思うに
このたびの大災害に見舞われた方々に、謹んでお見舞い申し上げます。
様々な声・議論が聞こえてきます。
私の半生でこれまでに、偶然にも多くの災害の場に居合わせました。
その一つ、神戸の震災の真っただ中にいた経験から、業界について私見を書きます。
営業が出来ない地域の皆様には、選択肢が少ないでしょう。
なるべく多くの方と団結し、希望を失わず惑わされないことが大切です。
持久戦が始まりますが、貴方が思うということは生き延びた証ですから、
淡々と黙々と生きることも大切で、大きな意味があります。
希望は生きている中からいつか見つかると思うのです。
そしてその希望は、挫折を覆すことが出来るほど尊いものと思います。
どうぞ、あきらめず・しっかりと。
空の青さを恨んだ私も、時が経ち空に感謝する日を知りました。
都内を始めとする、間接的とも言えるエリアの皆様は、想像力を働かせて。
神戸の震災では、今ほどネットや携帯も有りませんでしたが、デマや噂は多くありました。
炊き出しやコンビニ再開の噂などより、暗い気持ちになったのは、暴徒のこと。
強盗や強姦の話と同じく、在日の人間への噂やそこから派生するターゲット。
震災からしばらくして、多くの人々は強いストレスに見舞われます。
昨今の社会では、パチンコが的になる可能性は非常に高い。
暴徒やストレスにさらされた人々は、そもそもパチンコユーザーではなく、
そんな区分けなど関係はない。
大げさに言えば、的にされる危険がある。
それらには、社会的な立場だけではなく、身辺の危険を伴うものもあるのだ。
事実、神戸の震災時にある地区で某○店が、住民感情から疑問に思う時期に、営業再開すると
聞いて、同業ながら憤慨した記憶もある。
その時の理由を間接的に聞いた(それを話したとされる方は今は役員)が、私は納得いかなかった。
同業からでさえ、恨みを買ったのだ。
その後、落ち着いた神戸市内の再開店舗を見て回ったが、タイミングさえ間違わなければ、
営業してよかったと思って貰える状況が、内実ともにあった。
本当に苦労した経験から、パチンコ店の社会的意義(特に近隣の町の方々にとって)は、
理屈や空論じゃなく、肌や眼で感じる機会は近い将来にあると思います。
復興の場で、何度も涙を流し迷いながら、汗や埃にまみれ、その結果この商売でよかったと思った私がいます。
ただ今回、この時期には、将来への遺恨を残すばかりだけではなく、足元を大きく掬われかねない。
君子危うきに近寄らず。
その理由や意味が解らなければ、この言葉を思い出すと良いと思う。
理屈や定量的なものではなく、多くの災害の修羅場をくぐった経験から言えます。
リスク回避には、想定されることだけでは、足りないことが当たり前。
想定内で事足りれば、多くの失敗は起こってないからだ。
東北の方々に、安易な慰めはとても言えないのですが、きっと立ち上がれますし、
事実多くの人々の拠り所として、パチンコは立派な娯楽といえる盛況がその後の神戸にありました。
あきらめる理由も、うつむく理由もない。
どんな過酷であっても、いつか報われる日は来ます。
毎日昇る太陽に苛立ちを感じ、月日の過ぎる速さと、自身の変わらない日々を重ねて、唾を吐いた。
そんな私でも、その経験が今の大切な糧になって感謝しています。
がんばろう東北
がんばろう日本
I LOVE PACHINKO
皆様がこの災害を克服して、より進化し素晴らしい成長と発展をされることを、心からお祈りいたします。