私は就職時に、生まれ育った東京から中部地区の田舎町に移り住みましたが、この土地の排他性に驚き、土地の人々が私と接する時のよそよそしさ、その土地の風習などに戸惑いました。しかしながらその土地で過ごすうちに、私の言葉もどんどんローカライズされ、趣向も変化して、いつしかその土地に馴染んだものでした。そして土地を転々とした結果、私は東京の人とはかけ離れたパーソナリティを持つに至っています。この経験を通じて、「郷に入れば郷に従え」という言葉の意味を実感しました。なんだかんだ言っても、重要なのです。

 

現在、多様性が重要とされ、移民が多く日本に流入しており、外国人旅行客が日本を多数訪れています。移民の流入は労働不足の解消が主であったと思います。15年前くらいの東京都内で、牛丼店の店員が外国人であったことに驚いていたことを思い出しますが、今ではコンビニの店員が外国人であることは、当たり前になっていると思います。25年ほど前に滞在していた東南アジアの国では、工事など肉体労働は、外の国から調達していたことを目の当たりにしていました。今では日本でも、工事現場に外国人がいるのが当たり前になっています。バブル期の1980年代の日本人は、海外旅行に行った時に高級ブランド店を我もの顔で歩き回っていたことを、ニュースなどで見聞きしていましたが、今では日本の高級店を、我が物顔で外国人観光客が闊歩しています。

 

日本に円高が再来したら、もしかしたら外国人観光客の数が激減するかもしれないし、政権交代したら、もしかしたら外国人の滞在に関する措置が見直されるかもしれないと考えています。また昨今の外国人との軋轢に直面した日本人は、「国内回帰」について真剣に考える局面に直面していると思います。下請けや孫うけの人材派遣で潤っている企業以外は。

 

私は、私が30年前に味わった排他性を、今の日本で存分に発揮する必要があると思います。主義主張がはっきりしている他国の人々に対しても「郷に入れば郷に従え」を淡々と説き、日本で過ごすに当たっての秩序を淡々と守ってもらう必要があろうと思います。そこには、日本人の意識改革(元に戻す)が必要と思いますが、政治を変え、法制度を変えてないと、厳しいかと思います。あとは、他国の謀略、例えばハニートラップにかけられ、脅迫されている国会議員等は、早くその職を辞してもらう仕組みが必要かと思います。

 

排他主義を貫くに当たっては、まずは食料問題を解決して、田畑の復活が必要と思います。エネルギー問題は、実は太陽光発電や、トヨタの燃料電池車、水で走る自動車(?)など、日本で醸成された技術が使えると思います。インターネットは電力網を使ってARPANETに準じない通信プロトコルと、TRONのOSを載せた端末を使って、日本国のみで通信できる通信網を作りたいです。この方向性は、北朝鮮のような全体主義に走るのではなく、江戸時代の鎖国のようなイメージです。夢物語のようですし、現代人の生活習慣や思考では、元に戻れないのかもしれませんが、もう一度日本の歴史を見直して、「柔らかな鎖国」ができないか、考察したいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これは精神論ではありません。人間には思っている以上の適応力があります。大事なことは、メディアの煽動を間に受けて、パニックを起こさないことです。暑さが厳しくなっても大丈夫です。焦ってこまめに水を摂っても、ひたすら汗がすぐ出るだけの場合もあります。汗をかくのが不快かもしれませんが、様々な毒物を出してくれる発汗は大事です。汗をかけることをありがたく思って、こまめに汗を拭きましょう。

 

暑いからといって冷たいものばかり飲むのも良くありません。内臓を冷やしてしまうと免疫力が落ちます。むしろ温かいお茶の方が良い場合もあります。スポーツドリンクの飲み過ぎも、糖分をとりすぎて良くありません。塩を舐めるのも良いかもしれません。減塩の神話は、夏は崩壊しています。

 

暑くても大丈夫です。

ディスカバリーチャンネルの動画がなぜか、久しぶりにYouTube上に表示されました。このシリーズは、元イギリス特殊部隊(SAS)の主人公「エド」が無人島に降り立ち、撮影機材以外の道具を何も持たないまま、10日間のサバイバル生活を送るというドキュメンタリー(?)番組です。映像的にかなり作り込まれているので、撮影スタッフ等も「無人島」に降り立っていると思うのですが、エドさんがサバイバルテクニックを駆使して、あらゆる難局を乗り越えます。このシリーズ動画は、過去に何度も見ていたので、昨日急にお勧め動画に上がってきたのは、何らかのメッセージ性があると思いました。最近YouTubeのAIさんは、私に様々な示唆を与えてくれます。

 

今回の示唆は「いま持っているモノで生き残る」。エドさんは、拾った石を割ってナイフを作り、ワナをかけて仕留めた鹿の革を使って衣類を作りました。我々も、昨今騒がれている大災害の予言や、当たったことのない地震予測を尻目に、着々と、今持っているモノで、生き残る準備を行えば良いと思います。無理のない範囲で。ガスコンロは、ガスを大量に保管するのは、かえってリスクになります。うちにも転がっていますが、使っていないガスコンロのガスが結構あり、缶に錆が出てきています。以前は、たこ焼きパーティーを自宅で行うときに活躍しましたが、今はまたく使っていません。2011年の震災後に揃えたモノの数々は、経年劣化が進んで、ほとんど手放しました。

 

「ローリングストック」という言葉がある通り、日常で使っているモノを上手に更新して、災害に備えるのが、賢い準備だと思います。食品も、日本人の精神を持った人々であれば、分け合う精神で乗り切れると信じています。もちろん、しっかりと備蓄するのが重要と思いますが、いざという時に持ち出せる範囲の方が良いと思いました。この際、全国に普及したコンビニやドラッグストアが、防災倉庫になると思います。もちろん、現実はそんなに甘くはないのでしょうが、物流網を強化すれば、皆の防災倉庫になると思います。そのような意味で、郵便局の運送業は、しっかり機能し続ける必要があると思います。

 

モノを揃える上でのポイントは、今あるモノでどこまで機能を維持できるか。うちでは夏は扇風機が4台稼働しますが、もう一台欲しいと思っていました。昨日考えた結果、ハンディーファンで何とか凌げることがわかりました。私が寝る時の、枕元に備える扇風機でした。

 

無駄遣いせず、十分な備えを行うために、モノは厳選しましょうというお話です。今度、私が製造業で培った「バリューエンジニアリング(VA)」について、別の項でお話ししたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

振り返ると私は、朝起きてから夜寝るまでに多くのノートに記入しています。朝起きたら「2025年度税務手帳」に、飲酒の有無、飲酒量、1日に歩いた歩数、就寝時間と起床時間を記録しています。

 

私は現在Pebbleスマートウォッチを使用しており、1日に歩いた歩数、就寝時間と起床時間は、これでデータを採取しています。今のテーマは飲酒と睡眠の深さ、および1日1食の可能性で、これら関係を、過去のデータを振り返りながら、正しい日常生活を考えています。

 

次に、10年手帳を開いて、昨日行ったことの取りこぼしや、本日の天気を記入します。10年手帳は、その日のイベント、購入した物品、出費などを記入しています。将来のイベントも記入しており、リマインダとしても機能しています。重要な案件はポストイットに記入します。

 

記入スペースは1日にあたり3行しかありませんが、アラフィフの私にとって、ドラマティックな日々があるわけではないので、ちょうど良いスペース感です。20代から30代の方は、5年手帳の方が良いかもしれませんね。10年手帳は、検索機能はあまり優秀ではないのですが、数年前に起こったイベントを、当日記入するときに一覧できるのが良いです。2年前のイベントが、数週間前のように感じてしまいます。

 

次にテーマを決めて記入する物事を、トラベラーズノートに記入しています。YouTubeのテーマ、過去の投稿内容、出納帳、メルカリの記録などを記入しています。

 

サイズは見開きで、A4の3分の2ですので、それほど記載スペースが多いわけではありません。EF(極細)の万年筆を使って、細かい字で記入しています。

 

仕事用手帳はシステムダイアリー。30年以上の使用歴があります。近年は10年以上のブランクがありましたが復活。スケジュール管理と、行うことの管理を行なっています。以前は仕事の記録を全てシステムダイアリーに行なっていましたが、最近はリフィルが入手しづらくなったこともあり、仕事の記録は通常のノートか測量野帳に書いています。

 

システムダイアリーは、リフィルに独特の色が付与されているので、頭の整理が行いやすいです。スケジュールは独特のオレンジ色で、私にとっては心地よいです。

 

帰宅してからのひと時を過ごす時、思いついたことを記入するノート。メモ帳のようなものです。映画や読書の感想やメモ、YouTubeのアイデアなど、自由記述しています。自由記述する場合は4色ボールペンを使っています。

 

記録の形態により、記入する媒体が異なるのは、整理上よくないのかもしれませんし、デジタルデータで管理することや、システム手帳に一括して情報を整理する方法もあろうかと思いますが、私にとって、この方法が良いのです。ノートの紙質、筆記具の選定や描きごこちなど、さまざまな要素があり、テーマごとにノートを分けるのが良い感じなのです。私のデスク周りには、様々なノートが分散していますが、私にとってテーマが決まっているので、迷わず記入できて、迷わず情報にアクセスできます。万人にお勧めできる記入方法ではないと思いますが、ノートを統一しなければならないと、考えている方には参考になる情報かと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

関東にある実家に戻るたびに思うことは、一軒家を壊している場所が増えてきたことです。明らかに人が住んでいなさそうな一軒家が増えたと思いきや、一軒家を壊して空き地にしている風景を多く見かけました。家の雰囲気を見ると、昭和の高度成長期に建てられたものが多いのでしょうか。1960年代から1980年代頃に建てられたような建築物が、結構壊されているという印象です。建物の古さはあくまで推定ですが、ブロック塀の構造、植えられている木、壁や屋根の構造、門構えなどで、建築された年代がわかるような気がします。

 

私が住んでいる土地の近傍では、今まで住宅地でなかったような河川の近傍に、一軒家が建てられることも多く、また、田畑を潰したスペースに建築している例もあろうかと思います。私が住んでいた、以前の土地では、年々田んぼが潰されて一軒家やアパートが建てられていました。全体的に、新築マンションや一軒家の需要は旺盛らしく、夫婦ともに高収入のいわゆる「パワーカップル」が、20年ローンくらいの強気な返済計画で、一軒家を購入する事例もあるようです。

 

そんな中で将来を予想すると、土地によって大きくばらつきが生じるとは思いますが、総じて、土地や建物の価格は下落すると思います。特に、持ち家を保有していた団塊世代がどんどん居なくなって以降、空き家がだぶついている状況であることが、壊される家々で推測されることと、相続の問題がクリアできず、放棄される不動産が、今後増えるであろうという読みです。

 

就職時に親元を離れて生活する人々は多いと思いますし、生まれ育った土地にこだわらない生活や、東京の生活に憧れて上京する人びとは多いと思います。女性も積極的に働くようになって以降、ますます、会社のある土地に縛られる生活が続くと思います。私も生まれ育った土地を離れた生活時間が、土地で過ごした時間を優に越してしまいました。企業が全国展開しているほど、自分の土地で一生を終える生活は送れないのではと思います。そんな中、親が購入した不動産をどう扱えば良いのでしょうか。そのうち不動産が大量に放出されると思います。

 

あと、最近NHKでも散々煽っていますが、災害リスクは人災・天災ともに有ると思います。そんな時、土地に縛られず生活基盤を持つ必要があろうかと思います。高城剛さんが提唱されていたと思います。不動産を持つこと自体が、リスクになる可能性があります。私もこの考えに賛同しています。子ども達の世話から解放されたら、流浪の民になって生活しようかと思います。このためもあり断捨離を行なっています。

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」。ある人を憎むあまり、その人に関係のあるもの全てを憎んでしまうたとえ(Google さんより)とありますが、その逆もありえます。トラベラーズノートが大好きならば、高いと思われる「ゴム」でさえ好きになります。

 

トラベラーズノートは、革でできたカバーに、髪留めのようなゴムバンドと、丈夫な糸で作られた栞の部品にて構成されています。新品で購入したトラベラーズノートには、1冊のノートがつ属しています。ノートは、ノートの中央にゴムバンドを取り付けることで、カバーにノートを固定することができます。

 

2冊目のノートをカバーに取り付ける方法は、2冊目のノートの表紙を、1冊目のノートを覆い被せるようにゴムバンドに潜らせて固定します。そして3冊目。3冊目のノートは、トラベラーズノート標準のゴムを利用して固定します。私の方法は、2冊目と3冊目のノートを固定していますが、標準的な方法とは異なるようです。それでも、なぜ私が特有の方法で3冊のノートを固定しているかを、動画にまとめました。

 

3冊のノートには、それぞれの役割を与えています。1冊目は、日々の記録を行うためのノート。2冊目は中期で書き留めておく情報。私にとっては子ども達の学業に関するノートです。3冊目は、永久保存版と言えるノート。私なりのノート固定術は、この2冊目と3冊目のノートは、外出時には外しておくという仕組みです。

 

外出中にノートをとるときは、人々にノートの中身が見られている前提で、行う必要があると思います。こんな時に、プライバシーの秘密に関するノートは見せたくないものです。外に持ち出すノートには、プライバシーに関するノートは入れない。取り外しを簡単にするために、私なりのノート固定術があります。

 

トラベラーズノートのゴムは、ありきたりの素材でありながら、トラベラーズノートのために最適化されています。大きさ、色、表面処理、強度など、トラベラーズノートを固定するためのあらゆるノウハウが込められています。表紙同士をゴムで固定すると、時間が経つにつれて表紙が破れてしまいますが、トラベラーズノートのゴムを使用することにより、表紙の破れを遅くすることができます。ノートを固定するために、表紙にゴムを潜らせると、通常のゴムなら突っかかってしまいますが、トラベラーズノートのゴムを使用することで、滑らかにゴムを挿入できます。何気ない部品なのですが、3冊以上のノートをカバーに固定するためには、トラベラーズノートのゴムが必要となります。

 

しかしながら、ノートに日常生活で必要なものを詰め込むタイプの構成もあります。この場合にはゴムを使わずに、クリアケースのリフィルなどは、中心のゴムを使って固定していきます。私のEDC(Every Day Carry:日常で携帯するモノ)は、トラベラーズノートにできる限り詰め込むので、ノートを取り外す余地がなくなります。

 

私はそれほどトラベラーズノートに関するノウハウは有していませんが、今後もトラベラーズノートに関する動画は作成していきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キヤノンのホームページより

 

今月初めからまた、なぜかカメラが欲しくなりました。さまざまな迷いを経て、キヤノンの一眼レフデジカメである、EOS kiss X8iの中古を購入しました。その思考経路を記録しておこうと思います。

 

先日、衝動買い的にSONYのNEX-C3というカメラを中古で購入しました。

私がカメラを購入する際の最近の傾向として、「日本製」の製品を購入することは、当ブログの以前の投稿でも記載しました。2010年から2015年くらいの製品に「日本製」が多く、以降は急激に、中国製、タイ製、台湾製など、海外製品が当たり前になりました。2025年の現在では、米問題が顕在化しており、日本で採れた米の在庫が逼迫して、外国産の米を輸入しようとした時に、日本人の殆どがなんとも言えない違和感や反感を感じたと思いますが、カメラの世界において、私は、米問題と同じような違和感を抱いています。この話を深掘りすると本題から大きく外れるので、本題に戻そうと思います。

 

SONY NEX-C3は、2011年に販売されたミラーレスのデジタル一眼カメラです。本体、レンズともに「日本製」ですが、動画は1280 x 720 という、フルHDに微妙に満たないこともあり、静止画の撮影においては全く問題ないのですが、YouTube用動画を想定すると、結構厳しいスペックでした。もともと私はスナップ写真を撮るための本製品を購入しましたので、文句を言う筋合いはなく、むしろこんなに小さいミラーレスで、2万円台で購入できる中古カメラは滅多に見られないので、動画撮影性能は、ないものねだりです。

 

このカメラは小さい割にはAPS-Cセンサーを備えており、おそらくソニーのセンサーだと思うのですが、写りがとても良いのです。標準レンズも綺麗にボケてくれて、絞るとシャープに対象を捉えるので、スマートフォンで撮影した時のような、コテコテと画像処理を行ったような絵ではなく、ナチュラルな絵が撮れます。

 

この体験を経てからまた、SONYのカメラに興味を持ちました。そこで脱線してSONYのスマートフォン。ツアイス製のレンズを装着した機種が何故か目に止まりました。

 

 
 

 

私はYouTube動画を撮影するときの機材はスマートフォンを基本としており、過去さまざまな撮影機器を試しましたが、結局スマートフォンがベストということで、撮影機材の検討はやめていました。このため、ツアイスのレンズを組み込んだスマートフォンに魅力を感じ、ソニー Xperia PRO-I スマートフォンが気になりました。

 

私の好きな絵作りは、超広角寄りの全景と、個別のものにフォーカスした時のボケ味、マクロ撮影ができて、できればフォーカスは手動で行いたいという考えがあります。これは、私が初めて多用した銀塩カメラが、オリンパスのμ(ミュー)というカメラで、当時としては珍しい、28mmの広角レンズと、F値が2.8という明るいレンズが、コンパクトなボディーに入っており、結局2世代分のカメラを使い倒した記憶があります。

 

オリンパスのWebページより引用。

 

広角、ボケ味、近接撮影、この要素が私の好みを形成しており、デジカメにも求めておりました。そしてもちろん「日本製」。ソニーのXperiaは、これら要素を兼ね備えていると思い購入検討をしていましたが、1インチセンサーによる最低焦点距離の制約から、近接撮影に弱いらしいことがわかり、購入を諦めました。

 

次に検討したのが、パナソニックのデジカメ。ライカのレンズをお手頃な価格で楽しめるシリーズで、私も好んで使っていました。フォーサーズ規格の最初で最後の一眼レフ(?)。LUMIX L1は良いカメラでした。ストロボを積極的に使用した、バウンス撮影(天井にフラッシュさせる)が良い味を出しており、近接撮影も行いやすいので、結婚式で活躍したこともありました。

Wikipediaより引用

 

この機種は動画が撮影できなかったと思いますが、2000年初頭のデジカメにおける動画撮影機能は、おまけ程度の認識だったので、L1に動画撮影機能がなくとも全く困りませんでした。明るいパナライカレンズと少し古めかしいシャッター、手ぶれ補正がそれほど効かなかったこともあり、味わいのある写真が多く撮れました。

 

このカメラの弱点は、望遠レンズを持っていなかったことから、子どもの運動会や発表会で使用するには、少しレンズの長さが足りないことでした。ポートレートには最強のカメラでしたが、パナライカの望遠レンズは結構高かったので、手が出ず、そのうち使わなくなり、手放すこととなりました。

 

今回良いと思ったのは、パナソニックの英断で新製品を出したコンパクトデジカメである、TZ-99 。私は前にTZ-70を所有していたことがあり、このカメラは写りの良さと高倍率が良く、結構活躍していました。コンパクトデジカメは中古でしか買えないと諦めていた矢先に、まさかの新製品。ビューファインダーを切り落とした判断は良いと思いました。

パナソニックのWEBページより

 

しかし、過去に撮影した、キヤノンM3による映像が忘れられず、もう一度キヤノンのレンズを試したくなりました。この動画を撮影した時に使用した、キヤノンのEF-Sレンズが忘れられなかったのです。

 

私は群雄割拠のレンズ業界のことをほとんど知らないのですが、メーカーごとに、レンズとカメラの接合部(マウント部)が異なることは、周知の事実だと思います。センサーサイズに統一規格があるのに、マウントに統一規格が存在しなかったのは、ユーザーを自社製品で囲い込むための常套手段でしたが、今になって各メーカーにブーメランが返ってきたかもしれません。フォーサーズ規格は、後進メーカーであるパナソニックやオリンパスがフォローして、レンズ資産の使い回しができるのですが、キヤノンとニコンでは、マウントアダプターを装着しないとレンズが相互に使えません。

 

ややこしいことに、同じメーカー内でもマウントの規格が混在して、デジタルカメラの時代になって、多様化に拍車がかかりました。私もあまり詳しくないですが、銀塩カメラ時代は、レンズの光軸とファインダーの光軸が異なる仕組みがスタートで、その後レンズで受け取った光を鏡とプリズムで反射させてファインダーで覗ける仕組みができました。ここでレンズの仕様が変わります。その後、フォーカス合わせや絞り調節を自動的に行える仕組みができたので、カメラとレンズ間で電気信号をやりとりする回路が入りました。ここでもマウントが変わりました(上位互換はあったかな)。

 

ここからが、さらに複雑化するのですが、デジカメ時代に入ってから、受光する部材が、例えば35mmフィルムから、さまざまなサイズのセンサーに変わったため、レンズの焦点距離や画角の設定が複雑に変わりました。すなわちフルサイズと呼ばれる35mmサイズセンサーで28mmの焦点距離を有するレンズは、APS-Cのセンサーサイズでは28 x 1.6 = 44.8mm相当の焦点距離レンズに変わってしまうという、不都合な真実です。

 

さらにさらに、「ミラーレスカメラ」なるカメラが登場してから、さらに複雑になりました。レンズの映像をセンサーで受け取り、そのままファインダーに映し出す仕組みを採用することにより、光学的なファインダーが必要なくなりました。一眼レフの体積のほとんどは、鏡とプリズムなので、ここでカメラが大幅に小さくなりました。カメラが小さくなると、レンズも小さくなり、そこで新たなマウント規格が登場しました。先述のEOS M3においては、上記の知識を持たずにカメラとレンズを購入したため、レンズがカメラに取り付けられず、慌ててマウントを購入した、というストーリーになっています。

 

結論に走りますと、キヤノンのレンズを楽しんだときに、EF-S規格のレンズが、とても取り回しの良いレンズだと考えていました。手動でフォーカス合わせをするときに、レンズ脇についているスイッチで自動と手動を切り替えできて、フォーカスのマニュアル合わせやズーミングも快適だったのです。

ケイシーナイスタット(CaseyNeistat)氏の最盛期の動画?にて、キヤノンのカメラを使った撮影風景を見ましたが、自撮りをしながら画角調整する感覚も、EOS M3で楽しんだものでした。確か、ナイスタット氏のキヤノンにも、EF-S規格のレンズが使われていたと思います。

 

EF-Sレンズは一眼レフ用レンズなのですが、光学式ファインダーで対象物を眺めたいという欲求もあります。最近のファインダーは写りが綺麗になったと思いますが、素通しのフレームで対象物を眺める感動は、銀塩カメラ時代の方々なら少し理解できると思います。

 

そんなわけで、私はEOS kiss X8iを購入しました。それにしても「自分へのご褒美」というワードは、不要なものであっても購買意欲を持たせるマジックワードです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近、少しでも体調が悪くなると、「念のため」休みを取ります。今日は初めて、子どもが急に発熱したので、休みを申請しました。家から離れたところに住んでいる、一人暮らしの親から、ヘルプを求める的なラインメッセージを受け取った翌日にも、ちゅうちょなく休みを取得しています。しかし私が働き始めた平成ヒトケタ時代には、このような休みは取れなかったことを思い出します。

 

これから私が書くことに関し、多くの違和感や反感を抱かれる方も一定量おられることを踏まえて、あえて記録しておきますが、平成ヒトケタ時代、すなわち1990年代前半に入社した世代は、体調不良に関して、寝床から起き上がれなくなった時が、会社に出られない時でした。そんな時には、上司に独身寮まで来ていただき、コンビニで購入した飲み物などを貰ったことが懐かしいです。

 

平成ヒトケタ時代の職場では、机上に灰皿が置かれていました。分煙などまだ先の話で、隣でタバコに火をつける人がいる環境でした。多少の発熱があっても出勤して、顔を真っ赤にしながら怠そうに働く人もいました。おそらく朝までお酒を飲んでいて、顔を真っ赤にした酒臭い人が、ミーティングに参加していて寝ていたことも思い出します。

 

残業はほぼ制限なく行い、私のような技術職は、定時が終わった時からが、クリエイティブな活動ができる時間でした。といっても残業仲間と仕事以外の話を延々と続けることも多々ありましたが。夜の残業が終わると、上司と飲み屋に行くことも多々あり、行きつけのラーメン屋で仕事の話をするのが常でした。私が属していたグループでは、殆ど上司の悪口などは言っていなかった記憶があり、技術に関する前向きな話が多かったです。思えば、その時の上司の年代に、私は突入してしまいました。

 

平成ヒトケタ時代の休日は、上司からの電話で始まることもありました。独身時代の私は、仕事一辺倒の生活と、たまに行く地方都市での買い物というパターン化された生活で、休日に会議資料を作成する上司からしたら、良い人材だったのかもしれません。当時はタイムカードやタイムスタンプ的な出勤記録はなく、それこそ紙に出勤記録を書いていたので、休日も気分次第で出社していたと思います。

 

私はいわゆる一部上場企業で働き続けていますが、30年前はどの企業も同じ状況だったと推定します。私が入社した時はバブル崩壊直後だったので、戦後の高度経済成長や、日本の躍進の勢いを保ったまま、突き進んでいた時代だったと思います。冒頭のように、多少の風邪や発熱、二日酔いでも出勤して、夜遅くまで残業して、休日もよく出勤していました。

 

2000年代に入って2回のリセッション時期があり、この時、労務費削減を目的とした残業規制が行われました。ITバブル崩壊直後の2000年代初頭、リーマンショックが起こった2009年だったと思います。残業時間を代休で相殺する方法で残業代をカットする施策が行われ、この時に使えなかった有給休暇が、一定日数貯蔵されることとなりました。これが2回実施されたため、相当な有給休暇が貯蔵されていました。しかしながら私は、有給休暇も毎年消化せずに消滅させていたので、貯蔵された休暇に手をつけずに働いていました。それが急に、消化すべしというお達しがあり、計画的な特別休暇の消化を3年前から実施してきました。

 

振り返ると、連続休暇を取るタイミングは盆や正月、5月の連休が常でしたが、それ以外に、個人の理由により連続休暇を取ったのは、新婚旅行の時と親戚が亡くなった時、プライベートで大怪我して入院した時、心身ともにやられてしまった時でした。いずれも、私的な旅行に行ったり、個人の趣味に合わせて休みを取得したことはありませんでした。同僚の中で、日韓開催のワールドカップを見るために、1週間韓国旅行をした人がいましたが、結構な反発があったことを記憶しています。

 

休みの取り方や満喫の仕方がわからないまま、私は計画的、時には衝動的に休みを「消化」します。これがいわゆる「働き方改革」なのでしょうか。コロナ禍以降は、少しでも体調不良の懸念があると、感染防止の理由から、休みを取ります。この辺の感覚が最初は馴染むことができず、有給休暇消化が3年目に入ってようやく、余暇で何をすべきかという方向性が、定まったきたと思います。こんなぬるい話をしていると、気分を害する方がおられると思いますが、社会の変化を記録する意味で、私の経験を語った次第です。

 

企業はかつて、週休1日制や、「半ドン」なる半端な休日出勤をしたのちに、週休2日制に移行して、月曜日に祝日を設けるなどの、政府による余暇の創出をしてきましたが、そのうち週休3日が当たり前の世の中になり、人々は「労働」を殆ど行う必要がなくなるのでしょうね。「余暇」を有意義にすることは人々の必須科目となり、この時代に取り残されないようにしたいと思っております。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私はいまだに新聞を定期購読しているアラフィフのオヤジなのですが、最初に新聞を読んでから、色々と好ましくない広告を選別して、家族の目につきづらいようにしています。いつから始めたかを忘れましたが、朝のスタートで嫌な(?)コンテンツを見たくないという思いから行っています。

 

私の目につく広告は、まずパチンコの広告です。射幸心を煽る絵が盛り込まれた広告には、振り込め詐欺に気を付ける旨を、警察のイメージキャラクターが注意喚起しています。どのパチンコ店の広告にも、警察のイメージキャラクターが登場します。射幸心を煽る広告に、パチンコは適度に楽しむ遊戯です、というメッセージが書かれているのも特徴的です。私はまず、サンプリングする目的で、パチンコ店の広告からトリミングしていました。

 

次は、塾の広告です。特に夏休みや冬休み前に、入塾や講習をすすめる広告が多いです。塾に行って志望校に行って、良い企業に就職して・・・の行き着く先を結構見ている私からは、塾に私の資本を投入するのに躊躇してしまうのですが、この手の広告を読むと、みんな焦ってしまいますね。

 

コロナ禍以降から増えたのは、仏壇の広告と、葬儀屋の広告です。いずれも急に増えたイメージです。加えて樹木葬などの共同墓地に関する広告。色々な要因で、急に死亡者が増えたのかと推定しました。

 

次に急激に増えたのは、お宝を鑑定して引き取ってくれるお店。質屋ではなく、フランチャイズの古物屋です。イメージキャラクターとして、お笑い芸人さんたちが使われている企業も多く、家に眠っているお宝を鑑定してくれる店です。私もその手の店を利用したことがありますが、鑑定者はにわか造りの印象で、店の奥にいる査定者が、オンラインに繋がれたデータベースを使用しながら、査定額を決めるシステムのようです。

 

お宝の店が出す広告は、大概が金色をベースとしたもので、おそらく本当の目的は、老人世帯に眠る金を回収するのが主目的かなと思いました。それも、急に発生した、主人不在の空き家から金を回収すること。想像力が豊かすぎるかもしれませんが、新聞の折込チラシの傾向を分析すると、世相が見えてくると思います。

 

新聞は偏向報道が過ぎるという話をよく見聞きしますが、私の印象としては、インターネットで見る情報のほとんどが、ユーザーごとに偏向した情報だと思います。むしろ新聞の方が、表示される項目や事実の内容に関して、中立を保てていると思います。これは、紙に印刷された情報であることも重要であり、ネットのように簡単に書き換えができないことも、中立性に寄与していると思います。新聞というメディアは今後、絶滅していくことには抵抗できないのだと思いますが、もう少し読み続けたいと思います。

 

ジョージ・オーウェルの「1984年」は、全体主義国家が国民を洗脳する様子を示した小説ですが、1949年に発表されたこの小説は、今の世を予言したかのように、小説の世界が現実になっているようです。主人公は、歴史の改竄を行う部署に所属しており、過去にリリースされたあらゆる文書を、現在に合わせて書き換える仕事をしていました。また、居室に必ずあるスクリーンは、常に他国との戦争を煽る映像が流れており、人々は監視され、行動を把握されていました。今ではスマートフォンで全ての掌握ができてしまうので、1984年で描かれている世界よりも、より「ビッグ・ブラザー」にとっては管理がしやすい世の中だと思います。

 

新聞は時々、ゴミ箱の敷紙になったり、タンスの引き出しに入れて防湿紙になったりして、長期間保存される時があります。数年後に発掘された新聞を読むと、当時のことを思い出します。ネット記事やYouTubeの動画は、しっかり残っているものもありますが、消えてしまうものも多いです。今では「魚拓」と言ったスクリーンショットを保存しておき、数年前の言動を思い出させるために利用しますが、新聞に関しては、毎日「魚拓」が取られている感じです。

 

そのうち、新聞が滅びた時には、とっておいた広告にものすごいプレミアがつくかもしれません。しかし私が選別した広告、パチンコ屋、葬儀屋、塾、お宝屋の広告には、価値が生まれないでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キヤノンのEOS M3は、2015年に販売された、APC-Cセンサーサイズのミラーレス一眼カメラです。Mシリーズは、M6を最後に次の生産を行わないとのことですが、小さなサイズの割には良く映るカメラです。この動画ではEFレンズを間違えて購入したので、アダプターを追加購入して使っていました。ボケ味が素晴らしいレンズでした。私はこのカメラをWEBカメラとして使うことを検討していましたが、外に連れ出すと良い働きをしていたので、その後購入した11-22レンズと合わせてスナップ写真を楽しみました。

 

今回は、この動画を見ていただいた方からのコメントで、Mシリーズ機種の、液晶ビューファインダーの表示が綺麗ではない旨のコメントでした。私はM3した操作したことがないのですが、確かに10年前のデジカメは、液晶画面は綺麗ではありません。今では有機ELが主流でしょうが、10年近く前の液晶画面は、バックライト式液晶でかつ画素数も多くないため、写真の厳密な出来上がりを見るには不適切と思います。

 

写真の出来上がりという点で思い出しましたが、いわゆる銀塩フィルムカメラを使っていた頃は、撮影後の仕上がりを確認できるのは、早くて半日あとでした。巻き上げたフィルム(私は36枚撮影のもの)を、街の至る所にあるDPEショップ、あるいは写真店に持ち込み、早くて1時間後、遅いと1日は待たされて、紙にプリントされた写真と、ネガフィルムを受け取ります(流石にリバーサルフィルムは使いませんでした)。今のデジカメはISO感度を調整できるのが当たり前ですが、銀塩フィルムはISO100やISO400の感度が通常で、光量が足りないと真っ黒な写真がたくさん写っていたということが、多々ありました。

 

もちろん、ISO感度やカメラの受光量に合わせて、絞りやシャッタースピードを合わせてくれるモードはありましたが、例えば室内だと、ストロボ(フラッシュ)を使わないと、ほとんど撮影できませんでした。このこともあり、昨今のスマートフォンの写りのよさには驚きます。

 

このこともあり、銀塩フィルムカメラで写真を撮影するときは、仕上がりを想像しながら、慎重にシャッターボタンを押していました。フィルムも、現像料金も安くは無いし、何よりも撮影に失敗した時のショックは大きいです。周囲の光を読んで、仕上がりのボケ感を想像しながら絞りを調整して、対象物の動きを表現するために、シャッタースピードを検討します。ドイツが東西に分かれていた頃のコンタックスを使っていた時には、露出計を使って撮影していました。とても楽しい思い出です。

 

私自身、古いデジカメの画面は、それほど気にならないのですが、スマートフォンに慣れ親しんだ方々には、クオリティが低いと考えるのは、とてもわかります。しかしながら、写真の出来上がりをパソコンなどで確認すると、とてもよく写っています。画面は主に、アングルの確認となります。高級デジカメ、特にフルサイズ(旧来の銀塩フィルムと同じセンサーサイズ)カメラをお持ちの方は、仕上がりを見ながらシャッターを押したいのでしょうが、私のようなオールドデジカメを楽しみたい方は、仕上がりを想像しながら、ほぼ目測でシャッターを押すことをお勧めします。