かくて「淀川浪漫紀行」の乗船「ひまわり」は枚方船着場を離れて、淀川下りの始まり始まり。船室内から眺める川面の近いこと!こうした点も魅力のひとつでありましょうね。

 

 

まずはキャビンクルーが「Welcom onboard!」的はご挨拶。その間にも乗客はそそくさと料金込み込みの昼食にありつくことに(みな遠慮があったのか、率先して手をつけた口です。笑)。

 

 

 

枚方からの下り船の場合には、市内の割烹藤特製のお弁当が提供されまして、併せてお茶が出てきますけれど、日陰の無い船着場でしばし乗船待ちがあったものですから、即座にビールを頼んでしまいましたですよ。かつてであればいつの間にかくらわんか舟が近づいてきて、あれこれくわらんか!と売り声喧しくなるところでしょうけれど、現代にあってかようなことはありませんので、追加オーダーは当然ながら船内で。

 

 

雰囲気だけでもお江戸気分にというわけでもありませんが、「くらわんか」という銘柄の日本酒も少々。交野市の酒蔵で造っているもののようですね。で、酒まで飲んだ上で、甘いものというのもどうか…ながら、デザート代わりに出されたわらび大福もしっかりいただくことに。ちと弁当の量が上品過ぎたものですから。

 

と、冷房の効いた船内でしばし過ごすうちに汗だく具合も落ち着きを見せてくる。ふと船窓から外を見やれば、カワウでしょうか、水面を蹴立ててちょうど飛び立つところ。こんな光景は、江戸時代に三十石船で淀川下りをしたいた人たちも見た日常なのでしょうねえ。岸辺にはパラソルを立てた太公望が竿連ねておりますし、カワウと魚を獲り合っているのようで。淀川にはたくさんの魚が住まっているようですしね。

 

 

ふと気づけば左岸の方に何やら堰のようなものが見えてまいりまして、「太間放流口」と書かれてあります。どうやら寝屋川と淀川とを結ぶ導水路に繋がっているようで。

 

 

ここの導水路の面白いところは、水の流れが淀川から寝屋川へ、寝屋川から淀川へ双方向であることですな。普段は淀川の水を寝屋川に分水しているようですけれど、いざ寝屋川が洪水の危機!てなことになると、逆に寝屋川の水を淀川へ流すようにしているそうな。治水のやり方のひとつなんですなあ。

 

てなところで、船室の上に設えてある展望デッキに出て、川風にあたりつつ周囲を眺めやることに。ほどなくすらりと現代的なデザインの斜張橋が見えてきました。鳥飼仁和寺大橋ということで。上を通るのは一般の府道ながら、100円の通行料が掛かる(どうやら建設費用が回収できないらしい)ことから、通称「100円橋」と呼ばれる…とはWikipediaの受け売りです。

 

 

本来的に鳥飼仁和寺大橋は、ひとつ下流側にある鳥飼大橋の交通量対策で造られたようですが、思ったほどに使ってもらえないと。そこに通行料がかかるとなればなおのことでしょうなあ。と、前方にはその鳥飼大橋のアーチが見えてきました。並行している大阪モノレールがちょうど通りかかりましたですよ。

 

 

大阪モノレールが通りかかるということは、そろそろ大阪市内が近いのか、はたまたまだまだ先なのか、土地勘の無い者にはピンと来ませんですが、ともかくゆったり船は進んでいるようでありますよ。

 

 

と、今度は右岸側に水門のような構造物が見えてきました。一津屋樋門という施設のようで、分水された淀川の水はここから神崎川という別の流路で大阪湾に注ぐのであるということのようで。

 

でもってこれを過ぎると豊里大橋という斜張橋を潜りますけれど、先ほどの鳥飼仁和寺大橋とは、同じ斜張橋でもデザインが異なりますな。ケーブルを張っている塔の形状から、豊里大橋の方は「A型斜張橋」とも言われるそうな。

 

 

乗船して結構時間は経ってきているも、土地勘の無さ故に相変わらず「どのあたりにいるのであるか」という見当がつきかねておりますが、どうやらこの豊里大橋は大阪市内にあるようですので、「もうひと息であるか」とも。確かに、橋の向こうを見晴るかせば、これまでには余り無かった高いビルのかたまりが望めるような。「大阪が近づいてきたあ」と思えたものでありますよ。

 

先に枚方、鍵屋の展示でシーボルトが淀川の眺めをマイン川に擬えていた文章に接し、「そんなあ…」と思ったものですが、こうして淀川の川面にあって遠くビル群が見えてきたときの印象は、(我ながら大袈裟に過ぎるとは思うも)ニューヨークのイーストリバーやハドソン川から摩天楼を見やるが如しと思ってしまいました(笑)。

 

この後、船は淀川大堰を傍らに見て毛馬閘門を抜け、大川へ入って八軒家浜へとたどりつくのですが、それは次の機会ということで。