7月に読んだ本は6冊(図書館本6冊)でした。
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<満足度>★★★ 感動 ★★ 面白い ★ 収穫少
<お気に入り順>
『永田鉄山と昭和陸軍』岩井 秀一郎(祥伝社新書 2019.7)
【満足度】★★★
【概要・所感】 陸軍軍人として知名度は高くないが、必ず出てくる名前が永田鉄山。将来の日本陸軍を背負う逸材で、「永田の前に永田なく、永田の後に永田なし」とか「彼が生きていたら日本はみじめな敗戦にはならなかった」と言われた存在の軍人でしたが、相沢三郎中佐に惨殺されました。いくら永田が頭脳明晰だと言っても、太平洋戦争は日本一国の事情(ましてや軍人ひとりの影響)だけで起こったわけではなく、米英中の存在や対応があり、選択肢のひとつとして戦争に踏み切ったという流れは承知していますが、少なくとも何か違った結末にはなった気がしました。
【ポイント】
*磯部(浅一)は、永田殺害の現場である陸軍省で、エリートである幕僚たちの周章狼狽を
見て、そこに「軍閥をたおす」好機を見つけた(p.26)
⇒二・二六事件の決起を間接的に促した
*東条を「型通りの秀才」とすれば、永田は「型にはまらない天才」(p.32)
*永田の所属する区隊の区隊長は金谷範三中尉だったが、永田は金谷に将来を嘱望されていた
という。金谷はのちに参謀総長に就任するが、その人物に将来を見込まれていた(p.38)
⇒中央幼年学校時代。陸大時代の教頭も金谷大佐
*岡村、小畑の二人は、特に永田と親しかった。この三人は「十六期の三羽ガラス」(p.42)
⇒他に土肥原賢二大将、板垣征四郎大将
*バーデン・バーデンの盟約(p.74)
将来の戦争は総力戦になることを考えればこのままの陸軍では対応できない。
大正10年、岡村、小畑、永田は軍の改革を誓い、陸軍の長州閥の排除を目標にしたとされる
*軍内部には永田らの一夕会のほかに、桜会があった。主宰者は、橋本欣五郎中佐。(p.79)
*永田は、その後、歩兵第一旅団長を経て、軍務局長になるが、注目すべきは、経歴における
陸軍省勤務の長さである。(p.98)
⇒陸軍省は編成、兵器、人事など軍政を司る機関。軍務局長は幕僚として大臣を支える
*主に軍政方面を歩んだ永田に対し、同期の小畑敏四郎は作戦面で才能を認められた。(p.98)
⇒永田と小畑を並べて、「前者は軍政の第一人者、後者は統帥の権威」
荒木貞夫 「こと作戦に関しては、陸軍広しといっても小畑の右に出るものはいない」
*二葉会と木曜会が合流してできたのが一夕会である。(p.100)
⇒バーデン・バーデンの盟約を経て、二葉会を結成。この動きに影響を受けた鈴木貞一が
木曜会を結成。石原莞爾も参加。その後、対ソ・対中戦略をめぐって統制派・皇道派に分裂
*相沢をはじめとするいわゆる青年将校は当初、別の問題意識から「国家革新」を唱え、やがて
皇道派と共闘関係になった(p.127)
⇒荒木の大らかで精神論を信奉する態度は、青年将校に好感を持って受け入れられた
*荒木の陸相時代である昭和七年頃、小畑は参謀本部第三部長、永田は同第二部長であった。
荒木陸軍大臣であるから、両者の直接の上司でない。しかし、小畑は荒木のもとをたびたび
訪ね、荒木もまた小畑の話をよく聞いた。(p.139)
⇒永田は秩序や統制を重視し、逸脱を嫌ったので、陸相の私的顧問になっている小畑を快く
思っていなかった?
*真崎のほうが荒木より知恵者と見られていたようで、二人の全盛期は「荒真時代」と呼ばれ、
なかには「荒木は真崎のロボットだ」という者までいたという。(p.143)
*荒木が陸相の間は皇道派が優勢であり、彼らの天下だった。=中略= 病気を抜きにしても
荒木の辞任は時間の問題だったとの指摘もあり、予算獲得に失敗した荒木は幕僚たちの信頼を
失い、その地位は不安定なものとなっていた。=中略= 荒木は当初、真崎を後任の陸相に
据えようとしたが、閑院宮参謀長に拒絶される。(p.146)
⇒陸軍三長官の後任人事は三長官の合意で決める慣例。閑院宮は自分を差し置いて好き勝手に
振る舞う真崎参謀次長に嫌悪感を抱いていた
*林(銑十郎)陸相のもと、いよいよ永田軍務局長が誕生する。この時五十歳、階級は少将で
あった。林は荒木や真崎と近しい関係にあったが、二人が威を振るう状況については快く
思っていなかったようだ。そこで人事の目玉として永田を軍務局長に持ってきたのである。
(p.147)
⇒永田の局長就任は周囲も待望していたが、林は特に熱心だった
*永田の死がおよぼした影響で最も大きいのは、統制派を取りまとめる人材がいなくなったこと
であろう。永田が亡き後、軍を率いることになったのは東条英機らだった。(p.202)
⇒永田の一期下の東条は傍で見る目も羨ましいほど仲が良く、永田が東条を引っ張る関係
*永田氏の叡智の前に東条氏は永田氏に師事している格好である。だが、闘志になると、東条氏
のそれは凄まじく、猛烈な断行力、何者にも屈せず驀進する鉄のような力は、東条氏の最も
得意とするところである。(p.202)
⇒騎手なき悍馬。東条は永田のような包容力をもたないゆえに多田駿や石原莞爾と衝突した
*昭和天皇は東条の真摯な態度、緻密な頭脳を高く評価している。東条が悪く言われるように
なったのは、東条の兼職の多さ(首相・陸相・参謀総長など)と憲兵の使いすぎが原因と
述べている。(p.223)
『最後の参謀総長 梅津美治郎』岩井 秀一郎(祥伝社新書 2021.12)
【満足度】★★★
【概要・所感】日本が無条件降伏を受け入れ、代表としてミズーリ号に乗り込んだのが梅津美治郎大将です。彼は東京裁判でも沈黙を守り、自らについて多くを語らなかったのですが、重光葵にして“東條より板垣よりも先に陸相となっていなければならない。梅津を重用していれば軍の統制は取れ、あるいは戦争になっていなかったかもしれない”と言われ、軍の内外からも“梅津が一番しっかりしていて正しい“という評判があったようです。在任中、親分肌の軍人ではなく、統制派や皇道派にも属さず、愚直に軍内の秩序を重んじ本務以外に関わることを嫌っており、それに陸軍大学首席で卒業の優れた頭脳の持ち主だったため、警戒の目で見られることも多々あったようです。陸軍軍人にしては稀有な人物だったからこそ、二・二六事件後に陸軍次官として粛軍、ノモンハン事件後に関東軍司令官になり国際紛争を起こさせず、そして終戦前の1944年7月に参謀総長に就任し、終戦処理という大きな後始末ばかりを任されました。幹部として戦争を止められなかった責任はあるにしても、こういった軍人がいたことは知っておいていいと思います。
【ポイント】
*梅津は明治四十四年十一月に陸大を卒業するが、この時に成績は主席だった。=中略= 永田
鉄山が二番の成績だったことからも、いかに優秀な頭脳の持ち主だったかがわかる。(p.26)
*現役武官制が内閣を倒す道具として使われてしまうが、そもそもの目的が「皇道派の復活阻止」
にあったことはまちがいない(p.53)
⇒軍が大臣を出さなければ組閣出来ないが、それは政治への介入強化ではなく、二・二六事件
で追放された皇道派の大物たちが大臣になる道を防ぐため
*陸軍省はトップに陸軍大臣がおり、次官、軍務局長がいる。ただし、命令系統として次官の下
に軍務局長がいるのではなく、次官はあくまで陸相の補佐役であり、軍務局長は大臣に直接
つながり、その幕僚として大きな権限を振るった。(p.56)
*参謀本部の改正が石原大佐のイデオロギーで行われたのに対して、陸軍省の改正は梅津中将の
イデオロギーで行われたといっても過言ではあるまい。(p.58)
⇒兵務曲の新設・軍務課の設置。改正前は群務局長と呼ばれるほど書類の決裁に追われ、
大臣の補佐が疎かになっていた
*「宇垣内閣」に反発したのが参謀本部作戦課長の石原莞爾である。(p.62)
⇒宇垣内閣阻止、林銑十郎へ大命降下、陸相に板垣征四郎を配置すれば完成という段階にきた
*柴山兼四郎 =中略= 日中が戦争状態に突入した時は軍務課長として、早期の和平にも尽力
している。外務省東亜局長を務め、=中略= 「陸軍部内で最も正しく中国を理解する第一人
者」 =中略= この柴山がもっとも尊敬し、評価していたのが梅津だった。(p.70)
*二・二六事件以降、陸相は寺内寿一、中村孝太郎、杉山と三人を経てきたのに対し、次官の
梅津はずっと同じ地位にいる。下を見ても要職の軍務局長は磯谷廉介、後宮淳と交代して
いる。(p.83)
*多田駿は中国文化に深い造詣を持ち、陸軍でも屈指の中国通と言われた人物である。石原とも
旧知の仲で、石原以上とも言える日中戦争不拡大論者だった。(p.91)
*梅津への信頼は、五年間という異例の長期間関東軍司令官を任されたことでも証明されて
いる。(p.131)
⇒満州事変以降、大中将の最古参を選ぶことになっていたが、梅津は二十数名の先輩を飛び
越し、重責に就いた。在任中は一度も国境紛争を起こさせなかった。
*阿南は、「皇軍本来の姿に還元」するには、杉山や山田では物足りなく、同郷の先輩である梅津
こそ、その任に相応しいと考えていた(p.134)
*参謀本部戦争指導班の種村佐孝大佐によれば、「(東條のあと)誰を陸軍大臣にするかは一に
梅津参謀総長の発言如何にあった」(p.148)
⇒教育総監だった杉山元帥を推し、東條の予備役編入まで言及。人事は思い切った決断
*小磯内閣で最初に行われた目立った施策は、「最高戦争指導会議」の設置である。(p.150)
⇒首相も軍事に参加可能に。それまでは「大本営政府連絡会議」という情報共有の会議
*梅津総長は、すでに陸軍次官時代、幕僚の越軌沙汰に苦労しただけあって、重要事項は幕僚の
意見を用いなかった。=中略= 梅津大将が、杉山元帥をリードし、杉山は梅津にさからわ
なかった。梅津は天皇にも親任篤く、彼が陸軍を代表している感があった。だから、この頃の
陸軍は、稀に見る静穏で幕僚の越軌行動も殆ど目だつものはなかった。(p.156)
⇒東條は参謀本部との連携に苦労し、最終的に自ら総長まで兼ねた。そのときの総長は杉山
*梅津の部下の使い方には、=中略= 陸軍次官時代は柴山兼四郎、関東軍司令官時代は田村
義富、参謀総長時代は種村佐孝というように、誰か一人信頼できる部下を見出し、その人物を
懐刀として使うことだ。(p.156)
*梅津が戦争継続論を唱えた話を聞き、これを父に問い質してみた。=中略= 「バカ、いやしく
も全日本陸軍の作戦の総責任者として、もう戦争は出来ません、などという無責任な発言が
出来ると思うか」と一笑に附された。(p.195 長男・美一談)
⇒表面強硬論を唱えながら、少しずつ和平に向けて陸軍の軌道を動かした
*梅津は、まさしく「合理」の人だった。阿南は、「徳望」をもって慕われた。=中略= 阿南は
梅津に国家の後始末の役割を頼み、梅津は屈辱に耐えて、ミズーリ艦上に立った(p.232)
*昭和二十年三月と言えば、すでに硫黄島の戦いが佳境に入っており、ドイツは無条件降伏直前
=中略= 細菌兵器の使用は、まさしく「人類に対する戦争」になっていただろう。梅津は、
これをギリギリの段階で阻止したのだ。(p.234)
⇒米内海相も承認し、決行待ちだったが、「人道的に世界の冷笑を受けるだけだ」と中止させた
*梅津は満州時代に此人ありと云われた人、冷静にして思慮稠密にして折り目正しき将軍で
ある。(p.237 重光葵)
『罰ゲーム化する管理職』小林 祐児(集英社新書 2024.2)
【満足度】★★
【概要・所感】著者はパーソル総研の研究員。今やなりたくないものの筆頭・管理職が「罰ゲーム化」している事態を攻略するアプローチを提案。過酷な現状の分析から「罰ゲーム」の終わらせ方、そして管理職としてのやりがいや本来の使命も提示する。
【ポイント】
*性別役割分業意識を背景に、仕事を通じて女性にモテたり、妻子を経済的に支えようとする、
マッチョで男性的な規範があることによって、たとえ管理職が「罰ゲーム化」しても、「大変
だが、やってみよう」と覚悟を決めていく男性が現れてくれる(p.55)
*ピープル・マネジメントの問題は「管理職向けの、対人スキル・トレーニング」へと偏って
きます。(p.160)
⇒対人関係という相互行為の問題を「管理職の側のスキル」で解決しようとしている根本的誤り
*「罰ゲーム」に苦しんでいる管理職は、忙しいにもかかわらず、自ら能動的に動く「アクション」
が多すぎます。(p.215)
⇒会議に出過ぎ、指示を出し過ぎ、プレイングし過ぎ、働き過ぎ
*「全体のタスク量のシェア」ではなく、「期待水準のすり合わせ」(p.217)
⇒目の前の仕事が必要に見えているからこそ行動している。期待水準もUPしている
『ドンキはみんなが好き勝手に働いたら2兆円企業になりました』吉田 直樹(日経BP 2024.9)
【満足度】★★
【概要・所感】PPIHのCEO吉田氏、上席執行役員の森谷氏、博報堂クリエイティブDの宮永氏による共著。同時期刊行の「進撃のドンキ」の姉妹本という位置づけです。ドンキはある種、本部からの制約なく自由に売りたい商売人気質の社員は働きやすいように思います。“好き勝手”という言葉の響きは魅力的ですが、創業者の安田隆夫氏が記した企業原理「源流」を理解した上で、、その枠の中で考えながら継続してやり続けるのはそれはそれで逆にしんどいシステムかもしれません。
【ポイント】
*現代の消費者にとって、日常の買い物の多くは「義務的行動」(p.228 宮永)
⇒「こっちのほうがいいじゃん!」と違う定番に入れ替わる。その発見の楽しさがドンキにある
*権限委譲とは、プロセスコントロールをしないこと(p.276 安田会長)
⇒ドンキでは丸投げしないマネジャーは評価されない。決められた範囲を深く狭く任せる
*競争意識がないと、結果に対するこだわりが減り、失敗でも成功でもどっちでもいいや、
となってしまうため、失敗の確率が増える。つまりリスクが増すんですね。(p.291 吉田)
『部下に「困ったら何でも言ってね」はNGです』伊藤 誠一郎(日本実業出版社 2023.1)
【満足度】★
【概要・所感】若手社員育成が専門のコンサルの著者による昨今の若手社員の傾向と対策。若手の社員のことを理解し、若い力が伸びる環境をつくるノウハウや良好な関係を築くためのポイントを紹介。本書に書かれているのは一般的な若手社員の傾向でしょうけど、年長者や上司が一方的に本書のノウハウを使うのも危険な気はします。上司は「声だけかけてマネジメントしている感」を戒めないといけないし、部下の「待ちの姿勢」を助長しないよう留意が必要です。
【ポイント】
*「品質を高めるために練習することは、仕事上の義務になります。しかもその良し悪しを
決めるのは、お客様である第三者です。」(p.172)
⇒仕事・義務・給料が発生している・社会人・品質(自信があるなら手本に)がキーワード
『脳から見るミュージアム』中野 信子・熊澤弘(講談社現代新書 2020.10)
【満足度】★
【概要・所感】 東京芸大准教授の熊澤氏との対談形式。全体を通して深い話は無く、美術館やアート、学芸員にまつわる雑談といった感じ。かと言って、読みやすい訳でもなく。タイトルの「脳から見る」となっていますが、脳は関係がなかったです。中野さんの鑑賞法でキュレーターの作品の並べ方や、美術館がこの時期にこの個展を開催した理由など、作家以外の視点も考えて「問いを立てる練習をしながら観る」というのは若干、参考になった程度でした。