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コスパだよ、ライダーは! CB650Rと時々登山(ダンチマンのブログ)

バイクと登山のブログです。時にギターを弾いたり釣りに出掛けたり、キャンプもします。モータースポーツ大好き。家族の記録も兼ねております。ごった煮ブログです。

同じバイクに乗り続けて13年。

飽きが来ないと言ったら嘘になる。
ヤフオクでタンクカバーを見つけたのでポチっとな。
 

 
 
 
後付け感、ありまくりですが、これはこれで
よしとします。
 

安倍公房の名著。

なんだろう。この読後感は・・・。

唯一無二といっていい世界だと思います。

昆虫採取が趣味の男が砂山に覆われた村に迷い込む場面から物語が始まります。

砂掻きをしないと埋もれてしまう廃屋を守り続ける女。

一宿一飯で終わるつもりが、男を逃がすまいとする村人に脱出を阻まれ、女と延々と続く砂掻きをする生活に陥ります。

あの手この手を使って脱出を企てるも、砂の壁を乗り換えられず、いや乗り越えても村人達の執拗な追跡に会い、女との共同生活に戻される男。

やがて女が妊娠したことが分かると同時に、ふとしたから脱出方法を発見し実際に脱走に成功するが・・・。

いつでも脱走することはできるんだ。それよりもこの脱出できる方法を伝えたい。伝えれらるのは・・・、そう女しかいない。

自らの意志で再び女との生活に、砂を掻き続ける生活に戻っていく男。

 

誰しもが現状を変えたいという思いに刈られたことはあるのでしょうが、決断ができない。いやそもそも現状を変えたところで、本当によりよい未来が待っているのか確信が持てない。そもそも俺は今の暮らしの何が不満なんだ、いやいや案外悪くないだろう。結局現状が居心地がいいんじゃないか。

今の自分の生活にあてはめてそんなことを考えてしまいました。

20か国語に翻訳され、今なお高い評価を受け続けるいう「砂の女」。

そう、読後感が砂のようにまとわりつくのです。

 

去るGWに北アルプスの蝶が岳(2,677m)に挑んでみました。

先ずはお決まりの上高地からのスタート。

 

人間の真横を悠然と野生の猿が歩いていきます。

距離にして2mほど。人間の方がビビってました。

フキノトウがびっしりと。てんぷらにしたーい!

 

横尾のキャンプ場にて。夜は寒いです。

 

寒いはずです。テントの外は雪が積もりました。5月はまだ冬山。改めて実感しました。

 

森林限界を超えると一気に吹雪に襲われます。




立つのもやっと。穏やかな春山登山になるはずが、烈風吹きすさぶ冬山登山になってしまいました。

結局登頂はあきらめすごすごと下山。

下界は晴れていたようですが、2,000mから上は嵐でした。登山はコンディションが整わないと難しいですね。

 

 

 

 

かの吉村昭氏の名著。吉村氏の著作は3冊目になります。

1冊目は三陸大津波。3・11の時に改めて注目されて初めて読んみました。

徹底的な聞き込みと郷土資料の調査により、明治以来3度も大津波に襲われた三陸地方の悲劇を伝えています。

2冊目は熊嵐。

3冊目がこの漂流。

 

1700年代江戸時代、土佐の漁師、長平が時化に会い、仲間とともに遭難。

今の小笠原列島、鳥島に流れつき12年の歳月を過ごす話です。

時化にあわなければ一介の漁民としての人生を全うしたはずのに、絶望に打ち勝ち水も出ない無人島で生き抜く術を見出し、流れ着いてくる漂流民とともに力を合わせ自力で日本に生還します。

もちろんこの作品でも吉村氏の取材力が威力を発揮します。

生前の長平に会うことは当然できませんので伝承の聞き取りや風土記が元ネタなのでしょうが、仲間との会話や長平の心の内に触れているとあたかも直接長平に聞き取り調査を行ったかのような錯覚を起こしてしまいます。希望を捨てず、仲間を見捨てず、規則正しい生活を守り、神仏に祈り続けるさまからは、江戸時代の庶民の平均像が垣間見えるとともに何とも慎ましく謙虚に生きていたのだなぁと感じました。

帰還してからは一切のセリフがなくなるのも読者に想像力を膨らまさせようとする仕掛けなのでしょう。

素晴らしい本でした。

 

 

 

探検家、角幡氏による北極圏を歩いたルポです。旅の記録であるテーマは「光と闇」。
物語は第一子の誕生シーンから始まります。一見、主題と関係にないように思われますが、本作の主題となります。
北極圏を旅した記録はいくつか存在しますが、他と違うのは本作が冬季の極夜の旅であることでしょう。4ヶ月ほど極夜が続く真冬のグリーンランドを旅した記録は殆ど見当たりません。24時間、一度足りとも日が昇らないばかりか、空が薄明を差すこともありません。気温もあがらず、距離感も掴めず、旅は困難を極めます。
何故、極地の極夜を旅するのでしょうか。その答えを求めるにあたっては「探検」という言葉の定義から考えなければなりません。wikiによれば探検とは未知の地域へ赴いてそこを調べ、何かを探し出したり明らかにする行為であり、一般的には危険が伴うものとされています。概ねその通りだと思います。早稲田大学探検部OBである著者は探検とは「人間社会のシステムの外側に出る行動」と定義します。換言すれば探検とは未知の追求としています。昔の探検は地図の空白部を目指すことを目的としましたが、現代では地図の空白部は存在しません。しかし太陽が昇らない極夜の旅となれば新しい未知が生まれるはずです。
更に著者は未知について表面的未知と根元的未知の二種類があるとしています。現在にも未踏峰はありますが、ヒマラヤやアルプス、それらの土地が持つ未知性は解明されています。従って未踏峰や未踏ルートの開拓は表面的未知の追求といえます。対して根元的未知とはその行為を取り巻く世界そのものが未知であるとします。なるほど。間違いなく極夜行は現代における探検、根元的未知を求める旅なのでしょう。
探検には危険が伴うと書きました。極夜行における危険に遭難があげられます。本旅においてgpsは携帯されていません。後述する理由によって衛星電話を携行していますが、gpsがなければ現在地を特定するには地図とコンパス、目視と体感に頼らざるを得ません。昼間であれば可能であるこれらの行為も極夜によって難易度が極度に上がります。即ち未知化されるのです。白熊。狼。セイウチ。ライフルを携行し犬も連れていますが、24時間夜の世界においてこれら肉食獣に対する十分な対策といえるのでしょうか。獣害もまた完全なるシステムの外側といっていいのでしょう。未知を究明するが故に探検は危険との遭遇でもあるのです。二度に亘るブリザードを乗り越えるも食料デポを白熊に食い荒らされたことで計画は頓挫。唯一の同行者、犬を食べることを計算にいれ始めます。極夜で展開される物語は全てが常識外。そして全編を通じて圧倒的な筆力をもって極夜の世界が描かれます。ノンフィクションならではの迫力といっていいでしょう。

また著者は月について多くを割いています。規則的に動く太陽と比べて、正中時刻や高度が毎日変わる月を感情的で情動的であることから太陽を男性的、月を女性的と分類しました。月は太陽に比べて光量が足りないが故に照らす世界を曖昧にします。岩を動物と誤認させ、現在地を惑わします。かつて著者が通った前橋のスナックのトップホステスAが言葉巧みに客を幻惑し、筆者をカモにしたように極夜の空間では月は絶妙な加減で光を投げ掛けてくるのです。そして人は(男は)どうしても都合のいいように解釈し、何度も落胆させられます。月は女なのです。

この壮大な試行錯誤は実に用意周到に練られたものでした。それは筆者の年齢によるところが大きい。
「私には人生の中で35歳から40歳という期間は特別な時間だという認識があった。なぜなら体力的にも、感性も、経験によって培われた世界の広がりという意味においても、この年齢がもっとも力の発揮できる時期だからだ。」と記しています。言葉通り、極夜行は著者の35~41歳にかけて、複数回に亘る綿密な現地調査の集大成として行われています。学生時代から探検に身をおき、経験値を積み上げ、自らのピークを計算し実行する行動力には感服せざるを得ません。私のようなありふれたサラリーマンにとっても示唆に富む視点ではないでしょうか。
苦楽の果てに旅は終盤を迎えます。極夜の終わりが見えつつも最後の最後までブリザードに苦しむ中、思い出されたのは長女の誕生の瞬間でした。出産の中心にいたのは拷問のような苦しみの中にいた妻ではあるものの、子供もまた真っ暗な母体の中から産道を通り、命がけの危険を冒して、光のあるこの世に生まれでてきます。
著者が極夜にこだわり続けた理由は自らの出産体験を追体験したい願望だったからではないかと発見します。妻がどれほどの混乱の中で子供を産み、自分がどれだけの不安を克服して産道を通過したのか、闇から光を見ようとしてもがいていたという点で本作の冒頭シーンに帰結するのです。
そして家族の誕生はもう一つの視点を投げかけます。
本旅では著者の流儀に反して衛星電話を携帯しています。準備期間中に結婚し長女が誕生したことで妻と二歳の娘を日本に残している状態で、外部との連絡手段を完全に放棄してまで極夜に臨むことは心情的に無理だったと吐露しています。脱システムが最も難しいのは太陽でもgpsでもなく家族だったのです。
今後の角幡氏にはますます注目せざるを得ません。人生を賭した旅が終わった今、新たな目標をどう設定するのでしょうか。確かに体力面ではピークはとうに過ぎているのですが、40代、50代の探検があるのではないでしょうか。同世代の自分としてもますます注目していきたいと思います。了。

我が家のカメは時々脱走します。

悠然と庭を闊歩していたかと思いきや、勝手に水槽に戻っていることもありどうやって柵を乗り越えているのか長いこと謎でした。

今日はその謎を解明すべく、カメを庭に放ち、張り込むこと30分。

 

とうとう、現場をおさえました。

金網に長い爪をひっかけて…、

ひょい、ひょいと・・・、

バランスを取りながら…、

 

ここまでくれば・・・、

ドボン・・・。首大丈夫か・・・?

傾斜角70°はあるはずなのですが、見事なムーブ(ボルダリングでいう手足さばき)でした。

 

 

 

 



東郷寺のしだれ桜。
満開となりました。











満開もいいですが、サクラは散りゆく姿が美しいと思います。


サン=テグジュペリの「夜間飛行」、古典新訳版(二木麻里訳)を読んだ。

以前、新潮社の堀口大学訳を読もうとしたのだが、言い回しがちょいちょい古く、ページがなかなか進まなかった。結局、燃料切れよりあえなくエンスト・・・。本はそのまま格納庫(本棚)の片隅に放置してしまっていた。
今回たまたま現代語版を発見したので手にとってみた次第。

20世紀初頭。まだまだ航空機の安全性が確立されていない頃の郵便航空会社の物語。
人間の尊厳と勇気がテーマになっているとか・・・。
とりあえず二人の訳者をいくつか比較してみると、

(二木麻里訳)
「『雷雲が厚い。こちらのレシーバーは放電音しか拾いません。』」
(堀口大学訳)
「『雷雲甚だしく、レシーバーは空電に満つ。』」

(二木訳)
「暴風雨などなんでもない。なんとか逃れる術はある。恐ろしいのはその前の気配だ。あんなものに遭遇することのほうだ。」
(堀口訳)
「颶風(ぐふう)はなんでもない。逃げ出せる。ただ、颶風に先立ってくる、あの恐怖にはまいる!」

(二木訳)
「ブエノスアイレスはこう返信を指示した。
『嵐は内陸全土をおおっている。燃料の残量は?』」
(堀口訳)
「ブエノスアイレスからは、次の返電を、ファビアン機宛に送れと命令して来た。
『暴風雨は内地全般にわたる。燃料なお、幾許(いくばく)ありや?』」

堀口訳の方が分かりやすい部分もあるけれど、矢張り二木訳の方がすんなり読める。
小説の舞台となった1930年代は第一次世界大戦で飛躍的に進化した航空技術を民間に転用することが始まった時代。いわば民間航空の黎明期といえる。
計器の発達により有視界飛行から夜間に計器を頼りに飛行する「夜間飛行」が可能になり、民間郵便会社が設立され鉄道や船舶と速さを競っていた。
しかし今のように快適な空の旅ができるわけなく、酸素マスクだってないだろうし気圧との戦いもあるだろう。分厚い飛行服を着ても上空6,000mにもなればマイナス30度はゆうに超えるだろうし、何よりも安全性が今のように確立されておらず、飛行機が行方不明になることもよく起こっていたらしい。

作者のサンテグジュペリ自身もパイロットであり、軍用機で曲芸飛行して着陸に失敗、頭骸骨陥没という大怪我も負ったり、メコン川やグァテマラでも同じく着陸に失敗するなど当時の飛行が如何に困難であったか自ら経験している。
その彼はその度に何とか生還している(もっとも飛行技術の面では必ずしも優秀なパイロットとというわけではなかったらしい。ただパイロットにかける情熱は人一倍で且つ勇敢でもあり第二次世界大戦では危険な任務である偵察飛行機に搭乗している)。

中でもリビア砂漠に不時着(墜落?)、砂漠のキャラバン商隊に救わるまでの経験が元になって、自ら挿絵も描いた「星の王子様」が生まれたというのは有名な話。

私生活もまた波乱万丈。一人目の奥さんにはあの手この手を使って飛行機に乗り続けようとするサンテグジュペリに愛想を尽かし、離婚。
「夜間飛行」「人間の大地」で莫大な印税を手にするも、二人目の妻女がまた浪費家で極貧生活に転落。そして離婚。

夜間飛行はそんな彼が見たであろう大空の世界をそのまま表現しているのだろう。
パタゴニアからブエノスアイレスに帰還する際、パイロット「ファビアン」と同乗する通信士は大嵐に遭遇。
やがて通信を断ってしまう。
ファビアンと通信士は嵐の中、必死で機を支え積乱雲の上空へ出る。
以下はその時の記述。

驚愕のあまり息をのんだ。あたりは目がくらむほど澄み切って明るかったからである。
数秒間、瞳を閉じてしまうほどだった。
夜なのに、雲がこうまで眩しくて輝くことがあるとは夢にも信じられなかっただろう。
だが満点の星と満月で、雲海は光り輝く波に一変していた。
(中略)
生死のはざまの不思議な異界にたどりついてしまったとファビアンは思った。
自分の両手も、着ているのも、飛行機の翼も、なにもかもが光り輝いている。
(中略)
うしろを振り向いたファビアンは通信士が微笑しているのをみた。
「状況改善!」と相手は声を上げた。
しかしその声は機体の駆動音にまぎれてしまい、二人が分かち合えたのは笑顔だけだった。
「我ながら頭がおかしいな」とファビアンは思った。「笑うなんて。二人とも、もう終わりなのに。」

パイロット目線の空の描写は見事である。映画「天空のラピュタ」や「紅の豚」の1シーンを連想してしまう。実際に新潮社版の表紙はあの宮崎駿が描いている。

墜落の恐怖と戦い、危険を冒してまで任務を全うしようとするかつてのヒコーキ野郎に、同じく危険を背負いながらもより困難な山を攻めようとする登山家と同じものを感じるのはきっと必然だろう。
(了)





数日前からの陽気でカメコ&カメミの冬眠が終わりました。いきなり脱走をはかったり私の指を食おうとするあたり、元気のようです。
ってかでかい。
亀の子タワシよりでかい…🐢。
泥の中から取り出した時はこんなにでかかったっけ…と狼狽えてしまいました。
現在7歳。あと10年は生きると思われ。



初めての免許は原付。

家の方針で成人するまでバイクは禁止。

で、成人した時に手っ取り早い原付免許を取得しました。

乗るならミッション付き!と決めていたのですが、学生にとっては燃費が重要だったので、4ST。カブタイプよりタンクがついているタイプがいいなと思いこれにしました。

 

ホンダのCD50ベンリィ。

今もスタイルこそ大分変りましたが、現行モデルですね。

驚くべきは燃費。リッター50kmは軽く超えていたと思います。ヤクルトサイズのエンジンでもしっかり大人1名を運んでくれました。

写真は富士山の山麓をツーリングした時のもの。オイル交換はもちろん、キャブレター清掃、チェーン調整とバイクの基礎も教えてくれました。

 

社会人になり、中免を取得。ずーっとオフロードのバイクに乗りたくてチョイスしたのが、これ。

ヤマハのセロー225。

素晴らしいバイクでした。とにかく軽い。確か乾燥106キロ。オフ車でありながら足つき性もよい。

週末はテントを積んで、とにかく未舗装路を探して走り回りました。

北海道の名もない林道にて。

セローの走破性と積載性は素晴らしかったのですが、高速道路は苦手でした。

軽い車体とオフ車特有の直立姿勢があだとなり、無表情(゜_゜)、口真一文字(-_-)で走る感じでした。

 

一通りオフ車を楽しんだので、オンロードバイクが欲しくなり選んだのがこれ。

ホンダGB250クラブマン。

250ccシングルで30psとパワー十分。燃費もリッター30キロ以上。

このくらいのサイズが何となく乗れてる感じがしていましたね。伊豆スカイラインかな。楽しいバイクでした。

世の中はドラマの影響でTWが流行りだした頃。バイク雑誌ではストリートバイカーズとかボーンバイカーズなんかを手に取ってましたね(笑)。

それらの媒体からの影響かカフェレーサースタイル(セパハン)に憧れて選んだのがこれ。

ヤマハSR400。

えっセパハンでない?

最初の1か月で腰痛になり、あえなくノーマルハンドルに戻しました(´;ω;`)ウゥゥ。

SRの最大の特徴はキックスタートですよね。

デコンプレバーを引いて、キックペダルをヒュコヒュコ。一気に踏み下ろすという儀式がバイク乗りを意識させてくれましたね。

写真は四万十川流域をツーリングした時のもの。

セローとSRは先日製造中止が発表されましたが、これほどの名車ですから、ヤマハさんもきっと新規制に適用させて復活させてくれるでしょう。

 

で、今の05年式のボンネに至ります。

 

お金に余裕があれば、CB1100とか、アフリカツインとか、乗りたいバイクはまだまだあるんですけども。

一度これに乗りたいですね。

F-15J

どこにも売っていなんですよね。どなたか譲ってくれませんかね・・・。