先日、マリアナ諸島関係の展示を見に出かけた帝京大学総合博物館にも、他館の展示告知のフライヤーがいくつも置いてあるコーナーがあったのですな。その中でかような一枚が目に止まったのでありますよ。
マリアナ諸島のグアムから、あたかもゴルフのグリーンに見る芝目のように、ゆるやかぁな左カーブを描きながら、北へ北へ点々と島が連なっておりますな。グーグルマップなどで見ていて、「ああ、これでおしまいか…」と思ったところをもう少しだけ同じカーブの延長線上に探りを入れると、やおら南硫黄島、そして硫黄島が出てくる。その先にあるのは言わずと知れた小笠原諸島になりまして、さらに北へたどれば青ヶ島、八丈島と伊豆諸島に到達するという。つまり、地球規模で見ると、マリアナ諸島と小笠原諸島、伊豆諸島はつながっている?と見て取れるのでありますよ。
とまあ、そんな繋がりから、フライヤーを目にしたのも何かの縁とばかり、東京・西国分寺にある東京都公文書館を訪ねる機会を窺っておりましたところ、このほどようやっと出かけてきたというわけでして。
この施設自体は昨冬、企画展「東京府文書にみる多摩と東京 ―多摩地域東京府移管130年―」を見に立ち寄ったことがありまして、その際に常設展示(江戸が東京となって以降の軌跡をざっくり紹介)は眺めておりますので、今回は端折り…なんですが、常設展示室の傍らではミニ展示とやらが行われtおりました。上の展示室入口写真に「幕末から明治初期の小笠原諸島」とあるのが、そのミニ展示。考えてみれば、マリアナ諸島から点々と続く島々では、伊豆諸島よりも先に小笠原に到達するわけですから、これを先にちらりと見ておくことにしたのでありますよ。
ミニというだけあって、展示ケースは2つだけのこぢんまりしたものでしたですが、取り敢えず。
幕末期、日本近海には外国船の姿が目立つようになりました。なかでも、捕鯨業が盛んだった欧米諸国にとって、小笠原諸島は捕鯨船の補給基地に適していたこともあり、嘉永6年(1853)に日本へ来航するペリーは父島に補給基地を設けました。欧米からの入植者も増加し、安政2年(1855)の記録では、アメリカ人、フランス人、イギリス人など80人ほどが暮らしていたと記されています。
今回の展示は「幕末から明治初期の…」とありますので、その前史には触れていませんけれど、どうやら日本では江戸時代の初め頃に島の存在を知ったようですなあ。海外の記録では、大航海時代にスペイン船などが寄港(というより漂着?)したりしているようですから、日本は遅れをとっていたわけで。さりながら、スペイン船などが大海原を渡り行く際にちょっと立ち寄って足休めにしていたところへ、幕府の探査の際に日本の領土であることを書き残してきたと。おそらくはそのままに時は流れて、日本領といいながら実質的な支配もされていないことから、欧米が捕鯨基地を設けていたりしたのでしょう。鎖国の日本は欧米とのやり取りをしてこなかったわけですし。
それが幕末になると、ペリーに風穴を開けられて、外国とのやり取りを捨て置いてばかりもいられない状態に。文久元年(1861年)、改めて小笠原に外国奉行水野忠徳や中浜万次郎(ジョン万次郎ですな)らを派遣しますけれど、時は幕府自体が対外政策で揺らいでいる時期で、遠い島のことまで面倒見てられないことになってしまったようで。
そんな小笠原諸島へ次に役人が派遣されたのは明治8年(1875年)になってから。翌年には国の直轄(内務省管轄)とされて、出先機関たる出張所が設けられることに。何しろ、外交最前線のような場所でもあったわけですしね。
その後、明治政府が取り組んだ外国との関係構築がある程度落ち着きを得たと判断したか、小笠原は明治13年に内務省直轄から東京府へと移管されたということでありますよ。その際の史料として、いかにも公文書館らしい展示がこちらですかね。
文書には「内務省所轄小笠原島の儀自今本府へ被属候旨達」と江戸期をそのまま引き摺っているようなタイトル付けがなされていますが、こうした文書(もちろん国立公文書館などの史料も同様ですけれど)には日本史の教科書で見かける名前がざくざく出てくるのが妙味(?)でもあるような。ここにも「太政大臣三条実美」とありますしね。ま、こんな子供じみた見物の仕方もまた楽しからずやでありますなあ(笑)。
ところで、領有権の関係もあって小笠原に出張所が置かれたりしたこともあってか、統治に関わることばかりでなしに学術的な調査も行われたようで。結果として植物や魚介類の図譜も残されているようでありますよ。
「小笠原諸島は生物地理区の区分上において、日本で唯一オセアニア区に属している」(Wikipedia)という土地柄だけに、珍しい植物、動物、魚介類が目にとまった賜物かもしれませんけれど。
と、伊豆諸島の話になるはずが、その手前(マリアナ諸島方面から見て)の小笠原諸島のミニ展示につい引っかかってしまいました。肝心の伊豆諸島のお話は次回振り返っておこうと思っておりますよ。