空き巣達を捕まえた私
まだ長男が赤ちゃんだった頃、私たちはセントルイスに住んでいました。ある日曜日、教会から3人で帰ってきて家に入ろうとしたら、家の中がめちゃくちゃになっているのがドアのガラス越しに見えました。まだ誰かが中にいるかもしれませんので、携帯などない時代でしたから、隣の家の電話を借りるから家に入らないようにと家内に言って歩き始めたところ、私の後ろで玄関のドアを開ける音が聞こえました。家内が私の忠告など無視して、中に入って行ったのです。そして、家の中から私に、「地下室の窓から逃げようとしているから、彼らを捕まえろ」と言う信じられない声が聞こえてきました。アメリカでは小柄なこの私に「彼ら」を捕まえろと言うのです。
そう奥さんに言われて、いやだと言うわけにもいきませんので、私はしぶしぶ地下室の窓のほうに向かって(走らないで)歩き始めました。幸い、私が到着する前に一人目は既に出て、逃げて行くところでした。痩せてはいましたが、身長は180センチくらいありましたので、早く逃げてくれて良かったと思いました。しかしもう一人は、窓から出てくるところでした。仕方なく窓の外で立ちはだかった私は、出てきたのがまだ少年だったのを見て、ちょっとほっとしました。彼は、観念したらしく、警察が来るまでおとなしくしていました。先に逃げた背の高い男も、後姿しか見えなかったのでそのときは分かりませんでしたが、もう一人の少年と同じ14歳で、その後すぐ自主しました。
警察の話によると、その近所で毎週のように空き巣が入っていたらしいのですが、私たちが二人を捕まえてからは、ぱったりとなくなったそうです。私が捕まえた方が主犯で、ピストル強盗をしたこともあると聞きましたが、そのときは武器を持っていなくて幸いでした。その子は、その後少年院に入って、まじめにやっていると聞きました。
それにしても、普段はおとなしく控えめな家内ですが、危機的状態になると、驚くべき指導力を発揮します。同じ頃、ポンコツ車で高速をドライブしていたところ、車輪が取れて車軸が路面を引きずり、摩擦熱でブレーキオイルから煙が出始めたので、息子は僕が助けるから早く車から離れろと言って長男を抱いて高速の土手を駆け上がりました。家内が来ないのでどうしたのかと思って振り返ったら、くすぶっているオイルを足で踏んで消そうとしていました。後輪ですので、ガソリンタンクに引火したら、車と心中です。もし家内がタイタニックに乗っていたら、甲板の上で交通整理をしていたに違いありません。長い間一緒に生活していても、いざというときになって初めて、その人の本当の姿が見えるものですね。
空気銃の弾だらけの犬
数年前、アパートから今の家に引っ越してペットが飼えるようになったので、犬を飼うことにしました。家内と三男が動物愛護協会に行ってもらってきたプナと言う名前の犬は、バセンジと言う種類のアフリカ犬で、非常に臆病でした。後で犬猫病院に連れて行って分かったことですが、体中に空気銃の弾が入っていて、多すぎて手術して取ることもできないほどでした。生後6ヶ月でしたが、前の主人に虐待されていたのでしょう。
私が家の主だと言うことは分かっているようで、私がちょっと何か注意すると、2-3日近寄らなくなるので、何か悪いことをしたときは、子供達に叱ってもらうようにしました。音に神経質で、ソーダの缶を開ける音がしただけでも逃げて行くような犬でした。空気銃を撃つ音に似ているのかもしれません。アメリカは、独立記念日と大晦日に花火をしますが、音が大きくてぶるぶる震えているので、家の中で一番外の音が聞こえないトイレに一緒に入って、ラジオをかけながら、花火の音が収まるのを待つこともありました。
私は、以前、ビーチでの結婚式の司式を良くしていましたので、散歩がてらにプナを一緒に連れて行くようになりました。ある日の結婚式で、カップルに向かい合うように言ったのですが、花嫁さんが動きません。もう一度、向かい合ってくださいと言うと、犬がドレスの裾に座っているので、動けないと言うのです。私が気づかない間に、何とプナが花嫁さんの後ろでドレスの上に座り込んでいました。
私は、この失敬な犬が自分の飼っている犬だということがばれないように、他人行儀に追い払おうとしたのですが、なかなか逃げてくれません。臆病で猜疑心の強い犬に信頼されるようになったのはいいのですが、その分、追っ払うのが大変でした。それを機会に、プナを結婚式に連れて行くのは止めることにしました。しばらくの間は、私が結婚式の格好をすると、ビーチに連れて行ってくれると思って喜んでいましたが、残念です。
我が家に赤ちゃんが産まれた
夫婦ともに53歳の家庭に赤ちゃんが産まれるわけはありません。3人の子供達もまだ独身です。
実は、ある友人から、彼の知り合いの女性がハワイに1年ほど留学するので、アパートを見つけるまで、一ヶ月ほど泊めてあげて欲しいと言う依頼がありました。引き受けて、その方が来てから気がついたのですが、彼女は妊娠していたのです。相手の男性は、妊娠したことを知って、姿をくらましたそうです。この若いお母さんは、日本で産むことが恥ずかしくて、ハワイに留学して産むことを決心したのです。
ずっとここに住んでもいいよということになって、予定日を待っていたのですが、一ヶ月ほど早く破水して、私が病院に連れて行きました。家内が一晩中付き添ったのですが、赤ちゃんがまだ小さいこともあって、すぐに生まれました。私も、ずいぶん久しぶりに赤ちゃんを抱きました。よく寝ますし、おとなしくてあまり泣きません。自分にお父さんがいないことなど、まだ知るすべもありません。
この子の父親は、多分、自分がいなくなったら彼女はこの子を下ろすだろうと思っていたのでしょう。確かに、中絶が当たり前のような世の中ですが、女性にとって、それはそう簡単にできる決断ではないでしょう。そのような関係を持った彼女にも非はありますが、彼の軽はずみな行動が、この母と子の一生を変えたのです。
こういうことは、よくあることですし、この男性も、多分、そんなに極悪非道な人間ではないでしょう。しかし、私たちの小さな愛や気配りの欠如が、人生を狂わせてしまいます。私も例外ではありません。私がまだ5-6歳の頃、父が母に、こんな家庭環境でよくこんないい子に育ったものだと言ったのを、いまだに覚えています。そのときは何のことを言っていたのか分からなかったのですが、父は私がまだ赤ちゃんのときに離婚し、私の母は、実の母ではなかったのです。私は、父の過去を根掘り葉掘り聞くようなことはしませんが、この離婚は、私が赤ちゃんのときに生き別れになった私の兄に大きな影響を与えたようです。彼は、私が全く覚えていない私の実の母に引き取られたのですが、まだ40代の若さで、お酒の飲みすぎで急性肝炎になって家で死んでいたのを、近所の人に発見されたそうです。私が母に引き取られていたら、私も同じような道を歩んだかもしれません。
私は、加害者でもあります。家内が次男を妊娠していたとき、私は仕事が非常に忙しい時期でした。当時、私たちは函館に住んでいましたが、家内はアメリカ人で、日本語が片言しか話せませんでした。家内は、一人で産婦人科に行って、医者に、赤ちゃんが大きいと言われて喜んでいました。後で分かったことですが、医者は、赤ちゃんが大きくなってないと言っていたのでした。家内はアメリカ人の知り合いも少なく、私の仕事が忙しくて、寂しい思いをしていました。ノイローゼ気味になった家内は、妊娠中毒になり、それが原因で、赤ちゃんが大きくなっていなかったのです。
クリスマスの晩、教会のキャンドル・ライト・サービスで、家内はわずかな陣痛を感じました。まだ予定日より一ヶ月も早いし、大した痛みでもなかったので、そのまま礼拝に出ました。翌日、病院に行ったのですが、陣痛が始まると、赤ちゃんの心拍をモニターすることができなくなりました。それが何を意味するのか、医者は説明してくれませんでしたが、今すぐ出さなければいけないと言われて、帝王切開しました。生まれてきた赤ちゃんは、わずかに1,350グラム、同じ一ヶ月早く今月我が家で生まれた赤ちゃんの、約半分しかありませんでした。小さな手に刺された点滴の針が、とても痛々しく見えました。
この子は、未だに他の二人の兄弟より体が一回り小さく、軽い注意力不足障害で、毎日薬を飲んでいます。私がちゃんと家内への気配りをしていたら、こんなことにはならなかったのではないかと、いつも思わされます。家内はそんなことは関係ないと言ってくれますが、私にはそう思えて仕方がありません。
西洋は罪の社会、日本は恥の社会だとよく言われます。聖書が、すべての人間は罪人だと教えていると言っても、日本人にはピンと来ません。日本人には、罪=犯罪と言うイメージが強いのでしょう。しかし、私たちは、みんな、傷つけたり、傷つけられたりして、生きています。私たちは、みな、赦し、赦さなければならないのです。