数珠のブログ -7ページ目

随分前になるが、身体を壊してしまい長期入院したことがありました。


仕事でのストレスやらプレッシャーやらで、かなりボロボロでした。


そして強制入院。


その夜病院のベッドで思いました。


『これでやっと休めるなぁ。。。』と。


数か月が経ち、春が訪れます。


病室のベッドから見える光景は、まだつぼみの桜並木。


その傍には、年老いた御婆さんが桜を眺めていました。


毎日ではないのですが、御婆さんは天気が良いと姿を見せます。


それをボーっつと眺める日が続きました。



当時、身も心も病んだ末の入院で、私は担当医以外とは、


あまり口を聞こうとしませんでした。


心を開きたくなかったのです。



やがて回復とともに、散歩の許可が出た時、愚かな私は


恨みを込め、天に向かって唾を飛ばしました。


当然、その唾は顔に落ちてきます。


運命を呪い、天に復讐したいと思っていたのでした。



そんな状況で、散歩していたある日、御婆さんを見つけます。


桜は5分付き程でしょうか。


もっとも、その頃の私は自棄でもあり、悪い企みばかりしていたので、


桜が咲き始めた事さえ、気付いていませんでした。



何気なしに、御婆さんに近づきました。


『綺麗ね~桜って。』


独り言かと思う言葉の後に微笑まれ、そのばに突っ立ってしまいました。



会話の中から、事情が見えてきました。



彼女は末期のがん。


終末医療のホスピタルにずっと入院していた。


花が好きで、天気と体調が良いと散歩に出る。


そして…残りの人生が僅かで、それを受け入れている。



花の中でも、桜が大好きだと話す彼女に習って


私もずっと桜を眺めていました。


それまでの人生で、あまり凝視したことがなかったので、考えもしなかったのですが、


桜ってひとつひとつが花で、沢山寄り添って咲くんだなぁと思いました。



一つの場所から複数の花柄がのびて、それぞれに花が咲いている…



そんなことさえも気付かずに生きてきた自分が、なんだかみじめにも思えました。



つづく





つれづれ

神戸では、あるスタンド蕎麦屋に寄ることが多い。


ある人が働いているからだ。


阪神大震災当時の同僚。


とは言っても、母親くらいの方で、お婆さんになっている。


食べに行って偶然解ったのだが、先方は気づいていらっしゃらない。



震災時、年配の社員が多く在籍した会社で、その中の一人だったのがKさんだ。


当時、営業もそうだが、人生すらどうなるか解らない状況で、不安な共同生活を送っていた。


お世話になった経営者は、本当に素晴らしい方だったが、震災による商売への影響が確定してないにも関わらず、給料の支給を決めてくださった。


それを受けて、何をすべきか=どう立て直すかと会社を案じ想像することが出来た。


Kさん達年配層は、支給の決定が出るまで、会社や経営者と我々は違うといった言動が多かった。


年齢や家族の事を思えば、致し方ないところもあるのだが、独り身の私には少々我儘に思えた。


快く思えなかったのだ。


復興する中、会社が生まれ変わる過程で、彼らは会社を去ることとなる。



あれから随分時が経つ。


現在の私は、頑張れるものが頑張れば良い。


ギリギリであっても適材適所というのはあるし、それぞれの得手不得手はあると思っている。


若かった私は、少々強引なところや±に拘るところがあった。


年配者が会社を去ることに対して、リストラということが頭に浮かんだりもした。


人に対する配慮や思いやりが足りてなかったと思うこともある。


実際、血の入れ替わりがあって、会社のスピードは一気に加速し、良い結果も出た。


出たのだが…



随分経って袂を分かち、違和感を感じたその正体が、段々解ってくるようになる。


そして、それを忘れないでいよう、無くさないでいようと心に留めている。


そんな時にKさんを見つけた。


店に入って、おとなしくかけそばを頼み、特段Kさんの顔を覗き込むこともなく、黙々とかけそばをすする。


ご馳走さまと言う声の内側で、頑張ってくださいと呟く。


声をかけることはおそらく無いだろうが、あと10年位はこの店に通うんだろうなぁ。





その後


私の両親は、二人揃って大きな震災や台風に見舞われた家に育った。


なんの因果か、私もこれまで多くの災害に巻き込まれてきた。


大きく移動するたびに、引き寄せられるように不運に会うのだ。



平成5年夏鹿児島県豪雨災害、いわゆる8.6豪雨では、判断の大切さを学んだ。


水没した町を見て本能的に恐ろしくなり、未来が閉ざされる気持ちになった。


それ以上にそこから、人生が変わった人間も多くいたことがショックだった。



これまで、多くの災害の場に翻弄された人生だった。

それでも、現在までなんとか生きてこれた。

今は考えられなくても、いつか前を向ける日がやってくることを、私は知っている。

生きている限り、未来は訪れる。

そして、それが転機になり、その経験が財産となった。


財産になるように、生きてきたのだ。



今回の大きな災害に、私が何を出来るか?と自問自答している。


独りでは小さな力でも、力を合わせれば何かが出来ると思う。


被災者の方々に頑張れなんて言葉が、励ましにならないことを知っているからこそ、喜んでもらえる事をしたい。



アイディア


多くのホールは人手不足で悩まされている。


寮完備のホールは、期間限定で、契約社員や契約パートで、業界の被災者の方々に、雇用の受け皿を作れないものか。


町が壊滅し何も出来ない状況で、仕事が無い辛さは、将来への希望も見失う場合がある。


また、そんな状況を経験した人間の頑張りは、理屈を越えた物凄いものがあります。


受け入れた企業さんには、必ず多くの+効果があると思います。