故コリン・パウエル氏をしのんで
私は、1991年1月、湾岸戦争が始まって間もなく日本からハワイに引っ越したのですが、ブッシュ(父)政権下、米国初の黒人統合参謀本部議長に指名されたコリン・パウエル氏は、湾岸戦争で手腕を発揮し、人格的にも誰からも尊敬されていました。ブッシュ(2代目)大統領には、黒人初の国務長官に指名されました。国務長官は、米国の内閣では、副大統領に次いで重要な役職です。
1996年には、共和党から、大統領選に出馬しないかと言う打診があり、世論調査では圧倒的な支持を得ていましたが、奥さんから、「黒人が大統領になったら暗殺されるかもしれない」と反対され、断ったそうです。出馬していたら、彼が米国初の黒人大統領になっていたかもしれません。オバマ大統領のように、黒人を地盤とする民主党からではなく、共和党の黒人大統領が生まれていれば、逆にもっと黒人のための政策が取れていたのではないかと思います。
今月18日に亡くなられたパウエル氏がもし大統領になっていれば、今ほどの派閥政治もなく、米国の歴史も変わっていたかもしれません。彼なら、民主党で出馬しても当選していただろうと言われています。それを考えると、残念でなりませんが、彼が残したある言葉に感銘を受けました。
あなたはどのような人として覚えられたいですか、と聞かれたとき、「夫、父、祖父」と答えたそうです。直訳で申し訳ないですが、あなたは死後どんな人だったと言われたいかという質問に対して、良き夫、父、祖父だったと言われたいと答えた、と意訳した方がしっくりくるでしょうか。大統領選に出馬しなかったのも、奥さんの意見を優先したからでしょう。
その決断が正しかったどうかは別として、あれだけの業績を残したご老人が、自分の人生を振り返ったときに、自分の手柄ではなく、家族に対する想いが口をついて出たというのは、新鮮な驚きでした。この質問をされたときに彼が何歳であったかは知りませんが、私だったら、何か威張れるものはないかと、記憶をたどったことでしょう。自分がそこまで家族を大切にしていないことを反省させられました。
もう子供たちは皆大人になっていて、ちょっと手遅れかもしれませんが、家内と母には、まだ果たさなければならない責任が残っていますので、もっと努力しようと再確認しました。家内はハワイで孫の世話をし、私は、老いた母の世話のために一人で帰国し、看取るまで実家で過ごすつもりです。ハワイの家族や仕事を離れ、何か心に空洞があることは否めませんが、パウエル氏の言葉は、人間が当然するべきことをちゃんとしなければいけないという、良いリマインダーでした。
母の入院でコロナ過の中を日本へ
私の母は98歳ですが、松山の実家に一人で住んでいました。ホームには絶対入りたくないと言って、毎日2回ヘルパーさんに来てもらって生活していたのですが、家の中で転んで頭を打ったという知らせが従妹からありました。普段なら、母の教会の大の仲良しのお友達が、実の親子のようにお世話をしてくれるので安心なのですが、ちょうどお盆で単身赴任のご主人の社宅に行って、留守でした。従妹が病院に連れて行って診てもらいましたが、検査結果に悪いところはなく、1週間のショートステイをすることになりました。
もう歳ですから、すぐに帰国したほうが良いと言われ、ホノルルからシアトル経由の切符を買いました。ホノルル空港でPCRテストを無料でしてくれるので、その結果を持って行けばよいと思って行ったところ、日本は、空港のテスト結果は認めてくれないというのです。日本人向けにワイキキにテスト会場を設けてあるので、そこに行けと言われたのが午後4時前。すぐに電話したところ、受け付けは4時半までと言われ、ぎりぎり間に合って、テストを受けることができました。
しかし、問題はそれだけではありません。羽田から松山まで、公共交通手段を使わないで行かなければなりません。私は、元々自営業で通訳や不動産の仕事をしていましたが、日本のある会社の社長さんに気に入られて、数年前、そこで雇ってもらいました。その会社は、本社が高松で、東京に支店があるのですが、社長さんが、東京から高松まで車で送ってくれて、そこからは、あまり使っていない会社の軽トラを借りて、30年ぶりに日本で運転して、松山まで帰りました。本当に良い方です。
でも、月末まで自己隔離をしなければなりません。ワイキキのPCRテスト会場で、二つのアプリを携帯にインストールしておくように言われたのですが、その使い方を羽田で教わりました。アプリの一つは、連絡が来ると自分の位置を知らせたり、コロナの症状がないかを知らせたりするようになっています。もう一つは、ビデオ通話のようなものですが、私が携帯に自分の顔を映すだけで、誰かと話すわけではありません。30秒間、私の顔を録画して、それで終わり。写っているのが、誰かほかの人ではないことを確認するのでしょう。というわけですので、携帯を家において母のお見舞いに行くなどと言うことはできません。
それどころか、ショートステイ先も、コロナ対策で面会はできません。一週間経って、行きつけの病院で病床が空いたので、そちらに入院しましたが、そこでも面会禁止です。入院後、母は、電話に出てもほとんど何を言っているのか分からないくらい呂律が回らないので、私はもう先は短いのではないかと思っていました。しかし、見る見るうちに元気になって、昨日、退院することができました。入院当初は、痴呆が進んだだけでなく、妄想をすることが多く、周りの人を困らせていましたが、それもほとんどなくなりました。
いつ何が起きるか分からないので、家中のドアを全部空けて、何か音がしたら気が付くようにしています。昨晩は、寝る前に薬を飲んで、ゆっくり寝る準備をしていたのですが、電気をつけたまま音がしなくなり、呼んでも返事がありません。どうしたのかと思って見に行くと、トイレに座ったまま寝ていました。飲んだ薬の一つが睡眠薬ですので、眠くなったのでしょう。今朝はもう覚えていませんでしたが、四六時中目を離せない日々が始まりました。
母については以前もブログに書いたことがありますが、育ててもらったお返しをするときが来ました。仕事で出張しなければならないときは、ショートステイに入ってもらわなければならないですが、ハワイの家族ともしばらくお別れです。
南京虫
3か月前のブログで、我が家にホームレスのMさんが住むことになったことを書きました。特に大きな問題はなかったのですが、手に負えない事件が起きました。夜寝るころに体が痒くなるので、どうしてだろうと思って、ふとベッドを見てみると、見慣れない虫がいたのです。ティシューでとって潰したところ、赤い鮮血が出てきました。吸ったばかりの私の血です。翌朝、息子に見せたところ、南京虫だというのです。
南京虫なんて、私が若い頃は聞いたこともありませんでしたが、駆除に使われる強い殺虫剤が人体に悪影響を与えるという理由で使えなくなり、最近また増えているのだそうです。以前私たちが住んでいた家で、現在病人用のホームレス・シェルターになっている家は、南京虫が湧くと、家を巨大なテントで覆って、シロアリ用より何倍も強い殺虫剤を使って殺すのだそうです。
息子が働いているシェルターでも、時々湧きますが、卵がなかなか死なないので、卵を産み付けているベッドの鉄のフレームを、ガスバーナーで焼くのだそうです。そのガスを買うお金がないというので、寄付したことが何度かありました。ですから、息子は、南京虫は見慣れており、見てすぐそれと分かったのです。
息子が働いているのは、シェルターのクリニックなので、そこに南京虫が湧いたことはありません。息子が連れて帰った可能性はゼロではありませんが、もう10年も働いているのに、一度もこんなことはありませんでしたので、Mさんが連れてきた可能性が大です。Mさんに痒くないかと聞いても、「全然」という答で、もう慣れてしまっているのでしょう。彼のベッドを調べたら、数匹の南京虫が群れを成してベッドの下にへばりついていました。
とにかく、南京虫に効くという煙の出る殺虫剤を買ってきて、早速退治しようとしたのですが、何の効果もありませんでした。そこで、害虫駆除業者を呼んだところ、南京虫退治の最も良い方法は、家の中を何時間も熱して殺すことだそうですが、私のマンションはスプリンクラーがあるので、それはできないと言われました。
そこで、殺虫剤をスプレーで撒いてもらい、マットレスには南京虫が生き延びても外に出ることのできないシーツのような袋をかぶせましたが、ほとんど効果なし。最悪、お気に入りのベッドを捨てなければならないと思っていたのですが、結局今までに4回来てもらい、4回目はかなりの量を撒いてもらいましたので、これで絶滅することを願っています。
殺虫剤を撒いてもらうのは、簡単ではありません。家中の家具を壁から少し前に引いて、壁と家具の間にスプレーすることができるようにし、服は、南京虫がついているかもしれないので、全部洗濯するかあるいは乾燥機で乾かし、ゴミ袋の中に入れて保管します。数年前、スーツやドレスなどのしわを取るためにスチーマーを買い、ほとんど使ったことがなかったのですが、今回は役に立ちました。中に服を数枚入れて、ジッパーを閉めてスチームで加熱するのです。このスチーマーと洗濯機と乾燥をフル稼働させ、お陰で洗濯機は壊れて修理してもらわなければなりませんでした。
また、スプレーをするときには、2-4時間2匹の猫とMさんを連れて、一緒にマンションを出なければなりません。Mさんは、何のためにこんなことをしているのかよく分かってない様子でしたが、分かれば、自分のせいで迷惑をかけたと思い、肩身の狭い思いをしたと思いますので、分からなくて良かったのでしょう。
「南京」虫と言うのは、中国を馬鹿にした名前だと思っていたのですが、そうではなく、江戸時代に、海外から伝わってきた小さいもの、珍しいものに付けられる名前だったそうです。他の用例として南京錠、南京豆などがあります。海外からの荷物に付着して伝わってきたので、南京虫と呼ばれるようになったそうです。英語ではベッドバグ(ベッド虫)とよばれ、その名の通り主にベッドに湧く虫です。
私の知り合いで、日本でホームレスを助けるボランティアをしていた人がいますが、その人の話によると、通称スーパー南京虫と呼ばれる、殺虫剤で死なない、進化した南京虫が日本にもいるそうです。