広重美術館を堪能したところで天童市のぶらり歩きを終えまして、またまたJR奥羽本線(山形線)で移動することに。鈍行で6駅(同じ線路を走る山形新幹線ならば二駅)北上した村山駅へとたどり着いたのでありました。おそらく下車したのは自分ひとりだけ。改札を出た東西自由通路にも全くひと気のない状態で…。
まあ、ここ村山に至るまで列車に揺られつつ奥羽本線をじわじわ北上したわけですが、山形市から離れるごとにどんどんひと気が無くなっていく印象(というより実際の話)がありましたなあ。駅頭でもおよそ人の存在が希薄な中、駅舎の片隅には何故かこの少年(?)が佇んでおり…。
どうやら村山駅にゆかりある資産家が山形出身の彫刻家にブリュッセルの小便小僧に模した像を依頼し、ここにあるのだとか。よく見ると、顔付きが正しく日本の子供らしいと分かるのがご愛敬でしょうかね。
ところで村山駅到着がちょうど昼過ぎとあって、どこかしらで昼飯をとろうと。この際、頼るべきは観光案内所と思って立ち寄ると窓口に人はおらず…というより、奥の方で係の方も昼飯を食しておるようでした。そんなに案内所を訪ねる人もまたおらないようで。
ともあれ、窓口まで出て来てくれたものですから、「近くで昼飯の食べられるところは…」と問い掛け終らないうちに、「蕎麦ですか?」と。この反応は天童のホテル到着時にフロントで同じことを尋ねたときの応答と全く同じ。苦笑を隠しつつ、村山でもそれだけ蕎麦が名物なのであるなあと思ったものでありましした。が、「蕎麦は前日の昼に食したので…」と言えば、案内所の方は何となく残念そう。結局、駅近の定食屋(実際は居酒屋)を紹介してもらって、おなかを満たしたのでありましたよ。
なにも山形県でも海に面した庄内地方でもないのに、海鮮丼定食ですか?と思われもしましょうけれど、江戸時代の昔ではありませんから、山間部でも鮮魚はあるわけですし、海が無い地域だからこそ海産物にはこだわりもあるような。ともかく、これに食後のコーヒーまで付いて900円とは、インバウンド無縁?のリアルな物価なのかもと思ったものでして。
と、栄養補給が済んだところで、予め工場見学の連絡をしてありました酒蔵へと向かいました。HPの案内では村山駅徒歩15分とあったものの、土地勘の無い道をひたすら真っ直ぐに歩いた関係か、もう少し長く掛かったような気がしたものでしたですよ。
でもってたどり着きましたのが、やまがたの酒蔵「六歌仙」。山形の日本酒ではおそらく先に天童で訪ねた「出羽桜」(といっても出羽桜美術館を見て回ったものの試飲はパスしてしまいましたが)が有名どころでしょうけれど、「六歌仙」とはこれまでに聞き及んだことはなく…。そんな好奇心もあって訪ねたわけですが、工場を案内してくださった係の方に「もしかして地元だけで全部飲まれているのですか」と問えば、「そんなことはありません」と真向否定しつつも、「営業努力が今一つで…」と些かしんみりと(笑)。謙遜混じりとは思いますけれどね。
ただ、こちらの酒蔵は「昭和47年(1972年)に北村山地区(東根市、村山市、尾花沢市、大石田町)にある五つの酒蔵が集まり創設されました」(同社HP)と、比較的新しい分、これからが勝負!なのかもです(もしかすると、母体となった一つ一つの酒蔵は地域でそれなりの歴史があるのでしょうけれど)。比較的小さな蔵ですので、見せていただいた工場の方もコンパクトな建屋でしたなあ。上の写真に見えている社屋(おそらく事務棟でしょう)の裏側に工場があるのですが、京都・伏見の黄桜の工場が見上げるばかりであったのに比べると、事務棟に隠れて見えないくらいですものねえ。
少人数で運営しているせいか、酒造りという微妙な領域でどうしても人の熟練に頼る部分以外、できる限りの機械化を進めるおるようす。その心臓部ともいうべき部屋を「ここが、中央コントロールルームです」と言いつつ、幾分か面はゆげに案内してくれましたですよ。
計器類を一見したところでは往年の東宝怪獣映画に見る地球防衛軍の作戦室みたいでレトロ感が漂い、また機械であるのにべたべたと京都・松尾大社(「日本第一酒造神」と言われるらしい)の御札が貼り付けてあるのが、微笑ましいと言いますか。実際、製造工程で使われている機械の方もまたレトロ感のあるものでしたなあ。
とまあ、そんな製造工程を経て造り出されるお酒は、少量多品種と言っていいのでしょうか、実にバラエティーに富んだラインナップでありましたよ。別棟にあるショップでは試飲でいろいろと飲み比べをさせていただくことに。
さまざまに各種品評会などで好成績を収めておるようですけれど、「原料米の約98%は、山形県産米を使用しています」(同社HP)とのこだわりには結構苦難の歴史があるようで。係の方曰く、「かつて(の品評会)は、原料米が山田錦でなくして山形米だというだけで門前払い状態」てなこともあったようでしてね。まあ、それだけ山田錦が酒米としては絶対的なブランドになっているのではありましょう。
地元のこだわりは酒米ばかりではないようで、山形らしくさくらんぼやすいか、ラ・フランスを使ったリキュールなども手掛けておるような。また、上の写真の日本酒でも窺えるところですけれど、ラベルや包装のデザインにもかなり気を使っているようで、一旦目に止まるようになればブレイクする日も近い?のかも。取り敢えず、あれこれを説明したくださったことへのお礼の気持ちも含め、日本酒を二本、両親のところへ発送してもらうことにしたのですな。一本は暑い時期に冷酒で飲むとして、一本は寒くなったころに燗酒で楽しむように(もちろん、端からご相伴に預かりに出かける目論見です)。
と、試飲を重ねていい加減になったところで、村山駅方面へ戻ろうとするとやおら雨が降り出してしまい…。元より天気予報どおりではあるのですが、結局この雨で午後はホテルに停滞。翌日の行動にも支障を来すことになるのですが、それは次のお話ということで。山形の旅はいよいよ最終日となってまりますよ。