いささか毒気(伏見稲荷大社の混雑具合)に当てられ、這う這うの体で逃げ出したわけですが、京阪電車に乗って移動した先は伏見を通り越して京都府の外れ、八幡市でありました。下車したのが石清水八幡宮駅となりますと、また神社かと思われても当然ながら、個人的思惑に適う場所はそこではないのですなあ。

 

 

駅頭の地図の上の方に見えている広い川筋が木津川ですけれど、これが(もはや地図外ですが)さらに左手に流れていたところで宇治川と合流し、そのもそっと先では桂川と合流するのですなあ。晴れて?大河・淀川となるわけなのでありますよ。

 

桂川と宇治川の間を走ってきた京阪電車は、石清水八幡宮駅に入る手前で大きくカーブして、まず宇治川を、続いて木津川を鉄橋で渡り越すのですけれど、ここに差し掛かるや気分は一気に高揚し、挙句写真を撮るのも忘れていたてなもので(笑)。ということで、駅を出ますと八幡宮を尻目に(失礼!)淀川河川公園背割堤地区を目指した次第です。

 

 

淀川河川公園は長い淀川をいくつもの地区に分けて、それぞれに憩の場となっておるようですが、この背割堤地区には「淀川三川合流域さくらであい館」という施設がありまして、高い展望塔を備えていると。周囲に高い建物が無いのですぐに分かります。

 

 

川沿いに京奈和自転車道というサイクリングロードが設けられている関係でしょう、どこから見てもばっちりサイクリストという姿の人たちがいて、どうやらここの施設はサイクルベースのようにも使われておるようでしたが、それはともかく早速に展望塔に上ってみることに(幸いにもエレベーターがあります)。

 

 

左が木津川、右手が宇治川で、桂川はさらに右手に続く木立の中でしょうかね。合流点という期待度がやたらに高かったせいでしょうけれど、まあ、これが精いっぱいなのだろうなあと。ですが、少なくとも木津川と宇治川とで、この辺りでの流れの違いは想像できるような。宇治川が両岸に水際まで木立を抱えて穏やかに流れているのに対して、木津川の方は広い川幅に砂地の見えている部分が多い。水量の多いときと少ないときの振れ幅がとても大きいということではなかろうかと。

 

ともあれ、せっかく上った展望塔ですので、しっかり眺めも見ておきたいところでして、右側の山並みは天王山に連なる稜線で、ということはしばらく前に訪ねたアサヒビール大山崎山荘美術館はその山中にあるのでしたか。ちなみに天王山に絡んでは歴史コラムとして、こんな解説がありましたですよ。

天下分け目の勝負は川沿いで決まった?!淀川と天王山に挟まれた狭い合戦場で光秀軍と秀吉軍は一進一退の攻防を繰り広げていました。そこで、淀川沿いに配置されていた秀吉(軍の))川部隊は、密かに渡河し奇襲。そのことから、戦局が一変し光秀軍は総崩れしたといわれています。

とかく山中の戦いとして描かれるように思うところながら、淀川筋から戦況を見定めて…てなことがあったのかもしれませんですね。

 

 

こちらは宇治川上流方向で、今しがた登ってきた伏見稲荷の稲荷山や遠く京都市街、空気が澄んでいるときには京都タワーまで見えるらしい…のですが、これほど霞んでいては無理ですねえ。

 

 

今度は木津川の上流方向。京阪電車の鉄橋の向こうの向こうに、この次に訪ねるポイントがあるのですけれど、それは後のお楽しみということで。で、その前に、気になるのはやはり川の合流点ですなあ。

 

展望塔からは木津川と宇治川の間、背割堤として長く続く木立の向こうとしかわかりませんでしたが、もしかして突先まで行ける?行けないだろうなあと。思い出すのは、利根川と江戸川の分流点だったりもするところでして、突先部分は草木に覆われ、無理に進もうとすれば大量の羽虫に苛まれる…。そう予測はするものの、ここで行っておかねば悔いが残るような気がして、いざ背割堤の先端へ向けて歩を進めたのでありますよ(続く…)。