会場が近隣だったもので、美術講座とやらを覗いに。来年(2025年)の大河ドラマを意識してか、蔦屋重三郎と蔦重がプロデュースした3人の絵師を扱う内容ということでして、3回シリーズの1回目に取り上げられたのは喜多川歌麿でありました。

 

 

浮世絵、錦絵の類い、折にふれていろいろと見てはいますけれど、素養がないところから最も目が行くのは風景画などであって、その点でも何かと歌川広重びいきになったりするというのが個人的なところ。浮世絵の一大ジャンルに美人画があるものの、「どれもこれも同じ顔で…」と思ってきたわけですが、今回の講師(美術ジャーナリストで、元はNHKのプロデューサーとして『日曜美術館』を手がけた方だそうで)に教わったことといえば、「だから、美人画なのである」ということなのですなあ。今さらながら「そうでしたか…」と。

 

 

上は歌麿から遡ること遥か昔、平安の昔に描かれたとされる『源氏物語絵巻』の「柏木」(部分)ですけれど、当時の王朝絵巻などでは貴人を描くには「引目鉤鼻」と相場が決まっていたということで。この「引目鉤鼻」で描かれていることこそが貴人たる証であって、それぞれの人物が実際にどんな顔付きであったかはこの際気にするところではないようです。

 

貴人=引目鉤鼻というパターンの類型化の下、描かれた対象が見る側に分かるやすくもなっていたのでしょう。その伝統が、結局のところ、江戸期の美人画に見られる美人の類型化されたパターンに通じていると。要するに、「これが美人なのですよ」というイメージが定まっていて、絵師たちはそこをしっかり押さえて描いた結果、後世からみれば「どれもこれも同じよう…」てなことになってしまうようで。

 

で、講師の曰く「歌麿はパターン化された女性像しか描けなかったわけでは、決してありません」と言うのですが、その証左として示されたのが狂歌絵本の類でありました。美人画の歌麿として名声が確立する以前、世の狂歌ブームにあやかって蔦重が仕掛けた挿絵入り狂歌集に絵を歌麿に描かせたということで。ですが、『画本虫撰』とか『潮干のつと』とか、前者は虫をお題に、後者は貝をお題に詠まれた狂歌に寄せた挿絵はそれこそ虫や貝ばかりなのですなあ。

 

さりながら、狂歌集とは名ばかり(文字は至って小さく隅の方に)であたかも昆虫図鑑、貝類図鑑でもあろうかというくらい絵が大きく扱われている。やがて歌麿を大々的に売りだすにあたって、その画力を知らしめる蔦重の作戦だったのではないですかねえ。何しろ、虫も貝も実に精緻に描かれているわけで。そんなふうに精細なリアルさを再現できる歌麿であれば、美人画のモデルとなった女性たちの容貌を描き分けられないはずがないと、講師は言うわけですが、そこはそれ、当時の美人はこれという容貌を踏み外すまではいかなかったのですなあ。

 

そうは言っても、歌麿の美人画を「ぼ~っと見ていてはいけません」とは、いかにも元NHKが言いそうな。なんとなれば、類型化された中にそれぞれの個性を想起させる描き分けがあるというのですから。こちらは講座の中でスクリーンに大きく映し出されていた、歌麿作として夙に知られる『寛政三美人』です。

 

 

これまでであれば「皆同じああ顔…」と思うところながら、ぼーっとせずに目を凝らせば、まず鼻筋の違いが目に止まります。目の形はどれもこれもながら大きさに違いがあったり、口の形も微妙に違う…てなことに気付かされるのでありますよ。その造作の違いが(言われてみれば、でもありますが)それぞれの女性の気質を想像するよすがにもなっているとは。

 

かつて浮世絵の美人画は全身像をすらりと描いたものであったのですが、天明年間(歌麿が狂歌絵本を手がけていた飛躍準備期間)には、上半身をクローズアップした「大首絵」が出回るようになってきて、やがて歌麿が大いに腕を揮うようになる「大首絵」はパターンかされた女性像に微妙な違いを表しやすくもあったわけですね。そうした微妙な描き分けに江戸っ子たちは心躍らせて、浮世絵を買っていったのでもありましょう。ちなみにかけそば一杯が十六文の時代、美人画一枚は二十文だったそうで。そばを一回抜いても憧れの君の肖像を手に入れたがったかもです。

 

そんな美人画で知られる歌麿、市井の美人を描くのはもちろん吉原の遊女たちをも描いているわけですが、「実はこの人、すごいんじゃね」と思わされましたのは、吉原という大きな町の隅の隅、大見世の絢爛さの陰で、あたかも飾り窓のような商売の女性たちをも描いているのですな。美人のパターン化は残しているものの、描き込まれたようすはむしろ場末を切り取った写真集のような生々しさが漂っているのですね。歌麿なりのリアリズムでもあろうかと。

 

とまあ、そんな具合で、そもそも個人的には歌麿(の美人画)を見る目そのものがパターン化していたものと思うところが、「その実、この人は…」ということを思い知ることになったものでありました。講座では三人の絵師を取り上げますので、この後には東洲斎写楽が、そして葛飾北斎が登場するのですが、果たしてどんな気付きを与えてくれましょうか。なかなかに楽しみでありますよ。