思わぬ立ち寄りとなりました旧前田侯爵邸 の後は、
そのほんの目と鼻の先にある日本近代文学館へ向かうことに。
こういってはなんですが、いささか裏寂れたとでもいいますか、
そんな雰囲気でありましたなあ。
ところで、日本近代文学館に出かけようと思い立ちましたのは、
日本民藝館に行くついで…ということでもありますけれど、
昨年12月にEテレ「日曜美術館」の「“決闘写真”を撮った男 林忠彦」を見たからでして。
銀座のバー・ルパンで太宰治 を押さえた一枚は夙に有名ではありますけれど、
それ以外の林作品はとんと知るところがなく。
それだけに、タカの目のような川端康成 のまなざしや
混沌に包まれた中で仕事する坂口安吾 の姿などは
番組を見て「おお!」と思ったところなのですね。
そんなことがあった後だけに、折しも日本近代文学館の特別展示で
「生誕100年記念 林忠彦写真文学展 文士の時代-貌とことば」が開催中となれば、
行ってみようかいと背中を押されるには十分であったいう次第でありますよ。
ですが、番組を見て「おお!」と思った写真の現物(といってもプリントですが)を目の前にして
TVを通して見たときのような感興が湧いてこないのはどうしたことか…。
番組では、「決闘写真」とも言われた林の写真撮影にまつわるエピソードなどが語られる中で
写真が紹介されるという流れがあって、かつ写真が大映しになっていたからなのかもですね。
会場では、配りものとして展示写真の一点ごとに林自身のコメントがあったりして、
エピソード紹介には事欠かないものの、思ったりより写真が大きくないことでの
インパクトの違いなのかもしれません。
その一方で、同時開催といいますか、こちらが本来の冬季企画展とのことですが、
お隣の部屋では「こんな写真があるなんて!-いま見つめ直す文学の新風景」なる展示を
やっておりまして、こちらはこちらで興味深いなあと。
なんとなれば、林が挑んだ決闘の場とは打って変わっていずれも自然体、
ともすればたまたま写り込んでしまいました…みたいなものであるような。
出版記念会での芥川や太宰は友人たちに囲まれて素顔を見せますし、
川端康成もプライベート旅行でのスナップに写るのは「タカの目」とは程遠い柔和さです。
面白いなあと夏目漱石 でしょうか。
写真は奇体なもので、先まず人間を知っていて、その方から、写真の誰彼を極めるのは容易であるが、その逆の、写真から人間を定める方は中々むずかしい。これを哲学にすると、死から生を出すのは不可能だが、生から死に移るのは自然の順序であると云う真理に帰着する。
これは漱石の小説「それから」の一節で、写真のことを語っている部分です。
生きている人間を知っていた上で、写真の人物を思い出すことは易しいけれど、
写真で見たことのある人に、実際に初めて出会ったときに思い出すのは難しいと。
まあ、なるほどと思うところですが、生身の人間を「生」、写真を「死」と見るあたり、
漱石は写真が嫌いなのだなあと思うところです。
と、そんな漱石が上の冬季企画展フライヤーにもある写真では笑顔を見せているのですね、
しかもいささかぎこちなくといいますか(笑)。
随筆「硝子戸の中」には、雑誌社から写真を撮影させてほしいと求められた漱石が
「写真は少し困ります」と断ろうとするところが出てくるそうなのですね。
結局、断り切れずにカメラマンがやってくると、
「少しどうか笑っていただけませんか」とリクエストされた漱石、
馬鹿馬鹿しいと思いながら「これでいいでしょう」と適当にあしらったところが…。
それから四日ばかり経たつと、彼は郵便で私の写真を届けてくれた。しかしその写真はまさしく彼の注文通りに笑っていたのである。その時私は中てが外ずれた人のように、しばらく自分の顔を見つめていた。私にはそれがどうしても手を入れて笑っているように拵えたものとしか見えなかったからである。
このように「硝子戸の中」にありますとおり、やはり漱石の写真嫌いは筋金入りのようす。
ですが、残された写真を見る側にしてみれば、これもまた漱石の一面かと
微笑ましく思ったものでありますよ。
そんなこんなで結果的には興味深く見てきた写真展@日本近代文学館でしたけれど、
入館の際に記念品として文士の写真の載った絵ハガキを一枚、頂戴したのですね。
開けてみますとこれが志賀直哉 でありました。
おじいさん然とした姿には見覚えがあるように思いますけれど、
まだ若い頃にはこのようだったのですなあ。
あたかも銀幕華やかなりし時代の映画俳優でもあるような。
ま、文士がスターだった時代も確かにあったことではありましょう。