差し当たり広島でのイベントを滞りなく済ませて戻ってきました。
やっぱりちょろっと(無理やり見出したフリータイムに)立ち寄った所はありますけれど、
帰路にいささか踏んだり蹴ったりの出来事があったこともあり、
ここはひとつ(つなぎに?)読んだ本のことなどを。
手に取ったのは今さらながらの一冊、志賀直哉作「和解」でありましたですが、
踏んだり蹴ったりのなんだかなぁ気分をクールダウンするには、妙にマッチするような…。
ところで、この今さらながらを読んでみる契機はといいますと、
先の田中正造 を知るための岩波ジュニア新書でして、その中にこんな一節があったのですね。
直哉の祖父は古河市兵衛と初期の足尾銅山の共同経営者で、志賀家は古河家と親しかったのです。…直哉は鉱毒地視察を父に反対されました。この父子の不和のテーマは、「大津順吉」や「和解」などの作品を生んだのです。
志賀直哉といえば白樺派の作家であって
「暗夜行路」や「和解」といった作品名にも馴染みはあるものの、
読んだことがあるかとなると、中学の国語の教科書でしたですかね、
「城の崎にて」が載っていたような。
蜂の死骸の虎斑がどうしたこうした…という話ではなかったかと思いますが、
読んだのはそれだけ。
ただ、父親との不和があって、
それが「和解」という作品に繋がったてなことは聞き及んでましたですが、
足尾鉱毒事件に関わってのこととはちいとも知らず。
この諍いがあったのは、学習院在学中の直哉18歳位の時ですから、
多感であり、また正義感にも燃える頃合い、聞こえくる足尾銅山の被害には
ストレートに心を痛めていたことでしょう。
ちなみに同時期、盛岡中学にいた石川啄木もまた
正義感を揺さぶられた一人だったようで、田中正造直訴を伝え聞くや
「夕川に葦は枯れたり血にまどう民の叫びのなど悲しきや」と詠んだとのこと。
惣宗寺(佐野厄除け大師)の境内には、この歌を彫った啄木歌碑が建てられておりましたですよ。
啄木は正造らの活動支援のため街頭募金に立つなどの行動にも出たのですが、
一方で志賀直哉は被害の状況を直接見たいと考えるも、父親に反対され、不完全燃焼。
後々まで続く父親との確執のタネ(のひとつ)となっても致し方無しというべきでしょうか。
ということで、これも機会と読んでみた次第ですけれど、
自らの父親との不和とそれが和解に至ることを小説にしている、
それだけ聞いても「私小説
」とは思い浮かぶところ。
果たしてそれが、志賀の代表作のひとつと言われるものとして、
また名作的な位置付けで長い年月にも古びないものとしてあるのかどうか、
少々眉唾ものとも予想していたのですが、読み終えてみると意外な読後感といいましょうか。
「和解」という小説単体では、何故に父と主人公・順吉が不和となったのかは判然としません。
最初から終盤まで、とにかく周囲がはらはらしどおしの様子が綴られているのですね。
我孫子に住む順吉が妹たちのいる父の麻布の家を訪ねる際には、
必ず事前に電話を入れている。
電話に出た者は「今日は、いるわよ」とか「もうすぐ出掛ける」とか
「父」という動作主体を敢えて言わずとも必ず開口一番そういう話になるわけです。
父親の苛立ちは、順吉の生まれて幾日にもならない娘が病で身罷っても、
東京にある家の墓に入れるのは断じてならん!てな言動で見られたり、
また順吉の側の苛立ちは妻を足蹴に掛けるようなことに現れたりもする。
こうした部分部分は読んでいて気分のいいものではないものなのですけれど、
(脚色はあるにせよ、私小説だけに実体験がベースにあると思えば尚のこと)
このような状況が娘の死を乗り越えて、新たな子の誕生に立ち会うといった経験を通じながら、
ふと「父との不和が永続することを誰も願ってはいない、自分もまた…」ということに
気付くのですね。
いわゆる作り話の小説であれば、こうはいかないでしょう。
思いがけずも陥った父子ともどもの窮地という状況を設定して、
それを感動的な協力作業によって乗り切ることによって、晴れて和解に至るとか。
ところが、現実には人間は必ずしも理路整然としているわけではありませんから、
気になって気になって仕方のなかった憑き物が、ある日突然とれていた…みたいな
心境の変化があったりすることに誰しも気付いていますよね。
考えてみれば、「そもそも不和に至った特定の理由が明らかではない」この話が
そうだからこそ普遍性を持ちうるところでもあるのでしょうし、
誰にもそれぞれが勝手に思うところに想像を巡らして感情移入できる。
父と子がいよいよ対面して、文字通りの和解に至る場面はいささかあっけなくも、
何やら清々しい気持ちにさえさせられるところでもあります。
今ではとんとお目に掛かることのなくなった私小説(全く無いではないですが)、
この極めて日本的なるものの醸す情感にはやはり古びぬものがあるとも思え、
予め眉に唾したところはカラリとすっかり乾いて読み終えたのでありました。