かつて東宝で数多く製作された怪獣映画。
ですが、「怪獣映画」とは言いながらそもそもは大真面目に?大人向けとして作られた、
いわばSF巨編だったであろうことは元祖「ゴジラ」 を見ても分かるところかと。
後に「オール怪獣大進撃」なんつうタイトルで作られるようになってくるともはやその面影はなく、すっかり子供向けになってしまいましたけれど(と言いつつ、子供の頃に見ていたですが…)。
とまれ、そうなってしまう前のSF巨編たる「空の大怪獣ラドン」を初めて見てみたのでありますよ。
ちなみにWikiによれば初公開時の同時上映が「眠狂四郎無頼控」であったとなれば、
やっぱり大人向けということが頷けますなあ。
九州は阿蘇に近い炭鉱の坑内で突然の出水…というところから物語は始まります…と、
語り起こしてしまいますと、あらすじが長くなるので端折りますが、つまりは炭鉱の奥深くに
中生代の翼竜プテラノドンの卵が長い年月を経て孵化、変異形となった怪獣ラドンとなって
大空を飛び回ることになるのですなあ。
それにしても、この映画、ラドンが二匹というのか、二頭というのか、
複数登場するとは、見て初めて知るところでありました。
卵の孵化シーンは一頭分だけですけれどね。
一頭はそのままの形で太古の眠りから覚めた親ということでしょうか。
ところで翼長が120mにも達する巨体なのですが、
もともと卵の段階で既に巨大ということはあるにせよ、
さして時間も経たずに空を飛び衝撃波で建物を破壊するまでに育ってしまうのには「おや?」と。
と、唐突な話題転換のようですが、たまたま見た「地球バス紀行」という紀行番組では
中国・雲南省を取り上げ、そのバス旅の途中で大理という町に立ち寄っておりました。
なんでもここには町の背後の山から切り出される石が有名で、石造の建物が多いのですな。
その石というのが「大理石」、名の由来たる町なのでありますよ。
大理石はもちろん建材としても使われるわけですが、
大理の町では「大理石画」というアート作品にも加工されているそうな。
採石場から切り出された大理石の薄い板状にカットして、表面をつるつるになるまで磨く。
そうするとその石が本来的に持つ独特の縞模様というか、グラデーションというか、
そうしたものが浮かびあがるわけで、あたかも筆で描いたかのような、
水墨画かと思わせるものが現れるのでありますよ。ほお~ですなあ。
そんな大理の町が面している湖では日本の鵜飼いに似た漁が行われていたのですね。
番組では鵜匠の方が漁に使う鳥のヒナがかえるところを見せてやるという話になり、
まさに卵の殻から出たまだ羽毛もなく目も明かない雛鳥を手のひらに乗せて
見せていましたけれど、これが魚を獲るまでになるには3カ月かかるというようなことを
言っておりました。
たったの3カ月でねえ…と見ている側としては思ったところでして、
そんなんで一人前になってしまうんですなあ…って、
ラドンの場合はさらに驚くべき成長だったわけですが(ようやく話が戻ってきました)。
なにはともあれラドンですけれど、いったいどうして復活してしまったのか…という点では
またしても(とは「ゴジラ」の二番煎じ的という意味ですが)原水爆実験のせいでもあろうかと
いうくらいで、はっきりとした理由は解明なされないまま。
(まあ、原水爆実験を理由にとしても、理由であってそうでないようなものですけれど)
とまれ、元祖「ゴジラ」の批判的精神に擬えれば、科学の進歩に対する疑義はありましょうか。
その一方で、科学の進歩に信を置いている面もあるやに思うところではあります。
ラドンをどう倒すかという段になって、
住処となっている阿蘇に投入できるだけの火力を注ぎ込んでやっつけようという話に。
そこに「そんなことをすれば阿蘇山の大噴火を誘発しかねない」との反対意見が出ますが、
「それならそれで好都合ではないか」と、意見は一蹴されてしまうのですね。
決行された作戦では阿蘇に大量のミサイルやらなんやらを打ち込んで、
結果、想像どおりに阿蘇が大噴火を起こす。
皮肉なことにミサイルではどうにもならなかったラドンは
阿蘇の噴火による炎で焼き尽くされることになるのでありますよ。
かつて自然の猛威に対しては科学の進歩でねじ伏せる的な空気があったやに思いますが、
今はそうしたところから離れて、いかに自然とうまく付き合っていくかという方向にある。
それでも自然の猛威と付き合っていくのは簡単なことではないわけで、
火山の関係でいえば木曽御嶽も草津白根山も新燃岳も、
とても制御するなんてできないのですよね。
それがまして阿蘇であったらどうなりましょう。
阿蘇を噴火させてでもというオプションを受け入れるかどうか、
そこには時代性があるのではないでしょうかねえ。
仮に今、ラドンが現れたらどう倒すでしょうか。
善し悪しは別として兵器もまた進化を遂げているから何とかなるのでしょうか。
そうだとして、昔よりも強力な(凶悪な)兵器が出来ていることをもっての「安心」とは…
てなことを考えてしまうのですよね。