てなことで「紅花の山形路紀行」を振り返るといったばかりながら、一方で「京阪淀川紀行」もまだもそっと続くのでありまして、取り敢えずはこちらの、宇治・平等院を後に京阪電車で移動したという続きのお話の方を。この日も京阪電車で右往左往の印象ですが、京阪宇治線を中書島駅で本線に乗り換え、やってきたのはこちらの京阪淀駅なのでありました。

 

 

それにしてもこの駅、ホームからすぐ向こうに「JRA」と見えておりますが、要するに京都競馬場の最寄り(と言う以上に競馬場へ行くためにある)駅でもあろうかと。東京の京王線に府中競馬正門前駅がある如しのようで。駅改札のところの周辺案内図を見ても、競馬場の存在感は際立っておりますし。

 

 

ではありますが個人的にその方面には些かも興味がないものでして。まあ、それでもホームからコースが見えれば「よく芝が整備されて…」くらいには思いましたですけどね。

 

 

ともあれ、淀駅へやってきたのは駅から近いところに淀城跡があるということだものですから。ま、城跡そのものがというよりも、城のあった場所が少々気になるてなところなのですな。先に立ち寄った三栖閘門資料館ではこんな展示パネルを見かけておりましたもので。

 

 

自然の水流をもって天然の要害としていたような淀城は、見ようによっては巨椋池の中にある浮き城のようにも見えたかもしれませんですね。が、巨椋池は埋め立てられて久しく、今では京都競馬場になっておる(もちろん池の広さからすればほんの一部にもせよ)ということが京阪淀駅に到着した段階で知れてしまったとは…。

 

ともあれ、ここで(やはり三栖閘門資料館の解説から)淀城の来歴を振り返っておくといたしましょう。

淀城は、もともと室町時代の細川政元が、淀川と桂川、木津川の合流地点に築いた城でした。秀吉は、この城を側室・茶々の産所とするために大修築します(天正十七年・1589年)。やがて、この城で鶴松を出産した茶々は「淀殿」と呼ばれるようになります。鶴松がわずか3歳で亡くなると、秀吉は悲しみを忘れるためか、1584年(文禄3)に淀城を廃城とします。

ということで、その時以来の廃墟が残る…のかといえば、そうではないようですな。江戸時代に入ってから淀藩藩主となった松平定綱が淀城を修復したそうで、破却されたのは明治になってからと。淀城といえば淀殿が思い浮かぶところながら、遺構としてはやはり徳川の、となりましょうかねえ(松平定綱は家康の甥にあたるようで)。

 

ところで、ついでに伏見城(伏見桃山城)の方もまたちと振り返りをしておきますか。今回はついぞ近寄ることのなかった伏見城ですけれど、高台に再現された天守は遠くからも見通せて、それなりに立派な雰囲気ではあるようで。

 

 

伏見市街の外れ、東高瀬川の土手上からも遠望できましたなあ(写真はズームアップしてありますが)。それでも近寄ることはなかった…ことには、今では閉園となった「伏見桃山城キャッスルランド」という遊園地の呼び物?として鉄筋コンクリート造りで再建されたと聞き及んだもので(ま、現代工法で再現された城郭は他にもありますけれど)。遊園地閉園後にも残されているものの、耐震基準か何かの関係で、中に入ることはできない状態ということでしたので、まあ遠望できたからいいやと。ただ、三栖閘門資料館の係の方の話だったでしょうか、見かけの再現としてはかなり本格的なのだということだったそうですが。

 

ちなみに太閤秀吉亡き後の伏見城は、関ケ原の戦いの際、家康から城を死守する命を受けた鳥居元忠が奮戦するも落城、建物の多くが焼失したと。一旦は家康が再建するも元和五年(1619年)に廃城とされて、「この時、建物や部材は、二条城、淀城、福山城などに移築されました」(京都総合観光サイトKYOTO design)ということでありますよ。で、思い出すのは、京阪淀駅にやってくる直前に訪ねた宇治・平等院で見かけた旧南門ですな。

 

 

傍の解説板によりますと、この門は「伏見桃山城からの移構とされ」ているようで。その理由として、こんな説明が記されておりましたですよ。

平成22年夏の古典技法による再塗装工事の際、主要部材の殆どが希少な赤樫(アカガシ)の巨木であることが判明。固く火に強いことから戦国期の城門などに使用されたことが記録に残るが、ねじれが起きやすい樫(かし)材による建造物はこれまで日本で確認されたことがなく、城造りの天才として知られた秀吉による城門「薬医門」の現存する最古の建築として注目される。

遊園地が再建した模擬天守でなくとも、あちらこちらに遺構が散らばって「どっこい生きてる、伏見城」てなところでもありましょうか。では、果たして淀城の方は?…。近辺の開発喧しい中、辛うじて保存されたという本丸跡のあたりが淀城跡公園となって残っている…ということで、そちらを覗きに行ってみたわけですが、長くなってきましたので次回へ続くということに。