんの滑舌の良さを愛していて、それが鶴田さんファンになった一つの要因でもあったのだった。

 

老いとはまだ無縁で、仕事に命をかけている矍鑠としたオーダーメイドシャツの職人役。昔気質で頑固、まさに古いやつだとお思いでしょうが…の主人公を地でいく。

だが、渋く男前なイメージは残しつつ、二枚目ぶりは取っ払っている。鶴田さん独特の色気とやらも、かなり地味な衣装や、メガネをあえてダサめにすることで、取っ払っていると言えよう。ここがミソ。そりゃ鶴田さんは今まで二枚目半の役もやられてきたし、役の幅はかなりあるのだが、それでも常に二枚目大スターのイメージが強かったところからすると、この役はまごうことなき新境地だろう。

それにしても、酔っ払うとただのセクハラオヤジ、いや、セクハラ爺さんなる役をやられていたのには驚いた(笑)。

 

でも、ここからが大事。ここぞという時は、やはり痺れるほどかっこよく決める。もうきまりすぎるぐらい決まる。二枚目キャラでなくとも、やっぱりかっこよく決まるのが鶴田さん。今でもそのいくつかのシーンを振り返ると鳥肌が立つ。この役、絶対に鶴田さんしかできないと強烈に実感するのだ。

 

このシャツ職人、女房(八千草薫さん)に突然出ていかれた。と言っても離婚してと言われたわけじゃない。25年、いつもいつも仕事を手伝い子育て家事もこなしてきたのに、その自分の頑張りを軽く見て、ただ威張っているようにしか見えず、言葉足らずで頑固すぎるところに耐えられなくなり、夫に改心を促すための家出だった。

つまり、彼女はまだ亭主を愛していた。亭主ももちろん女房を愛しているのだが、いかんせん「古いやつ…」なので言葉では伝えられない。全然素直になれない。早く帰ってきてほしいけどそれを言えないし、行動でも全く示せないのだった…。

 

彼はいうまでもなく、男が家庭を顧みずに仕事に打ち込んで、女である妻がそれを一身に支えるということを好み、男が男らしく女が女らしかった時代の申し子だ。だが時代が変わり、自分が好きな生き方が通用しなくなっていくことへの無念、悲しみは想像にあまりある。

嘆いたところで、言い訳したところで、愚痴ったところでどうなるわけもないと知っているからこそ、その悲しみは深い。

第4話で、そんなことをしみじみ、やや哀愁を帯びた雰囲気で苦々しい笑いを浮かべながら、腹を割って話せる友人(杉浦直樹さん)に静かに訴えかけるシーンには思わず感涙だ。時代の波に取り残されていく男の悲哀。ひとりの男がうちに秘めた心の嘆き、人生の悲哀を演じたら鶴田浩二さんは最強だった。当然、それを歌っても最強だった。

 

あと、ようやく女房の言い分を受け入れる決心をした時のやや自嘲的な微笑みのシーンも、これまた素晴らしい。「帰ってきてもらわない限りはしょうがないですからねえ…」と観念したとばかりに呟くシーン。ま、平たく言えば敗北を認めたってわけで、譲歩したというわけでなんとも言えない悲哀が伝わってくる。

 

なんといううまさだろう。こんな情感、出せる人、他のどんな役者さんでも考えられない。鶴田浩二さんはいつもいつも銀幕の大スターだった。だから私は好きなのだ。だがこの作品は、大スターというよりも、名優としての底力を見せてくれたように思う。

 

山田太一さんの脚本も当然ながら素晴らしい。6話を一気に見た。食い入るように。「男たちの旅路」もそうだったが、ここまで私を夢中にさせるテレビドラマは、なかなかないのだ。

 

脇を固める役者さんが揃いも揃って皆、うまいのにもびっくりする。

八千草薫さんは怒っても何故こんなにかわいいのだろう。何しても何言ってもたまらない愛らしさだ。見ている私の方が、鶴田さんの役に変わって「お前のことが好きだ」と言ってあげたいぐらいだった(笑)。とてつもなく可憐な奥さんの役だった。

 

平田満さんなんてセリフがかなり多くほとんど出ずっぱりだ。主役の鶴田さんよりも出番の数は多いんじゃないかと思う。それぐらいずっと出ているイメージが強い。本当にうまい。この方でないと絶対にダメだった。

 

杉浦直樹さんも本当にうまくて絶句したぐらい。杉浦さん相手だからこそ、主役鶴田さんの良さが際立つ。井川比佐志さんが演じる、嬶天下で頑張ってるしがないサラリーマンも良い。現実生活に疲れ果て、刺激を求めて八千草さんに恋してしまうのはすごくわかる。それを正直に打ち明ける純粋さも子供のようでかわいいのだ。

20代半ばの佐藤浩市さんはあまり見たことがなかったが、やはりうまいのだ。「魚影の群れ」も好きだが、若い時から上手い人はずっと上手いのだった。今は三國連太郎さんそっくり。渋いなー。

 

第3話で、佐藤さんの恋人役の美保純さんが鶴田さんをもて遊ぶっていいったらなんだが、からかうシーンはかなりの名シーンだと思う。これじゃあプライドはズタボロ、メンツ丸潰れの鶴田さんただただ泥酔するしかないのもわかるなあ。

第2話で、初めてこの二人が顔を合わすシーンも、笑っちゃいけないが笑ってしまうのはわかる。鶴田さんがビシッと着物を着たお姿、たしかに冗談かと思うぐらい貫禄があり過ぎるもの。どっかのヤクザ組織の親分役を着流しで演じるときとはまた別の貫禄なんだから、この演じ分けぶりもさすがだ。それにしても山田太一さん、天下の二枚目、男のなかの男・鶴田さんという唯一無二のキャラクターに、結構カッコ悪いシーンもやらせてしまうのだからやっぱりすごかったのです…。

 

 

 

東北は福島。飯坂温泉が舞台のこの映画。

 

佐藤純彌監督の狙いなのかはわかんないけど、カメラがいきなり真横になったり、はたまた上から捉えたショットがあったりと、意表をつくカットが気になるシリーズ第10作。

これが鶴田さんの「博徒」シリーズ最終作。

 

というわけで、およそ10年続いた東映任侠路線とやらも、その最末期とも言える1970年も過ぎればさすがにネタも尽きてきた感じはあるが、それでも期待以上のやくざ映画を見せてくれるのはさすが。

 

この映画でも、あるヤクザが、敵対するヤクザの組員に向かって「人殺し!」と叫んだかと思うと、警察に向かっても人殺しと叫び、ヤクザと癒着した警察官ですらその上司に向かって人殺しと発言する。女は女で、自分の身内を暴力沙汰で亡くしたなら、その仲間内に対して人殺しだとなじる。

「人殺し」発言が多用されて、生きるためとはいえ所詮暴力でしか生きていけない人々と、それを取り締まるにはやはり究極の手段として暴力を使うしかない、そんな手荒な方法に踏み切る警察の実態。警察も警察で頭を使っているが、まさにヤクザ警察的な側面も見せるのが東映のお家芸とも言える反権力の思想だ。ヤクザの命など惜しいものか、ヤクザ組織同士をうまく戦わせて、自滅させようという方針がなかなかの手荒さ。ま、自滅する前に取り締まって、なんらかの罪で逮捕して、やがて釈放、また同じような罪で逮捕となれば、激しく労力を使う。確かに警察にとってはめんどくさいことは事実。

 

ものすごくざっくり言えば、東映任侠路線とはそもそも反暴力の映画。そこには暴力反対の思想こそあれ、暴力礼賛映画などひとつもないのだ。でもまあ過激な描写はなきしにもあらずだから、当時の女性子供はもちろん、青少年が見るのはよろしくないのは確かだろうが。

 

今更始まったことではないが、殺戮の虚しさを実感させられる。

 

所詮、ヤクザ組織で筋目を通して生きているつもりでも、暴力で渡り歩く渡世にはひとときも休まる時などない。弱肉強食はどこの世の中でもそうだが、この世界はたったひとつの命を取られちまうんだから大変だ。ほんの僅かでもスキを見せたら最後。そしてどうどこうどうまくいくかと思ったときには彼らにとって第三者の邪魔者とも言える警察の手が介入しておじゃんに。

それとは別に暴力を使って勝ち進めば進むほど、暴力によって滅ぼされる確率も高くなるのだから寂しい限り。

 

さて映画の内容。滅びの美学なんて綺麗なもんではないけど、それでも、ここまで綺麗さっぱりみんな死んでいく東映任侠映画もちと珍しい気もする。普通一人ぐらいは、主要人物が生き残るんだが(笑)。それはそれで魅力たっぷりなのだった。えーそこまでやっちゃいますかというぐらい死んでいくのが、暴力の無益さというものやらをしみじみ感じさせてくれる。警察のお偉いさん役の丹波哲郎さんは、さすがにヤラれないかなって思ったけど、そこは「男・鶴田」、最後の最後に見事に一撃やってくれました(笑)。

この映画はオープニングの音楽の明るさからして、全体的にかなりシリアスな作りだけどあくまで娯楽性を重視しているということが良くわかった。これでカタルシスも生まれ、後味良くエンディングを迎えたといって良い。

 

鶴田さん、ヤクザ刑事役若山さん、渡辺文雄さん、山本麟一さん、河津清三郎さん、室田日出男さん…。めちゃくちゃちょい役だけど、小林稔侍さん、渡瀬恒彦さんまで。お若い頃の渡瀬さんの役は相変わらずの狂犬ぶり。あまりの怖いもの知らずな無軌道ぶりには驚くが、流石に血の気が多すぎて、派手にやられちゃいましたねー。若山さんは大阪弁を話す役どころだが、決して流暢というのではないのだが本当にいつ見ても味がある。とにかくうまいのだ。文字通りヤクザ刑事で、冒頭のシーンでどさくさに紛れて、ヤクザの組員の胸ポケットからタバコの箱を奪い取っているのがなんとも面白い(笑)。

女性の出番はほぼない映画だけど、まさかのまさかで、工藤明子さんまであんな最期とは。もうちょっと鶴田さんとの絡みのシーンがあるのかと思いきや最初と最後しか登場されず。

 

さて、私は案の定、鶴田さんの魅力に夢中になっているうちに、あっという間。その横顔の美しさ、鼻筋の美しさと、絶えず苦悩を滲ませ苦い表情がいつ見ても良い。