しばらく前に…と、かつて自ら書いたところを検索してみれば2022年の2月でしたか、武蔵国分寺跡の界隈を歩き回ったことがありました。その時に歩き出したポイントはJR中央線の西国分寺駅で、すぐ近くの東山道武蔵路の跡をたどっておりますと、これに面して「ああ、こんな施設もあったのか…」と気になったところではあります。お隣にある東京都立多摩図書館には何度かイベントに出かけてきてはいたものの、お隣の建物までは気に留めておらず…。

 

どうやら元々は港区にあったものが、いっとき世田谷区で間借り状態になり、最終的には2020年に国分寺市へとやってきたようで。何が?って言うのを忘れていましたけれど、東京都公文書館という施設でありますよ。ちょうど写真を撮るのに立っているのが、東山道武蔵路跡の解説板近くとうことになります。

 

 

で、ここにあると気付きながらそのままになっておりましたのがこのほど背中を押したのは、「東京府文書にみる多摩と東京 ―多摩地域東京府移管130年―」という企画展が開催中であると知ったからでして。とはいえ、おそらく展示室は小さかろうし…と、過度な期待を抱くことなく出かけたところながら、確かに広さとしては小粒ながら「江戸から東京に至る変遷」を紹介するという常設展示室は結構興味深かったですなあ。ということで、早速に館内へおじゃまいたすことに。

 

 

さすがに、移転してまだ2~3年しか経っていないせいか、館内もぴかぴかでしたなあ。じっくり見て回っている間、他に来場者が全くいなかったことからして、果たして新規開館以来の累計来場者もさほど多くないような。それが施設の新しさを保っているのでもありましょうねえ。

 

 

ともあれ、常設展示が「江戸の成り立ち」、すなわち「天正18年(1590)、徳川家康は関東に入府すると、城の修築とともに、大規模な城下町の経営に着手しました」というところから始まるのは常道ですかね。もちろん、将来的に江戸、東京となる土地にも太古の昔からの歴史は何かしらあるとしても、大都市・東京の礎は家康の江戸入りに始まるのであると。それ以前の古いお話は京都埋蔵文化財センター江戸東京博物館(2025年度まで休館中)の展示にあたるべしということでもありましょう。

 

江戸城の城下町が形成されるとともに人口流入が夥しく、市街地はどんどん拡張していったというお江戸ですけれど、今の東京から考えると周辺部は農地ばかりであったのですな。一大消費地となった中心部を支えるには(保存技術の進んでいない当時)周辺部から届けられる農作物は生命線でしたでしょうし。

 

 

江戸を取り巻く各所にその場の地名を冠した野菜などがたくさんあったことも、周辺部で農業生産が行われていたことがわかりますですね。小松川地区で作られていた小松菜などは今や一般名詞にもなっておりましょう。それ以外にも練馬大根、亀戸大根、谷中生姜あたりはよく知られた名前かと。

 

ところで、戊辰戦争を経て慶応四年(改元後は明治元年)7月17日、「江戸を東京とする詔」が発せられて「東京」が誕生するのですが、当初はどこまでを東京とするのか、難しいところだったのでしょうなあ。まずは江戸城(東京城と改称)の外堀内くらいの範囲だったようですが、1871年の廃藩置県で「東京府」が置かれる際には、周辺の農村部を組み込んだようで。今に続く東京23区の原型ということながら、ほとんどは農村だったのですよねえ。

 

 

この地域的枠組みに対して、地方施政の形として1889年(明治22年)に市制町村制が施行されますと、元々の中心部に相当する部分を15区に区分けて「東京市」が誕生することに。まだまだ中心部と周辺部の格差は残っているわけですな。

 

 

ただ、あたかも中心部が優遇されるような印象もあるものの、その実は「東京・京都・大阪の三市には市制特例が設けられ、市長が置かれずその事務を府知事が行うなど、自治は大きく制限されていました」というのですなあ。当時の府知事は官選ですので、地方自治というよりも大都市にはお上の意向が反映しやすいような形をとったことになりましょうね。

 

1898年には市制特例が廃されて東京市長(当初は市会の推薦者を政府が任命、後に市議の互選)が誕生しますけれどね。一方で、周辺部とされた地域へも人口流入は引きも切らず、東京市の枠組み自体も拡大することになります。

 

 

このエリアがその後の区分けの統廃合を経て東京23区となるわけですが、範囲が広がった東京市にはやはりお上の意向の下に置きたかったのでしょうか、戦時下のどさくさともいえましょうが、1943年(昭和18年)7月1日、「東京府と東京市を廃止し、新たに東京都を設置する」こととなり、「都の首長は東京都長官といい、政府が任命する官僚が務める」ようになるのですな。東京都が作った公文書館の展示解説ながら、こんな説明もなされておりましたよ。

東京都制は、戦時下の首都東京を国家の直接的な統制下に置き効率的な行政事務の遂行をめざすものでした。

ま、こんな流れをたどってきた東京都は、戦後の民主化の時代にはひととき革新都政などと言われた時期もありましたけれど、昨今では「本当は国の総理大臣をやりたところながら、今はどうも潮目が悪いから、箔付けに都知事でもやっとくか」みたいな状況になっておりますな。地方自治なんだか、国政のお先棒担ぎなんだか、よく分からないようなことになっていて…。

 

と、ここまで辿った東京の歴史では敢えて多摩地域のことに触れずに来ましたですが、それは企画展で大きく取り上げられているからですな。小さな展示室と言ったわりには長くなってしまってますので、「多摩と東京」なる企画展での見聞は次回に譲ることにいたしましょうかね。