歌麿、写楽、北斎という三人の絵師を取り上げた浮世絵講座を興味深く拝聴したわけですが、三人に絡む版元の蔦屋重三郎も(絵師たちばかりでなくして)時代の荒波の渦中に置かれたのでしたなあ。財産の半分が没収されるとは、商売人にとってこらまたずいぶんなことで。背景にあったのは寛政の改革でありまして、旗を振ったのは言わずと知れた老中の松平定信でありました。
最上徳内らの北方探索の梯子を外した人物とも思われたところから、定信の人となりをもそっと知っておこうかと思ったことがありまして、何しろ人にはさまざまな面がありますし。また、見方も変われば評価も変わりますしね。やがてはさらなる探究を…などと思っておりましたが、このほど浮世絵講座に名前が挙がってきたのですな。さらに、たまたま手にした時代ものの小説ではその書き出しが何と!「松平定信が…」で始まるとは?!いやはや、奇縁といいましょうかね。
ともあれ、このほど読み終えたのは永井紗耶子の『きらん風月』という一冊でありました。主人公は栗杖亭鬼卵(りつじょうていきらん)という狂歌師ですけれど、意表を突くその名前(当初はもしかしておどろおどろしい怪奇小説かとも。怖がりだもんで、些か身構えたり…笑)からして、人物からして創作か?と思いきや、これが実在の人物だったのでありますよ。
先の浮世絵講座でも蔦重・歌麿コンビで「狂歌本」を出していたことに触れて、天明・寛政といった時代、ずいぶんと狂歌が流行っておったことが偲ばれたわけですが、狂歌師という人たちもたくさん存在していたのであったとは。この時代は即ち松平定信の時代と重なるところでして、定信の治政を揶揄した有名な狂歌が今にも伝わるのも、そうした背景の故なのかもです。
- 白河の清きに魚のすみかねて もとの濁りの田沼こひしき
- 世の中に蚊ほどうるさきものはなし 文武といって夜も眠れず
いずれも「詠み人知らず」のようですが、自身の政策を是として疑わない定信を前に、自分が詠み手ですと名乗りをあげる人がいようなずもない。どんなお仕置きが待っているか分かりませんものねえ。
ともあれ、その松平定信がすでに隠居して「楽翁」などというのんびりした名乗りをするようになった頃、お忍びの旅すがら、東海道は大井川の増水に出くわし思わぬ足止めとなるのですな。掛川城の世話になりつつ、退屈しのぎに「近在に面白きものはないか」と尋ねたところ、面白い人物がいると聞き及び、足を向けたのがお隣の日坂宿に住まう栗杖亭鬼卵のもとであった…というのが本書の設定でありまして、鬼卵と定信が相対した…とはフィクションでしょうけれど。
しかしまあ、狂歌というのが世相を風刺するとはいえ、いささか戯れた印象でもあり、こういってはなんですが、狂歌師というのも今ならば漫談師(ひと頃までは結構政治ネタも扱ってましたですね)のような存在かと想像してましたですが、どうやらもそっと高邁な存在であったようで。和歌で言えば本歌取りをするような素養とも申しましょうか、風刺をするにも教養が必要ですし、歌や漢詩も詠めば、書画も手掛ける、要するに文人墨客の扱いであったと。鬼卵もあちらこちらで「先生」と遇されることに若い頃は面はゆさを感じていたようで。
若い頃はともかく、老境に達してみればある種、ゆとりある風格もまとうようになった鬼卵、元老中と対面してもいっかなたじろくこともないところへ持ってきて、当の相手が松平定信その人と知ってか知らずか、昔語りの合間にも定信政治の煽りを食った庶民の姿を差し挟み、ちくりちくりと痛いところを突いていくという。対する定信は怒り心頭!となる手前で踏みとどまる。重ねた年齢も無駄ではないということでしょうかね。
このあたり、寛政の改革という江戸時代の政治向きのことを書いていて、要するに時代小説なのではありますが、為政者と庶民との関係など、今現在でもきにとめておいてもらわんといけんなということがありまして。いずれの時代にも通ずといいますか、変わりがないといいますか。辛うじて?怒りを抑えて耳を傾けた定信、隠居してからでは遅いとしても、かかる姿勢は為政者にこそ必要でありましょうね。どこぞの首相が「聞く力」を誇っておったやに思うところですが、実践してこそ意味があるわけで。
ところで、本書の話の外枠は鬼卵と定信のやりとりですが、間に挟まる物語は鬼卵自身が来し方を語るというもの。そこには鬼卵という狂歌師の特段目立つでない、なんとなくの人生が描き出されるのですな。これが、(Wikipediaに一項目立っている程度に有名な?人物と比べるのは、それこそ面はゆいところながら)結構我が身に擬えたりもしてしまうところがあったり。例えば、何ごとも器用にこなすが、それ以上でも以下でもないとか(笑)。
ちなみに鬼卵が戯作者としてその名が広く知られるようになったのは(もっとも今となっては、個人的には全く知らない人物でしたけれど)、六十の坂を越えた晩年のこと。どうやらあやかれるところもあるのかもしれませんなあ(笑)。