さて、枚方船着場を出航した淀川下りの船は豊里大橋を過ぎて、いよいよ大阪市というところまで進んでまいりました。で、次に見えてきたのは菅原城北大橋とやら。またしても斜張橋ですけれど、塔の脇を行き過ぎ、おそらくは伊丹に着陸するのであろう飛行機が点のように見えておりましたですよ。

 

 

続いて潜ったのはおおさか東線という路線が通るJRの橋梁ですけれど、おそらくこれ以前に淀川に架かる鉄道橋梁は京阪電車の淀駅石清水八幡宮駅間まで遡るわけで、それ以降に無いとなりますと、こんな交通網のようすもまた都市が近づいてきた(川の上から見て来た目線として)印象があるところです。

 

 

ここから淀川は緩く左へカーブしているのでして、船が進むにつれてだんだんと、梅田の北側あたりになりましょうか、ビル群が見えてきますと、少々の高揚感が得られますな。先にニューヨーク・マンハッタンを思ったり…てなことを言いましたが、それはちと大袈裟に過ぎるとしても。

 

 

右岸には水道局の施設があるようで、おそらく水道橋と思われる橋梁を過ぎますと、「おお!来たなあ!」と盛り上がりも一入、淀川大堰が視界に飛び込んでくる。今さらですが、このあたり、淀川の川幅はなかなかに広くなっておりますねえ。

 

 

川面に近い目線ですと、「来たぞ、来たぞ!」感が強いところながら、堰の全貌はつかみにくいですので、ちとここで淀川資料館にあった写真で全体像を見ておくことにしようかと。

 

淀川河口から約10Km地点には水道水の確保や潮止めを目的に設置された、淀川大堰(昭和58年完成)があります。淀川大堰の上下流に最大2m程度の水位差が生じているため、現在は船の往来ができません。

国土交通省近畿地方整備局淀川河川事務所にはかような説明がありまして、現在はできない船の往来を可能にすべく「2025年大阪・関西万博開催までの竣工を目指し」て閘門の整備が進められておるのであると。ですので、船はここで左へカーブし、毛馬の閘門を抜けて大川(旧淀川)を入っていくことになります。

 

 

 

船が閘門内にすっぽり収まると、最大2m程度あるという水位の調整が始まるのですな。海に直接つながる大川の方が低い水位であるため、水抜き作業が行われるわけで。コンクリートの側壁に、縦に打ち込まれたビスの間隔はおよそ35cmということですので、およそビス6個分、やはり2m近く水位を下げたことになりますですね。

 

 

水抜きが完了して水位差がなくなると前方の扉が開き、船はいよいよ大川へと漕ぎだすことになるのでありますよ。

 

 

すっかり大阪市街地に入ったようすがありありとなって来て、東京でいえば隅田川(これも大川と呼ばれましたですね)、船はもはやそこを行き来する水上バスにさも似たりといったところ。やがて、寝屋川と合流しますけれど、しばらく前に分水施設でもって、淀川と水量のやりとりをしていた寝屋川の出口はここでしたか。合流点が淀川大堰よりも下流にあるので、洪水対策としては上流の方で調整が必要ということでしょうかね。

 

 

と、寝屋川合流点の上を通る鉄道は、何とまあ、京阪電車でしたか。枚方を出てようやっとここで追いついたような(といって、時間的には全くもって太刀打ちできていませんが…)。となれば、ほどなく船は天満橋のたもと近くにある八軒家浜の船着場に到着と相成りまして。

 

 

 

かくて「淀川浪漫紀行」と銘打たれた船下りはこれにて終了。枚方船着場からこの八軒家浜の船着場まで、乗りも乗ったり3時間とは、先にも触れたように京阪電車で移動するのに比べると9倍もの時間が掛かるわけですが、それをどう受け止めるかは個人差がありましょうなあ。個人的にはとてもゆったり、とても楽しく興味深い時間を過ごせたものと思っておりますよ。

 

ちなみに、キャビンクルーの方曰く、2025年万博に向けて伏見~大阪間のクルーズ運航を目論んでおられるとか。それが実現したとしたら、また乗りに来ようかなと思ってしまったものでありました(万博はともかくも…)。