隔離された息子を迎えに行くはずの友人が留置所に
最近、身の上話ばかりが続いていますが、事実は小説よりも奇なり。息子たちが去年12月19日、98歳の母の見舞いのためにハワイから関空に着き、三日間のホテル隔離の予定でした。ホテル隔離後、関空のホテルから松山まで公共交通機関を使えませんので、どうやって帰るかが問題でした。
以前、私たちのハワイの家にホームステイし、その後も長期バケーションを過ごしたS君が、息子たちにも会いたいので、車で迎えに行ってあげると言ってくれました。彼は福岡に住んでおり、車を持ってないので、まず松山まで来て、私が車をレンタルし、そこから関空まで往復してくれる予定になっていたのです。
ところが、16日から、さっぱり連絡が取れなくなりました。最初は、仕事の休みが取れなくて、行けなくなったと言うのが恥ずかしいのかと思っていたのですが、ラインでメッセージを送っても、既読になりません。スマホをなくして新しいのを買えないのか、それとも通話料金が払えなくてサービスが切られたか、事故に遭って入院したか、いろいろ思いめぐらしていました。
ホノルル―関空便の同乗者にオミクロン感染者が見つかり、息子たちのホテル隔離は2週間に延長されました。23日に迎えに行く必要がなくなったという連絡をしても返事はありません。息子たちは正月の2日の夕方ホテルを出、2週間の隔離期間が終わっているので、公共交通機関を使って帰省することができました。母は5日に退院し、息子たちは9日にハワイに帰る予定でした。
ところが、7日にS君から連絡があったのです。何と留置所に23日間入れられていたとのこと。息子との通話をそばで聞いていただけなので、あまり詳しいことは分かりませんでしたが、事の次第は以下の通りです。
S君はいつもキックボードを使って移動しています。ある日、すれ違ったヤンキーなお兄ちゃんに体が当たったと言いがかりをつけられ、警察を呼ぶと言われました。S君は体格が良く、このお兄ちゃんと喧嘩になったら自分が勝つとは思ったそうですが、バカらしくて相手にしませんでした。彼が警察を呼んだ後、S君はそこを立ち去ってしまったのです。
警察は、S君が逃げたと解釈しました。彼の身元を調べ、アパートのカギを壊して逮捕しに来たのだそうです。こうしてS君は、誰にも連絡できないまま、留置所に入れられてしまいました。体が大きいだけでなく、人相も怖いし、フリーターをしながらスポーツにふけっている生活をしていますので、警察もヤンキー兄さんの方を信じてしまったのでしょう。
そのヤンキーお兄ちゃんは、殴られたと訴えたそうです。傷跡があるという写真を警察に提出したそうですが、偽装したものと思われます。35万円払えば示談にしてやると言ったそうですが、S君に35万円はありません。家族が貸してあげると言ったそうですが、自分は何もしていないので、断りました。
私は法律のことはよく分かりませんが、民事訴訟ならともかく、刑事訴訟を示談にするというのはよく理解できません。訴えているのは検事局で、このお兄ちゃんは被害者兼証人の立場だと思います。原告でもない人が示談にする権限を持つというのはよく分からないし、恐喝ではないかと思うのですが、日本の法律はどうなっているのでしょうか。ハワイでは、例えば妻が家庭内暴力で夫を警察に通報すると、告訴を引き下げることさえできません。それができるのは検事局だけです。
自白すれば仮釈放してくれると言われたそうですが、断り続け、警察は明確な証拠や証人もないまま、法で許されている最長23日間、S君を留置所で監禁したのです。もう出られなくなるのではと、気が狂いそうになったこともあったそうですが、その翌日、心が平安に満たされ、感謝の気持ちに溢れました。彼は何かの宗教に属しているわけではなく、ホームステイ中も私たちの教会の礼拝に出ることはありませんでしたが、神を身近に感じたというのです。出所したときには、皆さんに心から感謝して出たとのこと。
とにかく、息子たちに会いたいと言うので、8日に松山まで来てくれました。息子たちは9日に朝松山を出ました。仕事は11日から始まるということでしたので、もう一晩泊まってもらいました。一去年までうちにホームステイしていた子のご家族が、お礼に神戸牛を送ってくれたのですが、まだステーキが1枚残っていましたので、出所祝いに食べてもらい、喜んでいただけました。
私の人生は韓ドラほど面白くはない
今月19日に、長男家族と次男がハワイから帰省しました。関空近くのホテルでの隔離期間は3日間の予定で、20日以降の帰国者は、オミクロンの影響で6日間になりました。3日で済んで良かったと思ったら、同乗客にオミクロンの感染者が発見され、濃厚接触者とみなされて、2週間に延長。幸い、嫁と孫は府内の実家で自己隔離することになりましたが、なぜそれが許されたのかはわかりません。子供を狭い部屋に2週間も閉じ込めるのは、児童虐待になるからでしょうか。
息子たちは、1月2日まで難波のホテルの小さなツインルームに缶詰めになりました。次男は、去年のクリスマス、自分自身が感染し、彼が働いているホームレス・シェルターがホームレスの感染者用に確保した部屋で2週間隔離されました。2年連続、隔離されたクリスマスです。おまけに26日は彼の誕生日。私と家内や長男夫婦の結婚記念日は25日で、今年はみな分かれ離れです。
悪い知らせはそれだけではありませんでした。8月から帰省して世話をしてきた母は、要介護2です。先月誤嚥性肺炎で入院しましたが、もう直って回復しましたので、正月明けの退院に備えて、要介護度の評価をし直してもらうことになりました。ケアマネさんが、5になるだろうと言うので、それに基づいて、退院後の介護の計画を立てていたのです。ところが、主治医からの書類が届いておらず、介護度が決まるのは来月の28日になりました。1月は、どうしても欠かせない訪問看護など以外は、私がしなければならなくなりそうです。
さらに悪い知らせがありました。ハワイに一人で残っている家内が、税務署から罰金請求書が来たというのです。申告に必要な書類が二つ欠けていたとのことで、金額は何と$25,000。しかも、その手紙の内容と見ると、過去3年間すべてこれらの書類が欠けているかもしれず、もしそうだとすれば、罰金はその3倍になるかもしれません。申告をした会計士に連絡しても、納得のいく説明はしてくれませんでしたので、早速、最悪の事態に備えて、弁護士を探し始めました。
私たち夫婦が雇われている会社は、従業員は私たちだけですが、オーナーは日本在住の方です。私たちは、コロナで収入が少ないので、この1年一時解雇になりました。来年から、あるいはいつになるか分かりませんがハワイに帰ってから、再雇用してもらうことになっていたのですが、$75,000もの罰金を払うお金は会社にはありません。いっそのこと破産宣告したほうがいいかもしれません。
ほんの4-5日の間に、立て続けに良くない知らせが入ってきたので、ちょっと滅入ってしまいました。韓国ドラマみたいだなどと思っていたのですが、思い出したのが先月のブログに書いた脱北者パークさんの話です。彼女の体験に比べれば、今の私の問題は韓ドラのネタにもなりません。
息子たちは、帰省できていたとしてもどうせ何もできないし、$75,000の罰金を払うことになれば、来年も一時解雇が続くでしょうが、私は日本なら定年退職している年齢です。まだ仕事を続けられる見通しがあるだけでもありがたいし、仮になかったとしても、老後の準備はできています。税務署の間違いと言うこともあり得ないわけではないし、会計士の責任であれば、彼が弁償してくれるかもしれません。
不平を言っている人に幸せな人はいません。幸せになりたければ、感謝することです。状況を変えることはできません。変えられるのは自分だけです。
「どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスと共にある人生において、神があなたがたに望んでおられることです。」(使徒パウロがテッサロニケ教会に宛てた第一の手紙5章18節)
私はいつも月末にブログを出していますので、大みそかまで待って、その後どうなるかを見てから出そうと思って待っていたのですが、途中経過をお伝えします。息子たちは、公共交通手段を使って帰省することはできませんので、私がレンタカーをして松山から迎えに行こうと思っていました。しかし、考えてみると、2週間の隔離をホテルで完了しますので、迎えに行く必要はなくなりました。
母の要介護度は、再認定は遅れますが、認定されるとそれを申請した日にさかのぼって有効になるということが分かりましたので、ほぼ予定通りのケアを頼んで問題なさそうです。
罰金ですが、会計士がやっと提出書類の写しを送ってくれ、提出されてないと税務署から言われた書類がその中に含まれていることが分かりました。また、税務署からの受領書を送ってくれ、それらの書類が提出されたことが記載されていました。これらの書類は、すでに彼が送ってくれていたのですが、どういうわけか私のメールアカウントはその添付書類を受け付けなかったのです。それも会計士を信頼できなかった一つの理由だったのですが、別のアカウントに転送してもらったところ、ちゃんと届きました。知り合いに紹介されて問い合わせた別の公認会計士からも、自分の顧客に全く同じ罰金の請求が誤って送られたと聞きましたので、どうやら税務署のミスのようです。
慌てて心を悩ませていたのが、まるでバカみたい。お恥ずかしい話で、ブログに載せるのも躊躇しましたが、ご笑覧ください。それでは皆様、よいお年をお迎えください。
脱北者ヤン・ミー・パークさんのその後
母の世話のために8月にハワイから帰国してもう3か月半経ちました。去年からコロナの影響で仕事がなくなり、会社の現金も尽きたので、1月から一時解雇になって失業保険をもらっていたのですが、出国しましたので、それももらえなくなりました。ハワイにいたときは、コロナ終息後に備える活動もしていたのですが、それもできなくなりました。家族とも別れ、車いす生活の母の食事、着替え、トイレの世話などに明け暮れる日々を過ごし、私としては珍しく落ち込み気味でした。
落ち込みいうのは大げさかもしれませんが、満足していなかったことは確かです。満足できないと、感謝の気持ちを持つこともできません。母が私のためにどんな犠牲を払って育ててくれたかは、母が亡くなってからブログに書きたいと思っていますが、今の私の苦労など、母とは比べ物にならないし、苦労と呼ぶこと自体がおかしい。母に感謝しながらお世話するのが当然なのですが、私の気分の方は、そう思ってはいないようです。
ある聖書の講師が、人は自分の幸福に責任があると言っていました。自分の幸せは環境が決めるのではなく、それは自分の選択だというのです。そればかりか、自分を不幸だと思っている人は、周りの人にも悪影響を与えます。自分の幸せが自分の責任であるばかりでなく、自分の周りに人達に対しても、自分が幸せである責任を持っているというのです。幸せになる責任ではなく、幸せである責任です。
私は、自分もキリスト者だし、そんなことは分かっていると思っていましたが、ふと今の自分を見たときに、何も分かってないなと思いました。別に不平不満をばらまいていたわけではありませんが、少なくとも幸せを撒いていたわけではありません。この態度は改めなければならないと心に決めました。
最近、ヤン・ミー・パークさんと言う脱北者の英語のインタビューを見ました。中国との国境の町に生まれ育った彼女は、13歳の時、お姉さんと中国に逃げるつもりだったそうです。逃げる(escape)という言葉は、北朝鮮では使われてないそうで、ただ中国に行って何か食べたいと思っただけだそうです。
それを助けてくれる人がいると聞いて、手はずを整えたのですが、盲腸炎になり、麻酔なしの手術をして退院したときには、飢え死にしそうだった姉は既に脱出していました。自分もお母さんと後を追ったのですが、実は、脱北を助けてもらったのではなく、みんな売られたのです。しかし、北朝鮮で飢え死にするよりはましで、売人には感謝しているとのことでした。
こうして13歳から売春をさせられ、その後チャットルームで働くようになって韓国人の客から韓国の様子を聞いて驚き、一緒に働いていた女性から助けてくれる宣教師の話を聞いて駆け込み、死ぬ可能性の方が圧倒的に高いと言われたゴビ砂漠を真冬にコンパスだけを頼りに横断して、モンゴルに逃げたのです。モンゴル兵士に見つかって、また中国に送り返すと言われ、そうなると北朝鮮に返されてしまうので、もしもの時のために渡されていた毒を飲んで死んだ女性もいたそうですが、兵士たちは彼らをからかって楽しんでいただけでした。こうして韓国大使館に保護され、韓国に入国できたのです。
お姉さんとは数年後に再会できたそうです。お父さんは男性ですから、中国に性奴隷として売ることはできませんので、北朝鮮に残されていたのですが、ひどい拷問を受け、再会できたときにはすでに魂は死んでいたと話しておられました。
ある国際青年大会がアイルランドで開かれ、北朝鮮も招待されました。しかし、北朝鮮は、一人の代表を送ることを拒否しました。3人送って、お互いを見張り合うようにしないと、脱北する可能性があるからです。そこで、この団体は、韓国に住んでいたパークさんを北朝鮮代表として招いたのです。
彼女は、とても美しく優秀な方で、韓国で既に習得していた英語でスピーチをしたのですが、SNSで100億近いヒットがあったそうです。私も見たことがあり、その内容に驚き、感動しました。今回、パークさんのインタビューを見たときには、話を聞くまで、同一人物だとは知りませんでした。
このスピーチがきっかけになって、彼女は米国の出版社から本を出すことになり、アメリカに移住しました。どのような状態にあっても、I decided that I’m going to be happyと言う彼女の言葉が印象に残りました。訳せば「幸せになると決めた」ですが、「幸せであると決めた」とも解釈できます。インタビューをしていた人は、後者と解釈していました。今は不幸だが、将来幸せになると決めただけでも素晴らしいですが、どのような状況においても、自分は幸せであるという選択をしたのです。
彼女は後に、名門のコロンビア大学に入学しましたが、つまらないことで虐げられていると言って、社会を非難している教授や学生たちに反論したところ、あなたは洗脳されていると言われたそうです。パークさんが言うには、本当に虐げられている人は、自分が虐げられていることすら知らないというのです。キム・ジョンウンが、あれだけ太っているのに、彼も国民と同じよう飢えているのだというプロパガンダを、みんなが信じているそうです。
インタビューをした人も同じコロンビア大学卒で、話が弾んでいましたが、彼女に言わせると、大学のインテリ層は、恵まれた米国で社会悪発見ゲームをしているだけだと嘆いていました。男性が女性のためにドアを開けてあげただけで、それを男尊女卑の表れだと授業で真剣に話し合っているのが、信じられないというのです。
私はそんな気の利いたことはしないので、論外ですが、パークさんや、衰えてもいつも神や私に感謝してくれる母を、見習うべきだと思いました。母は、残念ながら誤嚥性肺炎で入院してしまいました。肺炎自体はよくなりましたが、誤嚥が直らないので、そう長くはないでしょう。面会に行くと、色々とおしゃべりしてくれるのですが、そのほとんどが妄想です。でも、妄想だということを説明してあげると、納得してくれます。一つ気付いたのですが、母の妄想は、有馬温泉に行ったり、ひ孫が生まれたり、いいことばかりです。天国に行くまで、もう少しの間、妄想を楽しんでもらうのもいいかもしれません。