3回シリーズの浮世絵講座を聴きに行っておるところですが、そもその初回、喜多川歌麿が取り上げられた際、蔦重の時代よりは少し後にはなるものの、超有名浮世絵師である歌川広重の展覧会が近隣のたましん美術館@東京・立川で開催中とインフォメーションがあったのですな。元より気には掛かっていたところながら、「紅花の山形路紀行」で広重美術館@天童市のことを全く触れていないうちに見てしまうのもどうだかな…てな思いがありまして。気付けば会期は9/16で終了ということで、慌てて出かけて行ったような次第なのでありました。
企画展「浮世絵 歌川広重《名所江戸百景》」と題して、もっぱら「名所江戸百」に特化した展覧会は、普段がらがらのたましん美術館でもこれだけ入るのだなぁ(失礼!)と。といっても都心で開催されていたら、こんなもんじゃあなかろうなとも。
…(歌川広重は)安政5(1858)年に62歳で亡くなりますが、安政3(1856)年から制作されたこの江戸百が空前の大ヒット。題名の「百景」の100枚をこえ118枚まで描き続けられたほどです。まさに「浮世絵師人生の集大成」となった本作は、江戸時代の情緒あふれる春夏秋冬の風景が、人々の度肝を抜くような斬新な構図と鮮やかな色彩で描かれました。江戸の名所をとらえた洒落と遊び心ある絵は、江戸時代の人々を、そして150年以上を経た現代の私たちをも楽しませてくれます。
という紹介に加えて、「広重の浮世絵は、大胆な構図とトリミングや遠近法、ズームアップや鳥観図など、バラエティに富んだ構図が大きな魅力です。なかにはドローンや高層ビルから見たような風景も描かれています」と続くのですけれど、ともすると北斎のことを言っている?と思えたりも。よおく知られた保永堂版東海道五十三次では、そこまで言うほどの大胆さはまだ見られず、後の到達点(北斎のやったことを自分なりに昇華したりして)なのかもしれませんですね。
「なかにはドローンや高層ビルから見たような」と解説されていた、高い視点から見下ろす構図では、「深川洲崎十万坪」のように奇を衒って広く知られる作品もあるわけですが、上の「するがてう」(駿河町)あたりはいかに富士見の名所とはいえ、本当にこんなふうに見えるのかと思えるほどにピタリ決まった構図ですな。ことのほか遠近法が意識されてますけれど、奇を衒うというほどではない。案外、広重の本性はこちらにあるのではと思いますですね。
そも『名所江戸百景』の第一作として世に送り出されたのがこちらの「日本橋雪晴」で、いかにも名声が保永堂版東海道五十三次から始まった広重らしく、東海道を描くでもないのに日本橋から始めるというのもこだわりでしょうか。見るからに端正な、抒情的風景画こそが広重の真骨頂なのではないかと思ってしまうところです。
さりながら、思いもよらず滑稽画にも手を染めていた広重、名所を100ヵ所も描くとなればだんだんと遊び心が出て行ったのでもありましょう。解説にはクローズアップとありますけれど、どうも「覗き見目線」とでもいいたくなるような作品がいくつか見られるのですなあ。
一番下の「はねたのわたし 弁天の社」では、「こんなところから覗くかぁ?」てなものですね。羽田の渡し船で艪を操る船頭の脛毛が描かれるあたり、同じく「江戸百」の中に「内藤新宿」で馬のお尻をクローズアップするのと同趣向なのかもと。
「覗き見目線」ということでは、「江戸百」の中でも有名作のひとつ、「深川萬年橋」もただ窓から外を見えいるのではなくして、よくよく見れば手桶の柄の間から覗き見た景色だったようで。ですので、亀は窓枠でなしに、手桶の持ち手の部分に括りつけてあったのですな。ちなみにこの亀、販売用なのだそうですね。放生会で、活きた亀を水辺にかえしてやるためということですが、確かに殺生はしないとして、そのために活きた亀が売り買いされたとは…。
と、そんなふうに『名所江戸百景』のいろいろを眺めておりますと、「これって、みな名所なの?」というふうに思ってしまうわけですが、時折?広重も絵師としての美意識に戻ってくるのか、「真間の紅葉手古那の社継はし」などは我に返った?一枚かも。
それでも枝分かれした木の間から覗き見ている…とは、やっぱり覗き見目線にこだわりが?。そして、題材が真間の紅葉となると、もはや江戸ではないではありませんか。てなふうに、見て周りながら広重に感心してみたり突っ込んでみたり…、個人的にはどうしても美人画や役者絵などよりも楽しめるのが広重の風景画であるなと思ったものでありますよ。