久しぶりに両国の江戸東京博物館に立ち寄ったのでありました。
たまたま庭園美術館で「道灌がみた南武蔵」なる展示があるというフライヤーを目にし、
少々興味をそそられたからなのでして。


地域展「道灌がみた南武蔵」@江戸東京博物館

ですが、元より常設展示室の片隅が会場らしきところから
大きな期待はしておりませんでしたですが、それにしても小規模で…。
このくらいの展示でもフライヤーを制作するんだなあと、
妙なところに感心したりしたものありますよ。


どうやら「道灌が見た南武蔵」なる展示は
もう少々大きめの展示である「発掘された日本列島2019」展に付随するものであるらしく、
ついでに見ることになったこちらの展示の方がよほど面白みを感じたものでありました。


企画展「発掘された日本列島2019」@江戸東京博物館

この「発掘された日本列島」という展示は1995年以来、年ごとに開催されているらしく
「全国で毎年約8000件を超える発掘調査が実施」されているというその成果を
「近年発掘された遺跡のなかでとくに注目を集めた12遺跡について速報展示」として

見せてくれるものであるとのことなのですね。


古い時代から順に紹介されていますけれど、

全部に触れていきますとキリがありませんのでちと端折りつつ、

まずは約38,000年前から約15,000前までとされる旧石器時代から。

日本列島での人類の歴史はまさにその頃に始まったことが確実とされているそうで。



で、最初の遺跡は千葉県酒々井町にあるという墨古沢遺跡でして、

当時の「人々は遊動し狩猟をしながら、簡素なテント状の住まいや岩陰に暮らしていた」と

みられている中で、石器づくりの跡が61か所も見つかって大型集落だったと考えられるとか。


とかく縄文と弥生の比較において、弥生は稲作をする定住型であるのに対して

縄文は狩猟採集であるた故に遊動していたのではと想像し、

その点で旧石器時代と区別が付きにくいところがありましたですが、

住居がテント型(移動に便利)であることからも、旧石器時代の遊動性の高さは

竪穴式住居などを造りつけた縄文時代とは大きな違いがあったのかもです。


墨古沢遺跡の出土品


でもって、こちらが墨古沢遺跡の出土品である石器類ですけれど、まさに粗削りといいますか、

見つけたものが「これは石器だぁ!」と俄かに特定できないような品々でもあろうかと。

これが続く縄文時代の遺跡となると、大きく変わってくるのですなあ。



青森県の白神山地東麓縄文遺跡群は約15,000年前から「1万年の長きにわたって

連綿と営まれた17遺蹟からなります」と解説にあるだけに、出土品は実に豊富。

もちろん土器が作られるようになりますけれど、その装飾性は実に豊かなものでありますよ。





それが弥生時代(鹿児島県・山ノ口遺跡)になると(ここからちと紹介の店舗を早めます)


むしろ実用性への傾斜が大きくなるような。
デザインに趣向を凝らすおおらかな余裕が無くなったのでしょうか。
一概には言えませんが、稲作文化の伝播は実は功罪相半ばするところがあるような気も…。



一方で、古墳時代にはまた装飾性が非常に豊かになりますですね。
もっとも縄文のような日常に根付いたものではなくして、
権力を表すためのものといった色彩が濃厚ではありますが。





古代では飛鳥時代から平安時代にかけての遺跡である青谷横木遺跡(鳥取県)から、
板絵が発掘されたそうな。高松塚古墳壁画と同じ頃の作と考えられるということで、
なるほどよくよく見れば、似たタイプの女性像と想像されますね。



さらにどんどん時代が近づいてきて中世、近世となってきますと、
長い長い歴史をたどる中では遺跡としての有難みがいささか薄れる感覚も起こるところながら、
真田が構えた岩櫃城跡の調査や浅間山の大噴火で泥流に飲み込まれた集落の発掘などは
隠れた歴史を解き明かす材料が見つかるかもしれないのですよね。


なんといっても、その辺りが遺跡発掘の醍醐味でありましょうか。

こうした展示に接すると、あちこちの遺跡を訪ねてみたくなってしまうものの、

何しろ発掘されているだけで8,000もの遺跡となると、どう巡っていいものやら。


やはりこうした概要を一望することができる機会に遭遇できたことで
差し当たりは良しとしておくことにいたしましょう。

そして、興味度合いの高まったときにその高まりを呼んだ場所へ
向かうてなふうにしようと、心を落ち着かせるのでありました。