中東を取り巻く情勢は不穏というだけではとどまらない様相にありますけれど、何とかうまくやっていくことってできないものか…と思ったりするのは、どうやら遠くから目線以外の何物でもなかったようで。たまたま手にした『アーベド・サラーマの人生のある一日——パレスチナの物語』という一冊を読んで、パレスチナのことを何も知らなかったのであるなと、つくづく感じた次第でありますよ。

 

ヨルダン川西岸地区で園児たちの乗ったバスが燃えた。アーベドは息子を探して奔走する。占領とは何かを問う悲劇のノンフィクション。

本書の帯にはこうありまして、タイトルの「ある一日」とは長らくイスラエルの占領統治下にあるヨルダン川西岸地区で起こったバス事故の日を指すのですけれど、話は全く当の一日にとどまらないのですな。

 

子供をバスで送り出したパレスチナ人の親の一人がアーベド・サラーマなのですけれど、すべてが彼の視点で進むわけではないどころか、彼自身の生い立ちにも、そして事故に関わることになったパレスチナの人々、はたまたイスラエルの人々、それぞれの来し方なども振り返って、ヨルダン川西岸地区、ひいてはパレスチナのありようが浮き彫りにされていくわけです。

 

描かれるのは、イスラエスが占領し、当たり前のようにパレスチナ人が隅に追いやられ、様々な不都合を押し付けられ、それがどんどん拡大してきたようすが浮かび上がったきます。時々の戦闘状態は報道を通じても広く知らされていますけれど、長い年月をかけてじわじわとヨルダン川西岸地区を我が物化していくさまがつぶさに伝えられてきたと言い難い。

 

もっとも、知る心構えさえあれば、全く知ることができなかったわけではないのでしょうけれど、恥ずかしがらその目をおよそ持つことがなかったわけで…。

 

パレスチナの幼稚園児に多数の死傷者を出したバス事故自体は何とも悲惨な出来事ではありながら、その事故が生じ、被害が拡大してしまった背景には、イスラエルによるパレスチナ分断政策があるのであると。地区内にはイスラエルの入植地の治安を守るためでしょうか、分離壁がモザイク状に張り巡らされ、そこここに検問所が設けられている。

 

イスラエル側からはともかく、パレスチナ側から通り抜けるのは全くもって簡単なことではないのでして、地理的には分離壁を横断する形でパレスチナが救急車を通過させたくても、ことごとイスラエル側の許可が必要で、それには通常何日もかかるのであるとか。緊急の用を全くなさないのではなかろうかと。

 

さらにイスラエル側の緊急車両の方が現場には近いはずなのに、パレスチナ側の事故と知ってか、対応は至って緩慢なのですな。加えて、イスラエルの若者の中には事故の報に接して、「将来のテロリストが減った」と快哉を叫ぶつぶやきまでが駆け巡ったそうな。

 

ことの根深さを突き付けられる気がしたものでありますよ。何せある程度の年齢のいった(それこそホロコーストを自らか、家族の誰かが直接経験したというような)保守的な世代でなくして、若者が…というあたり、かつて根絶やしにされそうになったユダヤ人が今度はパレスチナ人を根絶やしにしようとしているのではないかという状況が、この先も続くと予見させられてしまうのですから。

 

長い長い歴史を通じて、人間はいろいろなことを学んできたはずですのに、今でもといいますか、この先の可能性としても、対立の構図といったものがなくならない、結局人間とはそういうものであるのか…と暗澹たる気持ちになってきますですね。

 

決してそういう面ばかりではないと思いたいところではありますけれど、あちらこちら(日本に限った話ではありませんが)で「〇〇ファースト」てな言葉が喧伝されて、つまりはファーストに値する対象とそうでない対象とを分離・分断して考えようとする風潮にあるような気も。

 

ほどなく行われる選挙では、SNSなどの言説に惑わされず冷静な投票行動を!といった呼びかけがニュースなどで言われていますけれど、それこそ角田光代の『方舟を燃やす』の話ではありませんが、「何を信じるのか」(何を信じて投票するのか)ということでは熟慮が必要だと言われなくてはならないご時世なのでしょうか。

 

イスラエル・パレスチナのことを思えば、負のスパイラルなんつうことでは表しきれないところはありますけれど、流れを変える術はあるのだと思いたい今日この頃でありますよ。

早くから暑い暑い日々が続くだけに、子供たちは「早く夏休みにならないかな」という思いを強めてもおりましょうかね。そんな折、記憶の奥底に埋もれていたものがふいと顔を覗かせたような次第。もっともその記憶の欠片が果たして本当の記憶であるのかもあいまいなのですけれどね。

 

昔々の夏休みの晩、小学校の校庭にわらわらと人が集まってくる催しが開催された(ような気がしている)。催しは映画の上映会、VODはおろかビデオ録画もない時代、映画を見る機会は映画館に行く以外にはありえなかっただけに、子どもも大人もこぞって集まったのではなかったかと。

 

といって何が上映されたものであるのかは全く記憶にない(だからこそ、記憶が嘘をついているのかもと思うわけですが、それはともかく)ですが、どんな内容、それが教育映画の類であってもニュース映画の類であっても、参加者はかなりの数に上ったことでありましょうね。映画のお楽しみを求めて。

 

とまあ、そんなことを思い出してしまったのはチャン・イーモウ監督作品の映画『ワンセカンド 永遠の24フレーム』を見ていたときのことでありまして。

 

 

話は1969年、文化大革命下にある中国ですので、そんなに懐かしい、楽しいてなことを言っておられるものでもないわけですが、そうであったとしても、一本のフィルムを次から次へと上映会場につないでいって、村々で順繰りに開催される映画会にはそれこそ村中の人たちが詰めかけてくるのですよね。時が時だけに、上映作品は共産主義プロパガンダを大衆受けするアクション映画で包み込んだらしき『英雄子女』(どうやら本当にある映画のようで)ですけれど、これを村人たちは心待ちにしているわけで。

 

「これはいい映画だ」と言う人がいるあたり、おそらくは何度も上映機会が巡ってきて、同じ映画であったも何度も見る。映画に接する機会が限られておればこそのことでしょう。かつて、映画館以外ではTVのロードショー番組(日本語吹替版であったのは当然のこと)で見るしかなかった昭和の子供も、同じ映画を放送のたびごとに何度も見てましたものねえ。『荒野の七人』などの西部劇やら、ショーン・コネリー主演時代の『007』初期作あたりはいったい何度見たことでありましょう。

 

と、我がことはともかくとして、本作の中では村に巡回してきた映画フィルムがあろうことか、砂まみれになってしまうというトラブルが発生(広大な砂漠の縁にある村が舞台なのが、本作の映像上のポイントでもありますね)、上映技師の指図のもとに村人総出でフィルムのクリーニング作業に邁進した結果、なんとか上映にこぎつける。そうまでしても、映画が見たいのですよねえ。

 

この映画の主人公は文化大革命のとばっちりで単なる喧嘩が原因で強制労働の科を受けるも、逃げ出してきた人物なのですから、現在の中国で言いたいことがストレートに言えるかは難しいような気がしますが、映画の主題はここまでに触れたような映画愛、映画オマージュではないとは言えましょう。そうではあっても、やっぱりこれはチャン・イーモウ監督の映画に対する愛情の顕れではなかろうかと。

 

ともあれ、そんなこんなに思いを馳せますと、映画というものが総体として質の低下が見られるとかそういうことでは全く無いだろうにも関わらず、かつてとは比べ物にならないほどお手軽なものになってしまいましたですねえ。お手軽に見られること自体は便利になったと言えましょうけれど、結果的に映画は消耗品になってもしまったような。まあ、個人的にもそういった消費形態に入り込んでしまっているともいえるのですけれど、この映画の砂漠シーンこそ大スクリーンでみるべきだったかもです。

ふと口を吐いて「この服、ちゃんと着れてる?」てな言葉が飛び出したのですな。刹那、「あいやあ、ら抜きを使ってしまった…」と独り言ちてしまった次第でありますよ。

 

予て(といってもはや何十年からにもなりましょうかね)「ら抜き言葉」の舌足らず感がどうしても気になってしまっており、先のひと言でも、照れ隠し的に問わず語りで「着られてる、か」と言い直したりする抵抗力は今でも持ち合わせておるところながら、世の中的にはすでにウイルスのように「ら抜きパンデミック」は定着してしまっておるようす。てなことを言っている口にもしっかり蔓延の手は及んでいたといえましょうか。

 

ともすると、もはや「ら抜き言葉って何?」てなことにもなってきているかもしれません(敢えてここで説明を試みようともおもいませんです、はい)し、無駄な抵抗を継続するのも単に時代の流れに逆らっているだけかもしれませんですね。言葉は常に移り変わっていくものでもありますし…。

 

と、そんなことを思い巡らしましたのも、今朝の新聞コラムで「ぎなた読み」という言葉が出てきまして、「ああ、そういう言い方をするのであったか」と(今さらながら)思ったのでありまして。文を読む際に区切りを間違えて、意味を取り違えることを指して「ぎなた読み」とは、この言葉自体は知らなかったもので(恥ずかしながら)。

「弁慶がなぎなたを持って」という一文を、本来「弁慶が、なぎなたを持って」と読むべきところを「弁慶がな、ぎなたを持って」と読むように、句切りを誤って読むことに由来する。

Wikipediaに曰く「ぎなた読み」と呼ばれる由来はかようなことなわけで、昔から聞くことながら無理のある例ではなかろうかと。むしろ、他の例として挙がっていた「ここではきものをぬいでください」の方が取り違えの可能性のある例ですかね。曰く「ここで履き物を脱いでください」と読むのか、「ここで着物を脱いでください」と読むのか。

 

まあ、この「ぎなた読み」に少々引っ掛かりましたのはつい先日、夕方のニューズ番組の中で、昨今は同じ言い回しが世代間で異なる受け止め方になる事例が思い出されたからでもありまして。ひとつには「7時10分前集合」と聞いたとき、あなたなら何時に集合場所に行きますか?というものでして。

 

そも、7時10分前集合と聞いて、つまりは6時50分に集合すればいいのだあねと考えるのは、今では必ずしも共通認識ではないようなのですねえ。特に若い世代の間で「7時10分前集合」と聞くと「7時10分の少し前に行けばいいのね」と受け止められているのであると、いやはやです。古い世代はというか、旧来の受け止め方では当たり前のように「7時の10分前に集まるのだね」と考えたわけですが…。

 

ただ、これはよくよく考えてみる(までもないのですけれど)と、状況設定が舌足らずに過ぎるような。だいたい集まる時間を決める際には集まってその後に何かする理由があるでしょうから、例えば映画を見るとして上映開始が〇時だからその〇〇分前とかいうように。先に決まった時間があるのに先立ってと思えば、先の事例では7時に映画が始まるとしてその10分前とは自明になりますし、7時10分の少しまでは映画が始まってしまっているわけですしね。

 

もっとも、時間の決まった何かが控えていなくても待ち合わせをすることはありましょうけれど、その場合には7時10分という微妙な時間で待ち合わせることってあるのでしょうか。何事もデジタル化しているご時世だけに無いとはいえませんけれど、昭和な者になっては中途半端感ある時間設定をされると「なにそれ?!」という気がしてしまうところですが…。

 

もひとつ、先のニュース番組にで紹介されていたの方はもう「ぎなた読み」とは全く関わりないことになりますけれど、「1000円弱」とはいくらぐらい?という認識の仕方でありましたよ。

 

これも当然の受け止め方として、1000円に少々足りない額、つまり900円台後半くらいかなと想像するわけですが、どうやら異なる受け止め方が存在する。しかも、これには先の時間の例よりも年代間のばらつきではない個人差があるようで。

 

ある人たちの答えて曰く、「1200円くらいかな。1500円はいかないでしょう」と。こう考えるロジックはどうやら「1000円プラス若干の金額」ということにあるようで。どう発想するとそういう理屈に至るのかが、個人的には想像しかねるところながら、街頭でかように答える人たちが確かにいるという現実に、「ふ~ん」てなものでありましたですよ。

 

「ら抜き」に限らず、インターネット上の書き言葉、TVなどを通じて聞こえてくる話し言葉のあれこれに、都度都度「む?!」と思うことが多く、それをひとつひとつ挙げることはしませんが(時折、こぼすことはあります、笑)、その数はだんだんだんだん増えていっている。そのたびに「!」と感じていては、ストレスが溜まる一方なので、近ごろはできるだけスルーするようにしてますが、たまには今回のようなこぼしをしておかないと不健全なことにもなりかねない。ま、きわめて個人的なことと言わざるを得ない昨今なわけですが…(苦笑)。

昨日(7/6)のEテレ『日曜美術館』は「ジャポニスム 西洋を変えた“美の波”」という内容で、面白くも思い巡らしどころの多い話でありましたですねえ。ただ、食いつきどころは番組の本筋とは些か異なるあたりかとも。

 

1867年のパリ万博に出品された江戸期・日本の美術工芸品などなど。フランスはもとよりヨーロッパの人たちは異国情緒が濃厚に漂う珍奇な品々に目を奪われたようでして、分けても浮世絵は元々かけそば一杯の値段で江戸っ子に売りさばかれていたものだけに、エキゾチックなその品を彼の地でも欲しいとなれば(価格的には)手に入れやすいところでもあったかと。

 

そこで誰が目をつけたのかは分かりませんですが、「安価な団扇絵が1年に80万本輸出されるなどブームは一般人にも広がった」(番組HP)のであるとか。確かにブームがあったのであろうことは、モネやルノワール始め印象派の画家たちなどが残した作品に団扇が描きこまれている事実が示しているようで。

 

これまでジャポニスムが意識された絵画なのであるな…とぼんやり見ていてしまいましたけれど、それが団扇絵であることを認識しておりませなんだ。で、これを機会にと紹介された作品群をしげしけ眺めやれば「!」と。折しも一昨日(7/5)にNHK『探検ファクトリー』では「うちわ生産量日本一の香川・丸亀市にある工場」(番組HP)を訪ねていたのだっけと思い出したわけでして。

 

なんでも丸亀を筆頭にして、日本には「三大うちわ」というのがあるそうで。何も巨大なうちわということでなくして(誰もそういう勘違いはしないですかね…)、生産量が多いのか、伝統工芸品として残っているということなのか、はたまたその両方であるのか。…。ともあれ、丸亀うちわ、京うちわ、房州うちわ(千葉県ですな)をして、日本三大うちわであると。それぞれ作り方に個性があるようです。

 

で、先ほどまでの話とどうつながるのかと申しますれば、フランスの絵画に描きこまれた団扇絵のうちわそのものに着眼にしますと、個性の異なる三大うちわのそれぞれの特徴が見てとれるではありませんか。そのことに「ほお!」と思ってしまったわけなのでありますよ。

 

気候風土による自然素材を活かした工芸品が(いわゆる産業革命が遅れて入ってきたこともあり)日本には数多くあるわけで、そこに職人魂が込められることもあってか、日本では美術と工芸の境界線がとてもあいまいとはよく言われるところではなかろうかと。

 

それに対して欧米ではヴィクトリア朝英国のアーツアンドクラフツ運動が巻き起こるまで、アートは高尚なもの、クラフトは普段遣いの陳腐な?ものと区分けられて、作り手に対する意識も大きくことなっていたような。

 

そこへもってきて、実用品以外の何物でもない団扇に装飾として絵が付いているも、その絵を手掛けたのは日本の一流絵師たちである(それが安価で買える)ということにも、大きな衝撃を受けたのではないですかね。そして、輸入した側が気付いていたかは分かりませんが、そんな一流絵師の作品がどこの産地のうちわにも配されている(独占契約とかいったことでもなしに)のもまた驚くべきことだったかもです。

 

それだけ、一流絵師として人気があったとしても、浮世絵バブルのような状況が日本では起こってこなかった。背景としては何かと華美を戒める幕府のお達しが出されてもいましたし。ですが、そんな世の中にあって、普段遣いのうちわであってさえも、人気絵師の手になる団扇絵が施されたものを使うことで、生活に彩りが加わる、心が和む、そんなささやかな幸福感を江戸期のひとたちは敏感に感じていたのかもしれませんですね。

 

この敏感さ、繊細さはよく言われるように、日本の「おもてなし」の美感に通じてもいるような。『日曜美術館』のトークでも余談的に、日本の包装の仕方に触れていましたですねえ。一概には言えませんが、デパートなどで買い物をしたときに、売り場の方が品物を包装するその技術は日本に優るところ無しなのではと。ぴしっとくるまれていることの美感と清々しさ、店員から顧客へのおもてなしですし、買った客がお遣い物として渡す先へのおもてなしもまた含んでいようかと。

 

個人的な経験として、ドイツ・フランクフルトのショッピングモールで紅茶のセットを買い、包装してくれた店員さんが悪戦苦闘しているようす、なおかつ仕上がりの杜撰さに驚きを隠せなかったことを、ふいに思い出したりもしたものです。

 

てなことを言っていますと、ともすると日本人を優位性を喧伝するナショナリズムのようにも見えてしまいそうですけれど、それぞれの国・地域がそれぞれに独自の文化を育んできた結果というだけのことなのでありましょう。ただ、世界中のことが簡単にあれこれ知れるようになっているご時世、比べてみて「どうだ、すごいだろう」ということよりも、「ああ、大事なことが昔から続けられてきたのであるなあ」と思うことの方が肝要ですかね。

 

考えてみれば、気候風土に関わって普段の生活を彩る雑貨なり、風習なりを「昔のこと」、「何の科学的裏付けもない」として切り捨てるのは、日々のうるおいという点では寂しいことなのかもしれません。

 

折しも今日(7/7)は七夕で、向かい合う牽牛と織姫にとっては大事な日でしたなあ。科学的にはアルタイル(牽牛星)とベガ(織女星)は、実は奥行き(地球からの距離)がかけ離れて違っていると分かっていて、隣り合っているどころの騒ぎではないわけですね。

 

つまり七夕の伝説は、それこそ伝説でしかないのですけれど、旧暦で盛夏にあたる暑い暑い時期に、かすかな風にそよぐ七夕飾りを笹に飾って、わずかな涼を得る。夜になると、夕涼みがてら星空を見上げて伝説の星々を眺めやる。そんなことごとが、日本ではありきたりの毎日の中で日々に美感をもたらす術ともされてきたのでありましょうかね。

 

そういえば、近ごろは(あちこちの商店街の祭りはともかく)七夕飾りを飾るという家も見かけなくなってきたような。ばかばかしい伝説であることはともかくも、そこから生み出された風習がもたらしていた夕涼み感、これは記憶されていいことのような気がしたものでありますよ。もっとも、新暦ながらすでに熱帯夜の続く毎日になってしまってはおりますが…。

 


 

このところちとお休み頻度が高いですが、また父親の通院介助がありまして…。明日(7/8)はお休みいたしますです、はい。

 

海外のミステリードラマを好んでよく見るのですけれど、今では視聴する術はいろいろ選べるようになっているところながら、相変わらず「スカパー」(CS放送)の「ミステリーチャンネル」頼みなっているのは、偏に他ではあまり見られない(であろう)さまざまな国のドラマを取り上げているからといえましょうか。

 

イギリス、フランスを中心にアメリカ、イタリア、ドイツ、そして北欧と、欧米圏に偏ってはいるものの、それぞれの国にドラマ作りの個性があることが分かったり、見ていると俳優陣に見知った顔ぶれに何度も出くわすようになったりも。ただ、何故に海外のミステリードラマを好んで見るのであるか…と自問自答しますれば、それは舞台となるローカルな街の風景がいろんな面から見られるのが「いいね」ということでもあろうかと。普段着の町のようすとでもいいますか(もっとも、やたらに殺人が起こる設定ですが)。

 

日本のミステリードラマ(いわゆる2時間ドラマ)でも、舞台となるのは東京ばかりではありません(なぜか京都が舞台というのは多いですなあ)が、ローカル密着で行くよりは旅情ミステリーなどのように転々を場所を変える(あたかも、というより確信的に観光地を紹介して回る)作りが多いような気が。

 

それに対して、海外の方は広く知られた観光都市とは異なる、ともすると「なぜこの場所?」とも思うところを舞台にしていることが多い。ま、それを楽しみとして見ている者がここにいるということは、まあ、他にもいると考えるべきではありましょうけれどね。

 

とまた前置きが長いですが、やはり「ミステリーチャンネル」で先ごろ放送されたドイツの『警部ベリンガー バンベルクの事件簿』というシリーズを見ておりましたところ、やおら「アントニウスの火」を扱った事件が登場したのでありますよ。

 

ご存じのように「アントニウスの火」は麦角菌による中毒症状を喩えて言ったものですけれど、中世ヨーロッパでさまざまな疫病が発生した中、この麦角菌中毒もまた猖獗を極めたものでしたなあ。

 

そのあたり、かつて南西ドイツを旅したときにちょいとライン川を渡って立ち寄ったフランス・コルマールウンターリンデン美術館で見たグリューネヴァルトの「イーゼンハイム祭壇画」のにも描きこまれておったなあと。

 

ですが、そうした作品を見るにつけ、また「アントニウスの火」という喩えようからしても、麦角菌中毒は中世のものであって、もはや無いものくらいに思ってしまっておりましたので、先の番組で扱われたことで改めて「まだあるのであるか…」と改めて。

 

やはりかつて世界中にパンデミックを引き起こしたペストの方も、公衆衛生の状況が大幅に改善されたおかげもあって発生の話は聞きませんけれど、今も特効薬のようなものは無いそうありますね。ありがたくない余談ながら…。

 

ともあれ麦角菌の方ですけれど、此度の気付きから少々探索(要するにネット検索)してみますと、イネ科の植物に感染し、これをヒトが食すると重篤な中毒症状を呈することになるそうな。イネ科といっても、米のなる稲そのものより麦系の植物の方がかかりやすいようで、中世では感染したライ麦から作ったパンを食することで多くの被害がでたようすでありますよ。

 

ドラマの中では麦角菌に感染した麦を育てている犯人が出てきたですが、これを丸呑みにするのも如何なものかながら、そうした状況が絵空事でないとすれば、麦角菌もまた今でも生きている…となりましょうね。

 

コロナ(こちらは細菌ではなくしてウィルスですが)は相変わらず変異を続けているようですし、思いがけずも(昔、保健の授業でその名を聞いたくらいの)百日咳(これは細菌)が流行していたりすると聞きますですね。人間がヒトにあだ名すものを駆逐せんとすればするほど、鳴りを潜めていたものや新たな脅威が等々に発生したりもする。運命論者ではありませんが、ヒトもまた自然の摂理の中にいると気づかせんがためであるか…とも。

 

ドラマの中の麦角菌栽培者ではありませんが、ヒトの手でつくりだす(繁殖させる)ことはできても、一朝何かしらのことで制御できなくなるようなこともありましょう。つくづく驕りは禁物であるなと。暗に原子力のことを言っているわけでもないのですけれど…。