山形の村山駅前から「48ライナー」なるバスでもって尾花沢へ…というところまで、話しは来たわけですけれど、そも山形へ出かけようとプランニングの段階では尾花沢に行くという想定はしておらず…。もっとも有名な銀山温泉は尾花沢市にあるのでして、下調べ段階ではちとちょっかいを出したものの、一人で泊まるには(二人以上で泊まる場合も、ですが)宿泊料金の面でなかなかに足が出ると分かり、早々に考慮外に置いた次第。ま、尾花沢といえば銀山温泉くらいしか思い浮かびませんで…。

 

さりながら、松尾芭蕉が山形に入った際の大きな目的地が尾花沢であって、山寺に行って「閑さや…」の句を詠んだことばかりが知られるも、山寺に出かけたのは尾花沢の人たちに強く勧められたからということに気付かされるに及び、この地に対する盛り上がりが出て来たのですな。また、最上川三難所舟下りをキャンセルした結果、尾花沢を往復するだけの時間もできたとなれば、やはり行っておこうとなったわけで。

 

かつては最寄りの鉄路である奥羽本線大石田駅から尾花沢鉄道(後に山形交通花沢線)が通じていたということですが、1970年に廃止されて以来、いわば陸の孤島になっているようで。ですが、「48ライナー」の停留所が尾花沢待合所というからにはおそらく現地のバス・ターミナルであって、商業施設も併設されている賑わいを想像したりも。とまあ、そんな思いを抱いて乗り込んだ「48ライナー」に揺られること30分弱、バスは尾花沢待合所に到着したのでありました。

 

 

確かに、バスターミナル併設の商業施設…だったという痕跡はありますが、このパレットスクエアなる施設、廃業しているようす。念のため回り込んでみたものの、営業している気配は全くありませんでしたなあ。

 

 

「毎日がお買得!」と謳う赤い看板が妙に色鮮やかなのが虚しさを弥増しているようでもありましたよ。後付けの話になりますが、どうやらこの建物、この9月から解体開始という話ですので、すでに工事は進んでおりましょうかね。この姿は今行っても見られない…と嘆くほどの名所旧跡でもないところながら、尾花沢にとってはランドマークでしたでしょうにね。

 

考えてみれば、こんなふうに立ち行かなくなった商業施設が廃墟化しつつあったりするのは、各地で見られることなのでしょう。しばらく前にも長野県岡谷市で駅の目の前にあるという立地ながら、「ララオカヤ」という施設が打ち捨てられている様を目の当たりにしましたし。岡谷市の人口が5万人弱、尾花沢市の方は1万5000人ほどとあっては、なかなかに商売も難しいとなりましょうか。ちなみに、パレットスクエアから羽刕街道の方へと続く、いわば駅前通りとも思しき道には人影どころか、車の一台も見かけることが無いのでありましたよ。

 

 

山形県を旅してここに至るまでも、見かける人の少なさを折々感じておったわけですが、尾花沢にたどり着いて極まった感を抱いたりも。日本では、どうしてこう地方、地方の町や村が賑わいを失くしていくばかりなのでしょうなあ。束の間訪ねた通りすがりの者が言うことではないのでしょうけれど、これもまた効率主義の経済が何事も中央でブラックホールのように存在するが故でしょうかね。現実はままならないのでしょうけれど、昨日触れた「季節のかたみ」ではありませんが、失ってからでは取り返せないものはやはりありましょう。

 

と、そんなところでふいと思い出したのが、山寺芭蕉記念館の裏手で見かけた石碑なのですなあ。かつて駐日米国大使を務めたエドウィン・O・ライシャワーの言葉が刻まれておりましたよ。

 

山形―山の向こうのもう一つの日本
日本の本来の姿を思い出させる美しい所です。それは、松尾芭蕉が三百年前にかの有名な旅行で山形を訪れた時に目に映ったものであり、私自身が二十年以上も前に山形に旅した時に感じたものです。山形が過去の日本であるばかりでなく、将来の日本であると共に発展の余地があり、しかもその発展には自然と人間の喜ばしい均衡を決して損なうことのないものであって欲しいと私は望んでいます。エドウィン・O・ライシャワー

ライシャワーがこの碑文に採られた文章を書いたのが1988年、実際に山形を旅したのは「二十年以上も前」とあるように1965年で、その頃の20年ほどではあまり山形の姿は変わっていなかったのかもしれません。が、その後はどうであったのでありましょう…。「発展の余地があり、しかもその発展には自然と人間の喜ばしい均衡を決して損なうことのないものであってほしい」と望んだライシャワーの目には、どう映りましょうか。

 

高度経済成長期で変わり行く日本の姿を目の当たりにしていたライシャワーが山形を訪ねて「自然と人間の均衡」に触れたのは乱開発による自然破壊を懸念していたのであって、どんどん人が少なくなる(結果、自然はむしろ放置される)ということではなかったろうと想像するところです。このことは、なにも山形、それも尾花沢のことを云々するのでなくして、日本のあちらこちらでも同様のことが言えるのでしょうなあ。

 

とまあ、尾花沢に到着した当初の印象にいささか唖然とするところがあったものですから、幾分大袈裟に過ぎたかもしれませんですが、町なかへと歩き出してやや印象の変わる場面もありましたので、そのあたりはこの次に。