900キロ地点をすぎて、アクサイチンも終了。
標高も4300m台まで降りて来た。
パンゴンツォという湖の淵を走る。
美しい。チベットに来たなぁと実感する。
あとアリまで150キロ。ようやくここまで来た。
お尻はどんな態勢にしようがもう痛い、
この5日間ほど、まともに眠れていない。
ドライバーや他のヒッチ連中ともようやく一体感が生まれていたのだが、
最後にもうひと揉め。
やっぱり金を400元にしろというのだ。

もういい加減にしろ、、、
結局、断固として払わなかったが、
その事で気分がメタクソに悪く、
アリにやっと到着、しかし1067キロを70時間かけて走破したという
感傷に全くひたれず。
ふう、、、笑顔で別れさせてよ、、、本当。

新蔵行路、イエチョンからアリまで。
とりあえず突破。
所要時間70時間、費用は250元と300元で550元。
ほとんど眠れず、しかも手は傷だらけ、お尻は痛くて痛くて、、、
時間もお金も体力もちょっとかかりすぎ、、、もういいよ、正直。

こうして僕はチベットに、来た。

830キロ目前で、ドライバーが僕に車を降りろと。
検問があるらしい。
このトラックは正式には3人乗り。でも8人乗ってる。違法。
違法である5人が歩いて検問を迂回、後でトラックに合流するというのだ。
向こうにうっすら検問の灯りが見えている。
あとは星空。月もない。

道路を迂回する訳で、道なんてない。でこぼこ、急に凹地があったり、川があったり。もちろんライトをつけては公安に見つかるので、足下が全く見えない。
それでも中国人は夜目がきくのか、意外にすいすいと。
公安のサーチライトがこっちにやって来た。
リーダーが「しゃがめ!」と。
全員一斉に地面に這いつくばる。
スリル満点。
「走!!」
行けと。一斉に走る。何度も転ぶ。
そして最後に徒渉。
川をずぶずぶと渡って、やっと検問を迂回。トラックに合流。
僕は頭痛に、目眩、そして暗闇。
何度つまずき土手に転んだか。
 

 

 

〜For Tourist〜

830km地点、ドマル?での検問。
この検問が外国人をとりしまっていたものかどうかは不明。
検問迂回は三人乗りのトラックキャビンに8人乗っていた為。
外国人も取り締まりの対象となっているか、
ヒッチハイクさえダメか、あるいはOKかはドライバーが一番詳しいと思います。

そしていよいよ新蔵行路最高度地点、出発から720キロ、界山大坂。
標高5240m。
しかし、道標には標高6700mと。
これは日本人旅行者の間ではすでにネタ、大嘘なのだが、
(標高6700mだと梅里雪山より高い。普通の人は無理、あり得ない数字)
驚いた事に、この6700mを中国人は信じていた。
何度もここを通っているであろうドライバーまで、完全に信じていた。
界山大坂付近になると、ドライバーが全員を起こして、絶対に寝るなと厳命するのだ。
みんなで歌を歌い合って、隣の者が寝ていると叩き合って起こす。
そこまで徹底してこの界山大坂を越え、歓声を上げる。
しきりに6700、6700と。ちょっとした達成感らしい。
なんだかちょっとかわいらしくて、
ここ公式には5240mだよとは言えなかった。
さらに僕の高度計では4900mの表示だった、、、
で、この峠を越えてやっとみんな寝始めた頃、
僕の高度計は5100mを記録。(僕の高度計は100~200m低く出るのでおそらく5300mほど。)
おそらく新蔵行路最高地点。
 

三日目。
昼前、446キロ地点にて、、、
整備中の彼らに呼ばれる。
曰く「この部品がもうダメだ。次のトラックストップでスペア部品がなければ
取り寄せに2、3日かかる」と。
目の前が真っ暗になる。
いくら遅くても少しずつでも前に進んでいるから気が張っていられたのだが、、、
480キロ地点、大紅柳灘(ダーホンリュータン)に到着。
やはり部品はないという。取り寄せ決定。
こんな何もない町、というよりは、食堂が8軒ほどだけの集落で2、3泊、、、


二人には悪いが、もう気が持たない、、、
またトラックを探し始める。
しかしほとんどが逆方向、アリからイエチョンに行くという。
一台だけこれからアリに向うというトラックがあった。
交渉すると200元で行ってくれるという。出発は「馬上(マーシャン、すぐ!)」だという。
喜び勇んでアブドゥルの元へ。
まあ、予想はしていたが、「300元払え」と。
目標まで半分も来ていない、しかも故障しておいて、
450元の内300元よこせというこの、、、強欲。
225元で充分だろうと言うと、荷物を下ろしてくれない。
はあ、、、結局250元で決着。
合計値段は250元プラス200元で変わらないからいいか。
そして、大荷物を抱えてさっきのトラックまで駆けて行った所、
「400元払え」と。

今度のドライバーは漢人。
血気盛んそうな若者なのだが、事情を飲み来んだのだろう。
僕が早くアリに行きたがっている事、この
トラックストップにアリ行きは自分の車一台だということ。
で、倍額の要求。
さっきは200だったろと詰め寄るも、
「ズーベンレン、バカヤロー」とぎゃあぎゃあ笑っている。

途方に暮れた。
軍の車にも声をかけてみたがアリには行かないという。
今更アブドゥルの車に戻っても、元の450元では決して行かないだろう。
他のウイグル人ドライバーにも声をかけてみたが、彼らは仲間意識があるのだろう、
ニヤニヤして話もきいてくれない。

選択肢。
この何もないトラックストップで、トラックを待つか。
それもウイグル人だと、おそらくアブドゥルが横槍を入れるだろう。
漢人かチベット人で、しかもアリ行き。少ないね、、、
もう一つの選択肢、先ほどの漢人。

ぶん殴りたいほどむかつく野郎に、頭を下げなくてはならない、こんな旅。
いったいこれはなんだろう、、、
大荷物を抱えて、漢人の青トラックへ。
またお得意の「ズーベンレン、バカヤロー、ハイハイ!!」をくり返している彼ら。
これは、おそらく中国が反日教育の為に作った戦争当時の映画の一部なのだろう。
日本の軍人が偉そうに「バカヤロー!!」と。それに「ハイハイ!!」というそういうワンシーン。
頭を下げる、財布の中身を見せる、なんとか400元を300元にしてもらった。

そしてトラックに乗車。
びっくりした。ドライバーが2人と聞いていたのだが、
食堂からぞろぞろと漢人が出て来て、、、あの狭いトラックキャビンに僕を含めて8人!
ドライバーが二人。修理見習いが一人。あとは僕と同じヒッチ客らしい。
このキャビンは1、5畳ほど、、、2畳は無いだろう。
その中で交代ドライバーは後ろで寝ている。
更に人民解放軍の制服を着た青年が高山病なのか、、この人も寝てる。
いまだに、、、どうやってあそこに座って、半ば立って、8人いたのか分からない。
そんな状態で最大の難所、5000m地帯が続くアクサイチンを越える、、、
大丈夫か、、、

トラックの中で。
背中には誰かの膝、肘が常に突き刺さっている。
足はもちろん踏まれている。荷物もどこに紛れたか分からない。
そんな中で、、、
またズーベンレンバカヤロー大会で盛り上がっていらっしゃるわけだが。
そして片指を拳に挿入して、日本人女性を侮辱するポーズで笑い合う彼ら。
僕は眠ったフリをしている。
すると、窓際にいる青年が僕の登山靴を窓から捨てるマネをする。
眠ったフリをやめてコラコラする僕。

 



ここはアクサイチン。無人の荒野。
標高5000m。一番近くの集落まで150キロ。
僕はここにいるだけでも違法。
テント、食料の入っているバックパックは荷台の一番上に金網でバインドされている。
僕は無力、、、彼らに、何もできない。
一戦吹っかけるか?トラック叩き下ろされたら、死ぬよ。

この際、正義が何かはおいといて、とことん無力だ。
「力なき正義は無能なり。」
あの言葉が大脳をぶちぶちと刺す。
嫌だ、嫌だ、怖い、怖い。
自分が今考えている事を究極していくと、
憲法9条問題、核問題に行ってしまう、、、
嫌いだ、右的考えは。
それでもとことん無力で、悔しくて。
頭痛でも8人乗りのせいでもなかった。
また眠れなかったのは。

車中にて。
何をするでもない。ただ座っているだけ。
景色は単調、イザーム、アブドゥルも片方は寝ていて、片方はずっと運転。
寝られればいいが、寝付きが悪い。高山病対策にも寝ない方がいい。(呼吸が浅くなるため)
こんな長い長い、何もない時間はいつも僕に色々な事を思い出させ、色々な所に連れて行く。そして不意な再会を果たす。

小学生の頃、南野陽子が好きだった。
どうして好きになったのか分からない。たぶん顔だろう、そして声か。
歌がうまいとか芝居がうまいとかは、あまり問題でなかったろう。
当時はまだレコードとテープが主流で、レコードをレンタルショップで借りて来てテープにダビングし、ウォークマンで繰り返し聞いていた。歌詞カードをコピーし、意味が分からないながらも(当時は「マニキュア」というものが何なのか分からなかった)、一緒に歌っていた。
とても大事にしていた、緑のラベルを貼ったカセットテープ、カラフルなノートに貼付けた歌詞カード。当時の一番の宝物だった。

全てを、いつかは失ってしまう事は分かっていた。
これは10歳の一人の少年の直感として。
今どんなに好きで大事にしていても、いつかは気持ちが薄れて他に移ってしまう。宝物はガラクタに変わり、いつかはなくしてしまう。どんなに愛していても、それを失って平気になってしまうのだ、いつかの自分は。
それはとても悲しい事だけれど。
だから少年はタイムカプセルを埋めた。

彼の直感の通り、僕は中学、高校と進むにつれ南野陽子熱は薄れ、あのカセットテープも歌詞カードもカレンダーさえも、幾度かの引っ越しに紛れてなくしてしまった。そしてなくした事さえ、気づかなかった。思い出しもしなかった。そして十何年の月日が流れて、そして。
新蔵行路の長い長い道のり、無人の荒野で、
僕は少年が埋めたタイムカプセルを15年ぶりほどで掘り出した。

少年のタイムカプセルとは、カセットだとかノートだとか、形ある物がいつか消えてしまうのなら、全てを頭の中に、記憶として、叩き込んでおく、というものだった。そうだ、そういえばあの頃の僕はノートを見ながら必死で歌詞を暗記していた、覚えているかどうかのチェックを定期的に行ってさえいた。苦手な所は百人一首式に関連づけで覚えていた。

そして、深夜の新蔵行路にて。
南野陽子のシングル、デビューシングル「恥ずかしすぎて」から「さよならのめまい」、当時の最新シングル「涙はどこに行ったの」まで、ほぼ完全に歌う事に成功。ちょっとびっくりした。
こんな無人の荒野で果たした懐かしい再会。
こんなに南野陽子を愛しく思っていた、小学生だったあの頃の、僕。

少年よ、どうか教えて欲しい。
今抱えている数々の愛おしいものさえ、
僕はまた全て失ってしまっているのだろうか?
いつかの僕は。

二日目。
220キロ地点。セラク峠を越える。標高4850m。
軽い頭痛がするがこの分なら大丈夫か。
しかし、、、スピードが遅い。
上り坂になるとほとんど歩く速度、、、さらにしょっちゅう修理なのか整備なのかで止まる。
2時間で10キロしか進んでいない区間もあった。
しかしイライラするわけにいかないし、ほとんど眠れていいないが努めて明るく振る舞う。
309キロ地点、カクアティ峠。標高4840m
ヘアピンカーブの連続。
トラックはスタックの嵐。
出発からまる24時間で、走行距離320キロ。
平均時速15キロほどか、、、いやになる。
夜、二人とも疲れたのかみんなで眠る。
トラックのエンジンを切った瞬間、強烈に寒い、、、特に足。
ジーンズの下にパッチを履いているが、それでも寒い。
寝袋があってよかった。

 

5月23日、朝。
零公里のバスターミナルに降り立つ。
全ての荷物を抱えて、トラックのヒッチ待ち。

前夜バスを調べに来た。
迷彩色に塗られたオンボロバスが300元ほどという情報もあったが、
もう走っていない様子。なくなったのか。
寝台バス、イエチョンからアリ。
中国人料金、上舖450元、下舖500元という。
しかし外国人は800元。約12,000円、、、無理だ。
中国人のフリをしてチケット購入をしようかとも考えたが、
見ているとチケット購入時に身分証の提示を求められている。無理か。
800元が交渉で落ちるかとも思ったが、、、シーズンなのか100元も下がらない。
ヒッチなら相場は350元くらいからという。
やはりバスは諦め、トラックヒッチを決心した。

トラックステーションを回り、アリまで行くバスを探す。
アリまで向うのは一日10台ほどだという、方向が同じでも首を振られる事が多い。
洗車場で洗車中のトラックが一台いた。
ナンバープレートが四川省ナンバーだったので期待していなかったが、聞いてみた。
そうすると、アリまで行くと言う。今日の北京時間、夜中12時発。
やった、早速交渉を開始。
ドライバーは検問がある事、僕が通行証を持っていない事をだいぶ不安がっている。
「大丈夫、僕の友達が何人も行ってるけど検問なんてないから」と、まあ嘘も方便。
小柄でちょびヒゲのこのドライバー、乗り気になって来た様子。
値段交渉開始。
500元と言われたが結局350元に収まった。
これなら悪くない価格。
ドライバーも悪い人ではなさそう、それに漢人なので筆談も可能だ。
積荷もそんなになさそう。アリまで36時間だという。
名前を交換し、トラックのナンバーを控える。
ドライバーがすぐそこの招待所に泊まっているというので、部屋番号を聞いて。
完璧だ。オレ完璧だ。
明後日には憧れの西チベット、、、そう思うと胸が高鳴ったが、、、甘かった。甘すぎた。

出発までまだ10時間。
イエチョンに買い物に出る。
36時間のトラックの旅、高山病に備えて、水4・とコーラ、食料を購入。
で、戻ってみると、さっきのトラックがいない。
洗車が終わって招待所の前に停まっていたのだが、ない。
探しまわった、遠くガソリンスタンドまで行ってみたが、やはりいない。
買い物にでも行ったのだろうと気長に待ってみる。

15時を過ぎて。
トラックはまだ帰って来ない。
聞いた招待所の部屋をノックしてみる。
反応なし。
フロントに聞いてみる。
その部屋には今は誰も泊まってないと。

あわてて次のトラックを探す。
また洗車中のトラックがあったので聞いてみる。
運良くというかまたアリ行きだった。
値段交渉の結果、350元で。
出発は2時間後の18時だという。
ふう、、、ひと安心。
先ほどの事もあるので、17時、一時間前に洗車場の前に行ってみる。
さっきのトラックが、また、いない。
洗車場の人に聞いてみると、たぶんもう出発したと。
ふう、、、なぜだ、、、いったい。

19時を回って。
またトラックストップを回る、降り出しに戻った。
木材運搬の車があってもうすぐアリに行くという。
ウイグル人の二人組ドライバー。
しかし3泊4日だという。値段も500元だと。
なんとか今日中に出発したいが、
足下を見られているのか、値切っても落ちない。

するとそこへ、一番最初のドライバーがひょっこり現れた。
思わず彼の腕を掴んでしまうくらい興奮してしまった。
しかし朝は乗り気だったドライバーの態度がおかしい。
突然渋り出し、「辺防検査」と大きく書き、怖い怖いと。
どうも招待所のフロントに入れ知恵されたらしい。
まあ、出発する時にまた話しようやと。露骨な値段つり上げ交渉。

また振り出し。
トラックストップにはほとんど車がないので、道路上でトラックをまた待つ。
合図してもなかなか止まってくれない。
するとそこへ、さきほどのウイグル人のオレンジトラックがやってきた。
止まって、「日本人、450でどうだ」と。
のった。450は高いし3泊4日は遅いが、、、
この埃っぽい街にこれ以上長居したくなかった。
そしてこのウイグル人二人と僕、3人の旅が始まった。
5月23日20時53分。

彼らはアブドゥールとイザーム。
アブドゥールが28歳でリーダーらしい。
僕と値段交渉をしていたのも彼。
強欲な奴だが、一緒になってみると面白い奴だった。
ウイグル語を教えてもらい、一緒に歌を歌う。
二人が運転を交代し3泊4日ぶっ通しでアリまで走るはずなのだが、、、
いつもアブドゥールの番になると、サボリ時間、休憩時間が入る。
イザーム、イザーム、運転代わってくれと。

零公里から25キロ地点で検問があると聞いていたがなかった。常設ではないらしい。
80キロ地点で舗装道路が終わる。
急激にスピードが落ちる。木材を満載しているため、平地でも時速30キロほど、
恐ろしくきれいな星空。
高山病に効くとされる「紅景天」の作用なのか、トイレが近いほかは快適な旅。
早朝、160キロ地点で検問。
トラックキャビンのドライバーが寝るスペースで毛布をかぶってその上に荷物を置いてもらい突破。
夜が明け、180キロの道標。ここまでで12時間経過。

準備。
新蔵行路、研究。
「寒さ」、季節は夏前、トラックの中に寝袋を持ち込めばなんとかなるだろう。
「公安」の検問は主に2カ所、常設でもなく、そんなにきつくもないと。
「インド」も最近中国と仲良くする必要がある、国境紛争今更しないだろう。
「悪路」、耐えるしかない
「長時間」、道路が改善され、36時間や54時間という情報も。
「ヒッチ」、値段の相場などを調べる。
300元程度(4500円)でバスがあるとの情報も。バスがあれば、できればヒッチは避けたい。

そして一番頭を痛めたのが、高度順応。
本来は一日に300mずつ高度を上げて行くのが理想的だという。
それができる地域を探す。
カシュガルで1300mほど。新橿の付近にはない。
理想的な所が、あった。
雲南地方、そこから四川省の西端(カムと呼ばれる)。
大理(2020m)→麗江(2400m)→香各里拉(3276m)→郷城(3500m付近?)→理糖(3960m)→カンゼ(3310m)で軽いトレッキング→玉樹(3670m)で荷物を背負ってトレッキンング。
そこから西寧、敦煌、そして新橿ウイグル自治区へと、ルートを策定。
まあ、雲南のいいとこ取り、カムのチベット人居住地のいいとこ取りというのが真相だが。

高山病そのものについても調べる。
一度高度順応すれば、三ヶ月は有効、
深く呼吸する事が肝要。腹式呼吸。
高山病に効くとされる薬、紅景天、
一番有効なのは水を沢山飲み、出す事。
しかし最も重要なのは体質らしい。
高所でどれだけ動けるか、どうか。

結局自分が高所に適応できるかどうか、雲南、カムで探り、無理なら諦める、という結論に。
カム、アムドで最高高度4600mまで上がったが、少し頭痛がするという程度だった。
これなら、いけるか、、、

そしていよいよ、、、

このアリという街はチベット旅行者にとって大きな意味がある。
みんながアリを目指す(目指した)と言っても過言ではない。

その前に「チベットを旅行する」ということについて触れると、個人旅行者は、原則、入れない。
ツアーという形で異常に高いバス、飛行機チケット、を買わなくてはいけない。
(旅行許可証の値段が入っている)
しかし、バックパッカーでそんな事をする人はあまりいない。
たいていの人はゴルムドから闇バスを使ってラサ入りする人が多い。
(あとはネパールから、雲南地方から、という手もあるがマイナー。)

しかしせっかく闇バスなどでラサ入りをしても、チベットのメインであるカンリンポチェ、グゲ遺跡などへはまだ遠い。今度は西チベットの旅行許可証を取得しなくてはならない。
その取得できる場所というのが、「アリ」。だからみんながアリを目指したのだ。
僕は西チベットをゆっくり堂々と旅行したかった、公安や検問に怯えながらヒッチハイクで西を目指すというのが嫌だったので、真っ先にアリに行ける新蔵行路に目をつけたというのがその理由。

しかし2005年から急に事情が変わって。
カンリンポチェやその途中の街は外国人にも開放されたらしい。(グゲ遺跡はまだ)
それなら簡単にゴルムドから闇バスでラサ入りしようか、とも考えたが。
チベットからネパール、インドへと抜けるつもりなので、ゴルムドからチベット入りすると
新橿ウイグル地区に行けない。パキスタンからカシュガルに戻る事もできるが、、、

グラデーション。
中国の儒教、(文革によって崩壊している?)
新橿ウイグル地区のイスラム教、
そこからチベット仏教、そしてインドのヒンドゥー教
こんな壮大なグラデーションの中を、自分を歩かせてみたかった。

そして入念な計画を立て始める。


 

新蔵行路をゆく。

世界地図でカシュガルを見つけたら、そう中国の一番西端、
そこから南東、タクラマカン砂漠沿いに200キロほど。
そこが叶城。中国名イエチョン、ウイグル名カールギリック。
さらに東に四キロほど行くと、そこが零公里(リンゴンリー)。
新蔵行路、「新」橿(ウイグル自治区)から西「蔵」(チベット自治区)のスタート地点となる。
ここから西チベットの阿里(アリ)まで1067キロの旅。

このルートにはいくつか難問がある。
1、高度
スタートの零公里が標高1300m、最高度地点の界山大坂付近で5300m。
怖いのは520キロ地点の奇台大坂から、500キロほど延々標高5000m地帯が続く。
途中で重度の高山病になっても、エスケープルートがない。

2、寒さ
高所ゆえの寒さ。真夏でも大雪が降る事もあるという。

3、外国人非開放地域
スタート地点の零公里を出ると、ゴールのアリまで、一切の街が外国人に非開放。
常に公安(中国の警察)の目を意識し、隠れる必要がある。

4、国境問題
正確にこの地域の地図を描くなら、何色でも塗れない、空白の地域が含まれる。
アクサイチン、(阿克賽欽)、ここは1962年の中国インドの国境紛争の舞台。
インドが気づかない内に中国が無理矢理道路を通してしまい、実効支配した。
インドは現在も領有を主張している。中国の対インド最前線地域。

5、悪路
舗装路は全長1067キロの内、僅か80キロ程度。
あとは砂利道、ダート道の悪路。

6、長時間
今までのバス最長乗車時間はイランのテヘランからトルコ、イスタンブールまでの37時間だが、
余裕でそれを越える。3泊4日、70時間とも。座り続けられるか。

7、ヒッチハイク
最近まで公共の交通機関はなく、トラックのヒッチハイクのみだった。
現在はバスが走っているが、後述するが値段が高い。
そうすると自然、ヒッチハイクすることになる。
しかし中国ではヒッチハイク自体が違法、つまりドライバーも法律違反者、
こちらも違反者。そのドライバーとの交渉が必要となる。警察などの後ろ盾はない。

つまり、
高山病に怯え、寒さに震え、公安の目を逃れ、いつ攻めて来るかしれないインド軍、、、(これは妄想)、海千山千のドライバーと交渉しながら、とんでもない悪路に70時間揺られ続ける、というルート。

チベット入りには他にもルートがあるがなぜあまり一般的でないこの新蔵行路をとるかという問題は、、、、次へ。