備えること
遠く離れた関西から、何が出来るのかを考えています。
パチンコ業界のポジションは弱い。
こんな時期には、弱い存在に悪い矢印が向いてしまう。
そこで働く人間に言われなき差別や誹謗があってはならない。
それを誘発することを避けるために、手段を講じることは、同じ業界で働く者の最低限の気遣いだと思う。
また、今後本格的に支援活動について、いろいろな話し合いがもたれると思うが、リーダーシップに欠ける業界では、小規模なユニット(法人単位や志を共にする仲間)での貢献は、大きな意味を持つと思う。
阪神大震災時、比較的被害の小さかったわれわれにも、様々な支援をいただいた。
とにかく、自分と周りの人間だけしか考えられない状況であったが、その支援はいまだに有難く感謝しています。
ただ、なかなか申し上げにくいのですが、直接欲しいものと支援されたものに温度差を感じる場面もあった。
おそらく、今後落ち着いてからの支援は、現地輸送も可能になってくると思うので、今出来ることが見当たらないのであれば、そのタイミングに備えることも立派な支援になる。
状況は違うが、当時欲しいと思ったものを思い出しながら、箇条書きしてみる。
情報を得るツール。(屋内・携帯)
マスク。(直ぐ足りなくなるし、臭いや埃だけではなく、今後の疫病対策にも)
リュック。(両手が空かないと物資も運べないし、何かと不便)
懐中電灯。(数が足りない場合、行動が大幅に制限される)
防犯用ブザー。(集団で移動するようになるが、女性用にあると安心できる)
防寒着。(ダウンなどの軽いものとヒートテックのようなインナー)
靴。(安全靴が欲しいと思ってました)
軍手・手袋(寒さ対策もありますし、作業では必要)
ビニール袋。(食品の保存装置がなく、何かと便利)
ゲームなどの娯楽品。(文章だけだとストレスが高まる。将棋やオセロなどのボードゲームは、コミュニケーションにも有益で、かなり救われる)
経験上、こういった極限の場面ではリーダーの存在の有無は本当に大きい。
リーダー論について語るつもりはないが、とくに立派である必要もないし、声をかけるだけでも周りは助かる。
またリーダーは女性のサブ的な方がおられると、排泄や生理的現象の配慮にもなる。
そしてリーダーも人なり。
程度に差はあれど、被災した立場の中では、立場を越えた相互の思いやりが、仲間に
少し落ち着いてくると、一番厄介なのがストレス。
憔悴したなかでのストレスは、思わぬ諍いを生むので、リーダーは出来るだけ仲間が独りにならない状況づくりを。
また独りになれば、あまり良くないことを考え、弱気にもなるものです。
団結から生まれる絆は、希望や夢に昇華していきます。
当時の私は日本一のパチンコ屋になると思いました。
ホール従事者の方は、被害のあるお店に入る時には、まずはドアをそっと開けるように。
私の場合だが、天井から落ちたパチンコ玉がホール内に山積みになるのを確認した瞬間、流された玉でひっくり返っていました。
ガラス対策も抜かりなく。
機械や設備類の運搬は無理をせず。
少し不謹慎な言い方ですが、火事場のバカ力って本当にあって、オーバーワークになりがちです。
私の場合、スロット台の運搬中に急にめまいが襲ってきて吐いたことがあります。
あと、今でも思うのですが記録を残さなかったことを悔やんでいます。
組織が継続して発展していく上で、今回の経験はいつかきっと糧になると思います。
人が変われば、その経験も薄れやがてその思いも無くなってしまうケースもあります。
誤解を恐れず言えば、この悲しい経験も大切な一部として、個人・法人で刻むべきだと思うのです。
また思いつくことがあれば、書きたいと思います。
思うに
このたびの大災害に見舞われた方々に、謹んでお見舞い申し上げます。
様々な声・議論が聞こえてきます。
私の半生でこれまでに、偶然にも多くの災害の場に居合わせました。
その一つ、神戸の震災の真っただ中にいた経験から、業界について私見を書きます。
営業が出来ない地域の皆様には、選択肢が少ないでしょう。
なるべく多くの方と団結し、希望を失わず惑わされないことが大切です。
持久戦が始まりますが、貴方が思うということは生き延びた証ですから、
淡々と黙々と生きることも大切で、大きな意味があります。
希望は生きている中からいつか見つかると思うのです。
そしてその希望は、挫折を覆すことが出来るほど尊いものと思います。
どうぞ、あきらめず・しっかりと。
空の青さを恨んだ私も、時が経ち空に感謝する日を知りました。
都内を始めとする、間接的とも言えるエリアの皆様は、想像力を働かせて。
神戸の震災では、今ほどネットや携帯も有りませんでしたが、デマや噂は多くありました。
炊き出しやコンビニ再開の噂などより、暗い気持ちになったのは、暴徒のこと。
強盗や強姦の話と同じく、在日の人間への噂やそこから派生するターゲット。
震災からしばらくして、多くの人々は強いストレスに見舞われます。
昨今の社会では、パチンコが的になる可能性は非常に高い。
暴徒やストレスにさらされた人々は、そもそもパチンコユーザーではなく、
そんな区分けなど関係はない。
大げさに言えば、的にされる危険がある。
それらには、社会的な立場だけではなく、身辺の危険を伴うものもあるのだ。
事実、神戸の震災時にある地区で某○店が、住民感情から疑問に思う時期に、営業再開すると
聞いて、同業ながら憤慨した記憶もある。
その時の理由を間接的に聞いた(それを話したとされる方は今は役員)が、私は納得いかなかった。
同業からでさえ、恨みを買ったのだ。
その後、落ち着いた神戸市内の再開店舗を見て回ったが、タイミングさえ間違わなければ、
営業してよかったと思って貰える状況が、内実ともにあった。
本当に苦労した経験から、パチンコ店の社会的意義(特に近隣の町の方々にとって)は、
理屈や空論じゃなく、肌や眼で感じる機会は近い将来にあると思います。
復興の場で、何度も涙を流し迷いながら、汗や埃にまみれ、その結果この商売でよかったと思った私がいます。
ただ今回、この時期には、将来への遺恨を残すばかりだけではなく、足元を大きく掬われかねない。
君子危うきに近寄らず。
その理由や意味が解らなければ、この言葉を思い出すと良いと思う。
理屈や定量的なものではなく、多くの災害の修羅場をくぐった経験から言えます。
リスク回避には、想定されることだけでは、足りないことが当たり前。
想定内で事足りれば、多くの失敗は起こってないからだ。
東北の方々に、安易な慰めはとても言えないのですが、きっと立ち上がれますし、
事実多くの人々の拠り所として、パチンコは立派な娯楽といえる盛況がその後の神戸にありました。
あきらめる理由も、うつむく理由もない。
どんな過酷であっても、いつか報われる日は来ます。
毎日昇る太陽に苛立ちを感じ、月日の過ぎる速さと、自身の変わらない日々を重ねて、唾を吐いた。
そんな私でも、その経験が今の大切な糧になって感謝しています。
がんばろう東北
がんばろう日本
I LOVE PACHINKO
皆様がこの災害を克服して、より進化し素晴らしい成長と発展をされることを、心からお祈りいたします。
ズレから見えたもの
かなり昔話としか言えませんが。
あるホールに出入りする機会がありまして。
そのホールは、従業員教育に力を入れておらず、目を覆う場面もありました。
会議で、朝一の営業が弱いのは?と話しながら、その参加者は、朝一に出勤した者がいないという、本末転倒なこともあったりしました。
現場も荒れており、だらしないアルバイトも多く、言葉遣い・服装だけではなく、空気も淀んでいました。
あまり深く関わることのないホールでしたが、ある時事務所で待たされることになりました。
役職者と他愛もない話をしながら、事務所内を観察していると、だらしない象徴とも言うべきものが目に入ってきました。
時計
ホール事務所には、おそらく3つ4つの時計があることは、普通かと思います。
壁時計・置き時計・ホールコンの時刻表示・景品やサンド等の管理コンの時刻表示・パソコン・タイムカード…
私には少し妙な癖があって、子供のころから周りにある数字や文字を無意識的に記憶しようとするところがあります。
一種の神経症とも言えますが、自覚はあります(笑)
事務所の時計が、まあ見事にバラバラなんですね。
アバウトなお店にありがちな傾向です。
そのバラつきの最大や平均などを意味もなく考えながら、世間話をしておりました。
その日から数日経って、また事務所に行くことがありました。
もちろん時計はバラバラのままですが、一つだけ以前とズレ方の違う物がありました。
それに気づくと同時に、嫌な汗が出てきました。
前回の訪問よりタイムカードが、数分遅れていたのです。
他愛も無い話を続ける役職者に『アルバイトさん綺麗な方多いですよねぇ~』なんて言いながら、タイムカード見ていいですか?と切り出しました。
『綺麗な方でも字は汚いのは、勿体ないですね』などと話しながら、見て行くと打刻時間に規則性が…。
ある日は定時3分前に全スタッフが打刻。
何日か連続で同じ様なケースもある。
このタイムカードはデータ保存・吸い上げのタイプでは無く、あくまで打刻のみに使用されるタイプのものでした。
上から目線でしか話さない役職者と、そんな人間ばかりのホールでしたし、役目を越えて進言すること=ビジネスの不和を招く現場でもあり、時計ズレてますよ程度のお話だけしました。
結論から言うと、打刻の不正がありました。
鍵をどこからか入手し、時刻を動かすという大胆不敵なものです。
規則上、ペナルティがキツいこともありましたが、それ以前に問題のあるホールでした。
不正や管理についての!はありましたが、そこから飛躍して、物差しが違っているという悲劇、そして物差しがあてにならないどうなるのか?と考える教訓になっております。