大野純司のブログ -71ページ目

息子の16歳の友達がホームレスになった

 去年の暮れ、息子の元クラスメートがホームレスになってしまいました。お父さんと二人暮らしだったのですが、お父さんがアル中で、仕事を首になってしまい、家賃が払えなくなって、追い出されてしまったのです。お父さんは、付き合っていた女性の家の狭い部屋に引っ越しましたが、16歳の息子は行くところがなくなってしまいました。自分だけ住めるところを見つけた父親もどうかと思いますが、息子もお父さんと一緒には住みたくなかったようで、公園で一晩寝たそうです。

 彼は、うちにも良く遊びに来て息子たちと仲良くしていましたので、うちで預かることにしました。そういう家庭環境で育ったわりにはいい子でしたが、問題はいろいろとありました。頭の悪い子ではないのですが、ほとんどのクラスを落第していました。ハワイには友達もいるし、アルバイトをしてお小遣いも結構あったので、離婚してカリフォルニアに住んでいたお母さんのところには行きたくなかったのですが、こういうことは未成年が決めることではないと説得して、この夏カリフォルニアに引っ越したのです。喜んではいませんでしたが、仕方がありません。

 9月も終わろうとしていたある日、その子から電話がありました。すべてうまく行っていて、成績もオールAだと言うのです。うちで半年ほど預かってもらったことを感謝してくれました。我が家を出たときにあまりいい感じではなかったので、心配でしたが、これで一安心です。

はげ頭の美人

これは、私の知り合いのレイさんの話です。レイが通っていた教会にある若い女性がいました。彼女は、カバーガールになってもおかしくないくらい美人でした。いつも帽子をかぶって、エレガントな服装で教会に来ていました。レイは、ある日、彼女がいつも帽子をかぶっているのは、卵巣癌の治療で放射線療法を受けて髪の毛が全部抜けてしまったからだと言うことを知りました。教会は、彼女のために祈って、癌は完全に癒されたのですが、髪の毛は生えてきませんでした。直ったのを見て、医者は驚きましたが、子供を生むことはできないと言われました。そのうち、彼女はいつも帽子をかぶるのがいやになって、かつらを買いました。彼女には妹がいましたが、二人ともきれいな髪になりました。

ある日、彼女はある青年と出会って恋に落ち、結婚の計画を立てていました。彼女は、自分の髪のことを話さなければなりませんでした。・・・彼女は、二度と彼に会うことはありませんでした。失恋したのです。約年後、彼女は別の青年と出会い、また結婚の計画を立てていました。それで、彼女は、彼にも自分の髪のことを話さなければなりませんでした。彼も去っていって、彼女は二度と彼に会うことはありませんでした。彼女は打ちのめされて、神を恨みました。神は、癌は癒してくれましたが、髪の毛は戻ってこなかったのです。

レイは、あるクリスチャンの男性と仕事をしていて、よく彼の家を訪ねることがあり、彼の家族にも会いました。レイは、彼の息子と気が合って、付き合いが多かったので、彼のことはよく知っていました。彼は、お父さんと同じで、よい人格の持ち主でした。

レイは、ある日、彼を夕食に誘いました。レイは、あの若い女性も誘ったことは黙っていました。彼らは意気投合して、翌日、彼から電話があり、彼女の電話番号を聞かれました。自然の成り行きで、彼らは結婚することを考え始めました。彼女は、「私に髪がないことは言わないでね。私が話すから。」と言いました。「心配しなくても、彼はいい人だよ」とレイは答えました。話をとばしますが、彼らの結婚式の写真はレイが撮って、彼らにはかわいい女の子が生まれました。しかし、彼女は、髪のことで、その後も神に対する苦々しい思いを持っていました。

レイは、ある日曜日、教会で、その奥さんのそばに座りました。何か言わなければいけないと思ったので、口を開いたのですが、出てきた言葉は、レイを驚かせました。彼は、強い口調でこう言ったのです。「君は髪の毛がないことを感謝するべきだよ。」にらみ殺すと言う表現がありますが、それが本当ならレイは殺されていたかもしれません。レイは、神様、次に何と言えばいいでしょう、と考えていたそうです。次の言葉も驚きでした。「もし君に美しい髪の毛があれば、髪がきれいだから君と結婚したいと思ったあの二人のどちらかと結婚していたはずだ。その代わりに、君はあの王子様と結婚できたんだよ。」突然、彼女の顔つきが変わりました。彼女は本当に驚いた様子で、エキサイトしていました。「そうね、そんな風に考えたことなかったわ。」彼らは、幸せな家族になったそうです。

インドの不可触賎民

今年5月、去年に引き続いて、毎日40度を超えるインドのハイデラバードに行きました。暑すぎて、蚊さえいません。大東さんと言う知り合いの日本人牧師が、「一杯の水」というNGOを設立して、スラム街で給水をしたり、貧しい子供達の教育をしたりしているのですが、彼は英語ができないので、今回も、彼の通訳で行ったわけです。インドで一番大きな空港ができたばかりで、マイクロソフトの技術関係者の1割がハイデラバード出身者であると聞いているほどの大都市ですが、貧富の差は、目を覆うばかりです。

インドは、カースト制度がいまだに根強く残っており、主に四つの身分がありますが、実はその下にダリットと呼ばれる不可触賎民がいます。日本の士農工商の下に部落民がいたのとよく似ています。その数は1億人以上と言われており、その多くは国勢調査の中にさえ含まれていないそうです。一杯の水の活動の主な対象は、このダリットたちです。

ハイデラバードは、とても外国人がドライブできるようなところではありません。車、三輪車、バイク、自転車、歩行者が車線など無視して走行しており、歩道ではなく車道で寝ているホームレスもいます。そういうわけで、レンタカーは、運転手付きです。

ある日、私たちは、ダリットの牧師二人と、この運転手も誘って、ホテルのレストランで昼食をしました。彼らは、自分達だけでは、このホテルで食事のできるような身分ではありませんが、私たちのゲストということで、入れてもらうことができたのです。ところが、入ってまもなく、運転手が外に出てしまいました。二人の牧師が彼の後を追って、連れ戻してきたのですが、なぜ出て行ったのかは、私たちも聞きませんでした。ウェイターに出て行くように言われたのでしょうか。運転手もダリットなのかどうかは、本人に聞くのも失礼だし、尋ねませんでしたが、私たちには分からなくても、インド人が見るとすぐに分かるそうです。足の親指と人差し指の間が深く割れている人がいるので、インド人の足はこんな風なのかなと思っていましたが、これも実はダリットが生まれてすぐに受けなければならない「割礼」だそうです。ホテルで開催されていたコンフェレンスに背広を着て参加していたビジネスマンの中に混じって、運転手だけが裸足でしたし、自分で場違いだと思って出たのかもしれません。

味はどうだと牧師の一人に聞くと、食べたことのない味だと答えました。数年前、大東さんがこの牧師と最初にレストランで食事をしたとき、彼は、自分は今までカレーしか食べたことがないのでメニューを見ても分からないと言って、外国人の大東さんに注文してもらったそうです。5人で食事をして1,200ルピーほど。日本円だと3,000円ほどでしょうか。牧師達の月給は1,500ルピーだそうです。

私は、帰りにムンバイ(以前のボンベイ)で飛行機を乗り換えたのですが、ライフルを持った飛行場の憲兵からいやな扱いを受けました。腹立たしい思いをしていたのですが、ふとダリットたちのことが頭に浮かびました。ダリットであるだけでなく、クリスチャンでもあり、ヒンズー教徒から迫害されている彼らは、殺されても犯人が有罪になることは普通ないそうです。この程度のことでいちいち腹を立てていたのでは、生きていけません。何か彼らのために自分にもっとできることはないのか、考えさせられた一週間でした。