山形県村山市までやってきてひとつ地元の酒蔵・六歌仙を訪ねた後は雨に降り込められて、村山駅前のホテルで停滞を余儀なくされたのですなあ。ホテルの部屋から外を見ても、窓ガラスに雨粒がたくさん着いてしまうようなようすでして。

 

 

駅から歩けるところではも一つ訪ねたいところがあったのですが、片道15分はかかりそうですのでね。ここに至るまでに、山寺、山形市内、天童市内と結構歩き廻っておりましたので、ここは取り敢えず大人しくしておいた次第です。

 

結果、翌日は思いがけぬほどのピーカン天気となりまして、出発前に予約済みのアトラクション(?)に「こいつは期待できそうであるな」と思ったのですが、これは完全にぬか喜びとなったのでありましたよ。はて、楽しみにしていたアトラクションとは?と言いますれば「最上川三難所舟下り」。先に山形県立博物館で最上川にまつわる特別展を見た折、会場の片隅でかかる舟下りのビデオ上映をやっていたところながら、その後実際に乗る時のお楽しみにとビデオを見ずにおいた、その舟下りです。

 

富士川、球磨川と並ぶ急流にその名が挙がる最上川には常設の舟下り場が二つありまして、ひとつは昔々松尾芭蕉が出羽路の山間部から庄内へと抜ける際にたどったというコースに設けられた「最上川芭蕉ライン舟下り」、もうひとつが村山の「最上川三難所舟下り」と。

 

芭蕉が最上川に臨んで詠んだ句としては『おくのほそ道』所載の「五月雨をあつめて早し最上川」が夙にしられておりますが、当初、山形滞在中の句会で詠んだのは「五月雨をあつめて涼し最上川」だったのですなあ。これはこれで風流と言えましょうけれど、何せ相手は古くから急流として知られる最上川だけに、『おくのほそ道』をまとめるまでに推敲を重ねて「涼し」を「早し」に改めたのでもありましょう、それにしてもずいぶんと印象の異なる句になったものですなあ。

 

ですが、芭蕉が舟に乗ったあたりは、山寺芭蕉記念館で見たビデオでは悠揚迫らぬ大河の面持ちでもあり、急流らしさを偲ぶにはむしろ(芭蕉の乗ったコースとは異なるものの)三難所下りの方に如くはなしと思えてきたのでありますよ。

 

 

 

 

こちらは先の最上川の展示にあった江戸時代の古地図ですけれど、「碁点」(ごてん)、「三ケ瀬」(みかのせ)、「隼」(はやぶさ)と三つの難所が続くことは当時からも知られていたわけなのですなあ。「隼」をクローズアップして描いたものには、こんなふうなのも展示されていましたっけ。

 

 

で、前日のひどい雨降りが一夜明けていい天気となった…にも関わらず、結果的に肩透かしを食った恰好になりましたのは、考えてみれば当然ですけれど、たくさん雨が降ったために川の水量が増えて、難所が難所でなくなってしまった…と、当日朝に連絡があったわけでして。ひとつ「碁点」という呼ばれ方で想像されるところですけれど、碁盤に碁石並べたように川面に点々と岩が顔を覗かせているのが難所たる由縁ながら、増水してすっかり岩は水面下にあるというのですな。「それでもよければ舟は出しますけどねえ…」と、電話をくれた船頭さん(たぶん)の声にはお勧めしない感が濃厚に漂っておりましたですよ。

 

つまりは乗船場にも行っていない、当然舟にも乗っていないにも関わらず、長々と振り返っておりますのは、それだけ残念無念…の思いが強くあったのでもありまして。そんなことなら、山形県立博物館でビデオ上映を見ておけばよかった…といっても後の祭り。また来る楽しみにとっておけというのが天の声でありましょう。とにもかくにも、自然には敵わないわけでして…。