桜
随分前になるが、身体を壊してしまい長期入院したことがありました。
仕事でのストレスやらプレッシャーやらで、かなりボロボロでした。
そして強制入院。
その夜病院のベッドで思いました。
『これでやっと休めるなぁ。。。』と。
数か月が経ち、春が訪れます。
病室のベッドから見える光景は、まだつぼみの桜並木。
その傍には、年老いた御婆さんが桜を眺めていました。
毎日ではないのですが、御婆さんは天気が良いと姿を見せます。
それをボーっつと眺める日が続きました。
当時、身も心も病んだ末の入院で、私は担当医以外とは、
あまり口を聞こうとしませんでした。
心を開きたくなかったのです。
やがて回復とともに、散歩の許可が出た時、愚かな私は
恨みを込め、天に向かって唾を飛ばしました。
当然、その唾は顔に落ちてきます。
運命を呪い、天に復讐したいと思っていたのでした。
そんな状況で、散歩していたある日、御婆さんを見つけます。
桜は5分付き程でしょうか。
もっとも、その頃の私は自棄でもあり、悪い企みばかりしていたので、
桜が咲き始めた事さえ、気付いていませんでした。
何気なしに、御婆さんに近づきました。
『綺麗ね~桜って。』
独り言かと思う言葉の後に微笑まれ、そのばに突っ立ってしまいました。
会話の中から、事情が見えてきました。
彼女は末期のがん。
終末医療のホスピタルにずっと入院していた。
花が好きで、天気と体調が良いと散歩に出る。
そして…残りの人生が僅かで、それを受け入れている。
花の中でも、桜が大好きだと話す彼女に習って
私もずっと桜を眺めていました。
それまでの人生で、あまり凝視したことがなかったので、考えもしなかったのですが、
桜ってひとつひとつが花で、沢山寄り添って咲くんだなぁと思いました。
一つの場所から複数の花柄がのびて、それぞれに花が咲いている…
そんなことさえも気付かずに生きてきた自分が、なんだかみじめにも思えました。
つづく
つれづれ
神戸では、あるスタンド蕎麦屋に寄ることが多い。
ある人が働いているからだ。
阪神大震災当時の同僚。
とは言っても、母親くらいの方で、お婆さんになっている。
食べに行って偶然解ったのだが、先方は気づいていらっしゃらない。
震災時、年配の社員が多く在籍した会社で、その中の一人だったのがKさんだ。
当時、営業もそうだが、人生すらどうなるか解らない状況で、不安な共同生活を送っていた。
お世話になった経営者は、本当に素晴らしい方だったが、震災による商売への影響が確定してないにも関わらず、給料の支給を決めてくださった。
それを受けて、何をすべきか=どう立て直すかと会社を案じ想像することが出来た。
Kさん達年配層は、支給の決定が出るまで、会社や経営者と我々は違うといった言動が多かった。
年齢や家族の事を思えば、致し方ないところもあるのだが、独り身の私には少々我儘に思えた。
快く思えなかったのだ。
復興する中、会社が生まれ変わる過程で、彼らは会社を去ることとなる。
あれから随分時が経つ。
現在の私は、頑張れるものが頑張れば良い。
ギリギリであっても適材適所というのはあるし、それぞれの得手不得手はあると思っている。
若かった私は、少々強引なところや±に拘るところがあった。
年配者が会社を去ることに対して、リストラということが頭に浮かんだりもした。
人に対する配慮や思いやりが足りてなかったと思うこともある。
実際、血の入れ替わりがあって、会社のスピードは一気に加速し、良い結果も出た。
出たのだが…
随分経って袂を分かち、違和感を感じたその正体が、段々解ってくるようになる。
そして、それを忘れないでいよう、無くさないでいようと心に留めている。
そんな時にKさんを見つけた。
店に入って、おとなしくかけそばを頼み、特段Kさんの顔を覗き込むこともなく、黙々とかけそばをすする。
ご馳走さまと言う声の内側で、頑張ってくださいと呟く。
声をかけることはおそらく無いだろうが、あと10年位はこの店に通うんだろうなぁ。
その後
私の両親は、二人揃って大きな震災や台風に見舞われた家に育った。
なんの因果か、私もこれまで多くの災害に巻き込まれてきた。
大きく移動するたびに、引き寄せられるように不運に会うのだ。
平成5年夏鹿児島県豪雨災害、いわゆる8.6豪雨では、判断の大切さを学んだ。
水没した町を見て本能的に恐ろしくなり、未来が閉ざされる気持ちになった。
それ以上にそこから、人生が変わった人間も多くいたことがショックだった。
これまで、多くの災害の場に翻弄された人生だった。
それでも、現在までなんとか生きてこれた。
今は考えられなくても、いつか前を向ける日がやってくることを、私は知っている。
生きている限り、未来は訪れる。
そして、それが転機になり、その経験が財産となった。
財産になるように、生きてきたのだ。
今回の大きな災害に、私が何を出来るか?と自問自答している。
独りでは小さな力でも、力を合わせれば何かが出来ると思う。
被災者の方々に頑張れなんて言葉が、励ましにならないことを知っているからこそ、喜んでもらえる事をしたい。
アイディア
多くのホールは人手不足で悩まされている。
寮完備のホールは、期間限定で、契約社員や契約パートで、業界の被災者の方々に、雇用の受け皿を作れないものか。
町が壊滅し何も出来ない状況で、仕事が無い辛さは、将来への希望も見失う場合がある。
また、そんな状況を経験した人間の頑張りは、理屈を越えた物凄いものがあります。
受け入れた企業さんには、必ず多くの+効果があると思います。