さてと、山形県を旅してわざわざ(?)尾花沢へと足を延ばした由縁である尾花沢市清風、芭蕉歴史資料館(くどいですが、清風と芭蕉を読点で区切るのが正式名称のようで)のお話をようやっと。
建物は松尾芭蕉が立ち寄った鈴木清風の屋敷そのものではありませんですが、屋敷のあったところのお隣に江戸時代創建の古民家をもってきて資料館にしたようで、「尾花沢地方における江戸時代町家の完成した姿を伝える貴重な遺構」(山形県公式観光サイト「やまがたへの旅」)であるということでありますよ。こんな感じの町家に芭蕉はたどり着いたのであるなあとは思うところです。
後に『おくのほそ道』としてまとまる東北地方の旅をおこすにあたって、どうやら松尾芭蕉ははっきりと旅程を決めておらなったようですね。ただ、昔々に西行が出向いた歌枕などを辿るという漠たるイメージは思い描いていたところながら、尾花沢で人々に勧められたからとふいと山寺へ出向いてみたりする自由度があったようで。
ちなみに山形の地が旅の折り返し点でもあり、そこまでの疲れを癒すには旧知の鈴木清風を訪ねて…というのも当初の目論見であって、旅先から江戸にいる弟子・杉山杉風に宛てて「出羽の清風も在宅だというので立ち寄り、しばらく逗留するつもりだ。庄内や象潟の旅はどうしようか、まだ心が定まらない」てなことを書いた手紙(解説文にあった現代語訳による)を送ったのだそうでありますよ。
結果、尾花沢の居心地がよかったのか、東北紀行の中で最長となる十泊をこの地で過ごすことになりますが、それは現在の宮城県から山形県へと山越えで入る際、山刀伐峠(なたぎりとうげ)という難所にほとほと苦労をさせられたこともありましょうか。そのわりには、資料館脇に立つ松尾芭蕉像は実に精悍な雰囲気でありましたなあ。
印象として、これほどに老人老人「していない」と受け取れる芭蕉像を見るのは初めてのような気がしてものです。が、それはそれとして取り敢えず、資料館の中のようすへと移ることにいたしましょう。
個々の資料を接写してはいけんようですので、文字通り「中のようす」だけですけれど、古民家にしてもずいぶんと大きな屋敷でありますね。先にも触れましたようにここが清風そのものの屋敷ではないものの、「紅花大尽」とも言われるくらいに大商人であった鈴木清風本来の屋敷はさぞ豪壮なものであったろうかと。座敷の展示ケースには、芭蕉が尾花沢で催した句会を偲ぶ資料などが並んでおりましたよ。
ちなみに鈴木清風という人からして相当に豪気な人物であったということで。江戸でも高値で取り引きされる紅花に、あるとき江戸商人たちは「出羽の田舎者に勝手な値決めをされてはかなわん」と不買運動を起こしたそうな。これを見た清風、「いらねえならそれで結構」と衆人環視の中、紅花の荷を焼き払ってしまった。品薄懸念から紅花の値は反って高騰、実は清風が燃やしたのは鉋屑であって、清風は残した置いた紅花を売り払って都合三万両を手中に収めた…ということなんですが、大人物たるところはここから先ですな。
ここで得たのはあぶく銭とばかりに、吉原を三日三晩借り切って一気に散財したのであるとか。しかも、自らが遊ぶためではなくして、遊女たちに束の間ながら三日の休養を与えんがためとなれば、大した人物であったと思わざるを得ないところでありましょう(同館資料「清風『伝説』参考)。参考として、当時の尾花沢の繁栄を伝える山形県立博物館の解説文をここで。
江戸時代の尾花沢は、出羽国村山郡の幕府領を統轄する尾花沢代官所の陣屋町、羽州街道の宿場町、そして名だたる「豪商」たちが拠点とする商人の町として大いに栄えました。柴崎家はそうした豪商の1つで、京都や江戸に分家や支店を設け、紅花・銅・米・大豆などの特産品売買を取り扱うことで莫大な富を得ていました。
おそらくは清風の鈴木家もまた、でありましょう。現在の尾花沢を訪ねますと、今は昔…の感が募るところとはなりますけれど。ともあれ、江戸や上方とも行き来があった尾花沢商人だけに、鈴木清風も江戸へ出た折に芭蕉の俳諧に触れたのでしょうし、また(山形市の街なか情報館で見かけた『山寺と紅花』展にもあったように)上方文化の流入が尾花沢にもあったようで。
ケースに入ってずらり並んでいるのは、尾花沢を代表する民芸品にまでなっているという「豆人形」でして、京都から伝えれれたといわれているそうな。「男性は大豆、女性はインゲン豆で顔を作り、高さ六~七センチメートルの可愛い人形」、「衣装はもちろん小道具を含め、すべて手作りの貴重な民芸品」ということでありますよ。ここでは、松尾芭蕉を囲む句会のようすを再現した豆人形を見ておくとしましょうかね。
添えられた句は「まゆはきを俤にして紅花の花」という一句でして、先にこれを刻んだ句碑@天童市を見た時に尾花沢で詠まれた句であったとはそのときにも。
てなことで、個々の資料を振り返るには至りませんでしたですが、いささかなりとも思い入れを持って臨んだ資料館だっただけに、より有名で来場者も多い山寺芭蕉記念館よりも個人的には満足度の高い訪問となったものでありましたよ。