ただいま、多くの方々の耳目が台風19号に一点集中しているところではなかろうかと。

かく申す当人も自宅で籠り、行き過ぎることを祈ってますが、

本来は国立劇場の歌舞伎公演に出かけることになっておったのですなあ。


一昨日夜の段階で国立劇場HPにきっぱりと「公演は通常どおり」と出たときには

いささか腰を抜かしかけたと申しますか。何しろ劇場にやってくる年齢層を考えれば、

超巨大台風で無くても危ういだろうに…と思ったものですから。


結果、JR東日本など鉄道各社が計画運休の詳細を発表した昨日の午後には

さすがの?国立劇場も諦めたのか、土日の公演中止の告知がようやっと。


ということで、外は大雨、出かけることもなく、

またブログ渉猟にうつつを抜かしている方も少ない中で

能天気にも台風とは関わりないことを書こうとしておるのでありますよ。さて…と。



2019年は太宰治 の生誕110年だそうで、関連イベントのひとつということでありましょう、
三鷹市美術ギャラリー で太宰治生誕110年特別展「辻音楽師の美学」が開催中ですな。


太宰治生誕110年特別展「辻音楽師の美学」@三鷹市美術ギャラリー

太宰フリークでない者に「辻音楽師」とのタイトルはやおら感の否めないところですが、
自らを文章の中で「辻音楽師」に擬えているようで。曰く、このような。

やはり私は辻音楽師だ。ぶざまでも、私は私のヴァイオリンを続けて奏するより他はないのかも知れぬ。(「鷗」より)

私は一生、路傍の辻音楽師で終るのかも知れぬ。馬鹿な、頑迷のこの音楽を、聞きたい人だけは聞くがよい。芸術は、命令することが、できぬ。芸術は、権力を得ると同時に、死滅する。(「善蔵を思ふ」より)

てな具合に、できそこない感をたっぷりと滲ませた言葉で自らを語っているわけですけれど、
さまざまな展示を見ていて思い至るところは、「自ら」って誰のことであるか…ということ。


誰のこと?って「そりゃ太宰でしょ」となるわけですが、
どうにも太宰治というのは作られた人物像のような気がしてくるのでありますよ。
作られたって誰に?となれば、津島修治という人に、です。


以前からなんとなあくイメージしていたものが、今回の展示で像を結んだといいますか。
ああ、そうなんだなと。津島修治は太宰治という人物を、
自らをもってプロデュースしていたのであるかと。


無頼派と呼ばれ、酒や女で問題を起こす一方、そうした話題・悪評をも背負って
人気作家たらんとした太宰治。これを津島修治が作り上げたのだなと思うわけです。


そんなふうに考えてみると、芥川賞をめぐる川端康成 とのやりとりで有名な「泣訴状」も
(次回の芥川賞をぜひ自分にくれるよう、泣き言たらたらで懇願する川端宛の手紙)
津島が太宰に演じさせたパフォーマンスの一環なんだなあと思えるのですよね。


展示された全文は巻紙で4メートルにおよぶ長いもの。さりながら、
書かれている文字を原稿用紙に落とし込むと1枚半程度にしかならないのだとか。


どういう紙にどういう文字で、どんな内容を記すとインパクトが強いか。
それは受信者たる川端康成がどう受け止めるかを考えただけではなくして、
世の人がどういう思い(つまりは太宰治という人物像を想像するに大きく関わる思い)を
抱くかを考え尽くして、行動に出た…とまあ、そんな感じでしょうか。


ときに自身というか、太宰という創作人物を痛めつけることになるかもしれない、
こうした話題作りを敢えて太宰にはさせている津島がいると。
かなり過激なプロデュース方法ですけれどね。


デカダンな時代の空気もあったか、津島はとりあえず太宰の売り出しに成功する。
ではありますが、駆け出しのときの売り出し方としては成功といえても、
ある程度名が通ってきても、売り出すときのパフォーマンスが強烈ですので、
急に方向転換はできない。太宰は太宰のまま押し通すほかないわけです。


ですから、志賀直哉 との論争が解説では両者の文学観の違いと冷静に示されるものの、
その実、太宰という人物なればヒステリックに噛みつかざるを得ないのですな。


そうでなくては太宰でない、それでこそ太宰らしいてなふうに。

結局のところ、自ら作り出した太宰治の呪縛は津島修治を縛ることになって、
そこから解放されるにはもはや自死を選ぶしかないところに来てしまったのでは
と思えてくるのでありますよ。


以前、日本近代文学館 でも見た太宰の有名な写真。
林忠彦によるバー「ルパン」での一枚は、一般に太宰治として思い浮かべるのに
なんとマッチしたものであるかと思うところでして、
太宰の素顔に迫る一枚ともされるわけながら、これはあくまで太宰治。


これもまた津島修治の仕掛けたところであろうかと思ったりしてしまうわけで。

なんとなれば、バー「ルパン」での姿を撮ったのとは別の写真家による作品が
例えば本展フライヤーに使われているものだったりしますけれど、
もしかするとこちらの方が素の津島修治なのではありますまいか。


作家としての太宰治は今も読み継がれる数々の作品を残しましたので、
「一発屋」という言葉は当たらないように思うところながら、
津島修治という人は自分の命も何も全てを注ぎ込んで「太宰治」という人物を創造した、
究極の一発勝負をした人というふうにも思えたりするのでありました。