さてさて、ようやく吉永さんの最新作を見てきた。公開からすでに1ヶ月以上が経過しているが、なんとか間に合った。

感想はというと、ふーむ・・・。ま、私にとっては、吉永さんの最新作をスクリーンで見ましたと言うことで、それだけで満足するべきもの。あとはぐちぐち、作品そのものの感想(と言うか、もやもや)を書いておこう・・・。

 

普段映画は、もっぱら動画か、DVD。最近の映画がどれだけヒットしようと、話題になろうと、ほぼ興味がなくなった私は、見る映画も昔のものばかり。昔って言っても、20、30年どころじゃない、それこそ数十年前の映画を当たり前のように楽しんで何度も見る。自分が生まれてもいなかった時代の映画を当たり前のように見る。懐古趣味に近いものもあるだろう。映画館は好きだが、最近の映画を見るためにわざわざ行かない。もはや映画は、庶民の娯楽の域を出ようとしているかに思える。名画座のように2本立て1000円ちょっとで見れるならともかく、1本の映画も今や2000円以上払う必要あり。そんな高いお金払ってみるべき映画があるのだろうか・・・。昔の映画が大スクリーンで見れるなら別だが。

 

それが、なぜ映画館まで見に行ったかというと吉永さんが出ていらっしゃるということが、まずひとつ。私も、やっぱりこの唯一無二の国民的大スターが、好きなんですな・・・。

アイドル的人気を博して、日活の看板女優として歌手としても大活躍されて、映画スターとして毎年十数本もの映画に出ておられた映画黄金期の時代ならともかく、中年を過ぎて初老を過ぎてそして老年期を迎えても(吉永さんにこんな一般庶民と同じ年齢の区分は失礼だが)、1、2年に1本の割合で主演映画が公開されていることは、はっきり言って、他に例を見ない。

 

重ね重ね、吉永さんに年齢のことを言うのは似つかわしくないが、とにかくこれだけの長きにわたって、主演映画に出続けていらっしゃる女優さんなど、日本には他にいないのだ。

本作が記念すべき124本目という、驚異の数字を持つ方の最新映画。

私は、そのうちのせいぜい40本ぐらいしか見ていないが、ここ2、30年の映画はほぼ観ている。

 

あとは、佐藤浩市さんの芝居が見たいから。しかもこのお二方が夫婦役ってのも初めてだし興味深い。私が1年?いや2年ぶりに映画館に足を運んだのは、この二つの理由だけだな・・・。

 

でも、正直出かけてスクリーンで見るべき作品の出来だったろうか(笑)。DVDで十分よかったかもなと言うのが正直な感想。

C Gとかを多用していないのはいいが、なんかその、期待していた感動ってのがあんまり得られないまま。文部省選定映画って最後にクレジットで流れていたけど、老若男女楽しめる映画って、ここまで当たり障りなく、優等生的で冒険ができないもんなのかしら。ま、あと付けだし、文部省は別に関係ないけどさ。見終わった後の震える程の感動を期待した私が間違っていたと思うが、昔から私が映画館に映画を観にいくのは、それなりの感動を得るためだから。ただの暇つぶしで行ったことはほぼない。家で見る映画は暇つぶしの時も多々あるが(笑)。

 

余談だが、吉永さんの最近作で映画館で深く感動したのは、2019年の天海さんとのダブル主演の映画だったなー。タイトルが長くて忘れたけど(笑)。

ああいう突拍子もない設定の役柄の方が、吉永さんも天海さんもイキイキしている。主人公が余命宣告されると言う点で本作も共通する。

 

今作では、天海さんはあくまで助演なのであんまり美味しい役でもなかったが、天海さんのあの芝居でないと吉永さんとの長年の強い絆は出せなかっただろうと思う。あれだけ美しい方だけど、シーンによってかなり濁声になったり、声色を使い分けて、やっぱりうまいし、とにかく存在感があるのよね・・・。

佐藤さんもあくまで助演なのだが、もっとこの夫婦関係に焦点を絞ってもよかったのかなーとは思う。こんな物分かりのいいと言ったら失礼だが、優しくていつも協力的で優等生な旦那さん、いないね・・・。ま、奥さんの田部井さんが素晴らしいから、その旦那さんも素晴らしいのだろうが、なんか見ていてホッとする夫婦関係を描いていたのでもっとその関係性を突き詰めて欲しかったかなーなんて思う。

欲を言えば、、佐藤さんのすごすぎる才能がそこまで発揮されていなかったと思うのは私だけだろうか。ただそこにいるだけで滲み出る存在感があるのに。

10数年前に、やはり映画館で見た「草原の椅子」の佐藤さんのただそこにいるだけで、言葉を多く発せずとも滲み出る存在感に圧倒されたのだった。やはり、感動したことはいつまでも覚えているのだ。

 

何かが足りないというより、そもそも大味な映画。なんか、力加減が間違っているところがあり、なんかバランスが取れてないというか。いやバランスなんてどうでもいいのかもしれないが、なんかまとまりが欠けていると言うか。一貫して貫き通された人間ドラマがないというか。

うーん、そりゃ、吉永さんのスター映画を作ろうという意図は監督にはなかったのだろうから、吉永さんの出番が少なくても仕方ないのだが、それにしても若手の方の演技が皆退屈。感覚的には半分以上が若手の方に任せられている感じがする。脇が上手くないと、いや若手ならそこまで上手くなくとも、ある程度はよくないと、映画は死ぬのだ・・・。

 

それはともかく、いつもそうだが吉永さんはとにかく若々しすぎる。他の作品で老け役とかもやっている方だが、それでも美しいものは美しい。この映画でも、ほぼノーメイク的な感じで、眉も描いていないような入院中にベッドで横たわるアップのシーンも出てくるが、とにかくいつも美しい。顔立ちが美しい人、そして生き方が美しい人は、とにかくいつも美しいのだ。というか、サユリストはそれを知って絶対に観に行っていると思うので、いちいち賛美する必要もないのだが。

 

伝記映画ってのは、大体が退屈なのだが、本作も半生を描くと言う点ではざっくり言うと伝記もの。そこに東日本大震災で心に傷を負った人のエピソードも入れている。が、盛り込み過ぎている。

このシーン、このやりとり、そもそもいるだろうか?っていうシーンがたくさんあった。90分ぐらいでまとめていいのではないだろうかって思ってしまう。いちいちあの時のあの一言で、前に見たシーンを挿入しなくてもわかる。テレビならともかく、映画はテレビよりも集中して見ているし、CMもないのだから、いちいちご丁寧なことをしなくても、前に見たシーンやセリフは客は覚えているのだ。

 

盛り込み過ぎて、でも肝心なことを描くシーンが足りなくて、結局焦点があってないという感じは私はした。この映画、心底、何を言いたかったのだろうと考えてしまう。いや、そりゃ夢を追うことの大切さとか、ひとつのことに夢中になって、長年険しい道を歩んでいくことの困難さと素晴らしさ、美しさとか、女性の権利もまだまだ確保されていなかった時代に差別差別で苦しみながら、女性だけの登山隊を組んで不可能なことに真っ向から取り組んでいたとか、登山仲間が離れて行ってしまい、心に大きな傷を抱えたまま懸命に生きてきたうちに秘めた辛さとか、そりゃ、テーマはわかるし、言いたいことは全くわからないとは言わない。

でも今一つ、その熱意がスクリーンから伝わってこない。熱い何かが、手に汗握るものが伝わってこない。登山と言うものに取り組んだことがない人をも夢中にさせるものは別にない。ま、登山の素晴らしさを訴えるための映画ではないと思うがそれにしても大味で、なんだか2時間が長かった。特に最初の30、40分の描き方は現在と過去を行き来して退屈だ。スクリーンという大迫力の画面を目の前にして、今一つのめり込めなかった。

 

こんなにもロマンのあるタイトルがついているのに「てっぺんの向こうにあなたがいる」の、大切な「あなた」が、今ひとつよく見えてこない。そりゃ、長年連れ添った旦那さんであり、支えてきてくれた家族そのものであったり、登山仲間だったり、親友だったりそりゃ色んな大切な人などを指しているのだろうが、そのドラマチックなものが伝わってこなかったな・・・。

さてさて、ようやく吉永さんの最新作を見てきた。公開からすでに1ヶ月以上が経過しているが、なんとか間に合った。

感想はというと、ふーむ・・・。ま、私にとっては、吉永さんの最新作をスクリーンで見ましたと言うことで、それだけで満足するべきもの。あとはぐちぐち、作品そのものの感想(と言うか、もやもや)を書いておこう・・・。

 

普段映画は、もっぱら動画か、DVD。最近の映画がどれだけヒットしようと、話題になろうと、ほぼ興味がなくなった私は、見る映画も昔のものばかり。昔って言っても、20、30年どころじゃない、それこそ数十年前の映画を当たり前のように楽しんで何度も見る。自分が生まれてもいなかった時代の映画を当たり前のように見る。懐古趣味に近いものもあるだろう。映画館は好きだが、最近の映画を見るためにわざわざ行かない。もはや映画は、庶民の娯楽の域を出ようとしているかに思える。名画座のように2本立て1000円ちょっとで見れるならともかく、1本の映画も今や2000円以上払う必要あり。そんな高いお金払ってみるべき映画があるのだろうか・・・。昔の映画が大スクリーンで見れるなら別だが。

 

それが、なぜ映画館まで見に行ったかというと吉永さんが出ていらっしゃるということが、まずひとつ。私も、やっぱりこの唯一無二の国民的大スターが、好きなんですな・・・。

アイドル的人気を博して、日活の看板女優として歌手としても大活躍されて、映画スターとして毎年十数本もの映画に出ておられた映画黄金期の時代ならともかく、中年を過ぎて初老を過ぎてそして老年期を迎えても(吉永さんにこんな一般庶民と同じ年齢の区分は失礼だが)、1、2年に1本の割合で主演映画が公開されていることは、はっきり言って、他に例を見ない。

 

重ね重ね、吉永さんに年齢のことを言うのは似つかわしくないが、とにかくこれだけの長きにわたって、主演映画に出続けていらっしゃる女優さんなど、日本には他にいないのだ。

本作が記念すべき124本目という、驚異の数字を持つ方の最新映画。

私は、そのうちのせいぜい40本ぐらいしか見ていないが、ここ2、30年の映画はほぼ観ている。

 

あとは、佐藤浩市さんの芝居が見たいから。しかもこのお二方が夫婦役ってのも初めてだし興味深い。私が1年?いや2年ぶりに映画館に足を運んだのは、この二つの理由だけだな・・・。

 

でも、正直出かけてスクリーンで見るべき作品の出来だったろうか(笑)。DVDで十分よかったかもなと言うのが正直な感想。

C Gとかを多用していないのはいいが、なんかその、期待していた感動ってのがあんまり得られないまま。文部省選定映画って最後にクレジットで流れていたけど、老若男女楽しめる映画って、ここまで当たり障りなく、優等生的で冒険ができないもんなのかしら。ま、あと付けだし、文部省は別に関係ないけどさ。見終わった後の震える程の感動を期待した私が間違っていたと思うが、昔から私が映画館に映画を観にいくのは、それなりの感動を得るためだから。ただの暇つぶしで行ったことはほぼない。家で見る映画は暇つぶしの時も多々あるが(笑)。

 

余談だが、吉永さんの最近作で映画館で深く感動したのは、2019年の天海さんとのダブル主演の映画だったなー。タイトルが長くて忘れたけど(笑)。

ああいう突拍子もない設定の役柄の方が、吉永さんも天海さんもイキイキしている。主人公が余命宣告されると言う点で本作も共通する。

 

今作では、天海さんはあくまで助演なのであんまり美味しい役でもなかったが、天海さんのあの芝居でないと吉永さんとの長年の強い絆は出せなかっただろうと思う。あれだけ美しい方だけど、シーンによってかなり濁声になったり、声色を使い分けて、やっぱりうまいし、とにかく存在感があるのよね・・・。

佐藤さんもあくまで助演なのだが、もっとこの夫婦関係に焦点を絞ってもよかったのかなーとは思う。こんな物分かりのいいと言ったら失礼だが、優しくていつも協力的で優等生な旦那さん、いないね・・・。ま、奥さんの田部井さんが素晴らしいから、その旦那さんも素晴らしいのだろうが、なんか見ていてホッとする夫婦関係を描いていたのでもっとその関係性を突き詰めて欲しかったかなーなんて思う。

欲を言えば、、佐藤さんのすごすぎる才能がそこまで発揮されていなかったと思うのは私だけだろうか。ただそこにいるだけで滲み出る存在感があるのに。

10数年前に、やはり映画館で見た「草原の椅子」の佐藤さんのただそこにいるだけで、言葉を多く発せずとも滲み出る存在感に圧倒されたのだった。やはり、感動したことはいつまでも覚えているのだ。

 

何かが足りないというより、そもそも大味な映画。なんか、力加減が間違っているところがあり、なんかバランスが取れてないというか。いやバランスなんてどうでもいいのかもしれないが、なんかまとまりが欠けていると言うか。一貫して貫き通された人間ドラマがないというか。

うーん、そりゃ、吉永さんのスター映画を作ろうという意図は監督にはなかったのだろうから、吉永さんの出番が少なくても仕方ないのだが、それにしても若手の方の演技が皆退屈。感覚的には半分以上が若手の方に任せられている感じがする。脇が上手くないと、いや若手ならそこまで上手くなくとも、ある程度はよくないと、映画は死ぬのだ・・・。

 

それはともかく、いつもそうだが吉永さんはとにかく若々しすぎる。他の作品で老け役とかもやっている方だが、それでも美しいものは美しい。この映画でも、ほぼノーメイク的な感じで、眉も描いていないような入院中にベッドで横たわるアップのシーンも出てくるが、とにかくいつも美しい。顔立ちが美しい人、そして生き方が美しい人は、とにかくいつも美しいのだ。というか、サユリストはそれを知って絶対に観に行っていると思うので、いちいち賛美する必要もないのだが。

 

伝記映画ってのは、大体が退屈なのだが、本作も半生を描くと言う点ではざっくり言うと伝記もの。そこに東日本大震災で心に傷を負った人のエピソードも入れている。が、盛り込み過ぎている。

このシーン、このやりとり、そもそもいるだろうか?っていうシーンがたくさんあった。90分ぐらいでまとめていいのではないだろうかって思ってしまう。いちいちあの時のあの一言で、前に見たシーンを挿入しなくてもわかる。テレビならともかく、映画はテレビよりも集中して見ているし、CMもないのだから、いちいちご丁寧なことをしなくても、前に見たシーンやセリフは客は覚えているのだ。

 

盛り込み過ぎて、でも肝心なことを描くシーンが足りなくて、結局焦点があってないという感じは私はした。この映画、心底、何を言いたかったのだろうと考えてしまう。いや、そりゃ夢を追うことの大切さとか、ひとつのことに夢中になって、長年険しい道を歩んでいくことの困難さと素晴らしさ、美しさとか、女性の権利もまだまだ確保されていなかった時代に差別差別で苦しみながら、女性だけの登山隊を組んで不可能なことに真っ向から取り組んでいたとか、登山仲間が離れて行ってしまい、心に大きな傷を抱えたまま懸命に生きてきたうちに秘めた辛さとか、そりゃ、テーマはわかるし、言いたいことは全くわからないとは言わない。

でも今一つ、その熱意がスクリーンから伝わってこない。熱い何かが、手に汗握るものが伝わってこない。登山と言うものに取り組んだことがない人をも夢中にさせるものは別にない。ま、登山の素晴らしさを訴えるための映画ではないと思うがそれにしても大味で、なんだか2時間が長かった。特に最初の30、40分の描き方は現在と過去を行き来して退屈だ。スクリーンという大迫力の画面を目の前にして、今一つのめり込めなかった。

 

こんなにもロマンのあるタイトルがついているのに「てっぺんの向こうにあなたがいる」の、大切な「あなた」が、今ひとつよく見えてこない。そりゃ、長年連れ添った旦那さんであり、支えてきてくれた家族そのものであったり、登山仲間だったり、親友だったりそりゃ色んな大切な人などを指しているのだろうが、そのドラマチックなものが伝わってこなかったな・・・。

十数年ぶりに鑑賞し直す。重厚な作りの映画だったなーって印象は残っていた。オールスター映画。とにかくスターがわんさかでるすごい豪華版の任侠映画。昭和のスターの存在感、凄さを知りたけりゃまずこの映画だな。真の映画スターたちでないと、この映画成り立たない。芸達者を集めたところで無理だったろうし、これからも当然無理だろう。

 

はー、まずは松方さん、こりゃ貫禄ついたなーって。並いるスターを差し置いて主役。これだけの先輩たちを前に重圧が半端なかったと思うけど、そんなプレッシャーをものともせず。そりゃま、新人スターでもあるまいし当然だが。芸歴長いし、この貫禄は当然といえば当然なのだ。でも流石にスターたちが出過ぎなので、役どころの真面目さと堅実さも相まって、ともすれば荒くれのヤクザたちにかき消されてもおかしくない状況で、この圧倒的存在感はやはり相当な才能、努力の賜物なんだろうと思った。何度もいうが、とにかく個性の強い脇役スターが大活躍だから。

 

松方さん、どうしてもこの映画の主役を取るまでは任侠映画では二番手、もしくは三番手にもなる脇役が多かったような気がするから。それもそのはず、大物の先輩が多すぎたのだ。東映生え抜きなのに、外様のスターもどんどんやってきて大活躍の時代だったしね・・・。

任侠一家の頂点に登り詰める男のため、どうしてもセリフなしでの佇まいでの芝居が要求されるが、思った以上にその貫禄がすごかった・・・。悲しい生い立ちもありつつ、父親の教えをしっかりと胸に刻み、腕っぷしの強さもちろん必要だったが、持ち前の誠実さと生真面目さと、決してぶれない己が信条、堅実さを武器に頂点へのし上がって行った。硬派なヤクザがここまで似合うかというぐらい、ハマっている。序盤の背後から同じ組の者に襲われ、頭を文字通りかち割られる、とてつもない流血沙汰のシーンの迫力も白眉。すごい生命力を見せつける。確かに不死身だ。こんなに不死身だと思ったシーンもない。確かに任侠一家の頂点に立つような大物の男には気量といい、並大抵でない腕っぷしといい、人徳といい、絶え間ない修行で手に入れるものも多くあるのだろうが、運を引き寄せる天賦の力があってこそのものだとつくづく思わされる。才能があるからとか、努力しているから強運を引き寄せられるもんではない。

 

話の筋は端折るが、ま、実在の方がモデルになっているらしいので、いくら私がド素人とはいえ、色々勝手なことはいいたくない(笑)。とにかく、人間ドラマとしてかなり骨太。東映ヤクザ映画にさほど興味ない人もきっと満足すると思う。山下監督強し。前半はその面白さに一気に引き込まれた。後半はちょっと

 

先ほども言ったように、松方さんの存在感ももちろんすごいが、脇を固める大御所スター、+若手新スターたちの威力もピカイチ。よくここまで脚本を練って、個々の見せ場作ってくれたなと思う。顔見せ程度の大御所スターもいるっちゃいるが(若山富三郎さん、丹波さん、天知さんら)、とにかくこれでもかというほど大物スターが出てくる。わんさかわんさか・・・。鶴田浩二さんは冒頭から出番も多く、確かに引き立て役に回りつつも隠しきれない貫禄。

ありえないほど全てのセリフに意味を持たせ、とてつもない重みを持たせるのはやはりすごい。

東映任侠映画の主役スターとしての活躍された時代からざっと10数年はたち、初老となり、あまりにも渋い風貌になって帰ってこられた。それがまた、新たな役どころを引き寄せたというのか・・・。かつてのなんともいえない男の甘さと色気というものは封印されたものの、違う存在感、貫禄がついたのはやはりすごい名優だったとしか思えない。全編ほぼ着流しで決める。

 

そして次に出てくるスターがあの北島三郎さん。すごいスターオーラだって思った。はー、若いころもカッコよかったが、この中年の頃がサブちゃんは一番脂が乗り切っているのではないだろうか。「兄弟仁義」シリーズで活躍されていた1960年代半ばから、やはり十数年がたちもっとかっこよくなった。やはりその存在感といい、とにかくオーラ、男っぷり、全てがピカイチ。なんてたってオープニングとエンドの主題歌担当で、カッコ良すぎる。ド派手なスーツにハットを合わせ、マシンガンを持ってとにかく腕っぷしは強いし、気もそりゃ強いのだが、観ている方が怖くなるほどの危なっかしい男。それもそのはず、例の、当たり前のようにあの薬を打ちまくっている男なのだ・・・。賭場のシーンでこれみよがしに打つシーンには度肝を抜かれたが、この破滅的な生き様の役「モロッコの辰」が似合ってるのなんのって。カッコよすぎ。

映画の細部は忘れていたけど、サブちゃんのシーンだけはかなり覚えていたぐらい。ほんと悲劇のモロッコの辰。壮絶死だったな・・・。

そして、文太さんもイケイケどんどんの切れ者ヤクザとして、攻めまくる。サブちゃんと兄弟分の間柄で、お二人のシーンはめちゃくちゃ息が合っていてとにかくいい。

でもあまりにも切れ者で、グイグイ攻めて神奈川県から始まって東海道を制圧し、調子に乗りすぎて、なんとも後味の悪い制裁を受けてしまうが、まあ、人徳というのか、侠客にはそれがないと潰されてしまうんだなとしみじみ。この映画で、一番仕事しているのは彼だから(笑)。最前線で陣頭指揮取って、めちゃくちゃ仕事量が半端ない。そりゃ出過ぎたし、あまりにも自分が自分がって評判下げたには下げたけど、破門という制裁は可哀想だったな。一度は許しを乞うシーンに正直でかっこいいなって逆に思っただけにその後すぐまた調子に乗ってしまい、残念な結末。でもこれもやはり人は生き方を変えられないというか、人間の業といい、悲しみというものが見事に滲み出ていてさすが文太さんだなと思った。サブちゃんの歌の歌詞の主人公は、モロッコの辰でもあるが、文ちゃんでもあると言っていい。

 

それにしても続編ありそうな終わりだったね。ま、一代記としてまとまってはいたが、これからの活躍も気になる感じで幕を閉じたのだった。あとどうしてもいいたいのは、松方さんが真顔で電灯から降りてきた蜘蛛を食べるシーン。私もドン引きしたけど、映画の中でも博徒たちがみんなひいてたね(笑)。そりゃすごい気概というか、とんでもないやつだって違う意味で恐れられるイメージはつけれるけど、食べる意味があるかしら。衛生上どうなのってことも気になるし。おもちゃの蜘蛛ってこともバレバレだし(笑)。笑かすシーンとして必要ならいざ知らず・・・。どうしても入れたかったんですかね。

DVDのパッケージには名作だか傑作だかの煽り文句が熱く書いてあった。そのような宣伝文句で手に取ってみる映画も確かにあるが、今回は関係ない。ずーっと前から、かれこれ10年はたつな・・・、吉永小百合さんが出演されているということを知っており、ただそれだけの理由で今回ようやく鑑賞した。

 

原爆症という、テーマがとにかく重いので当然、真剣に見るべき映画と思って手に取った映画であるが、正直これが傑作と言われると・・・うーんと首を傾げる・・・。やはり、脚本がうーん・・・だった(笑)。役者さんは皆上手いのだが。樹木希林さんの三味線芸者?本当にこういう女性がいそうな物凄いリアルさ。やはりこの方は出番の少ない脇役としても強烈な印象を残す名女優だったとつくづく思う。

 

芸者さんたちの悲喜交々、色恋沙汰、芸者として日陰の生活を強いられることへの悲しみを偶像劇として描きたかったところもあると思うが、どうにも焦点がずれていてまとまりがない。エピソードがとにかく多くて全く収拾しきれていない。冒頭から始まる、刑事もののエピソードは果たして入れる必要があったのだろうか。ま、主人公の夢千代が心の優しい無垢な女性ということをより強く訴えるために必要ではあったのだろうが。

それに加え、中堅芸者役の名取裕子さんとその世界でのダンナ前田吟さんの色恋、若い芸者役の田中好子さんと渡辺裕之さんの逢瀬(これも単純にいえばただの不倫関係にあたるが)、病で生い先短いことを知っている有名絵描きの老人とその奥さんが、芸者さんを「買って」、最後の創作活動に命を燃やしたり(なぜか、若い芸者の裸婦画だけにこだわり続ける・・・)と、登場人物がやたら多いのだ。あのまさかの腹上死はのエピソードはいるのかしら(笑)。

それらのエピソードは全て芸者さんが関わっているだけに悲しく儚い。耽美的とも言えるエピソードだ。それはそうとして、こういうエピソードが伏線となって最終的に回収されていないことが、うーんとなってしまった。散漫というかね。

 

夢千代の、地獄の悲しみももちろん描かれる。被爆による白血病を発症し半年の余命を宣告されて、子をかつて身籠ったけれど中絶してしまったことへの後悔が語られ、病気が進行せず、まだ綺麗なうちに遺影の写真を取ろうと準備したり、遺言状を書いたりととにかくいたたまれないシーンが立て続けにある。一見淡々とした日常の中にも、死ぬのが怖い!と、肉親の仏壇を前にさめざめと泣くシーンもある。死の間際に被爆した時のトラウマでもがき苦しむところなど、これは確かにすごい芝居だった。慟哭とでも言っていい悲しみは確かに描かれているが、そのなんともいえない悲劇ですらエピソードの羅列で終わってしまっているような気もする。あと、温泉町には付きものとはいえ、ヌード劇場のエピソードは必要だったのだろうか。やたら女性のヌードがしっかり描かれているのも気になる。謎だ(笑)。

そこにまた絡んでくる、ワケありの旅役者北大路欣也さんとの最後の熱烈な恋。死を目前にして恋があるということは確かに劇的で、何より孤独を癒してくれるものだが、この恋もなぜここまで惹かれあい盛り上がったのかがちょっと伝わってこない。これが日活の青春ものなら、若いということと、美男美女だからという理由で全部が納得行くのだが、この映画では美男美女は疑うべきもないが、お二人とも30半ばの役どころで映画のテーマがテーマだけに、それで納得できる明朗闊達な明るいスター映画ではないのだ。私はてっきり、北大路さんが高熱を出したシーンの時に、彼もまた原爆症で苦しむからか?だから、この二人はお互いの悲劇の境遇を共有して急速に距離を縮め、心を通わせたのかもしれないと想像したのが、実際は全くその読みは外れていた(笑)・・・。

 

ま、タイトルにそもそも日記とついているので、日記みたく、日々、夢千代の周りでは、取り留めもないことを含め、いろんなことが起こったということにしておこう(笑)。うん、あのパッケージの言葉は、よくある宣伝文句ということにしておこう。

 

何よりも、吉永さんのお美しさ、存在感は言わずもがな。その美貌とスターオーラに囚われているうちに2時間ほどある映画があっという間。すごい集中力でみた。サユリストにはもってこいの映画だ。これがやはり、日本屈指の、いや今の時代なら日本で唯一と言っていい、主役を晴れる映画女優の迫力なのだ。最後の映画女優だ。ラストシーンの、吉永さんが芸者という役だったこともあり、満開の桜のシーンを流した後、吉永さんの踊りのシーンを幻想的に入れたのはただのスター映画のようはあるが、まあ、スター女優吉永さんへの監督なりの敬意なのかな。浦山桐郎監督は、それこそ日活時代から吉永さんの映画をたくさん監督されているもの・・・。

 

湯村温泉が舞台。ふんだんにその魅力ある温泉町のシーンが使われている。湯けむり、鄙びた温泉町。兵庫県の日本海側のなんとも風情のある寒村というイメージを勝手に持っていたが、この映画ではまさに雪が降り積もり、曇り空の下で日本海の荒波が押し寄せる寂しげな映像も幻想的に使われていた。晴れ渡った空の下で、美しく輝く日本海のシーンも確かに挿入されていたが、主人公が長年被爆に苦しみつつも心の美しさ、周りの人ばかりか、人間としての優しさを忘れず、湯村温泉で小さな置き屋を営む妙齢の女性「夢千代」なのでどうしても儚さ、寂しさ、温泉街の鄙びた雰囲気ばかりが印象に残った。思わず湯村温泉に夢千代さんの足跡を訪れたいと思わせる何かがあった。

 

あと、加藤武さんが刑事役で出ていらした。あと1ヶ月ちょっとで時効になる事件。まさかの犯人がノコノコと目の前にやってきて、無事に時効前に捕えることができた。確かに親殺しの罪は如何なる理由があれ、法の裁きを受け償う必要がある。だが、これはなんというか映画なんだから、それこそ映画的に、人情をかけて見逃してやって欲しかったなと期待してしまった。15年死に物狂いで逃げて、自分自身を失いつつ、そしてようやくその苦難の旅も終わり、無事に逃げ切れたにも関わらず、最後の最後でいくらなんでも愛した人を助けるとはいえノコノコ捕まりに行くって・・・。確かに隠岐島まで逃げたはいいものの、彼を追ってきた恋人は兵庫県の湯村温泉で生きてきた芸者さん。恋人はその湯村温泉で死にたいとは言っていたものの、直接聞かされた訳ではない。兎にも角にもここで死なせるわけには行かないとあのタイミングで連れて行くしかなかったのは事実。そりゃわかるけどね。

うーん、いくら映画とはいえ、ちょっと納得が行かない結末なのでした。

 ジャン・ギャバン、フランソワーズ・アルヌール主演。

 

有名な映画としてかれこれ20数年前に知ったが、ようやく鑑賞。DVD購入。よくあるフランス映画集の廉価版で入っているか確認したが入っていない。配信でもない。配信も何もない昔ではザラにあったが、最近になって中古で2000円弱の映画DVDを買うのは珍しい。

 

思った以上に、貧乏くさいと言ったらなんだが、どうしようもなくやるせない映画。ジャン・ギャバンは野良仕事というか、労働者が様になる。とにかく汗水たらして真面目に働く無口で無骨な役がやはり似合う。がっしりとした体躯、あの背中、歩き方、なんとも哀愁があり、悲哀を滲ませている。だが、眼光はいつも鋭い。ギャバンファンにはたまらない。口を真一文字に結んだ、むすっとした表情が好きだ。爽やかな笑顔どころか、微笑みすらあまり見せたりしないし、若い女性を相手に甘い言葉を囁いたりしない。若く美人だからといった理由で簡単に口説いたりしない。もっとも妻帯者で生活に追われそんなことをする必要も暇もないのだが、そんなヤワなことをしなくともこの男は若い女にモテてしまうのが業といおうか。若い女の方から寄ってくるのだ。それが何よりもジャンーギャバンのすごいところ。

一方で年頃の実の娘には手を焼き、怖い顔をして叱りつけるのも全てが様になっている。

 

フランソワーズ・アルヌールは、どこまでも薄幸でなんとも可哀想。クロチルドと言う女は、一体、なんのために生まれてきたのだろう、こんな苦労ばっかりして・・・と側から見れば嘆きたくなるほど幸が薄い。美人薄命とはいうものの、あまりにも儚い存在だ。

理屈で言えば、妊娠させた男は身勝手だと言えるが、この映画の魅力は理屈で語れないし語りたくはない。どっちがどーのいうことはナンセンスだと思わせてくれる。妻子ある中年男と20歳そこそこの若い女の悲恋を、夢物語として、美しく描こうという意図は元々薄く、妙にリアルでそそられる。日々の暮らしに追われ、ただ毎日働き続けなればいけないという背景があり、なんとも現実的な、生々しさがある。23年連れ添った奥さんがいて17歳の娘、その下に弟2人(下の弟はまだ7、8歳か?)の家族を抱える長距離トラック運転手と、親からの愛を満足に受けることなく運転手が定宿とするホテル兼レストラン(居酒屋と訳されていたが)で働く若い娘のなんとも言いようがない恋愛。若い女には義父はいたものの父親らしい愛を満足に受けられなかったことが影響して、父性を求めたこともあろう。どっしり構えた中年男を求めてしまったのだろう。そこもまた切ない。こういうサガばっかりはどうしようもない。一目惚れでどーしようもなく惹かれあったというわけではない。

 

孤独を抱えた若い女が無骨な男を心底頼ってしまった。その孤独な心と自分への一途な思いは、決して順風満帆とは言えない家庭を抱えた男の心の隙間に見事に入ってくる。男にとって、据え膳食わぬは・・・の精神もあるが、魔が刺すとはこういうことかもしれない。自然と深い関係になった2人にやがて悲劇が訪れる・・・。

 

どー考えても幸福というものに手が届きそうにない行末を見守るしかないのだが、このどーしようもないのが日々の暮らしだとつくづく思う。確かに歳の差恋愛の悲恋を淡々と描いているが、なんというかもうどーしようもない日々から安らぎを得るために、2人は束の間の刺激を求める。男と女の業でもあるだろうし、はっきり言って理屈では言いようがない、やはりどうしようもないもの。だからなんともやるせない。

このなんとも言えないやるせなさが映画全編を貫いており、自分もやはりやるせない人生を送ってきたからこそ、共感する。グイグイグイグイ引き込まれていく。

 

ジャン・ギャバンは、この悲恋のあと、元さやに戻る。そこが彼が真面目に生きてきたということを象徴している。真面目とはやはり美徳だとつくづく思う。奥さんと顔を合わせれば口喧嘩してても、娘が反発しようと、働いて働いて家族を養ってきたからこそ、今回の暴走(!)で、奥さんに愛想尽かされるようなことはなかったのだった。真面目にコツコツ生きてきたから、それなりの包容力、優しさってもんはどうしようもなく滲み出てくるわけで、そんな生き様にクロチルドも惹かれたのだろうと思う。実年齢では50歳になろうかとするジャンギャバンは美男子でもなく、愛を囁くわけでもなく、夢や爽やかさも快活さもないがそんなもんはどうでも良いのだ。

 

見終わった後、人生って、かくもままならないものと思いつつ、諦めの念を得つつ、それでも1回きりの人生なのだから自分がその時したいことをして日々を過ごしたいと思った。刹那的であってもいい、多少の後悔してもいいから。

第二話「白い顔」

 

仲代達矢さんの存在感に引きづられ、毎日1話のペースで見ることにした。

 

隠居したからと言って卑屈になる必要もない。第一話でもそうだったが、息子やその嫁が、危険だから釣りには行かないように必死で止めても、聞く耳持たず行く。一度こうと決めたことはやり遂げる。隠居してもまだ若々しいというところもあるが、何もかも右にならえになる必要など全くないのだ。

周りからはなんだかんだ言われようと、自分のペースを崩さず、時には肩肘張りながら、反骨精神をもち暮らしている姿が描かれていると思う。隠居する身分になったことない私なのに(なれるもんなら、隠居をする身分になりたいもんだが(笑))、なんとも共感を呼ぶ姿だ。物分かりが良いというのは確かに悪いことではないし、素直は美徳とも教えられてきたが、自分自身を失ってまで何事も素直になる必要などないのだ。このドラマには生身の人間の姿がある。

 

仲代さん演じる清左衛門は、真面目だが、必要以上に堅物というわけではなく人当たりがよくて見ていてとにかく清々しい。1人の大人として、武士として、男としてかくあるべしとかいう前に、人間としてこうありたいと思わせてくれるキャラクターだ。酒乱の男の元に嫁いでしまい、その後良い縁談があって一度は了承したものの、もはや男性不信、男性が怖いと結局は断ろうとする娘に、懇々と、ただひたすら誠実に、自分が長年秘めていた経験を交えながら一生懸命に説得するシーンが良かった。「男とは優しいものだ」とズバリ言って、娘の心を解きほぐすようなセリフには、グッとくるものがある・・・。

 

豊富な人生経験から紡ぎ出される、清左衛門の言葉の一つ一つには説得力がある。

今年は仲代さんの作品を集中的に見ることにした。

 

前々から仲代さんは好きな役者さんなのだが、映画だけでもその膨大な出演作のうち、たかだか40本ぐらいしか見てない。

 

というわけで、五社英雄監督「鬼龍院花子の生涯」、小林正樹監督「切腹」を10年ぶりぐらいに再見しようと早速DVDを購入。そして、実は未見のままだった超有名作、「乱 リマスター版」、小林正樹監督「人間の條件 6部作」を立て続けに購入。と言ってもまだ見てないけど(笑)。来月中には必ず見ようと決心。戦争ものって重たいからなかなか見るのに体力いるんでね・・・。それに仲代さんが出る以上、ゴロゴロしながら見れるようなゆるい映画など金輪際ないのだ。

 

先月は、「白い子犬とワルツを」、「ゆずり葉の頃」、イタリア映画「野獣暁に死す」を鑑賞。目下鑑賞中なのは、NHKドラマ「大地の子」(まだ1話)。

 

 

いやー、それにしてもその芸歴の長さといい、当たり前でいうのも気が引けることだが、作品によって全然違う仲代達矢さんになるのはすごい。確かに、年齢的なこともあるけど、これ、全部仲代さんなんだなーって信じられないもんね。

 

同一人物か?と思えないほどのなりきりぶり。

 

「白い犬とワルツを」の老人役とも言える主人公役では、庭先でこけるシーンがうまいのなんのって。ああいうシーンでやっぱり役者だなーってしみじみ思う。そういう計算づくの、うますぎる動きをする映像をたまには見たくなるもの。仲代さんってちょっと大袈裟な芝居もよくされる方なんだけど、それが私は好きなんだよなー。要は好き嫌いになってしまうかもしれないけど、でもなんかああいういかにも役者って感じのうまい芝居、私は好きなんだよな。

 

そして今回、もう一つの連続ドラマにも挑戦中。そう、「清左衛門残日録」。ずっと前から知っていて見たかったけど、とうとうDVDセット購入。これでゆっくり見れる。何度も見れるという安心感。いい買い物をしたと買っただけでまずは満たされる(笑)。

 

放送当時、ちょうど60歳の仲代さん。初登場シーンから思った。若い・・・!!そしてなんと凛々しい男ぶり。それにプラスしてあの落ち着いた低めの声で、何もかもが素敵って思った。仲代さんの60歳ってこんな若いのかって思うね。役柄では、家督を譲って隠居する東北の小藩で用人として勤めてきた男の役。

いやいやいや、この風貌で、ご隠居するにはあまりにも早いと呟きたくなる若々しさ。そういう意味でリアリティはないと言えばない。だが、寿命も今より短い、江戸時代なんだからこれが普通というか、そんなものだったろうとも思う。

溌剌として、もちろん持ち前の大柄でがっしりとした体つき、顔立ちの整いぶりも相まってなんというか、色気がやっぱあるんだよな・・・。そりゃ若い時からこの方は美男子だし、男前ってことは知ってるけど、正直、あの名作中の名作「切腹」は29歳にして孫がいる老け役だったし、髭面でその美貌は封印。高峰秀子さんの相手役では、端正な顔立ちの誠実そうな青年で、そういう役柄も何度か見たけど、あくまで脇役だったしほぼ印象に残っていなかった(笑)。

三船さんの相手役でも何度か見てきたけどあくまで脇役だし、まさしく役というものになりきられるかただから、言い方が失礼だけど、あのすごい存在感の役どころ、え、あの役、仲代さんだったっけ?っていう印象で印象に残ってないのよ(笑)。

「天国と地獄」、「金環蝕」、「激動の昭和史 沖縄決戦」とか、仲代さんが出てらしたってこと、すっかり忘れてたもん(笑)。ひどいねー、私の映画の見方。「椿三十郎」、「用心棒」、「上意討ち 拝領妻始末」でも重要な役柄で出ておられたのは知ってるし、存在感はそりゃあったけど、三船ファンでもある私は三船さんしかろくに見てなかった(笑)。

 

そういうわけで、若い頃よりも、中年時代よりも、50才も楽々通り越したこの還暦の頃が一番好きだ。その目力、瞳の美しさといい、もう顔立ちがやっぱり立派すぎる。20代とか、はたまた40代の頃よりも美しいのだ。なんでこんなに歳を重ねても、美しいのだろうかとため息をついてしまう。あの大きな瞳から流れる涙の美しさも。仲代さんにしかできない、なんとも魅力あふれる泣きのシーンだと思う。涙流すシーンがとにかくうまいし、とにかく美しいのだ。やっぱり美男じゃないと様にならない。

 

ま、そうは言っても、60歳ごろだけでなく、以降の仲代さんのルックスといい芝居といい、どれも好きだけど。白髪・白髭で、仙人っぽい雰囲気の今も同じぐらい好きなのは変わりないけどね。2009年の70代後半の「春との旅」の頃も好きだったし・・・。最近の「海辺のリア」のルックスもやっぱり色気があって好きなんだよなー。

 

それにしてもやっぱり色気なんだよな。色気があるってことはなんとも特別であって、やっぱり主役を張る役者さんには色気がない限り、どうもね・・・。私は興味がもてないのだ。

 

ってわけで全然第一話の感想書いてませんが、これからゆっくり書くとして。

 

とにかく主役仲代さんの存在感、その色気だけでこのドラマ、グイグイ見てしまうのは事実。藤沢周平さんの原作の哀愁、渋さというか、人間臭さというか。しみじみ思うわ。サラリーマンとしての武士の描き方がやっぱり沁み入ってくる。自分が中学の頃、映画「たそがれ清兵衛」で藤沢さんのことを知って、原作も読んだけど、なんというかそのころはわかりもしなかった哀愁を感じてしまう。

 

台本のよさはもちろんですが、南果歩さんはいつもうまいなーって、しみじみ。ほんとめちゃくちゃお若い時からうまいのよね。こういう方を天才的な女優さんって言うと思う。天性の勘みたいななんというか、もう熟練のうまさみたいなものがお若い時から備わっている奇跡の人。

あと、かたせ梨乃さんの色っぽい小料理屋の女将がまあいい具合に絡んできてね。日本人離れしたルックスの持ち主だが、着物でそのプロポーションを隠したつもりでいても、隠しきれないものがある・・・。あまりにもその色気にみんな参ってしまうのはわかるが、正直、色っぽいで片付けることは出来ない、芝居のうまさがある。やっぱりうまいわこのかたも。

仲代さんといい雰囲気になりそうな感じがプンプンする。あーこのお2人の芝居、ずっと見てたいわ。

なんというかやっぱり無条件にいいのよね。町奉行財津一郎さんとの気のおけない間柄の絡みもいい。

 

ゲスト出演の佐藤慶さんとの共演はなんともリアル!俳優座同期!さすがの息のあった芝居というには、あまりにも単純な表現だけど、本当にそう。なんというかやっぱり滲み出てしまうものがある。はーうまいね、やっぱりどちらも。

 

そういうわけで芸達者が揃い踏みの第一話でした。

 

 

ほぼ前知識なしで見たので、仲代ファンの自分としては、仲代さんがどのぐらいの、どんな役どころで出るのか少々不安だったが、心配ご無用。悪役ではあるが出番も多く、おいしい悪役なので嬉しかった。さすが、敬意を払って下さっている。

先日の「徹子の部屋」にゲスト出演されたときに、イタリアが好きというお話になり、イタリア映画に悪役での出演があると仲代さんがおっしゃっていたので、不覚にもそんなことは知らなかった私、すぐにDVDを購入!というか、DVDになっていたことに感謝だ。仲代さんの主役映画は色んな大人の事情でソフト化されていないものがあるし、今後もソフト化してくれないような感じの作品もあると知っていたので。

 

以下、ほとんど仲代さん賛美の感想になる。

 

というか、マカロニウエスタンにいくら黒澤映画で海外にも名を馳せた天下の名優とはいえ、日本人をキャスティングするってすごいよな。いくらスタイルよくて、顔立ちが整っていたとしても、日本人に多い、顔に凹凸がないのっぺりした端正な顔立ちでは到底太刀打ちできない。いやいや、流石に違和感あるし、違うやん!って思ってしまったらこういう娯楽映画はそこで終わり。外見云々言うのもどうかと思うが、演技力とか存在感とかそんなもん以前に、やっぱりできる役できない役ってあるわけで。

西洋人が着物着て、正座して全然不自然じゃないですよね?って言っているようなもんだもん。

 

外見だけで普通は論外になりそうなものの、仲代さんのあの彫りの深い、濃い顔立ちで難なくクリア。しかも黒黒としたふさふさのヘアスタイルに、同じもじゃもじゃの黒黒とした髭面の風貌だから、3倍増しぐらいで濃く見える(笑)。肌の色もメイクの関係もあるだろうが、浅黒くてとにかくハマっている。

おいおい、海外勢のスターよりも顔が濃く見えるってどういうこと(笑)??黒のジャケットに黒のチョッキ、黒ズボンで、白のワイシャツ、焦茶色の靴・・・。思わず乙女チックに、なんて素敵な悪役でしょう!とつぶやきたくなる色気だ。白馬にまたがってもかっこいいわ。悪役なんで先住民の女性を犯そうとするんだけど、ま、際どいシーンでなんとか終わり、生々しいシーンはカットで安心安心(笑)。

 

あの西部劇にはお馴染みのアイテムである、テンガロンハットもなしなのに、こんなに西部劇のスターとしてはまるか!!

 

しかし、仲代さんのあの大きな瞳、眼力がすごいのなんのって。なんというか、吸い込まれそうなガラス玉のように美しい瞳。はー、やっぱり、若い頃の仲代さんは(公開当時、35歳か)ここまで美男だったかーって今更のように思った。仲代さんの場合は、驚異的な役者の鍛錬を続けておられる方だから、今もってして現役の主役を演じる役者さんだし、齢を重ねても美男には間違いないけど、なんというか黒黒とした髪のころにしかない美しさってやっぱりあるわけで。逆にいまマスメディアに登場する仲代さんはそれこそ白髪だし、ひげも当然真っ白だけど、それはそれで白髪の美男でやっぱりダンディなんだよな。

 

端正すぎる目鼻立ち。目力に至っては主役のモンゴメリー・フォードほか、全ての海外勢のスターを凌駕していた。これが驚き。眼光鋭くて、しかもその眼光がなんか虚空を見てるような寂しそうな時もあり、これがまた私の持つ乙女心みたいなものをくすぐる(笑)。

 

主役には悪いが、存在感っていう点ではもう仲代さんが完全に食っていたなー。もう若い頃から天才的な演技者だったしなー。モンゴメリー・フォード、確かに文句なしの美男でスタイルも良いのだが。

映画を見る前は、仲代さんは確かに顔立ちが濃いし、西部劇にもってこいだよなー、流石のキャスティングだなーってぐらいにしか思ってなかったけど、見てすごい馴染んでいたという言い方でも全然甘いぐらい、めちゃくちゃハマっていた。映画のストーリーとは関係ないけど、フロンティア精神みたいな、土着の魂すら乗り移っているように見えた(かなり適当な感慨(笑))。うわーハマっているわって心の中で叫ばずにはいられない感じ。なんの違和感もないどころか、適役すぎる。それもこれも、仲代さんの演技力がずば抜けているっていうもあるけど。単なる悪役じゃなくて憂愁というか、奥行きを感じさせる悪い奴なんだよね。

 

足長で、長身どころか、超がつく長身が多い海外勢にも、スタイルの良さ、背丈だって互角に張り合えていると思う。そりゃ大男っていうわけではないけど、確か177、178センチだったと思うけど、今の時代でも背丈は高い方だから、当時の日本人としては紛れもなく長身だし、服を着ててもわかる鍛え上げたがっちりした体躯でやっぱり強そうなんだよね。

他のジャンルの映画ならともかく、特に娯楽性のつよい西部劇に出るには、なんと言っても見栄えがよくないとお話にならないからね。たとえ顔が濃くて、美形でも背丈が・・・っていう、西部劇独特の厳しい条件ですらクリアって、もうほんと、仲代さんってまさに「役者」になるために生まれてきたような方だったとつくづく思った。どんな奇抜な役でも成り切ってやっちゃうのが怖い。舞台ではともかく、映画で外国人の役も難なくクリアとは。

 

あの素敵なお声が、私がみたソフトは、日本語音声なしのものだったため、イタリア映画のため吹替だったのは残念。買う時にころっと忘れていたというか、うっかりしていた。日本語音声のものなら仲代さんが吹き替えしているはずなので・・・。

 

仲代さんのシーンで、ちょっと面白かったのは、地図を出して手下に攻め方を教えるときに、机の上に乗っていたガラスのグラス10個弱、地図を広げるスペースを確保するためだけに片手でがっと押しのけて床に落としてしまうところ。それ、わざわざそんなうるさい音立てて、のける意味ある?って思った(笑)。ま、悪役だからそういう無遠慮で、意味のない乱暴さを持ち合わせているということを表現したかったんだと思うけど、ちょっとコント見たいな演出だったわ。

 

ストーリーはいたってシンプルで、捻りという捻りはない。傭兵集めから始めるところが黒澤映画のオマージュらしく、この映画では5人まで集める。あ、七人じゃないんだって思ったけど、まあ、映画の尺の関係もあるしね。「七人の侍」が3時間はあるんで話が別。

でも、主要メンツ5人のうち、1人の大男ででっぷりとしたキャラクターの濃い怪力男を除いて、主役含む三人が美男でスタイルよし。ミーハーな私は、特に曲者キャラというわけでもない、金髪美男が2人もでてきたのでなんかなんとなく見てしまった(笑)。それがあってか、飽きさせず90分ほど釘付け。

主役は、かつて先住民の恋人を犯され殺されたうえに、仲代さん演じるワルの仕業で濡れ衣で5年間服役し、復讐心からムショの中でなんと木で銃を作り、日夜銃を撃つレベルを上げるためひたすら修行に励んだ汗と涙の、あまりにも陰気な執念があんまり感じなかったのはなぜだろう。この血眼の悲願みたいなのが成就する瞬間を見届けるのが、この映画の最大のカタルシスであるはずが、あれーって感じでなんとなく終わってしまった。主役のキャラクター設定があまり癖が強くなく、あまりにも優しすぎるからだろうか。優しいのは良いとして、もっと暗い雰囲気がでていればよかったのか。わからないが、ちょっとインパクトに欠けていたのは確か。

 

地獄に突き落とされた、陰惨な過去を持つ男なのに、そこまで陰惨さを感じなかったためかカタルシスもそこまでない。

仲代さんは悪役なのでどうせ死ぬ役だろうと思っていたが(笑)、終幕はあまりにもあっけない。グロテスクにばちばちにやられてしまうわけではなく、綺麗なままで死んでくれてよかった(笑)。主役の青年も仲間も皆生き残り、ハッピーエンドなのは良いが、あまりにもあっけないと言えばあっけない。ま、王道娯楽ならこれでいいか。

 

 

基本的にミーハーな私は、映画を見る基準は好きなスター、役者さんが出ているかどうかがまず第一。だが実際にソフトを買うとなると、どうもそれだけでは買うということはあまりない。

世の中はとっくに配信の時代。まさか!という古い作品や、マイナーな名作もかなりお手軽な値段で、時には無料で見れたりするのに、わざわざ、断捨離の敵でもあるDVDは極力買わないに越したことはないのだ。

というわけで、ソフトを買う時は、やはり監督で選ぶ。やっぱり作品的にいい映画はきっともう一度観たいと思える時があるから、たとえ一本数千円したとしても損した気にはならない。

 

この映画は、中みね子監督。最近の映画界は不勉強のため、ピンと来なかった。おまけに初監督作品となれば、うーむ、やっぱり知らない監督だし買わなくていいかというわけで(笑)。大好きな八千草薫さんと、仲代達矢さんがでてらっしゃるから!と見てみたいのは山々だったのだが、即決というわけにはいかなかった。

だが、ちょっと調べてみると、中みね子監督は、あの岡本喜八監督の奥様ということが知れて、長年喜八監督と共に、映画界で大活躍されてきた方。なんだ、それならいいじゃないかと即購入。喜八監督の映画、好きなのが多いのだ・・・。

 

前置きが長くなったがやはりよかった。あらすじは端折り、印象に残ったことだけを以下雑記。

 

なんと言っても八千草薫さんの魅力が迸る。もう、なんというか存在感がすごい。ほぼ出ずっぱりの大役。佇まい、話し方、微笑み、リアクション。その演技の何もかもが好きになってしまった。これがスターなのだ。

この方の醸し出すオーラに浸っているうちに見終えたとでも言おうか。この役は八千草さんにしかできない。そりゃ若い頃だって当然お美しく、中年の頃もなおのことよかった。逆に中年すぎてからの出演作品の方が私は作品もよく見ている。こんな可憐で美しく、清純な役ができる女優さんが、他に何人かいらっしゃるだろうとつくづく思ったし、とにかく驚いていた。

だが高齢になられてそれらの持ち味はそのままで、その頃とは違う味も明らかに出てきた。これより前に鑑賞した同じ時期に制作された映画「くじけないで」も、八千草さんの演技には心から泣かされたのだった。

なんだろうこの神々しさ。歳を重ねたからこそ出てきたかと思わせる、まさに菩薩のようななんとも言えない落ち着き。すっかり魅了されて心から癒されてしまった。ずっと八千草さんの演技を見ていられる。お着物がまあ似合うこと。昔淡い恋心を持っていた人に思わぬ再会を果たし、少女のように涙を一筋流すところもなんとも美しい。

それにしても、この八千草さんが演じる市子さんという女性を見ていて、本当に大切なこと、心に何十年も思い続けたことは、到底口で伝えられるもんじゃない。だったら中途半端に思いを打ち明けるとかもしないでそのまま心にしまっておくのがいいものかも知れない。本当につくづく泣かせる展開だ。

端切れの布で作った手製の袋に入れたビー玉と間違うほど美しい色の大玉の飴玉の数々。これをお返しとして大切な人たちに渡すシーンがまた美しい。美意識が迸っていると思う。

 

はー、映画のそのものの感想というより、八千草さん讃美を続けてもいいのだが(笑)。

 

もう1人のこの映画での私のお目当てである、仲代達矢さんは、出番は少ないけどやっぱり上手い。そりゃ上手いってことはもうとっくの昔から知っているけど、やっぱり上手いよな・・・。徹底的に作りこまないとこんな自然な演技なんてできない。なりきりぶりというかなんなんだろうこの方のテクニックというか、オーラ。

そのゆったりした温かな話し方、穏やかな佇まい、端正な顔立ち。もはや貴公子です・・・。貴公子っていう言葉は若い美男子だけに使うものではない!と思った。なんてたって、画面に出た瞬間、あの麗しき八千草さんが少女時代からずっと心の中に思い続けていた相手に相応しいわ・・・って瞬時に納得させないといけない、信じ込ませないといけないから。

 

ここら辺は女性監督ならではの視点も入っているかも知れない。ダンスシーンとか、八千草さんの顔をそっと包み込むように触れるシーンとか、これはなかなかのロマンチックなシーンなのだ。

こういうロマンスというか、メルヘンというか、おとぎ話、やっぱり無条件に女性は好きだと思うし、私も御多分にもれず、好き(笑)。

 

というわけで、仲代さんも齢を重ねても若づくりなんてしないのに風貌が美しく、とにかく色気がある方のままなので、外国の(フランス人かしら)まだお若いお嫁さんがいる役でもなんら不自然なところがない。ほんと、国際的な画家の役なんてもってこいだな・・・。あの作務衣、白髪、口と顎の長い白髭の風貌からしてもう、ビシバシ雰囲気が出ている。

仲代さんは、そりゃ昔から美男と知っていたけど、つくづく目鼻立ちが美しい方だと思った。特にあの瞳。目が大きいので余計に訴えかけるものが多いというか、とにかくただただその世界に吸い込まれそうな憂いを帯びた瞳なのだ。目が見えない役というのも、まー難しいと思うのだが、やっぱりうまかったですね。

 

あとなんとしてでも言っておきたいのは、喫茶店のマスター役の岸辺一徳さんの存在感。この喫茶店の名前が、珈琲歌劇っていう名前で、また素敵な名前だと思った。やっぱりすごいんだな・・・。なんというかこのかたもすんごい存在感というか、なんとも言えないオーラを持ってらっしゃる。自然にここまで演技というものができるんだなってつくづく。

八千草さんの息子役の風間トオルさんは外見がカッコ良すぎて、しかも可愛いのでそれで何もかも許せる(笑)。こんな息子欲しいっていう母性をくすぐる人だと思う。ラストのやり取りはほんわか、無条件にいいって言いたくなる。このラストシーンでも、やっぱり岡みね子監督のセンスは素晴らしいと思った。

 

こういうホッとする、ただただ美しい夢のような映画、やっぱり私は好きです。

 

 

 

エリザベス・テイラーの代表作の一つ。アカデミー主演女優賞を受賞した作品ということだけは知っていて、それ以外はなんの前知識もなく見たのだがこれがまあ秀逸な映画だったわけで。

 

随所に出てくる、真髄をついているセリフもよい。

脇を固める登場人物も皆芯があって、誰もに感情移入しやすい。いざという時、女が強く男はやはり弱いなんていうテーマを安っぽく訴えるようなことはしない。まあ、そういう見方も一理あるし、描き方によっては面白いということもわかっているのだが。

 

モーテルの女主人の人情味とか、夫のアル中気味と女性関係の激しさを知りつつ、妻は妻として必死で夫を理解しようとし、一心に愛を与えようとする健気なところとか、主人公の母は、母として娘を愛し、それがために色々我慢してきていたり。リズの母の友人女性とか。

主人公の旧友は恋人にリズとの関係が友達ではなく恋人そのものだと疑惑をかけられるが、毅然とした態度でそれを否定するところとか。ま、あれだけ近い距離に美女がいたらな、女は嫉妬以上の感情を持っても仕方あるまい。その恋人はそれを理解しようと必死で頑張っている健気なところとか、まあ他にも色々あるが、とにかく人物描写が素晴らしいのだ。リズと恋に落ちる既婚者も、大きな会社の重役でありつつ自堕落な生活を送っているようなところがあるがかつては出世のために頑張って生きていた。そして自分より遥か格上の家庭環境で育った女性と結婚したのだがやがてそれが重荷になり、現実逃避。酒に溺れ、女に溺れるのにはまあそうしたちゃんとした理由があり、不快感を与えるところはない。やはりひとに不快感を与える人は精神的に弱すぎて、自分に甘すぎて人間としてだらしなく写るからだろう。誰だって完璧には生きえれないし、時にはだらしなくていいし、そうじゃないと息切れする。だが、ただ慢性的にだらしないというのはやはり見苦しいものがある。

そんな夫を妻なりにきちんと理解しようつとめ、すなわち愛しているというところも泣かせる。

 

ラストがあまりにも雑(笑)というか、拍子抜けといえばその通りだが、それまでの描写はさすがとでも言っていい。あっという間の100分だったし、音楽も良い。冒頭からリズ・テイラーの美しさに目が釘つけ。ベッドですやすや眠っているその横顔の美しさ。絶世の美女ここにあり・・・。はー、この世のものとは思えない豪華絢爛さとでも言おうか。何もかもがスターの貫禄、あまりにもカリスマなのだ。圧倒的なまでに整った彫りが深い顔立ちに、濃い眉毛、大きな瞳。瞳の色といい、どこをとってもアジア系のかけらもない風貌の美女だが髪は黒色。なんとなくギャップがある。

 

遊びではなく、本気で惚れた既婚男性とその男性の自宅(妻は留守)で一夜を過ごし、ただひとり眠りから覚める。名前を呼ぶが、いない。そして部屋の片隅にお金。まさかの娼婦扱いをされていたことに多大なショックを受ける。それからすぐ腹いせに朝の一杯、歯磨きと、腹いせに奥さんの高級ミンクのコートを拝借するまでに至るリズの気怠い動きと機敏な動き、自尊心を傷つけらえたことに対するやりきれなさ、怒りの感情。うーん、素晴らしい!

 

当時というか、もはや子役の頃からその美貌は映画界が絶賛しただけあり圧巻で、なんとも言えない大人の女性の魅力は振り撒いていたが、まだまだ若いリズ様。娘扱いしてリズを溺愛するお母さんと一緒に暮らしている設定で、本当の恋とやらも手に入れたことがない、純粋さ、うぶさを持ちつつ、あまりにも暗い過去を抱えているがために、異性関係は派手という役どころ。

 

リズが出ているだけで見る!って息巻いていた私にとってみれば、暗い過去を持ったリズの役どころには面食らうものがあったが、まあ、あれだけの美貌があればとんでもなく理不尽な目に会う回数も、凡人よりも増えてしまうこともあるのだろうと、もやもや、やりきれない気持ちになる映画だった。

しかも理不尽なんて言葉では片づけられない、あまりにも地獄に突き落とされた過去。それでも、ただ懸命に生きようとするところが健気で。

それにしてもリズの美しさは圧倒的。その美貌はもはや言わずもがなだが、ザ・女性とでも言いたくなる圧倒的なダイナマイト・ボディ。スターとしての存在感はもとより、美しさ、色気がすごい。これがハリウッドの大スターなのだ。